88、モーニング3つと・・・(ヤスシSide)
鼻にパンチを入れた直後、俺は腹に膝蹴りを入れ、仰け反った顎にアッパー。
そして崩れ落ちそうになる直前に、スジもんのこめかみに回し蹴りを決めた。
何だよ、スジもんだから期待したのに、20秒でダウンかよ。
まあ、流石に痛めつけるのも痛めつけられるのも慣れているのか、気絶はしなかったが。
腰が立たないのか、地面に這いつくばり俺を驚愕の目で見つめていた。
「おい、地元じゃねぇんだから、そこらへんで止めとけよー。」
ジョーが呆れたようにそう呟き俺の腕を掴むと、大丈夫っすかーこいつヤバイっすよー血見たらガンガン闘志湧いちゃうんでー、と棒読みでスジもんに話しかけていた。
「止められるかよ、今更。誘ってきたのは、こいつの方だ。なぁ?とことんやろうぜ?」
興奮状態になっている俺は、ジョーの手を振り払いそう言うと、地面にへたり込んだ血まみれの顔を覗き込んだ。
多分俺の顔は笑っていたのだろう、ヒィッという悲鳴が血まみれの男からだけではなく、白豚三白眼、四頭身からも聞こえてきた。
そんな声さえも楽しくなり、俺は鼻歌交じりに血まみれ男のスーツの襟に手を伸ばしたが。
思わぬ声でそれを阻止された。
「それが君のもう1つの顔ですか。デッサンしたいなぁ。いや、さっきの2枚で顔のディテールはつかんだから、まぁ描けるかな・・・。結果、いいものが見られたから、ありがとうかもしれないけど。」
場違いな穏やかな声とその話の内容に、何かが一気に萎えた。
「オ、オーナ!?」
驚くジョーと、面倒臭ぇなとため息をつく俺。
だけど、そんな俺らの様子に構うこともなく、久住さんはへたり込んでいるスジもんに顔を向けた。
「君、巴組の人だよね。立てるかい?」
そう言って、厚手のジャケットの胸ポケットから洒落たチーフを引っ張り出すと、男に血を拭くようにと手渡した。
そいつは久住さんを知っているらしく、恐縮した様子でチーフを受け取り、滴り落ちる血を抑えた。
そんなスジもんを見ながら、久住さんはため息をつき。
「君ねぇ、素人だからって相手をよく見ないからこうなるんだよ。彼、一見大人しそうだけど、拳と目を見たら、相当場数ふんでるって、わからなかったかい?・・・・そういえば、今年の春頃に叶さんに聞いたんだけど、ナイフや鉄パイプで攻撃してきた半グレ10人、君1人で全員病院送りにしたって?しかも、素手で。君のケガは、殴りすぎてできた拳の打撲だけ。原因は知り合いの高校生を助ける為だったんだって?ホント、ヒーローだね・・・今回もどうせ、そっちの2人を助ける為だったんじゃないの?」
叶の親父さんと飲み仲間だと言う久住さんが、酒の肴にしただろう盛った話をいきなり持ち出した。
しかも、この状況の原因も言い当てている。
その途端、スジもんがその盛った話を真に受けたのかヒイィィッと悲鳴を上げ、ケツを地面につけたまま後ずさった。
何か、色々面倒くせぇとうんざりした気持ちになり。
俺は坊主頭をガシガシと掻きながら、訂正を入れた。
「それ、話盛ってます。俺、ヒーローなんてこっぱずかしいもんじゃねぇし。ただ喧嘩好きなだけです。それに相手は、10人じゃなくて、8人ですし。半グレなんてもんじゃなくて、ただの地元の悪ガキですから。まぁ、粋がって使いこなせもしねぇ飛び道具持ち出したり、悪さが過ぎたんで、お灸をすえる意味で、俺もちょっとばかりヤリすぎただけのことです。そんな大したことじゃねぇです。」
だけど、訂正したところであんまスジもんの表情は変わらず、ジョーが10人だろうが8人だろうがそこまでやりゃあ大したことだっつうのとゲラゲラと笑った。
「時間があんまねぇけど、好きなもんおごってやっから。それで、手打ちにしようぜ。」
俺の手が血で汚れていたのと、白豚三白眼と四頭身が茫然自失だったことから、久住さんがもう一度『喫茶モシカ』へ戻ろうと誘ってくれた。
『ひろ瀬』の出勤時間は9時半で、今はまだ8時40分だった。
俺が手を洗いに行く前に、奴らにそう言うと戸惑った表情になった。
「今日は変なもん見せちまったし、その詫びだ。あんま時間がねぇし、モーニングでも食うか?ついでだ、ジョーもおごってやるよ。」
俺の手に着いた血を見ながらビビった表情をしてる、いつものウエイトレスの姉ちゃんにモーニング3つと注文し、俺はさっきコーヒー飲んだばっかだからいらねぇと付け加えて洗面へ向かった。
手をきっちり洗い、服に血がついていないのを確かめて席に戻ると、白豚三白眼と四頭身がビクついた顔で俺を見た。
ジョーを見るとニヤリと嗤ったから、どうせ俺の下らねぇ話でもしてたんだろうが。
さっき、店の前で別れたスジもんも、久住さんに抱えられて立ち上がると何かを耳打ちされ、ビビった顔で俺にすみませんでしたと頭を下げていた。
そして、おぼつかない足取りだったが、早くここを立ち去りたいというような様子で来た道を戻って行った。
「俺、そんなにビビられるようなことしたか?おめぇらにあんま関わんねぇようにしてたけど?」
つい、そんなことを口にしたら、水を飲んでいたジョーがあやうく水を吐き出しそうになった。
