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~幽世ノ華~大江戸検死官事件帳  作者: 横溝周一郎
第二章 割腹殺し編
10/11

 「(じん)兵衛(べえ)殿、大分良くなって参ったな。」

 「左様でございますか。」

 凌雲の言葉を聞き、安堵した様子で口を閉じるのは芸者置屋「松葉楼」の主人である(じん)兵衛(べえ)だった。小柄だが、顔は瓜の様な面長の六十絡みの男だ。二枚目では無いのだが、人懐っこい表情を浮かべており、どことなく愛嬌がある。治療が終わったと聞いた甚兵衛は、開けた着物を着直した。

 「腫れていた喉の奥も元に戻りつつあるし、熱も大分冷めた様だ。」

 「いやあ助かりました、江戸屋の元締から強く勧められ先生の尊名が伺っておりましたが、正に聞きしに勝る名医ですな。御見それいたしました。」

 今まで医者に掛かった事が無い甚兵衛だったが、ここ最近続いている雨によって体が冷えたのか、風邪を引いてしまっていた。滅多にひかない分、風邪を引いた際の体の不調が出やすい体質の様で、甚兵衛は二日ばかり寝込んでしまっていた。甚兵衛は何やら大病を患ったと思い、死を覚悟していた。それだけに、風邪を速やかに治してくれた凌雲の存在はまさに天の助けと言えた。

 「たかが風邪に、大げさな事を言う。」

 「何をおっしゃる、風邪は万病の素と言いますぞ?現に私は、ここ数日生きた心地がいたしませんでした。」

 「医者を相手にその言葉、参ったなぁ。」

 薬篭箱に道具や薬をしまう凌雲は、御もっともな御高説にハハハと笑って誤魔化した。

 「ならば甚兵衛殿も、あまり無理をしなさんな。甚兵衛殿に何かあれば、複数の芸者が路頭に迷う事になるぞ。」

 「左様でごさいますな、置かれている芸者は我が子も同然。それだけは避けとうございます。」

反論もせずうんうんと凌雲の言葉を頷きながら聞く甚兵衛、こうした素直な患者ばかりならば助かる。

 「ともかく先生、助かりました。先生は命の恩人でございます。」

 甚兵衛はすっかり凌雲を恩に着ているらしい。すると、心配そうに見守る三人の芸者の一人が安堵の表情を浮かべて甚兵衛に言う。

 「旦那、無理は禁物だよ?松葉楼(うち)だって裕福って訳じゃいんだから、旦那に何かあったらあたし達も無事じゃすまないんだから。」

 「いやぁ、済まなかった。」

 「全く、身寄りのないアタシらにとっちゃ旦那が親代わりなんですからね。」

 「解ってる解ってる、本当に済まなかったよ。」

 芸者三人にやり込められ、ただひたすら頭をだげるしかない甚兵衛の様は見ていてほほえましい。甚兵衛には子供がいない。女房は難産で、お腹の子を流産しその後自分も体を壊して死別してしまった。以降甚兵衛は後添いも迎えず、芸者達を我が子の様に大切にしている。それだけに、置かれている芸者には父親同然に慕われている。

 「旦那、蔦吉姐さんの祝言も近いのだから大事にしてくださいよ?」

 「おぉ、そうだった。もう直かぁ・・・。卯之の奴も楽しみだろうなぁ。」

 「御仲人の森岡(もりおか)泰然(たいぜん)先生も大慌てだそうですよ。」

 「あの先生はお節介焼きだからねぇ。」

 小石川養生所肝煎医師の森岡泰然、名医と評判の人物だ。と同時に、仲人としても有名な人物だ。医者としては大したことは無いが、仲人に掛けては名人と言う褒め言葉か嫌味か解らぬ川柳が存在する程に、医者が仲人を務める場合が多い。

 「そうか、此処の蔦吉さんの祝言が近かったな甚兵衛さん。」

 「そうなんで、やっぱりうれしい物ですねえ。我が子同然に思う芸者が祝言を上げるってえのは。」

 「蔦吉は祝言を上げた後、どうするんだい?」

 「へえ、卯之(うの)(きち)は板前修業を積んでおりまして小料理屋を開くとの事です。」

 「そうか、稼ぎ頭がいなくなっては今後大変だろう。」

 「心配ご無用、その分此奴らに稼いでもらいますから。まあ、蔦吉程稼げはしないでしょうがね。」

 笑いながら冗談を言う甚兵衛に、「憎ったらしい!」と食って掛かる芸者たち。芸者置屋の中には、芸者をまるで牛馬の様にこき使う阿漕な輩もいるが、この甚兵衛は違う様だ。家族の様にじゃれ合う二人を見る限り、甚兵衛の出来た人間性が伺える。

