後編
季節は夏になった。相変わらず追いかけっこは続いているが、最近はもう諦めて、いい運動になると思って付き合っている。
学校から帰る時に、普段なら止まっていないところに馬車があるのを見つけた。あまり見たことない紋章があしらわれていたが、ジロジロ見るのもどうかと思い、その場を離れて歩き出した。
「でも、どこかで見たことあるような…」
だいたいの家紋は頭の中に入っている。しかし、記憶の中にあるどの家紋とも一致しないのだ。
もしかして、この世界ではないところで見た…?
そう考えながら角を曲がると、たまたまレティシアが前を歩いているのが目に入った。
あー!!!そうよ、思い出した!
「パンドラだわ…」
ゲームの中で、ジェニファーがレティシアを誘拐するように依頼する裏組織の名前が"パンドラ"だったのだ。魔力の痕跡が残るのを恐れて、ギリギリまで魔法を使わないという噂である。え?ありきたりな名前だなって?そんなの気にしてはいけない。
それよりも、なぜここにパンドラがいるのかが問題だ。もちろんわたしは依頼していない。
そのとき、前を歩いていたレティシアが突如消え去った。
「え?レティシア?」
わたしは慌てて走り出し、あたりを探すと、男2人に連れ去られていくレティシアが見えた。
「待ちなさい!」
わたしは蔦を伸ばして、3人バラバラに絡め取った。特に男2人はぎっちりと。闇雲に暴れているが、そう簡単に解けるものではない。レティシアの方は優しく包み込み、わたしの側まで引き寄せて離した。
「レティシアさん、怪我はない?」
「はい!」
よっぽどびっくりしたのだろう。目が少しウルウルしている。
「ほら、泣いてないで、早く大人を呼んできて。学園の先生でもいいから」
「わかりました!」
元気に駆け出すレティシアを見送った後、捕らえている男2人を睨みつける。
「あなたたち、誰から依頼されたの?」
「フン、誰が言うか。こっちにだって守秘義務ってものがあるんだよ」
「まぁいいわ。然るべき場所に連れて行くから…」
「それはこちらのセリフだよ、お嬢さん」
後ろから聞こえた不気味な声に振り向くと、先程走って行ったレティシアが別の男に捕まっており、首元にはナイフが当てられていた。
「いやはや、驚いたよ。捕獲対象がこちらにやってきたから、捕まえてこちらに来てみれば、なんともお転婆なお嬢さんがいるじゃないか」
そうか…。学園に先生を呼びに戻るには、あの馬車の前を通らなければならない。おそらく中に1人残っていたのだろう。迂闊だった。
「元気なのはいいことだが、少し踏み込みすぎたようだね。さぁ、君が捕まえている男たちを離して、一緒に来てもらおうか」
わたしの魔法の弱点は、蔦を伸ばしているあいだは身動きがとれないことだ。逃げ場のなくなったわたしは、男の言うとおりに蔦を解いた。
「いてっ」
「あだっ」
なるべく高い場所から落とす。このくらいの仕返しはかわいいものだろう。
「ハハッ、最後の悪あがきか。連れてくぞ」
さっき捕まえていたやつらに、手錠をかけられた。そのまま人目を避けて馬車まで戻り、レティシアと共に押し込まれ、馬車が走り出してしまった。
そして困ったことに、魔法が使えなくなっていた。おそらく、この手錠が特殊なのだろう。魔力を外に放出しようとすると、無理やり抑えられているような感覚になるのだ。
たしかこのあとは、拠点となる屋敷で一晩明かしたあと、隣国に売り飛ばすための取引場所へと向かうはずである。ゲームでは、レティシアがいないことを不審に思った攻略対象たちが、ジェニファーを問いつめて、居場所を聞き出し、屋敷にいる間にレティシアを助け出す、という流れだった。
しかし、今回はそもそもの前提が違う。問い詰める相手がいないし、依頼主も判明していない。馬車がどこへ向かっているのかも分からない。
外から差し込む光がだんだんと弱くなり、薄暗くなった頃、ようやく馬車が止まった。慣れない体勢で乗っていたので、体がバキバキである。
「ほら、降りろ」
鍵が開けられ、わたしとレティシアは乱暴に引っ張り出された。降り立った場所は、見覚えのある屋敷たった。ゲームの流れ通り、拠点の屋敷に連れてこられたのだ。
今なら、逃げ出すチャンスかも!
