第八十九話 希望に向かって
「駄目ね。ことごとく先手を打たれてる」
ジニーが漏らした苦々しい呟きを、泣き腫らした顔のアンナは沈んだ気分で聞いていた。
優れた魔法使いである母はその力でもって探索の魔法を使い、残った魔力の痕跡を辿り、更には協会の知り合いとも連絡をとった。
しかしそれらが全て不発だったのだ。
地下の書庫でカレンと彼女を助けようとした透人が連れ去られてから一時間あまり。
すぐに救出に向かいたいのだが、未だ二人が何処に転移させられたのかが分かっていないのだ。
カレンの話からすると、公表されている屋敷や施設ではない秘密裏に隠された場所の筈だ。それも余程強力な結界に守られている場所なのだろう。
誰が首謀者かは分かっているのに、潜伏先は手がかりさえ掴めていないのが現状だ。
「大丈夫よ。カレンちゃんと透人君の居場所はちゃんと見つけるから。だからアンナちゃんは心配しないで待ってて」
そんな圧倒的に悪い状況でも、ジニーは元気づけようとして笑って声をかけてくれた。
けれどもそう言う母も焦りが隠しきれていない。内心の動揺が下手な作り笑としてに如実に表れてしまっている。
だからといって何も言えないし、言う余裕はない。
己の失態を挽回すべく働くジニーにこれ以上無駄な時間を使わせられないと、笑顔で応じる。
こちらも下手くそな作り笑いになってしまっただろうが。
「うん。わかった」
半人前のアンナに手伝える事などはない。
邪魔をしないよう、リビングから音を立てずに離れた。そして廊下に出ると憂い顔で膝を抱えて座り込む。
夏場でエアコンもついていない廊下なのに全身が冷たかった。唇を噛み、震える体をぎゅっと強く抱き締める。
アンナは後悔と絶望に押し潰されそうだった。
絶対に守る。
そう口にしたのは自分なのに、その誓った相手を守りきれなかった。
母は書庫の結界を過信していたのが失敗だと言ったけれど、本当の問題は別にある。
アンナが子供みたいな我が儘を捨てて、ちゃんと戦う為の魔法を勉強していればよかったのだ。
そうしていればわざわざ助けを求めに来てくれた従妹を助けられたかもしれないのに、助けるどころか快く手を貸してくれた透人まで巻き込んでしまった。
無力な自分が恨めしい。
やっぱり戦う力は必要だったのだ。
相談した透人には気を遣われ、優しい言葉を言われたけれど、やっぱり甘えてはいけなかったのだ。
ある人物のある言葉が脳裏に浮かび、何度も再生しては強く鋭くアンナを責めたてる。
『持っている力を下らない遊びなんかに使うな。正しい目的の為に鍛えるべきだろう』
そう彼に言われたのは一週間ほど前、透人が地下室で魔法を学びにやってくるようになる前の話だ。
場所は、夏休みの宿題をしよう、といつの間にか仲良くなった市乃に誘われて訪れた街の図書館。彼女が遅れていたので一人で待っていたところ、ばったり彼――清慈郎と出くわしたのだった。
そういった偶然は割りとよくある。
夏休み前からも学校や街中で頻繁に遭遇していたし、夏休みに入ってからも何度かあった。
ただ例の時は、口数少なく聞き役に徹するというそれまでの様子とは違っていた。
見かけて最初の挨拶で驚いた時以外、常に険しい顔つきで怖いくらいの排他的な雰囲気を纏っていたのだ。
それでも友達に変わりない。もしかしたらなにか悩みごとがあるのかもしれない。
そう考えて市乃が来るまで話をしようと申し出たところ、清慈郎は不自然な位あっさり了承した。
みなみに、アンナは図書館という場所を配慮して話し声が周囲に響きにくくなる魔法を使ってからお喋りを始めていた。もっとも当日は妙に人が少なく貸し切りのような状態だったのだが。
魔法のおかげで遠慮せずに、場を和ませようと積極的に話題を振り、こっそり魔法についての話もした。
その場面で清慈郎が口にしたのがあの発言である。
『力を持つ者としての誇りはないのか。恥ずかしいとは思わないのか。一般人とは違うという意識はあるのか』
次々とアンナを責める内容の言葉を繰り出し、突き放すように否定してきた清慈郎。
まるで別人のように豹変してしまった彼に「魔法は野蛮なことをするだけのものじゃない」とムキになって言い返したせいで空気が悪くなり、そのまま別れてしまった。
その後、心には確かな後悔と自責、それから反省の跡が刻まれていた。
