第五十八話 落雷
妖怪とは自然の理に反する存在であり、生存本能と破壊衝動のままに災いを撒き散らす存在であった。そしてそれに抵抗する人間との戦いが歴史の裏側で繰り広げられていた。決して相容れないもの同士、人間と妖怪は永きに渡って命の奪い合いをする関係であった。
しかし、ある時妖怪に変化が起きる。
長年強大な力を蓄えた結果、知性と意思を持つに至った妖怪が出現したのだ。
知性ある妖怪は人間にとってそれまでの妖怪以上の脅威となったが、同時に強力な味方ともなった。本能に従わずに穏やかに暮らそうとする者も現れたからだ。
そこで妖怪は、二つの勢力に別れる事となる。
一つは平和な生活を望んだ、人間との共存を選択した勢力。もう一つは本能と衝動に身を任せる事をよしとした、人間との敵対を選択した勢力だ。
そしてこれは、知性ある妖怪の出現から長い時が過ぎ去った、現在からそれほど遠くない過去の話。
とある地方の田舎町に、古くから人間側についた妖怪の一族がいた。人間の妖怪退治を生業とする一族と協力関係にあり、人間と共存しながら暮らしていた。
そこで流れていたのは平穏な日々だった。
しかし、そんな日々は唐突に終わりを告げる。
平凡な一日を迎える筈だった、ある年のある日。
その町に、人間と敵対する妖怪の勢力が攻めて来たのだ。平和に暮らす妖怪が気に食わないという理由で。
理不尽な侵略者に対し、怒りをたぎらせた人間の退治屋と人間に味方する妖怪は徹底抗戦を選択。敵対する妖怪と激しい死闘を演じた。
しかし戦力は僅かに侵略者達の方が上だった。退治屋も妖怪も人間側の戦力は次々と倒れていった。
それでも人間側の戦力は一般の人々を逃がそうと全滅を覚悟で抵抗を続けた。
その結果、他地方からの妖怪退治屋が増援に来るまで持ちこたえ、そして戦局は引っくり返る。侵略者の首領を討ち取り、不利を悟った残りの手下達は散り散りに逃走していったのだ。
しかし、双方共に被害は大きく、とても撃退に成功したとは言えなかった。
一般人にも少なくない犠牲が出ており、戦闘に参加した人間や妖怪に関しては生き残りは僅かだったのだ。
この戦いに関わった者は誰もが生活の変化を余儀無くされた。
一般の人間達は住む場所を移っても悪夢にさいなまれ続けた。
退治屋は悪しき妖怪に復讐する為に更なる厳しい戦いに身を投じた。
そして共存派である妖怪の生き残りは――
「ここで止まれ」
簡潔な命令と共に迎えが立ち止まる。
そこはとあるビルの中、コンクリート剥き出しの空間だった。
周辺一帯に人払いの妖術が使われているようで、ビルの外にも中にも誰一人見かけない。透人や誘拐犯の一味の姿もない。そこにいるのは力雄を含めた三人だけだ。
「……明海君、はどこ?」
力雄は迎えを刺激しないよう、慎重に質問した。
すると彼はぶっきらぼうに答える。
「ここにはいねえよ。人質に会わせる前に少し弱らせとけってのが頭の命令だ」
そう言い終えた瞬間、二人の妖怪が本性を顕にした。
つい先程まで人の姿をしていたのは、全身から濃厚な悪意と妖気を噴き出す黒い鬼。力雄とは決して解り合えない、対極に存在する明確な敵。
一人はぎろりと力雄を睨んで圧力をかけ、もう一人は指をポキポキと鳴らしながら凄んだ。
「抵抗すんじゃねえぞ。無事なままの人質に会いたいんならな」
そして黒い鬼は太く迫力のある腕を振りかぶった。
強大な力を秘めた鬼の一撃。それは力雄が同じ鬼だろうと無傷では済まないだろう。
それでも避けたり防いだりしてはいけない。
これは自分が招いた危機なのだから。受けて当然の報いなのだから。
もう、妖怪の問題で人間を犠牲にしてはいけないから。
力雄は歯を食い縛る。何があろうと堪え忍び、透人を救うチャンスを待とうと決めて。
*
「……と、まあ、こんな事があった訳だ。全く酷え話だよなぁ。俺達同族を裏切って人間に味方すんだからよぉ。おかげで俺達ゃ日陰暮らしよ。なのに奴は相変わらず人間とつるんで平和に生きてやがる。そんな事……許せる訳ねえだろ?」
一団のリーダーらしき黒鬼は聞いてもいない復讐の理由を自分から勝手に語っていた。それも過去の因縁から丁寧に説明していた。
しかし、いくら丁寧に言われたところで、それは自分勝手で理不尽で理屈の通らない、悪人らしい理由。
透人にとっては、とても黙ったままで聞いていられる内容ではなかった。
「いや、人間の常識で言うならそっちがした事の方が酷くて許せない話だと思いますよ」
「あひゃひゃひゃ。奴が来るまで手ぇ出さねえつったからって安心し過ぎじゃねえか? 怒らせたらどうなるか、分からねえ訳でもねぇだろ?」
挑発ともとれる台詞を受けた黒鬼はその場にしゃがみ、透人に顔を近づけ威嚇してきた。
嘲笑が浮かぶ表情。嫌悪感を抱かせるしわがれ声。染み付いているのだろう血の臭い。押し潰されそうな圧迫感。重く粘りつく空気。
あらゆる感覚に訴えてくる情報から危険だと判断した脳が警鐘を鳴らしている。が、透人は無表情で平然と、いつも通りを保って言葉を繋げた。