「えいっ!」
わたしは隣に立っていた男を蹴り倒した。男がぐらついた隙に頭突きをかます。
「逃げてっ!」
「このっ!」
その瞬間、わたしはもう1人の男に思いっきり殴られた。手が使えないため、うまく受け身を取れず倒れ込んでしまう。
「少しは大人しくしとけよ」
髪を掴まれ、引っ張り上げられる。
「痛い!離して!」
「お仲間は逃げられなかったぞ。残念だったな」
その言葉にハッと顔を上げると、逃げきれずに捕らえられたレティシアが、泣きながらこちらを見つめていた。
* * * * *
わたしとレティシアは、そのまま牢屋に放り込まれた。薄暗くて冷たい雰囲気が、余計に不安を煽る。
「ジェニファーさん、ごめんなさい…」
レティシアは、自分のせいでわたしが巻き込まれたと思っているようだ。
「あなたのせいじゃないわ。今度こそ隙を作ってみせるから、ちゃんと逃げて、誰かに知らせてね」
マシューたちが異変に気づいたとしても、あのポンコツたちがここを突き止められるとは思わないので、こちらから逃げ出すしか助かる方法はない。
「でも、わたしが逃げたらジェニファーさんが…」
「わたしのことはいいのよ。あなたには逃げ出してもらわないといけないから、今晩はちゃんと寝てね」
ここに連れ込まれてから、組織のやつらがこちらに来る気配はなかった。レティシアは、寝るつもりはないと言いながらも、先程からウトウトしている。
手に掛けられた手錠にブレスレットがあたって、カチャリと音が鳴った。
「キース様…」
そのとき、突然外が騒がしくなった。
「レティシアさん、起きて!」
「……ふぁい」
目を開けたレティシアも、外の様子がおかしいことに気づいたようだ。
「何かあったんですか?」
「わたしにも分からないのよ」
バタンと、扉が開く音が聞こえた。あいつらがやってきたのかと身構えると、そこにいたのは…
「ジェニファー!」
「キース様?!」
部屋に入り、牢屋の鍵をぶち壊したキースが飛び込んできた。待ち望んでいた、聞こえるはずのない声が聞こえて呆然としていると、そのままの勢いで抱きしめられた。
「良かった、無事で…」
「キース様、どうしてここに?」
抱きしめていた腕が離れていく。温もりが消えて寂しい、なんて思っている場合じゃないことくらいは、分かっているつもりだ。
「話は後だ。お前ら2人以外に連れてこられたやつはいるか?」
「わたしたち以外は見てないです。ただ、どこかに閉じ込められているのかも…」
「わかった。トールはあっちの彼女を保護しろ。残りは被害がないか確認してこい。急げよ」
「はっ!」
トールと呼ばれた人は、レティシアを抱えて、残りの人たちとともに部屋から出て行った。
「レティシアさん、怪我してないといいんだけど…」
「そういうお前はどうなんだ?」
「…わたしは平気ですよ」
キースは、特殊な道具で手錠を切ってくれた。
「立てるか?」
キースが差し伸べてくれた手をそっと握って立ち上がる。
「いっ」
足にズキンと痛みが走った。男に殴られたときに足首を捻ったのだが、まだ治っていなかったみたいだ。
「どこが平気なんだ」
「…ごめんなさい」
大きなため息のあとに手が離される。そして、背中と膝に腕を差し込まれ、すっと抱えられた。いわゆるお姫様だっこだ。すっごく恥ずかしいが、下ろしてもらったところで歩けないので、今回はキースに甘えることにした。
「助けに来てくれて、ありがとうございました」
