我武者羅に待ち続ける
こうして、毎日猫実さんを見ているが、巧から見た猫実さんは、見れば見るほど奥深い。奥深さと言っても、猫実さんの内面が深くわかるわけではない。それは、巧自身の中にある奥深さだと言える。
猫実さんが巧にはできないようなことをして、巧には言えないようなことを言う。その一つ一つが巧の深いところを強く揺さぶる。その度に、巧はほおが熱くなったり、頭の奥が痺れるような感動を覚えたり、痛いほど胸が高鳴ったりする。体ごと、猫実さんに突き動かされている。
だから、巧にとって猫実さんはどんな人なのか。このインタビューで聞かれなくて良かった、とほっとしている。それを説明する言葉は見つからないからだ。むしろ言葉になることができない、衝動のようなものだ。書きたいと思う、その根元にあるような。猫実さんが言う、書かなてはいけないと胸が締め付けられる愛おしさのような。それは巧にとって、猫実さんの存在そのものなのかもしれない。
そんなことを思って、またいつものように一人顔を赤らめる。猫実さんは考えている。机に指を軽く立てて、生徒会の二人のノートをちらりと見る。今まで言ってきたことを自分自身で確かめるように、目を細める。他の人は黙って猫実さんの考えを待つ。
そんなふうに待っていると、この部室は猫実さんのための部屋なのだと今更思い出す。毎日、当然のように巧より早く鍵を開けて座って待っている。巧が小説を書いている時間も、飽きずに考えたり、作ったり、メモを書いたりしている。背筋を伸ばして何かを煮詰めるように、ずっと座っている。誰もこないまま下校時刻の校内放送が鳴ると、ほっとしたような、少し残念な顔をしてやっと席を立つ。それは、目立たないけれども、猫実さんの静かな情熱だった。明るくて誰にでも優しいことよりも、勉強ができることよりも、ときど和やかに抜けていることよりも、何も起こらない部屋に座り続けることが、猫実さんの最も素晴らしいところではないのか、と巧は思った。同時にそれを隣に座り続けることで発見できた自分を少し誇らしく思う。
日菊先輩に「何にでも一生懸命だ。」と説明したことを訂正したい、と巧は思った。それは間違いではないが、猫実さんにも特別な何かはある。頑として動かない芯のようなものがある。それは、人の目につかない猫実さん自身も知らないような、目立たないところにそれはある。
「私、どうしても人を助けたい。」
何度も繰り返してきた言葉を、猫実さんはたった今見つけたかのようにもう一度言った。
山崎会長と、日菊先輩の手が止まる。そして、しばらくしてから、猫実さんの言葉の重みに突き動かされるように、手が走り出す。今までの発言の中で、そんなふうに必死に書き留められた言葉はなかった。
「だって、絶対困っている人はどこかにいるから。私たちが知らないだけで、今もどこかで泣いているから。それだけは絶対確かなことなんです。私たちにできるのはそうした人のそばに立とうとすることだけなんです。だから、誰も来ないだろうけど、部屋はずっと開けておかなきゃいけないし、自分から手を差し伸べることもしないといけないんです。」
猫実さんは淡々とそういうと、照れるように頭をかいた。
「まあ、困っている人がどこにいるかわからないから、がむしゃらに待ち続けるしかないんですけど。」
巧は、猫実さんが無自覚に日菊先輩に反論しているのだと気がついた。放課後に人を募集してお助けカフェをやればいい。そのほうが、確かに落ち着いて話せるし、参加しやすくなる。しかし、それでは依然として来たい人が来るという形は変わらない。
猫実さんはそもそも、来たくても来れないような人を、どこにいるかもわからない誰かを、探したいのだ。そのためには、形式もやり方も時間も問わずにそこにいる…我武者羅に待ち続ける時間が必要なのだ。
あなたはその無意味な時間の意味に気がついていない。
猫実さんの言葉は、日菊先輩のみならず、どこまでも深く轟いていた。気がついていないというよりも、当たり前すぎて思いもしなかった人に対して、向けられていた。生徒会の二人は言葉を書き留めると、何も言わずに猫実さんを見た。当たり前のことを当たり前にやる猫実さんという人物があまりに意外だったのだろう。猫実さんの平凡さは、その深いところでは攻撃的かもしれなかった。
誰もがしようと思えばできるのにしていないことを、なぜしないのかと問うようなことだから。
巧は、生徒会の二人がどうにか猫実さんの言葉を事務的に処理することを密かに願った。考えすぎかもしれないが、まともに捉えると危ないと思った。巧自身がその、猫実さんの力で、変えられてしまったことを痛感しているのだ。