市乃と合流してからも、家に帰ってからも心に刺さった棘は抜けず、思い出す度に痛みと不安をもたらした。
だからあの時透人に相談したのだ。
清慈郎は何も間違った事は言っていない。
いつも世の平和の為に戦っているらしい彼と、数ヵ月前までずっと平穏に過ごしてきた自分は違う。
そう言い切ってしまう事はただの甘えだ。
実際に悪行を犯す魔法使いは存在しているが、彼等犯罪者を取り締まる組織ならば魔法使いの間にも存在している。
今回の一件は本来有り得ない特殊な事例で、あらかじめ予測して備えられるものではない。
そんな言い訳では自己防衛をしなくていい理由にはならない。
透人だって荒事に備えていたからこそあれだけの活躍を、それこそアンナ以上の活躍を見せたのだ。
透人自身は好奇心もあるとは言っていたけれど、単なる遊びで取り組んでいないのは確かだ。
相談した時の会話の内容が自然と思い返されていく。
傷つけたくないというのもなくしちゃいけない大切な事だと言ってくれた。魔法を勉強する目的の半分は好奇心だと、自分が楽しむ為だと言い張り、魔法は楽しいと認めてくれた。
それで少し元気が湧いたが、今改めて思い返すと幼稚だったと感じる。彼の趣味と実益を両立させようとする姿勢を見習うべきだった。
箒で空を飛ぶ遊びを断られたからといつて落ち込む場合ではなかったのだ。
かなり短い相談だったが、そこで終了せずにもっと踏み込んで訊ねていたら、努力を始めていたら、今回の結果は変わっていただろうか。
そんな今となっては有り得ないたらればを考えていた時、ある事実を思い出す。
そういえば相談が短かかったのは、透人が途中でカレンの来訪に気づいて終わらせたからだった。
更に言えば、彼が地下にいながらカレンの存在に気づいた理由は魔法ではなかった。
『まあ、要するに――』
そこに思い至った瞬間、アンナはガバッと顔をあげる。
その顔には一縷の望みを見つけた明るい輝きが灯っていた。
憂鬱な気分も後悔の念も綺麗さっぱり吹き飛ばされ、ただ一つ残っていた思いに従って行動を起こす。
うじうじ悩んでいるよりも、終わった過去の反省を繰り返すよりも、ずっと建設的な行動を。
「もしかしたら……!」
転がるように慌てて飛び出し、サンダルを履くのももどかしく思い、玄関を開け放したままで庭へと出る。
走りながら愛用の箒を呼び出して跨がり、魔法を発動。僅かな時間も待ちきれずに地面を蹴って飛びたった。無茶な加速でぐんぐんスピードを上げていき、体にも箒にも負担がかかる速度で飛行する。
そしてアンナは暗い曇り空を切り裂く真っ直ぐな軌跡を引きつつ、僅かな希望へと向かっていった。
その間に彼女の頭にあったのはたった一つ。もう破る事の許されぬ誓い。
今度こそ、全力を尽くして助ける。
*
「んー…………ん?」
目を覚ました時、透人は固い土の床に寝かされいた。
周囲の四方の壁と天井も土で出来ていて、正面には鉄の扉が嵌め込まれている。
手足に痛みがあったので視線を巡らせれば、手足が縄で縛られていた。
狭い部屋に閉じ込められ、体は自由が効かない。
要するに透人は現在囚われの身である。
カレン、それから彼女を抱えた鎧武者と一緒に転移したと同時、強烈な衝撃を受けて気絶したのだ。
そのカレンはというと、恐らく隣の空間にいる。
勿論霊視による確認だ。
少し離れた場所に見張りらしき人物も一人いた。他はいずれの魂の反応もかなり上方にある。
余程高い建物か深い地下に連れてこられたらしい。周囲が土一色である事を考えると地下の可能性が高いだろうか。
周囲の状況を確認をした透人はとりあえずこの状態からの脱出を試みる。
「召喚」
縄を切る為に棒手裏剣を呼び寄せようとしたのだ。
だがしかし、魔法は発動しなかった。
首を傾げ、再び使おうとするもやはり発動しない。
それ以上の試行はせず、一旦深呼吸して落ち着く。
もう一度手足を縛る縄を見つめ、それからやや上を見上げた。
終業式後から経験した様々な出来事。
無理矢理教えられた、あるいは自ら学んで得た知識。
そもそも今回の事件に関わる事になった理由。
今までの夏休みを思い返す。
「成程」
そして情報整理を終えた透人は無表情で頷き、小さく呟いた。
それから危機感の感じられない、至って平常通りの呑気な声音で呼びかける。
「隣に居るのってカレンちゃん? だっけ? で合ってる? もしそうだったらさぁ、暇だから色々と教えてくれない?」