「いや…。怖い思いをさせて、すまなかった」
「キース様のせいじゃないですよ。それに、キース様がきてくれたとき、とても安心したんです。あぁ、きっともう大丈夫だって」
キースと目が合う。
「嬉しかったんです。ありがとうございました」
素早く目が逸らされたが、耳が赤くなっているのがここからでも見える。
「あ、照れてます?」
「照れてない」
速攻で切られるが、これも照れ隠しのうちだと分かっているので、可愛らしいと思ってしまう。
「こんなにボロボロになって…。どうせ無茶したんだろう」
「ハハッ」
何をしたかは言わない方がいいだろう。怖すぎる。
「そういえば、どうしてキース様が助けにきてくれたんですか?」
家族が魔法省に連絡したとしても、ここを突き止めるのは難しかったはずだ。
「それはだな、その…」
「なにか秘密でもあるんですか?聞きたいな〜」
歯切れが悪いキースをせっつく。
「前に渡したブレスレット、あるだろ?」
「これですか?」
右手には、キースからもらったブレスレットが揺れている。
「あぁ。それ、魔道具なんだよ。魔力の流れがおかしくなったら、位置情報が俺に分かるようになってる」
「へぇ、すごいですね」
このおしゃれなブレスレットに、そんな機能があったなんて…。
「へぇ、じゃない。魔力の流れが封じられていたから、おかしいと思って部隊を連れて来てみれば、パンドラの本拠地で驚いたぞ」
わたしだって驚いた。まさかパンドラが関わってくるなんて思ってなかったんだもの。
「わたしの魔力がおかしいってことだけで部隊を連れてくるなんて、よく許してもらえましたね」
そんなに魔法省は暇なんだろうか?
「許すもなにも、俺が部隊長だから好きにできる」
「職権乱用だー!!」
「声がデカい!静かにしろ!」
キースが慌ててあたりを見回している。どうやら、完全に私情で部隊を動かしてくれたらしい。
「わたしのこと、大好きじゃないですか」
「なんだ、知らなかったのか?」
キースがわたしのことを見下ろしながらニヤリと笑う。
「愛してるよ」
わたしは、そのキースの言葉に、自分で振ったことを盛大に後悔したのであった。
怪我の手当てをしてもらい、後日事情聴取をする旨を伝えられた。念のため、今日はこのまま病院へ向かうらしい。
帰りの馬車は、キースと2人きりだった。おそらく、いろいろな人が気を使ってくれたのだろう。
キースと向き合って座っていると、こちらへ来いと手招きされた。隣に座ると、そっと抱き寄せられる。
「怖かっただろう」
何も言えずに黙り込む。
「もう泣いていいぞ。誰も見てない」
その優しい声に、わたしの中で、せっかく堰き止めていた涙が溢れてきてしまった。
「よく頑張ったな」
わたしはキースに抱かれたまま、泣き続けた。
* * * * *
病院の夜ご飯は、めちゃくちゃ美味しかった。部屋はもちろん個室。お父様が出来うる限りの対応をお願いしたと小耳に挟んだ。お金のパワーってすごい。
ベッドでぼーっとしつつ、キースからもらったブレスレットを見つめる。
「けっこう心配してくれてたんじゃん」
そんなこと、一言もいってなかったくせに。
* * * * *
その日の夜、寝ていたはずなのに、なぜか目が覚めた。
「ここ、どこ…?」
目を開けると、わたしは真っ白な空間にポツンと立っていた。目の前には一匹の猫がいる。
「こんにちは」
へ?猫がしゃべった?
