第六十三話 雨上がり
あぁ、やっぱり。
途中まで上手くいっていたけれど、結局は駄目だった。
やっぱり、妖怪は人間と関わってはいけなかったのだ。
今日の一件を引き起こした黒鬼達は全員打倒し、頭の妖術にかかった紅輝もその影響を解く事に成功した。
それでも、決して災いから逃れられはしなかったのだ。
力雄は後悔し、絶望し、己の無力さを噛み締める。
「ぐ、わ、ああぁっ!?」
頭を抱えて苦しむ紅輝を前に何も出来ず、ただそうしているしかなかったから。
力雄が解呪を行うと、紅輝は一度気絶した。そして目を覚ました途端に苦しみだしたのだった。
見たところ外傷はない。頭の妖力の痕跡もない。
原因不明。
そもそも原因が分かったところで、力雄はそれを取り除けるような知識も技術も持っていない。
この紅輝の様子を見た透人は助けを呼んでくると言い残して何処かに行ってしまった。
こんな時でもパニックにならず、即座に行動に移せる透人は頼りになる。おろおろしていただけの役立たずな自分と違って。
だから力雄はそちらを透人に任せ、しなければならない事をする。
「ごめん…………ごめんっ! 火口君は関係なかったのに、僕のせいでっ……!」
「う……黄、山っ……?」
紅輝は力雄の謝罪に反応して怪訝そうに名前を口にするが、それ以上は言葉にならない。
再び苦しみだし、うめき声をあげる。
どれ程辛い体験をしているのか想像するのも恐ろしく、とても見ていられない。
そんな紅輝の苦痛を取り除けなくて、力雄は顔を紅輝以上に苦しげに歪ませる。
その横を、何か小さなものが通りすぎていった。
意表を突かれ、思わず目で追った力雄はそれが紅輝の口に入っていく光景を目撃する。
「うう、ああっ……………………あっ?」
ごくん。
紅輝は突然口に飛び込んできた何かを反射的に飲んでしまったようだ。
すると、
「……………………あれ? 収まった」
「え? ……え?」
紅輝はそれまでの苦しみ様が嘘だったかのようにけろりと言い放った。
本気で心配していた力雄だったが、一瞬での完治には安堵するよりも唖然とする他ない。
そこに届いたのは呑気な声。
「あ、効いた? ならもう大丈夫だね」
助けを呼びに行った筈の透人である。
急激に変化した場の雰囲気の中、ぼーっとした顔でゆっくりと歩いてくる彼に、紅輝はぶすっとした顔で話しかけた。
「透人か。まあ、悪いな助かった。……けど、今の何だよ?」
「え~と、その辺の変なのが持ってた」
「そんな怪しいもん人に飲ますなよ」
「いやいや、俺が先に飲んで確かめたよ」
「お前よく飲もうなんて思ったな!」
学校での日常と同じようなかけ合いをする二人。
先程まで戦闘を繰り広げ、苦しんでいたとは思えない。
そんな空気感に触れ、力雄もようやく落ち着いてきた。
透人が紅輝に投げた(?)のは鬼が持っていた薬だろうか。妖怪の作る薬だったら効果が高いのも納得だ。
ただ、そうだとしてもさっきの変化は劇的過ぎる。
「え、えーと……本当に、もういいの?」
「あ? おう、もう大丈……あ! そうだ黄山!」
心配になり問いかけると、紅輝はそんな不安を払拭するような強い口調で返答する。だが、言いかけた途中で何かを思い出したように力雄の名を呼んだ。
「え、っと……何?」
「僕のせいとか、オレが関係ないとかってどういう意味だよ? 透人に巻き込まれた被害者はお前の方だし、謝るのもオレの方だろ?」
「え?」
「……あー、というか色々見られたんだよなー。……どうすっかなー……色々ありすぎてワケ分かんねーなー……」
「え?」
頭をガシガシと掻きながら唸る紅輝の姿に、何を言っているのかと力雄は戸惑う。
巻き込まれた被害者も何も、ついさっきまで共闘していた上に妖術のせいとはいえ敵対していたではないか。
と、そこで力雄は遅ればせながら紅輝が勘違いしているのだと気づいた。