 「小料理屋か、流行廃りもある故楽な稼業では無いぞ?」

 「まあ向こうも、それは覚悟していると思います。こっちも出来る限り手助けは致しますがね。後は二人次第でさぁ。」

 「若い頃は苦労は飼ってでもしろと言う、辛い時代が良い経験になるだろうさ。」

 「そうですね、わっちらも見守る事に致しやす。」

 「そうしてやんな。」

 二人が話していると、若い芸者の一人が何かを思い出した様で甚兵衛に言った。

 「そう言えば旦那、姐さんが言っていたしつこく言い寄って来る質の悪い客はどうなったんです?」

 「ああ、あの話は然るべき所に届けたよ。役に立ってくれるとは限らんがね。」

 聞き捨てならない話を耳にし、凌雲は甚兵衛に聞いた。

 「何かあったのか?」

 「いいえ、大したことじゃござんせん。こういう仕事してますとね、芸者と客の垣根を越えようとする輩がいるんですよ。珍しい事では無いですね。」

 「商売柄町方に知り合いがいる、紹介しようか?」

 「いいや御心配なく、何もありませんでしょう。」

 「なら良いがな。」

 他愛もない話をしながらも、凌雲は仕事の手を止めない。凌雲は一般的な風邪薬である(かっ)(こん)(とう)と、乾燥を避ける為の麦門冬湯に加え扁桃腺の炎症を抑える(けい)()連翹(れんぎょう)(とう)を調合した薬を手渡す。

 「じゃあこれを飲む様にな、元気になったからと言って飲むのを止めてはいかんぞ?出した分、全部飲み切るんだ。」

 「承知しやした、おーい誰か。」

 甚兵衛は店の者に、金子を持ってこさせる。

 布に包まれた金子を番頭の一人が持って来た。布を捲ると、小判の切り餅一つがその中にあった。稼ぎとしては上々だ。こうした金払いの良い患者っが増えてくれるのは、正直助かる。

 「甚兵衛さん、包み過ぎでは無いか?」

 「いいえ、どうかご遠慮なく。助けて頂いたのですから。その代わり、蔦吉夫婦が店を開いた際はどうぞ御贔屓に。」

 「解った、では頂戴致す。」

 死骸を診る検使医としての役目を受ける様になってから、患者が訪れるか不安だったが、その不安は取り越し苦労だった様だ。最初の日本橋の一件による評判はまだ活きている様で、「貧乏小路の二八先生」と言えば今でも有名であるらしく、「患ったのなら貧乏小路へお行き」と勧める患者が多い。掛かりつけ先となった安房屋一家も、凌雲の医者としての評判を聞きつけての事なのだ。

 「ありがとうございました、正しく先生は生ける者も死骸も分け隔てなく診る名医ですな。また、よろしくお願いいたします。」

 「またなんて事は、無い方が良いのだ。息災でな。」

 そう軽く挨拶をし、凌雲は松葉楼を後にした。懐へ入れた切り餅が重く、着物の形が崩れる。「こりゃあ金冷えしちまうな。」と、徐に切り餅を取り出して眺める凌雲。

これで薬種の払いも出来るし、三度の飯にも困らない。

 「暫くうまい酒が飲める。」

 思わず顔がほころぶ、すると後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。振り返るとそこには、息を切らせた若い男が立っていた。

