第五十九話 台風の目
雨が降りだしそうな曇り空が広がる土曜日の昼下がり。
紅輝は落ち着いた雰囲気の小さな喫茶店にいた。普段は人気のない店ではないのだが、天気のせいか現在の店内はがらんとしている。
だから紅輝は店内奥の影になっている隅っこで携帯電話をいじっていた。しかし、吊り上がった目の少女にその姿を発見され、大声で叱られる事となる。
「ちょっと紅輝、こんなところで何サボってんのよ!」
「あぁ? うるせーな。今は誰もいないんだから別にいいだろ」
「だからって暇な訳じゃないでしょ!? 掃除でも何でも、やることならあるんだから!」
「あぁ、はいはい。分かった分かった」
「何よその態度は!? 全部アンタが悪いんでしょ!?」
サボりを糾弾された紅輝はぶっきらぼうに答え、その返答で更に怒りの色を深くした少女、澄はくどくどと説教を始めた。
ここは澄の両親が営む喫茶店。自宅とは別の、離れた場所にある店舗だ。
紅輝と澄は二人共そこの制服を着ている。今現在、二人はこの店での仕事中なのであった。
しかし紅輝のやる気はない。何故なら仕事といってもアルバイトではなく、澄に散々作ってしまった借りを返す為のタダ働きだからだ。
それも今回が初めてではない。澄がたまに要求してくる、これまでに何度も払ってきた対価である。その度にこうしたやり取りが繰り広げられるのは最早恒例となっていた。
「……じゃ、私はこっちを掃除するから、紅輝は奥の方を掃除して。いい? 今度はちゃんとやってよね!」
「へーい」
ひとしきり説教した澄は、紅輝に仕事を与えると店の入り口の方向へ去っていった。それに気だるげな返事をした紅輝は重い腰をあげて奥へと向かう。
そうして大人しく掃除を始めようとした矢先、マナーモードにしていた携帯電話が震えた。相手は高校に入ってからの友人である充。
紅輝はほんの少しの間考えた後、呟いた。
「よし、いいな」
今いるのは澄からは見えない位置。それに掃除なら片手間でも出来る。
紅輝は携帯電話を顔と肩で挟み、テーブルを拭きながらこっそりと通話をする事にした。
「充か。どうした?」
『よう火口。急に時間が余ったからさ。暇だったら遊ぼうかと思ってな』
「あー、いや。暇じゃないな。今日は無理だ」
遊びの誘い。正直に言えば、乗りたいのだが、流石にすっぽかして遊ぶのはしゃれじゃ済まない。
約束を忘れた時は何度後悔しても足りないくらい大変な目にあったものだ。
『そうか。そうなると誰もいないか。透人も忙しそうなんだよなー』
「ああ、アイツもバイトだっけか」
透人は力雄と同じ店でアルバイトをしているらしい。たまに二人だけでひそひそと話しているのはその関係なのだろう。
『違う違う。バイトはもう終わってんだよ。何か別件ぽい』
「あ? 何だそりゃ?」
『電話かけたら透人にしては緊迫した雰囲気で忙しいって言われた。あとデカい音とか怖そうな大人の声とか聞こえた。まあ、いつものことだ。厄介事に巻き込まれたみたいだな。というより、自分から首突っ込んだ可能性が高いんだが』
「……それ大丈夫なのか? いつもとは違くね?」
充から聞いた話によると、透人は昔から不良絡みの揉め事なんかに口を出していたらしい。この前の打ち上げの時も、かなり遅れて会場にやってきた本人は「不良みたいな人と色々あった」と言っていた。
しかし今回聞こえたのは怖そうな大人の声だという。心配するのが普通だ。
そう思っていた紅輝とは対照的に、充の答えは楽観的なものだった。
『大丈夫だろ。透人だし』
「……この前も言ってたな。その根拠は何処からくるんだよ?」
『今までずっと無事だったからだな。なんやかんやで何とかしちゃうんだよ、あいつ。だから放っといていいと思うぞ』
「……そんなもんか?」
『そんなもんだ。……というか、お前今、忙しいんじゃなかったか?』
「……おう。電話してんの見つかったらマズイな」