「まあ、大丈夫だと思ってますよ。あなたはお喋り好きみたいですし。最悪の場合でも黄山君が来るまでは生きてるでしょうし」
「あひゃひゃ。てめえ、馬鹿なのか? それとも時間稼ぎでもするつもりか? 残念だがな、奴以外の助けなんて来ねえよ」
黒鬼は耳元まで口が裂けた一際不気味な顔で笑うと、透人から顔を離して胡座をかいた。そして指を立てながら説明を始める。
「退治屋連中も他の裏切り者共も餌に引っ掛かった。ここには妖気を察知出来ねえ結界も張ってある。だからな、ここで何があったか知りたきゃあ、俺達に教わるしかねえんだよ」
「そうですか。黄山君だけが狙いなんですね。でも人質がいるならもっと呼んでもよかったんじゃないですか?」
「あひゃひゃひゃひゃ。俺達がビビってるって言いてえのか? そうだよ、その通りだよ。俺達ゃなるべく楽して、危険を犯さずに、結果だけが欲しいんだからな」
「成程。ある意味理想ですね」
「あひゃひゃ。全くだ。……ああ、それとな。奴も助けにはならねえよ。手下にはな、ここに連れてくる前に動けなくしておけっつってあんだ。会わせた途端に玉砕覚悟で暴れられても困るんでなぁ」
「本当に自己申告通りなんですね」
「あひゃひゃひゃ。やっぱぶっとんでんなぁ、テメエ。その調子がいつまで続くか……楽しみだ」
深刻で物騒な内容であろうと、お互いに不真面目な態度を崩さない。
黒鬼に関しては元々そういう性格なのだろう。
透人にもそういう一面はある。しかし、この日に限っては意識してわざとそうしていた。
その理由は、そうでもしていないと平静さを維持出来なかったから。普段通りの精神状態こそ、今からやろうとしている事において必要だからだ。
今回の件の首謀者と会話をしながら、透人はずっと思っていたのだ。
力雄を待ってはいけない、力雄とこの相手を会わせてはいけない、と。
ただでさえ相手は、昔力雄にトラウマを植え付けた一味。それがまた新たなトラウマを与えようとしている。
妖怪に他の力をバラしてはいけない、なんて言っている場合ではない。全てを救う最高の勝利の形は透人一人で解決する事なのだ。
透人は話している途中に現在の持ち物を確認していた。
上着のポケットに魔法陣のメモ帳。ズボンのポケットにはティッシュ、管理者の証だという鍵、ついでに御守り。つまり、使えるのは魔法とティッシュによる目隠し、それとあのリングだ。
離れた場所に散乱しているショルダーバッグの中身は、ほとんどが携帯電話や財布、折り畳み傘などの今は必要無いもの。今重要な物としてはサイコキネシス用の武器があるが、それは隙を見つけて確保すればいい。
勝算は正直厳しい。
数も一人一人の能力もあちらの方が上だ。
ただし透人に有利な点もある。
それは、向こうの一味がまだ透人を普通の無力な人間だと思っている事。
奇襲をかけて混乱させるなど、立ち回り次第ではなんとかなるだろう。
というより、なんとかしなければならない。
とりあえず何から仕掛けるにしても向こうの隙が必要だ。無理に決行してもポケットから取り出した瞬間に封じられてしまう。
だから透人は会話を続けながら隙を探る。
理想は相手にとって予想外の何かが来る事だ。ただしそれはあくまで希望。
だから透人は自分で隙を作り出す方法を考えていた。
のだが、予想外のそれは突然やってきた。
「熱っ! 畜生何なんだテメエは!?」
その叫び声は駐車場の隅にある扉から聞こえてきたものだ。
声の主以外の全員が一斉にそちらを見る。すると黒い鬼が飛び込んできた。それも服に火がついた状態で。
「頭ぁ、裏切り者の炎使いが乗り込んで来やがった!」
「はぁ!? どうなってやがる!? 炎使いは餌に構ってる筈だろ!?」
報告を受けた頭は素早く立ち上がり、手下の黒鬼に向かって混乱した様子で怒鳴りながら問い返す。
しかし、頭の疑問に手下は答えられなかった。
「ぐわああああぁぁ!!」
炎が全身に広がり、一気に燃え上がったのだ。手下は真っ赤な炎に包まれ身悶えしているが、消える気配は一向にない。
黒鬼の一味は開け放たれた扉を、文字通り鬼の形相で睨んでいる。
そんな中透人はティッシュを取りだし、サイコキネシスの準備をしつつ状況把握に努めていた。
炎使い。
そんな存在は妖怪関係者では一人しか知らない。提灯の付喪神である美夏だ。
しかし、今の燃え方は美夏の青白い火の玉を出すものとは明らかに違っていた。
そうなると美夏以外の、透人が知らない妖怪が助けに来たという事になる。
妖怪関係者だけの常識ならば。
以前体験した記憶から乱入者の予想を立てた透人と、警戒心剥き出しの黒鬼達が注視する中、扉を潜ってきた人物は開口一番こう叫んだ。
「無関係な奴を巻き込んでんじゃねえ! お前全員覚悟は出来てんだろうな!!」
現れたのは透人の予想通り、妖怪ではなく超能力者の炎使い、火口紅輝であった。
本来今回の件と一切無関係な紅輝がここに来る事自体は直前まで全くの予想外だったが。