 「おや、(ぶん)(しち)さんじゃないか。」

 「見つけやしたよぉ先生、お喜代さんから此処に往診へ出たと聞いて駆け付けやした。」

 凌雲を見つけて駆けつけて来たのは、仁吉の子分である下っ引きの文七だ。下っ引きは十手を持つことは許可されてはいない。代わりに、腰には鉄製の延べ煙管が差してある。

 「全く先生ったら、すぐどこかに飛んで行っちまうんだからぁ。」

 「糸の切れた凧じゃあるまいし、それで何か用か?」

 何か用かと聞いてはいるが、文七が凌雲を探している理由には見当がついている。

 「おろくか?」

 「へい、若旦那がお呼びしろと。神田川、和泉橋の麓です。」

 「花街の直ぐ近くでか?」

 「へい、細川様の用人がギャアギャア五月蠅えもんで万福寺に運び込みやした。」

 「(じょう)(かい)和尚の寺へ、そんなに凄惨な死骸なのか?」

 聞かれては困るとでも思ったのか、一瞬キョロキョロと周りを見渡して耳に近づいて囁いた。その声を聞いた凌雲は、唖然となった。

 「何?五臓六腑が?」

 「へえ、腑抜けの状態で・・・。」

 「冗談だろ?そんな死骸が・・・。」

 「嘘や冗談でこんな事は言えやせんよ、兎に角来て下せぇ。来てもらえたら解りやす。」

 家に帰って少しばかり休息を取りたいところだが、可愛い弟分が待っていると言われては、断るわけにもいかない。

 「身元は解っているのかぇ?」

 「へい、町名主の話では蔦吉ってえ芸者だって話でさぁ。」

 その名前を聞き、凌雲は思わずその場に立ち尽くした。甚兵衛が幸せを願っていた、祝言が決まっていた芸者と同じ名前だったからだ。同名の芸者がいないとは限らないが、嫌な予感が脳裏を駆け巡った。

 せっかく病気が治りかけている甚兵衛に余計な心配をかけてはならない、凌雲は密かに文七に声を掛ける。

 「解った、行こう。」

 「どうしたんで先生?」

 「道々話す。」

 そう言う地凌雲と文七は、松葉楼の面々に悟られぬ様に事件現場へと向かった。

             ◇◆◇

 「おいおい、どうしたんだえ?」

 「五臓六腑を取られた死骸が上がったのだとさ。」

 「何だい、鬼でも出たか?」

 万福寺の周りには、噂を聞きつけた野次馬が集まっていた。腹を裂かれ、五臓六腑が切り取られた死骸が上がったと言う評判は、瞬く間に江戸中に広まっている様だ。凌雲は籠の中でも、他人であってくれと願っていた。

 懇願しているうちに、件の万福寺へ到着した。寺庭には運び込まれた死骸が筵の上に寝かされていた。その周りには勇五郎と仁吉を初めとする北町奉行所の役人に加え、山王門前町に出向いた寺社奉行所の速水右近がそこにいた。

 「おぅ、其方は。」

 「高柳凌雲でございます、御召を頂き参上仕った。」

 「うむ、近藤殿から話は聞いておる。協力を頼むぞ。」

 右近と挨拶を交わした凌雲は、自信を呼びつけた張本人である勇五郎を探した。すると勇五郎は、寺庭の隅で吐き気を催ししゃがみ込んでいた。その背中を仁吉が擦り、死骸の前では浄海坊主が供養の経を唱えている。

 「勇さん、待たせたな。」

 「おぅ先生、済まねえな忙しい中。」

 「それは構わねえが、死骸の身元を文七さんから聞いたが、蔦吉って芸者なのか?」

 「そうだが、知り合いなのか?」

 「何だ兄貴、昵懇の芸者なんていたのか?」

 「そんな事じゃねえ。」

 何時もとは違う様子の凌雲を見て、ただならぬ事態を察した勇五郎と仁吉は耳を貸す。そして、事情を聴いた二人の表情は一層険しくなった。

 「何だと、そいつは一大事だな。」

 「兄貴の患者と関係しているだなんて、世間は狭えな。」

 「勘違いならば良いんだ、名主さんも連れてきているか?」

 「ああ、念の為連れて来ている。」

 仁吉に促され、治郎兵衛が前に出て来た。

 「あんたが名主さんかぇ?」

 「豊島町名主、治郎兵衛でございます。」

 「お前さんは、松葉楼の蔦吉を知っているのか?」

 「はい、松葉楼と甚兵衛さんとは昵懇の間柄でしてな。寄合等で、あの置屋の芸者衆を何時も贔屓にしておりますので。」

 「そうか、では見苦しいかもしれねえがもう一度死骸の面体を改めちゃくれんか?」

 「よろしゅうございます、お役に立つのであれば。」

 そう言うと凌雲の隣で、再び凄惨な死骸を見つめる治郎兵衛。目を背けたくなる死骸だが、治郎兵衛はしっかりと面体を改めている。町役人、町名主の役目を全うすると言う真剣味の表れだ。

 暫く死骸を改めていた治郎兵衛は、ゆっくりと頷いた。

 「間違いございません、松葉楼の蔦吉さんです。」

 「・・・・、そうか・・・。」

 凌雲は何時になく、がっくりと肩を落とした。治郎兵衛は甚兵衛の風邪の治療を請け負っている事、蔦吉が祝言を控えていた事を凌雲から聞いた。

 「左様でございましたか・・・、甚兵衛さんもさぞや気落ちするでしょうなあ・・・。」

 「娘同然の芸者の祝言を間近に控え、折角病も治りかけて来たと言うに。」

 「気の毒な事だ・・・・。」

 「先生、御役人様、蔦吉さんの為にも・・・、甚兵衛さんの為にも、一刻も早く下手人をあぶりだして下さいまし・・・・。」

 「解った、では頼んだぜ先生。」

 凌雲は筵を捲り骸の検分を始めた。水を幾分か吸った様で体は膨れていた。水に浮かんだ骸ならば当たり前の事である。何よりも目が言ったのは、首元から膣にかけて縦一文字に切り裂かれた傷口だ。その様を一見した凌雲も目を背けたくなった