『だったら無視しても良かったんだが。……まあ、今更か。忙しいならもう切った方がいいか。じゃあな』
「あぁ、じゃあな」
それで通話は終了した。
しかし紅輝の心中にはもやもやとして落ち着かないものが残ってしまった。
紅輝はテーブルを拭いていた手を止め、携帯電話を見つめて考える。
充は知らない事実だが、紅輝と透人は超能力者である。
だからいざとなれば、怖い大人とのいざこざだろうと何とかしてしまうだろう。正当防衛でも一般人相手に超能力を使うのは感心しない事だが。
ただ、相手も超能力者ならばいつもと同じとはいかない。
透人は既にそういう目に逢っている。その時も二人がかりでなければ危なかった。
もしかしたら、と紅輝の中に疑念が生じる。
その疑念を解消しようとして紅輝は透人の名前を選択してコールした。呑気な声が聞こえてくるのを期待して待つ。しかし、いくら待っても出ない。
疑念がより深くなってしまった。
これ以上サボれば大変な事になるが、本当に緊急事態であれば優先すべき事柄ではない。
紅輝は長い迷いの末、こんな時頼りになる後輩の存在を思い出し、助けを求めて連絡した。
「昭彦。お前の力を貸してくれ」
『え? いきなり何なんですか、火口さん』
「緊急事態かもしれない。お前の眼で探して欲しい奴がいるんだよ」
紅輝の超能力者としての後輩、昭彦は千里眼の持ち主。
物探し、人探しにうってつけの人材であった。
『本当に緊急事態なんですか? 可愛い女子見かけたとかじゃなくて?』
そして、紅輝のちょっとした頼みを強引に引き受けさせられる人物であった。
「今日はマジなんだよ! ちょっと前に起きた事件の時サイコキネシスを使えるようになったばっかの、オレと同じ学校の奴。お前も会った事あるハズだ」
『えーと……ああ、あの人。でも何でです?』
「いいから早く見てくれ」
『……えー、またそんな……分かりました、やりますよ』
昭彦は渋々といった感じで引き受ける。ただし紅輝の真剣な声音を感じとったのか、ちょっとした頼みの時よりも迷う時間が短かった。
それから待つこと暫し。
昭彦が電話口からも伝わる程の緊張した雰囲気で告げてきた。
『……見つけました、けど本当に緊急事態です。その道っぽい大人に肩に担がれて運ばれてます』
「拉致られてんじゃねえか!」
『そうなんです。しかも様子がおかしいんですよね。周りに人がいるのに誰も見てないんですよ』
そんな現象は聞いた事がない、と紅輝は首は捻る。
が、憶測で無理矢理説明出来ない事はなかった。
「つまりテレパシーで精神に働きかけてるって事なのか?」
『やっぱりそう思いますよね。僕、報告……』
昭彦から同意を得た瞬間、紅輝はこれからの行動を即断し、後輩の台詞に割り込んだ。
「よし、昭彦そこまでナビしてくれ」
『えぇ!? 一人で行く気ですか火口さん!? 報告して応援呼びましょうよ!』
「んな時間無いだろ!」
『だからって勝手に動いたら問題になりますよ!』
「だからこの事は隠しといてくれ」
『えー、それ、もしもの時は僕も怒られるんですけど……』
渋る昭彦を紅輝はしつこく説得する。
紅輝が決めたのは、一人ででも解決する覚悟。
透人が超能力者の世界に足を踏み入れたのは紅輝が原因だ。だからもしもの時は助ける責任がある。
自分の手で為し遂げなければならない。
いや、冷静に考えれば報告すべきなのは分かっているのだ。
だが、そんな事をしている場合ではない、と。紅輝の直感、嫌な胸騒ぎがそう告げていた。
「頼む! 様子見て本気でヤバそうだったら連絡するから!」
『あー、もう。分かりましたよ!』
「わりぃ、助かる!」
反対意見を唱え続けた昭彦も結局逆らいきれず最後には承諾。透人への道筋を示してくれる。
そうして紅輝は喫茶店を飛び出していった。
何かを忘れているような気がしたが、そんなものを気をしている余裕はなかった。
