餅鞭
尻もちをついて見上げてくる藤堂くん。それを立ったまま見下ろしている僕。
鍛えに鍛えた男にとって、この構図はあまりにも屈辱的だろう。そしてその顔色は明らかに精彩を欠いたものであり、効いているのは明確だった。
「ダウン! 1! 2! 3……」
主審がカウントを始めた。僕は冷静に開始線まで戻る。さて……この屈辱的な構図に藤堂くんは、きっと猛然と反撃してくるだろうなぁ……。遠間では前蹴り、それを足捌きでいなして間を詰めたのは見せたから、今後間合いが詰まったら下段に回し蹴り、そして得意の手技を顔面に、かな?
こんなことを僕なんかが言うのはおこがましいのだけれど、柔術の攻防に比べると空手のそれは少し単調だ。何故なら柔術には掴み、投げ、そして関節技が存在するからだ。せっかくの「手」を殴ることにしか使わないのは、ちょっと勿体ない気がする。
そして藤堂くんも気を落ち着けたか、カウント8までしっかり休んでから立ち上がり、力強く構えをとった。
「やるね、柳原太一郎……」
「まあ、それほどでも……」
短いやりとり、それから試合再開。藤堂くんは慎重に前蹴りをチョンチョンと数回。だけど一気に頭が傾く。左の回し蹴り!
大きく前進してきたから、これは下段狙い。
僕は脱力してコンニャク防御、というか蹴り足から逃げる! それを許さない藤堂くん、やっぱり顔をねらって拳を飛ばしてくる!
さらにコンニャク防御。ゆらりと揺れながら直線的な突きをよけた。
グンニョリ……上半身が柔らかくクネる。そして「鵺」の秘伝技、下から振り回すアッパー攻撃!
これが藤堂くんのスーパーセーフをかすめた。なるほど、藤堂くんも上体反らしで緊急回避したのか。
見えていないはずの攻撃をかわすとは、さすが叩き合いの専門家。危機を察知する能力に長けているね。だけど僕は突き出した腕をすぐに脱力、重たい鞭として藤堂くんの胸板に打ちつける。
「あぁっ! こ、この技はっ!?」
みなさまお待たせしました。出雲鏡花がまたホラを吹きます。
「知っているんですか!? 出雲さん!!」
もう相田さんまで合いの手の呼吸を心得ちゃって……。
「我が流派の奥伝技、『餅抱かせ』を応用した奥伝書、巻のぷの二巻にあった技! 餅鞭ですわ!」
モチムチって……なんだか性的に聞こえるね……。っつーか巻のぷの二巻ってなんだよ? フツーに二巻じゃないのかよ?
だとしたら奥伝技の巻き物ってかなりあることになるぞ? 一杯あるんだな、ウチの奥伝技。
「出雲さん、餅鞭ってどんな技なんですか!?」
「文字に記される通り、脱力して鞭のようにしなやかな腕に餅の重みを加える、必殺の一打ですわ!!」
「すごい技ですね、出雲さん!! でも必殺の一打の割に藤堂くん、倒れてませんよ!?」
「技が必殺でも使い手がへっぽこぷーだと役に立たないという例ですわ!」
悪かったな、へっぽこぷーで。
「大体にして先程の奥伝技『鵺』を外された時点で、お里が知れるというものですわ!」
「でも、あれは藤堂くんがすごかったんじゃぁ……」
そうだ! 言うたれ相田さん! そのデコっぱちに「私が悪ぅござましたわ」と言わせてやってくれ!