力雄は現在、紅輝を傷つけないように人間の姿をとっている。だから紅輝はさっきまで戦っていた赤鬼が力雄だと言う事を理解していないのだ。
言わなければならない。
自分が全ての原因だという事を。自分が人間ではないという事を。
力雄は唾を飲み込み、予め決めていた通りに正体を明かそうとした。
だが、なかなか声に出せない。口はぱくぱくと開閉するばかりで音を発しない。
今更になって怖くなったのか。
なんて情けない。自己嫌悪に陥り下を向く。
そのまま時間だけが過ぎていくかと思った、その時。
ぽん、と肩に温かな感触を感じた。
自身の肩から伸びる腕を辿った先には、透人の何を考えているのか解らない横顔。
「俺から言おうか?」
そう言って首を動かした透人と正面から目があった。その瞳には非難の色も憐れみの色もない。
ただ純粋に聞いているだけ。意思を確認しているだけ。
透人なら口下手な自分よりもよっぽど上手く伝えられるだろう。
でも、
こんな時でさえ、人間を頼りにしていいのか。
今日は散々頼ってしまったが、これ以上任せる事はつまり、責任の放棄だ。
せめて最後くらいは果たして終わろう。
力雄は今度こそ本当に覚悟を決めて、いつになく重い雰囲気で口を開いた。
「……火口君、僕は人間じゃないんだ」
「は?」
紅輝の方向に向き直り、告げる。
そして力雄はぽかんとしている紅輝を余所に、本当の姿を解放した。
赤い肌の、額から角が生えた鬼に。
「この通り、鬼……妖怪なんだよ」
目を逸らしたいのを我慢して正面に顔を固定する力雄。
驚愕、罵倒、拒絶。
何を言われても、どんな感情を向けられても、受け入れなければならない。
その気持ちで永い数十秒を待った。
一方、紅輝はぱちくりと何度も何度も瞬きを繰り返した後、疲れきった様子で限りなく深くて長い溜め息をついた。
「……そう、か。オレは関係なかったのに勝手に首突っ込んだのか……って、前にもあったな、こんな事……」
「あぁ、うん。よくあるよくある」
「よくはねえよ。それはお前だけだろ」
「いやぁ、そうでもないと思うよ?」
軽い雰囲気で喋っている紅輝と透人。
透人はともかく、紅輝まで力雄の正体について何も言ってこない。むしろ透人の方を責めている。
肩透かしを食らった気分になる力雄。
それで本当にいいのかと思う反面、これでいいかもしれないとも思う。
最後なのだから。
楽しげな場を壊してしまうのを申し訳なく思いつつ、ゆっくりとはっきりと、言葉を紡ぐ。
「……じゃあ、僕はもう、火口君の前に現れないから」
「……あぁ? いきなり何だよ?」
会話の相手を透人から力雄に変えた紅輝は困惑を顔に浮かべていた。本当に分かっていない様子だ。
紅輝の方から言われても仕方ない事なのに。
それを認識しつつ、力雄はその理由を丁寧に説明する。
「……だって、全部僕のせいだから。あの黒鬼がこんな事をしたのも。明海君が誘拐されたのも。火口君が苦しんだのも。……全部、人間とは違う化け物の僕が一緒にいたせいだから」
「……はぁ、なるほどなるほど。化け物は人間と一緒にいちゃいけないと」
「うん、だから……」
「なワケあるか」
「え?」
ズビシ、と紅輝は力雄の額にチョップを放ち、予想外の出来事に食らった当人は目を白黒させた。
紅輝が口にしたのは否定。
その根拠を提示してくるだろうと考えた力雄は静かに待った。のだが、なかなかそれは来ない。
不思議に思い見てみると、紅輝は涙目になって右手を擦っていた。
「……頭めちゃくちゃ固ぇ……」
「あぁっ!? ごめん、ごめんね!」
慌てて必死になって謝罪する。
しかし紅輝はそれを、両手を掲げて制止した。
「待て待て黄山。謝るのはオレの方だろ。……それに、言いにくかったから先伸ばしにしてたけど、さっきだって味方してくれてたお前に攻撃しちまったし」
