第4話「生きててよかった」
風呂上りの数学者は、忘れないようにとノートに手をのばす。
表紙には「流体力学 演算17」と書かれてる。方程式がびっしり書きこまれたページをめくり空白部分に思いつくことを書き込む。
本来は数式のメモ用に使っているが、日常の記録用としても時に利用している。
「ダイヤ……本当に持ってたのかな」
アリアを漠然と思い浮かべながら
ダイヤ?
店員
洋服
宇宙人? と書いたつもりが美人? になっている。本人は気づいていない。
脳内に湧くイメージをとにかく書いていく数学者エフがいつもやる思考方法だ。
ダイヤ?
店員
洋服
美人?(本人宇宙人?と書いたつもり)
ピアノ上手
心が傷ついている?
汗かかない
涙でる
歌うまい
明るい
視線が怖い時ある?
音楽に興味あるが、曲はあまり知らない
ウーロン茶飲む
ご飯食べない?
長身、長髪
顔ほてる
耳赤くなる
お風呂はいる
浴槽つからない?
化粧道具もっていない
エフは思考を巡らすが、ピアノを演奏するアリア、踊るアリア、泣くアリア、微笑むアリアがちらつき集中できない。ノートを閉じ、ベットに向かった。
翌朝、リビングで一人コーヒーを飲むエフ
「天気も良いし、せっかくだからアリアを誘ってみるか」
別荘に来た日のエフのルーティーンである散歩にアリアを誘う気だ。
二人で外出したことがなかった。アリアの事を知りたい。
宇宙人としてのウラの面が有るかも知れない、もっといろいろ知らないと用心は必要だ。
「おはよう」
「おはようアリア、朝から天気がいいので高原を歩いてみるかい?」
「エフのいない日は、よく一人で歩いていたのよ」
「滝にはもう行ったの?」
「まだ近いところしか回ってないの、迷子になりそうだったから」
エフは思う。宇宙船に乗れる人がこの高原で迷子になる方が難しいですよと。
高原を歩くアリアとエフ、風が気持ちよい。滝に出る前の小道にアリアは小さな石碑を見つける。
「ここまで来たの初めて」不思議な顔でその石碑を眺める。
「昔からあるんだけど何が書かれてたのか削れててわからない。この先注意とか書かれてたのかも」
エフは石碑への興味は薄く、いつも素通りしていた。
文字は削られてる? のか、縦方向のキズしか見えないキズは小さいのと長いのが繰り返しランダムに並んでいる。
⁽⁽l⁽⁽l⁽⁽⁽⁽lll⁽ll⁽⁽⁽llllll⁽⁽l⁽⁽⁽l
アリアがふんふんとうなずきながら、
「エフ、この石碑の前で記念写真撮ろ」
石碑を挟んで並び、アリアは手を伸ばしてスマホで自撮りする。
「この先行くと、もっといい風景あるからね」
自然の多いこの高原でもっと良い風景はいくらでもある。なぜ石碑の前で写真を撮るのか。それでも一緒に写真を撮れたことが嬉しかったエフ。
写真には満面の笑みを浮かべていた。
アリアとエフは石碑の先にある崖の上に立った。
「ほら見えた。あの滝がこの高原で一番の観光スポット。奥の山を背景にして見えるこの場所が自分のお気に入りなんだ」
対岸の崖から流れ落ちる滝はアリアが地上に降りる時に見た滝だ。
「滝つぼまで降りてみるかい、坂が急だから大変だよ」
「当然、行くわ」
二人は坂道を下り始める。
「ここ急だから、手を貸して」
エフは手を引き、アリアがバランスを崩さないよう岩場を下りる。
「ありがと」
滝つぼまで下り、冷たい水で手を洗う二人。お互い、顔を見合わせ微笑む。
「水が綺麗だから気持ちいい。汚れたからじゃないわよ」
アリアの言葉に? と思いつつ。自分の手汗に原因あったのかもとハンカチで手をぬぐいながら、ゴメンと心の中で謝る。
一定のリズムで落ちる滝の音が心地よい。滝しぶきが顔にかかり、笑いあう2人。
「よし、帰ろうか。お腹すいたし、アリアもすいた?」
「もうぺこぺこよー」
「じゃあ帰ろう」と先導する。
帰り道は急な坂を上らず、滝つぼの方から緩やかな坂道で森の横を通って別荘に戻る。
先週、宇宙船が着陸した森だ。生きてるんだ……エフは突然口ずさむ。なんの歌だったかなエフはメロディーを思い出そうと繰り返す。
先週、宇宙人に連れ去られるかと思った恐怖を紛らわすかのように。隣を歩くアリアは涼しい顔で森や高原を眺め、鳥のさえずりに耳を傾けている。
別荘に戻ったエフは卵、ハム、レタス、キュウリを挟んでサンドイッチを作りテーブルに並べる。
アリアは包丁、まな板の洗いものを済ませダイニングに着く。
「いただきまーす」
アリアがサンドイッチを頬張るのをまじまじと見て、すっと目をそらすエフ。
「エフ、キューを起こしてもいい?」
「そうだね、PCの電源入れれば、たちあがるよ」