「……おかげで流派の奥伝技が、無駄に流出してしまいましたわ」
そーゆー機会を拵えたのはお前だろーが。
しかし、そんなことを言っていても藤堂くんはまだ立っている。そして餅鞭の一発で弱ってきていた。大きく肩で息をしている。だがそれでも前に出てきた。拳を振るってくる。僕が足でかわすので、すべて空振り。ならばと蹴りも混じえてくる。これはすべてモーションが大きい。拳以上にかわすのは簡単だった。
そして僕はというと、『一発ももらわない』というテーマの元に深追いなどせず、右の裏拳をスーパーセーフに飛ばした。
「ホホ……小憎らしい技を……」
「なんですか出雲さん、あの技はっ!?」
「あれは裏拳と言って、目潰しなどの牽制に使う技ですわ。つまり、倒す気は無い、と」
「え〜〜!? 柳原くんってば藤堂くんを嬲り者にする気なの〜〜!? それはヒドイよ〜〜!!」
「そうではありませんわ、相田さん。例えヘロヘロになってはいても、やはり藤堂さんはツワモノ。うかつにトドメは刺せないということですの」
「あ、やっぱり柳原くんってそういう人なんだよね♪ うんうん」
「喜んでいる場合ではありませんわ。柳原さんの窮地は未だ続いている、ということですから。一発ももらわぬよう慎重に闘っているのがその証拠。そして悪いことに……」
そう、この展開はあまり僕に嬉しくない。
「追撃することもできずに間もなくインターバルに入ってしまいますの」
ドン! と太鼓が鳴った。1ラウンド終了、一分間のインターバルだ。藤堂くんの団体の試合ならば、ここで判定をいただき引き分けならばすぐに延長戦に入る。
つまりどういうことか?
この一分間で藤堂くんは確実に回復してくる。それも、ほぼノーダメージにまで。そして、僕の技を一度見ている状態で。
敵陣営は畳に上がってきて、藤堂くんにアドバイスを送っていた。僕の陣営は、相田さんが汗を拭いてくれるだけ。
「草薙先生から伝言」
「ん? なにかな?」
「序盤から奥伝技で行けって」
「さすが草薙先生、僕の不利を知っている」
「頑張ってね、柳原くん」
「本音言うと、怖くて逃げ出したいけどね」
セコンドアウト、相田さんが降りてゆく。両者立ち上がって、開始線へ。主審の「構えて!」の号令。藤堂くんの構えが変わった。顔面を意識したアップライトな構えだ。
逆に僕は奥伝の構え。つまり両腕をダラリと下げたノーガード戦法。これには会場が沸いた。実況席の放送部員も、なにか声高に叫んでいる。
「始め!」
主審の号令と太鼓の音。藤堂くんはダメージなど無いかのようにスッスッと足を運んできた。
よし、それなら……こっちも行くぞ! 小さく左右にステップを踏んで、足を止めたところで奥伝技に入る。
グニョ~ン……身体がドロドロに溶けているイメージ。水の入った革袋どころか、全身が熱々の餅にでもなったかのように……。すると藤堂くんは牽制の前蹴りを三つ。……うん、見えてる。餅のように身をくねらせて、打撃を吸収する。
さすが奥伝技、ほとんど威力を殺すことができた。あ、藤堂くんの頭が傾いた。左のハイキック! これも餅の身体でグニョンとかわす。
いいぞ、身体をグネグネ動かすことで、腕にメロディが生まれている。その証拠に、顔面ねらいの藤堂くんのパンチを、波打つ腕でことごとく捌いた。
藤堂くんは不思議そうな顔。そりゃそうだ、インターバルで回復したはずなのに、自分ペースで戦闘を再開したのに。全力の突き蹴りが当たらないのだ。
次はこちらの番だ。
ウニョウニョとした動きから餅鞭の腕を飛ばす。それも、単なる鞭じゃない。餅身の上半身で重みを加えているんだ。硬くガードする藤堂くんの、身体の芯目掛けて餅鞭の打ちを振るう。
単なるビンタならばパンパンという音だろうけれど、僕の餅鞭は肉の音がする。
隠れていた藤堂くんの疲労が、徐々に明るみになってきた。
いける! このペースだ。そう思ったとき、藤堂くんのローが、僕の左足をとらえていた。