この骸も、体の中にあるべき五臓六腑が全て切り取られ、中が空洞化していた。

 「山王様の死骸とは比べ物にならぬな。」

 気になったのはふやけ切った皮膚に薄っすらと浮き上がる赤い痣と所々に付けられた傷跡だ。凌雲は「もしや」と薬篭箱から取り出した二つの金属製の器具を用いて女の膣内を調べ始めた。

 「流されていなけりゃ良いが。」

 注意深く奥を覗き、懐紙を細く紙縒り状に巻いた物を中に押し入れ拭き取る様に紙縒りを動かし取り出した。髪の白さとはまた違う乳白色の粘り強い液体が僅かに付着していたのに気が付いた。

 「やはりな、淫水(精子)の跡がある。生前に犯されている・・・。」

 女はまず手籠めにされ、それからこの様な有様にされたと言う事は直ぐに解った。次に体を詳しく調べたが、絞め殺された後も刺殺された後も無い。と言う事はと凌雲は銀簪を取り出し、女の口の中に入れた。少し経過した後に銀簪を取り出した。もし毒殺であったなら、銀簪は毒に反応して色が変わるはず。しかし、簪は少しも変色しなかった。

 (手籠めにされた挙句に生きたまま、気違いの所業・・・。)

 十中八九この考えに町は無いはず、凌雲は思わず眉を顰めた。

 (にしてもこの切り口、あまりにも綺麗すぎる。包丁でもなければ、刀でもない。よく研いだ剃刀でも、こうは行かぬはず。)

 凌雲が注目した傷は、まるで布の端の如く上手く縫い合わす事が出来る程に綺麗であった。余程の刃物でなければ、こう上手くはいかない。

 しばらく骸を調べていると、後ろから目を背けながら勇五郎が声を掛けて来た。

 気を集中させ、骸を調べている家に空の雲はすっかりと割れ日が完全に顔を出していた。折角空が晴れやかになりつつあると言うのに、凌雲たちの心はどんよりと薄曇っていた。

照り付ける太陽の光はじりじりと凌雲を照らし、気が付くと着物の下はじんわりと汗で湿っぽくなっていた。しかし、この汗は暑さと言うよりも鬼畜の如き下手人の存在に気味悪さを覚えての冷や汗と言った所だろうか。

 「勇さん、この骸は新シ橋の時に輪を掛けて酷え有様だ。」

 そう勇五郎に声を掛け、検分し解った事を伝えた。

 「あんたの言う事が本当なら、相手は鬼畜に勝る化け物だぜ?」

 「そうだな、後は周りに血の跡が無い所を見ると、他の場所で腑分けされ打ち捨てられた様だな。」

 「成程なあ。しかし、どこでこんな事を。」

 「空き家も灰寺も腐る程ある、場所を探すのは骨が折れるだろうな。ところで、この娘はどこのだれか解ったのか?」

 「これから調べるところだ、他に何もなければそろそろ骸を下げていいか?」

 「おう、ちょっと待ってくれ。」

 あらかた調べ終えた凌雲は、懐紙に何かを掻きながら小者に声を掛けた。

 紙には「御遺骸改メ平に御容赦、南無阿弥陀仏」とあった。凌雲は骸を改めた際、本来は直ぐに棺桶に入り葬られる所、死んでなお体を改めたと言うわび状の代わりとしてこの髪を添えることにしている。

 「検分は終えた、後はこの紙を添えて葬ってやってくれ。」

 「はい、かしこまりました。」

 骸を戸板に乗せ、小者は番所まで運びだろうと立ち上がった。

 それを見送りながら、勇五郎は凌雲に言った。

 「詫び状を添えるなんて、先生は律儀だな。」

 「せめて迷わずあの世へ行けるようにな。では勇さん、仁吉、後は頼んだぜ。それとくれぐれも、甚兵衛さんの耳には入れない様にな。いずれ解るにしても、満を持すまでな。」

 「無論だ。」

 患者の体調の事を考え勇五郎らに念を押し、凌雲はゆっくりと立ち上がる。もしかしたら患者が待っているかもしれない。気分を変えて、生業に精を出さねばならない。

 凌雲は負の物を吐き出す様に、深いため息を付いた。

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