ほろ苦さの向こう側には幸せが待っている
数日後、ティニーの手元にはレーガからの正式な婚約解消の書類が届いた。
ティニーは書類の文章を読んだ後、深く息をついた。
正式に婚約はなくなったと理解した瞬間、体から力が抜けていく。
(完全に終わった)
胸の奥にぽっかり穴が空いたような感覚が広がる。
レーガとの未来を想像していた自分が、どこか遠くに感じられた。
(私はこれからどこへ向かえばいいんだろう……)
ティニーは手元の書類をじっと見つめた。
正式に婚約はなくなった。頭では理解している。
だけど、やっぱりレーガとの短い日々を思い出すと、胸の奥に残るほろ苦い感覚は簡単には消えそうにない。
――窓の向こうから小石を投げられた音がした。こんなことをするのはギンスだ。
書類を机に置くと、窓を開けた。
「ティニー。食事に行かないか?」
「……いいね。行こうか」
またしても使者から封書を受け取ったのをギンスに見られていた。事情を察してくれているのだと思うと、食事の誘いはありがたい。
急いでギンスの元に行くと、小さな花束を渡された。
「これは……?」
「これから新しい人生が始まるんだろ?そのお祝い」
「気持ちはありがたいけれど……婚約解消になった身としては複雑な心境だ」
「大丈夫だ。心配ない。これからは悪いことなんてないから」
ギンスは不思議と自信満々に言った。
「なんでそんな自信満々なんだよ……」
ギンスは答えず、そのまま一緒に城内をしばらく歩いた。来客用のエリアに来てみてはじめて違和感を持った。
「街に行くなら、こっちじゃないだろう?」
「今日はな、特別な場所で食事だ」
迷わず奥へと歩いて行く。連れられるままついて行った。
天井まで届く扉のある部屋の前に来ると、メイドが扉を開けた。
天井からは煌めくシャンデリアが下がり、白を基調とした壁には大きな鏡が対になるように取り付けられている。要するに最上級の客室だ。
しかも、テーブルには豪華な料理が並んでいた。
「これは一体なんなんだ?」
「まあいいから、座ろうぜ」
当惑しながら席につくと、メイドたちが食事の配膳を始めた。
中には知っているメイドもいて、何事かと尋ねても彼らは微笑むばかりで答えてくれない。
「おい、せっかくだから楽しもう」
落ち着かない様子のティニーにギンスが言った。
「だって。普通じゃない。おかしいだろう?」
その時、いきなり扉が開いてヘンリーニとナリオーネが姿を現した。
「楽しんでいるか?」
彼らはどこか満足げな表情を浮かべていた。いつもならナリオーネが“ティニーを独り占めしてずるい!”などと言い出すが、今日は静かだ。むしろ、見守るような視線を送っている。
「……困惑しております」
「先日の礼だ。2人には感謝している。それと、例の口止めでもある。じゃ、ギンス、しっかりとやれ」
「ティニー、嫌だったらいいのよ。断って。私はいつだって受け止めてあげるから」
「ナリオーネ、余計なことは言わないでおこう。じゃあ、私たちはこれで行く」
彼らはそれだけを言うと去っていった。
「なんなんだ?先日の礼と言っていたが……なんだか変。だよな?」
「うん?……それは」
先日、密かにヘンリーニに呼び出されて話したことがギンスの頭の中に浮かぶ。
『レーガは正式に婚約解消するつもりだ。お前はどうする?』
『団長が婚約解消されるならば、ティニーに結婚を申し込みたいと思います!』
『そうくるよな?私は、お前がティニーに気があるのを知っていたぞ。いつもあいつの一番近くにいたからな。ならば、命じる。今すぐティニーにプロポーズしろ。そして、お前が幸せにしてやれ。お前とティニーが一緒になれば、私もいろいろと安心できる』
ナリオーネにいつまでもちょっかいを出すティニーを取り除きたいのはやまやまらしいが、ヘンリーニの言葉には、ティニーへの謝罪の気持ちが含まれているようだった。
(この豪華な部屋も料理も、殿下が全てプロポーズにふさわしいように用意してくれた。感謝はするが……いかんせん緊張してきた……!)