「ここ、か」
昭彦のナビゲートを頼りに紅輝はひたすら走った。
途中で雨が降ってきて傘を置いてきた事を後悔したが、買うと時間のロスになるので濡れながらの救出行。体が冷えるのはパイロキネシスを応用して体温を上げて凌いだ。
そうして辿り着いたのは古い立体駐車場。透人を拉致した二人組はここの二階にいた仲間と合流したらしい。
しかし紅輝は初め、この立体駐車場に近寄ろうとしなかった。何故か分からないが、足が自然と避けていくのだ。昭彦に何度も確認しなければ気にせず通りすぎていただろう。
精神に働きかける説は正しかったようだ。
駐車場の敷地に入るには意思を強く持ち、無理矢理歩を進めないといけなかった。ただ、その感覚もある一線を過ぎればなくなり、楽に動けるようになる。
目的地は二階。見張りを警戒した紅輝は慎重に階段を探す。柱の影に隠れて進んでいくといくつかの人影を見かけた。透人誘拐の一味だろう。
しかし妙な行動をしていた。大柄な二人が小柄な一人を痛めつけていたのだ。
仲間割れか。
そう思い、見つからないように移動しようとする。
が、注目している内に気づいてしまった。無抵抗で暴行されている一人の正体に。
「黄山!?」
あまりの衝撃に敵の存在を忘れて思わず叫ぶ。
小柄な影は透人や充と同じく高校の友人、力雄だったのだ。
力雄は透人と同じ所でアルバイトをしている。一緒にいたせいで巻き込まれたのかもしれない。
紅輝は今にも爆発しそうな激情を抱えながらも、冷静な部分でそんな風に考える。
その前で、叫んでしまったせいで紅輝に気づいた二人がゆっくりと近寄ってきた。
よく見るとその姿は黒い肌に角が生えたもの。まるで鬼。
体の変身、強化。
実際に見た事は初めてだが、そういう能力があると聞いた事ならある。
その力で力雄を痛めつけたのか。
その力を無関係な人間に振るったのか。
憤りを感じて熱くなる。精神的にも物理的にも。抑えきれない力の余波が濡れていた服を乾かす。
「何だこのガキ。人払いはどうしたんだ?」
「さぁな。来ちまったもんは仕方ねえ。始末すりゃいいだろ」
「それもそうだ。さっさと済ませてあっちに戻ろうぜ」
「だな」
二人組の鬼は人を見下したように気色悪く笑った。
その態度も台詞も行動も、全てが紅輝の心を刺激する。
まだこれ以上力雄に何かするつもりなのか。
ブツリ、と堪忍袋の緒が切れた。
様々な事情がどうでもよくなる。
「その体……少し位やり過ぎても大丈夫そうだな」
「あ? 何言って……」
鬼は完全に紅輝を見下し、油断している。身の危険を感じてもいない。
こんな相手に情けは無用。
紅輝は攻撃を開始。生み出した炎で二人を囲み、炎上させた。
「「ぐっがああぁぁ!?」」
二人組は抵抗もせずに絶叫するばかり。
その悲鳴を聞き流した紅輝は力雄に駆け寄り話しかける。
「少し、待っててくれ。すぐ終わらせて助けを呼ぶから」
「……え? 火口君? 待っ……」
手当ても説明も後回し。
沸騰した頭に力雄の制止の声は届かず、そのまま階段へ走る。数段を一気に飛び越え、踊り場を折り返したところで一味を見つけた。
「人間? 退治屋……じゃ無え?」
戸惑いつつ何か言ってきたが頭には入ってこない。
問答無用。
炎を操作して先制攻撃した。
「熱っ!? 畜生何なんだテメエは!?」
見張りだろう相手は舌打ちしてから逃げ出した。すかさず追いかけ、二階のフロアに着いたところで逃げた人物を確認。既についている火を意識し、火力を上げた。
一気に全身が燃え上がった敵は絶叫し、その場に崩れる。
それにより視界が開けた。二階にいたのは一味の残りが四人、それと透人。
「無関係な奴を巻き込むんじゃねえ! お前ら全員覚悟は出来てんだろうな!!」
敵意がこもる視線を受けつつ威勢よく宣戦布告。
友人二人の敵討ち。必ず勝たなければならないと、紅輝の心は燃え上がる。