「え。……でも、あれは黒鬼の妖術にかかってたから……」
「妖術……妖術、か。それでも、オレがお前に炎を向けたのは事実だろ。……悪かった」
頭を下げた紅輝の姿に、力雄は言葉に詰まる。
しどろもどろになりながら口を開きかけ、そして紅輝に先手を取られた。
「まあ、それはそれとして、だ。化け物は人間と一緒にいちゃいけないんだっけ?」
「え? ……誰だって、そんなの嫌でしょ?」
「じゃあこれ見ろよ」
紅輝の手中に小さな炎が生まれる。それを凝視した力雄に、再び紅輝が声をかけた。
「こんな事出来る奴がマトモな人間なワケねぇだろ」
「え……でも、人間なんでしょ?」
「ああ、確かに人間は人間だ。でもな、化け物扱いされる人間もいるんだよ。オレも人間に混ざってちゃ駄目か?」
「そっ、そんな事ないよ!」
「じゃあ、お前もいいだろ」
紅輝からの真剣な問いかけを力雄は思わず力強い声で否定した。
すると、それを受けた紅輝はあっさりと返す。
その言葉に、心が揺れる。覚悟が崩れるのを感じる。
それでも、望んではいけない。
体の奥底から絞りだした声で抵抗した。
「でも、駄目だよ。今まで妖怪は人間を沢山襲ってきたし……」
「そんなの人間だって同じでしょ」
今度は透人。
何処か呑気な雰囲気を漂わせて言った。
「人間だって妖怪だって、善も悪も両方いるのが普通でしよ。人間の中にも悪人はいるけど、だから人間全員が悪い。なんて、そんな理由で人間を滅ぼそうとするゲームのラスボスみたいな理屈は、ちょっと認められないかなぁ」
「えっ? ……えー……えーと……」
「な? どうでもよくなってきただろ? オレ達超能力者にも色々いるんだ。そこんとこはテキトーでいいんだよ。テキトーで」
紅輝が憐れみとは少し違うものの、同情するような表情で透人に続く。ただ、自分に言い聞かせている様な妙な気配だった。
透人のふざけたような台詞。紅輝の似ている境遇。
様々な要素で切り崩そうとしてくる二人の言葉は、確かに力雄の心に響いている。
本当に、いいのだろうか。
どうでもよくない事だからこそ、真剣に考え、悩む。
その様子を見守る事にしたのか、二人はそれ以上話しかけるのを止めた。
決して静かにしてはいなかったが。
「……なぁ透人。力雄の事を先にしてたから今まで言ってなかったんだけどよ、さっき澄の奴がいなかったか?」
「んー、あれは……気のせいじゃない?」
「え?」
迷っていた力雄だが、透人の明らかな嘘に反射的に反応してしまう。そして、それを見た紅輝が剣呑な目つきで透人を睨んだ。
「やっぱ知ってんだな透人。誤魔化さないで教えろ」
「んー、でも説明するのに本当何時間もかかるよ?」
「またそれか! 面倒臭がるな!」
「え~」
「え~じゃない! ちゃんと説明しろ!」
「あ、黄山君代わりに説明してくれる?」
「それはねえだろ! お前が自分でしろよ!」
現在の状況を無視して力雄に話を振る透人、肩を怒らせて詰め寄る紅輝。
まさに彼らの日常の会話そのもの。
独りで閉じ籠って考えていたのに。ぐるぐると巡る果てしない問いに悩んでいたのに。
そんなものを聞いてしまったら。
くすっ。
気づけば、力雄は自然と笑っていた。
どうでもよくない。テキトーで済ませられない。
でも、彼らは彼らの日常に力雄をちゃんと受け入れてくれる。非日常だって乗り越えられる。それは確かな真実だ。
だから、少しくらいは夢を見てもいいのかもしれない。
なんだか気分の良くなった力雄は大きな笑顔を見せた。
お、と反応した紅輝が釣られて笑う。
透人だけは変わらずぼけっとしている。そのまま逃げようとしたところを紅輝に捕まった。
そんなやり取りに力雄はまた笑う。
外は梅雨の時期らしいどんよりとした曇り空。晴れ渡る青空は広がっていない。
それでも、ひとまず雨は上がっていた。
止む事はないと思えた酷い雨は、確かに止んでいた。