「ギンス、大丈夫?急に顔色が……」
「え?……ああ、とりあえず食事しよう。そ、その後に伝えたいことがあるんだ」
「う、うん、分った」
先ほど、この食事会は労いと口止めだとヘンリーニが言っていたが、何となくそれだけではないような気がしている……。
(なんだろうな、この妙な緊張感は……)
目の前のギンスはブリキ人形のようにお上品に食事をしている。その様子に、ティニーはますます訝しさを覚えた。
――豪華な食事を終えた。
ギンスに促されて部屋の奥に進む。
ガラス扉の向こうにはバルコニーがあって、バルコニーは月明かりに照らされ白い大理石の手すりが輝いていた。
眼下には美しい街の夜景が見える。
「わあ、キレイだな!」
ティニーが感心していると、緊張で顔を白くしたギンスがゆっくりと話し始めた。
「特別な景色の前で話したかったことがある。ティニー……聞いてくれ」
彼のただならない様子に、ティニーは緊張した。ギンスの真っ直ぐな瞳に吸い込まれるように見つめ返す。
「ティニー……オレはやっぱりどうしてもお前が好きだ。新しい人生をすぐには歩もうと思えないかもしれない。でもオレは、ティニーにはいつも笑っていて欲しいし、誰より近くにいてほしい。一緒に人生を歩んで欲しい」
ギンスの言葉に、ティニーの心臓は早鐘を打ち始める。胸に熱い気持ちが勝手に湧き上がってきた。
「お願いだ……オレと結婚してくれ」
ギンスは軽く膝をつき、ティニーの手を握った。彼の手は少し震えている。
(いつも元気で明るいギンスがこんなに緊張しているなんて……本気なんだ)
「……本気?本気で私を好きなのか?」
「本気だ。こんなこと、冗談なんかで言わない。前も言ったろ」
「そ、そうだよね」
「返事は?……いや、急がない。よく考えて欲しい」
「今すぐは……返事はできない。あんなことがあったばかりだし……だけど、前向きに考えられる気はしている……だって、あんたがずいぶんカッコイイこと言ってくれたから、その、なんだか嬉しい」
戸惑いつつもティニーが照れくさそうに言うと、ギンスの顔に安堵と喜びが広がっていく。
「ありがとう、ティニー」
「……私こそ。ギンスはいつも近くにいてくれた存在だ。私をずっと支えてくれていたよね」
「これからもオレがずっとそばにいるから」
「あんたなら、きっとそうしてくれるよね。あんたの言うことは……信じられるよ」
「本当か?」
「うん」
風に揺れる花々の香りや夜景、静かに光る月の全てがロマンチックな気分にさせるには十分だった。柔らかい空気が満ちていく。
ティニーの胸の奥に残るほろ苦さが、少しずつ溶けていく。
「ティニー、顔を上げてくれ」
たまらなくなったギンスはティニーをそっと引き寄せると、キスした。
「あ、私の初めてのキス」
「初めて?……マジか!やったぜ!嬉しい!」
ギンスは思わず握りこぶしを作った。
(オレも初めてだけど……好きな女とのキスが、こんなに幸せな気持ちになるなんて)
「あのー私、まだちゃんとした返事していないんだぞ?」
苦笑しながら言うと、ギンスは慌てて小さく咳払いする。
「そうだったな……でもオレ、せっかちだから。ごめん」
ロマンチックな時間をぶち壊しかけるように喜ぶギンスは……いい意味で自然体だ。
(ギンスとなら……きっと笑って歩いていける)
直感だが、迷わずそう思えた。
……今ここにある未来は、優しくて、あたたかい。
そして、それはきっとこの先も変わらない気がしている。
ティニーはそっとギンスの手を握り返した。ギンスがピクリとする。
「ギンスとの未来、楽しみにしている」
「オレも」
互いに笑い合う。
未来へ向かう一歩が確かに動き出した。
ティニーの笑顔は、夜風に揺れながら静かに輝いていた。
Fin.
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ここまで読んでくださり、まことにありがとうございました!
また、新しい物語でお会いできますように♪