アリアはキューを起動した。
「おはようございますエフ様。ようこそいらっしゃいました。」
このフレーズは、別荘にくるエフを向かえるための挨拶になっていた。電源立ち上げの時は大体このフレーズを使ってくる。
「おはようキュー、よく寝たね」
「おはよう」アリアもあいさつする。
「……おはようございます。アリア様 」やや遅れたあいさつ。
「アリア様じゃないよ、ア・リ・ア。アリアよ忘れちゃったの?」
「アリア、失礼しました。古い記録を読み込んでしまったようです。速やかに更新しました。お約束します、私はもう間違いを起こしません。」
「ブホッ」
コーヒーを口にしたエフが思わず吹きこぼす。
「それってアリアを管理人にした時のフレーズだね」
アリアも笑いを抑えられない。
「今後間違いのないよう精度をあげますので今回の失敗をしっかりと記録しておきます」
キューのたたみかけるお詫びトークにアリアとエフは互いの顔を見合わせ爆笑する。エフもアリアもキューの記憶容量についてシステム上のことで仕方ないと理解している。
食後にエフはアコースティックギターを持ち出してきた。
森の横道を通った時に口ずさんだ、「生きてるんだ」を繰り返しメロディーを思い出そうとしている。
アリアはキューに朝見つけた石碑の画像を見せる。
「この写真どう思う」
「エフ様が満面の笑みで、アリア様とご一緒できてて幸せのご様子です」
「違う、ちがーう。そこじゃない。真ん中の石碑を見て」
「んー文字はありませんが、等間隔に並んだ縦線。長いのと短いのがランダムに並んでますね。解析してみますのでお時間をください」
エフはひたすらギターを弾いている。メロディーを思い出し、熱が入ってきている。
「わかった、わかったよ。玉木浩二の田園だったんだ」
エフの脳内では生きててよかった生きてるんだとの気持ちがリフレインしていた。アコースティックギターをかき鳴らし、大声で歌い始めたエフ。
アリアはエフの歌声を聴きいる。
「音程にばらつきはあるけど、力強いまっすぐな声だわ。この音には、固いものを突き破る強さがある」
エフの力強い歌声にアリアは肩を揺らす。それでいいんだ。
アリアが肩を揺らせている背後から、
「アリアー」キューが叫ぶ。びっくりする二人がキューを見る。
「スリープ明けのキューは調子悪いのか?様子が変だぞ?」
エフは再起動しようか考える。
「失礼しました。この画像をご覧ください」
大型テレビモニターに満面笑みのエフが大きく写る。エフは照れると同時に即再起動しようと決め、キューに近づく。
「エフ様、この石碑の謎が解析できました00100100001110110001111110010001、
2進法と思われます。この数値を10進法に置き換えますと14159265358979323846になります」
エフはモニターを凝視してつぶやく
「これは円周率だな、小数点以下の」
「エフ様、その通りでございます。小数点以下20桁までが同じ数値となっておりました。」
いつも素通りしていた石碑に……何かのイタズラ?
「キュー、石碑の年代は調べられるの?」アリアが聞いた。
「石そのものの年代は分析で可能ですが、石碑に刻まれた年代を特定するのは難しいかと思われます。ほかに痕跡はなかったでしょうか?」
エフが応える「文字らしきものは見られず、単なる石としか見てなかった。もう一度今から見てくる。石のサンプルも少量採取してくる。」
エフが石碑に向かったあと
「キュー、田園の原曲を聴かせてくれない」
「アリア、エフの歌が気に入ったの?今流します」
「ありがと」
アリアは原曲を聴いて、エフが歌った歌詞がちょっと違っていたのをおかしく思う。ソフォーに置かれたギターを手に取り、聞いたばかりの田園をいとも簡単に弾いて歌い始める。エフの姿を思い浮かべながら……
エフとは違い歌詞も音程もはずさないアリア。目は笑っている。アリアは自身の固いハートにかすかなヒビが入ったのを感じとる。
小さく柔らかな音符たちが、そのヒビの隙間を埋め優しく包む。
ドクン、ドクン、ドクン
エフが戻ってきてキューに画像を転送する。
「前後左右、上から見ても、他に文字や記号の痕跡は無かった、石のサンプルも
採取したので週明け、教授に見てもらうことにするよ。キュー、お手柄だったね、ありがとう。貴重な発見になるかもだぞ」
「キュー、すごい能力ね。見習いたいわ」
キューが言う、午前中に自身が笑われたことへの当てつけのように、
「初めはエフ様の満面の笑みにしか気がつかなかったのですが……」
第5話へ続く
玉置浩二「田園」