「びっくりさせてごめんね。君にはいろいろと説明しておいた方がいいと思って」
「…そうなんですか」
もう何も言わないことにする。きっとこれは夢だ。ファンタジー最高。
「今回のパンドラのことは、僕たちが原因なんだ」
「え?なに怖いことしてくれてるの?」
「怒るのも無理はないよ。ほんとにごめんね」
猫ちゃんがしょぼーんとした表情で謝ってくる。そんなの許すしかないではないか。かわいすぎる。
「あ、あの、何か理由があるのよね…?」
「そうなんだ!聞いてくれる?」
「えぇ」
さっきとはうってかわって、しゃきんとした猫ちゃんが話し始めた。
「将来的に、パンドラはどんどん勢力を拡大して、危険な組織になるんだ。本当は凶悪化する前に、ジェニファーの依頼が原因で捕まり、壊滅するはずだった」
あぁ、それはゲームの中の悪役令嬢、ジェニファーがやらかした案件ですね。
「その流れが、君というイレギュラーな存在によって変わってしまった」
わたしが、前世の記憶を持って生まれてしまったから…。パンドラへの依頼がなくなったから。
「あ、君のことは責めてないんだよ!君は、君が選んだ人生を歩めばいい。その分を僕たちが調整しようと思って、光属性の生徒を誘拐させ、他国に売って金を儲ける、いう理由をつけて、パンドラを動かしたんだ」
「あんたのせいか」
「ごめんなさい!」
依頼主も何も、もとからいなかったのだ。
「でも、誰にも気付かれなかったら、犯罪組織を潰すどころか、ヒロインが売っぱらわれちゃうじゃない。そうなったらどうするつもりだったの?」
「そこは心配してなかったよ。君なら絶対大丈夫だって信じてたからね」
いつのまにか、わたしはこの猫ちゃんから絶大な信頼を得ていたらしい。
「危険な目に合わせてごめんね、ってことを伝えにきたんだ。本来の流れの通り、パンドラが捕まったからもう補正をするポイントはないよ」
それを聞いてちょっと安心した。
「わざわざ説明しにきてくれて、ありがとう」
「お礼をいうのは僕らの方だよ。ありがとう」
少しずつ、猫ちゃんが薄くなっていく。
「おや、もう時間みたいだ。君が選び取った人生だから、楽しんでね!」
うっすらと、猫ちゃんが手を振る姿が見えたところで、目が覚めた。
「猫ちゃんの関節がどうなってるのか、聞けなかった…」
* * * * *
パンドラは、猫ちゃんが言っていたように、光属性は珍しいから、金持ちに売りつけてやろうと考えて、レティシアを誘拐したらしい。
パンドラは全員捕まり、組織は潰れた。レティシアはかすり傷、わたしも足の捻挫だけで、大きな怪我はなかった。数日前に退院し、学校にも通っている。
そして、マシューがわたしを追いかけてくることがぱったりとなくなったのだ。どうやら、レティシアとマシューの間で
「ジェニファー様は素敵な方ですよね、分かります」
「この気持ちを分かってくれるのは君しかいない。レティシア、きっと君が運命の人だったんだ」
「マシュー様!」
「レティシア!」
という、大変面白い…、失礼。素敵な会話が繰り広げられ、無事お付き合いを始めたそうだ。若干無理矢理な気がするが、これで本来のゲームの流れに戻ったのだろう。ようやく追いかけっこからも卒業だ。
「風が気持ちいいですね」
今日はキースが休みだったので、わたしの退院祝いとして外に連れ出してもらった。兄がついてこようとしたのを止めるには骨が折れたが、キースといればそんな苦労も吹っ飛ぶ。
「そうだな」
本当は遠出をしたかったのだが、元気になったと言っても信じてくれないキースから、川辺の散歩に変更された。散歩にはちょうどいい気候だ。
そばの川を覗き込むと、わたしが映っていた。わたしであり、ジェニファーでもある、映り込んだその顔に手を伸ばす。ひんやりした水が、歩いてほてった手に当たって心地いい。
不安になるときだってあるけど、わたしはわたし。これが、自分の意思で選び取った未来だ。
「何してるんだ?」
「暑くなったので、手を冷やしてました」
キースに、川につっこんでいた手を引き上げられる。
「暑いならもう戻るぞ」
「えー、嫌です」
「倒れたら困る」
「倒れませんよ」
そう言ってもキースの耳には届いていないらしく、手をつながれて立ち上がった。そのまま、キースの顔が近づいてきて、気づいた時には唇が奪われていた。
真っ赤になったわたしの顔を見て、笑っている彼は、今日もかっこいい。
「な、なんで….」
「暑いって言ってたから」
「…余計に暑くなりました」
わたしはキースの服の袖を軽く引っ張った。
「……その、もう一回してくれたら、涼しくなるかもしれません」
「…あんまり煽るなよ」
何度口づけを繰り返したところで、全身の熱が冷めるはずもなかった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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