「ヤスシ、おめぇ・・・クククッ、自分がどんだけヤベェかわかってねぇなぁ。さっきのスジもん瞬殺しただけで、充分だっつうの。今朝だって、ミコトから焦って電話かかってきてよ。おめぇが銀座辺りから電話してきて、何かヤバい雰囲気だって言うからよ。おめぇ銀座ならこの店か俺んとこの店しか行かねぇだろ。だから慌てて飛んで来たら、この兄ちゃんに殴りかかられてるのに、反撃もしねぇし。なんなら、次は敢えて殴られるかみたいな顔してるし。何なんだよって思ったら、スジもん相手に楽しそうに手ぇ出し始めるし・・・ったく、どうせ昨日何かあって、暴れ足りなかったってのがオチだろ。」
流石長い付き合いだけあるジョーは、俺の行動を読んでいた。
「正解。」
俺がおどけて指をパチンと鳴らし、そう言うと。
「す、すみませんでしたっ。」
「い、今まで、た、大変失礼なことして・・・ごめんなさいっ。」
2人が同時に、焦ったように謝りだした。
俺はそんな2人にため息をつくと、それぞれの顔をジッと見つめた。
「別におめぇらに謝ってもらう気はねぇよ。まぁ、俺の事気に食わなかったのはわかってたからな。でも、大したことじゃねぇし。ただ、さっき俺に言ったことだけどよ。俺は別にいい気になってねぇし、デカい顔もしたつもりはねぇんだけど。だけど、お前らにはそう見えたのか?」
俺の問いかけに戸惑う2人だったが、意を決したように四頭身が俺を見た。
「だって・・・副社長を怒鳴りつけたり、かと思ったら副社長が連れてきたスゲェ美人と親しそうだったし。風町リノや春川十夜が食事に来るし・・・服はいつもさりげなくお洒落だし、金にも困った感じじゃなくて。料理長にも目をかけてもらえるし、下積みの辛い仕事だって平気な顔して手際よくこなして・・・俺ら何年もつらい思いしてきても全然目も出ないのに、何か・・・ずりぃって思ったんだ。」
色々思うようにならないことが、どんどん澱のように心によどみ沈んで、こんな状態になってんだろうと、話している姿を見て俺は思った。
その証拠に、自分でも正当なことを言っているという態度ではなく、だんだん声も小さくなっていって。
白豚三白眼も、唇をかみしめ下を向いた。
「あのよぉ・・・副社長を怒鳴りつけたって、衛生面でマズいって思ったからキツい言い方になっちまっただけだ。それに、その前にも同じ理由であいつに注意したのに、それを無視したからだ。それって、客の事を考えずに自分中心に考えてるってことだろ?いくら相手が偉い奴だって、客の口に入るもんが不衛生になることを料理人なら見逃すわけにいかねぇ。そうじゃねぇか?それに、広瀬とは副社長として出会ったわけじゃねぇし。スゲェ美人って、あれ、広瀬の嫁だ。俺の小・中の後輩で、こいつの妹だから親しく喋るわな。芸能人だって、たまたま知り合いだってだけで、服だって地元の店で店のおっさんに言われるがまま買ってるもんだし。金は、まぁ確かに金持ちじゃねぇけど、それほど金に困ってるわけでねぇな・・・俺、銀座に来ない日は実家の魚屋で働いてるからよ。実際、家の事があっから、まるまるこっちで働けねぇんだよ。早朝3時に起きて、仕入れに行かなくちゃなんねぇし。まぁ・・あと、何だ?下積みが辛ぇって?だから、下積みなんだろ?俺が難なくこなしてんのは、実家の魚屋で働いているし、親戚がやってる小料理屋の仕込みを手伝ったりしてるから、経験上やってきたことだ。最初から上手くなんて誰だってできねぇよ。」
俺が一気にそう話すと、目の前の2人が驚いた顔をした。
「えっ、魚屋?・・・てか、そんな早くから起きてるんだ?」
「小料理屋も手伝って・・・どおりで、手際がいいわけだ。」
その様子に、今まで俺が随分優遇されて『ひろ瀬』でのんびり働いていると思われていたことに気がついた。
そこへ丁度注文したものが運ばれてきた。
隣のジョーと、向かいに座る2人前に置かれるモーニングのプレート。
遠慮しないで食えよと言うと、2人はごくりと喉を鳴らしていただきますと言って、トーストに手を付け始めた。
すると、俺の目の前にカチャリと音をさせて大きなマグカップが置かれた。
マグカップの中身は白くて湯気が立っている。
ギロリと隣のジョーを睨むと。
「おめぇ、また胃ヤラれてんだろ。ミコトが来て話し終わったら、横須賀帰って大畑のおっさんとこ行って診てもらえよ。まぁ、とりあえず甘いホットミルクでも飲んでろ。」
長い付き合いのジョーは、俺の事なんかとっくにお見通しの様で。
シュガーポットの蓋を開け、スプーン大盛一杯の砂糖を俺の目の前のカップに入れると、ニヤリと嗤った。
そんなジョーを俺はあきらめた目で見て。
やれやれとため息をつきながら、砂糖を仕方がなくかき混ぜた。
2人は朝飯を食ってなかったのか、ものの5分でモーニングを完食した。
さっきより2人の顔の険しさが取れたのは、腹が満たされたからだろうか。
「本当に、おごってもらっていいのか?」
「金、払わなくていいのか?」
2人は恐る恐る俺に訊ねてきたが、俺が頷くとあからさまにホッとした表情になった。
その様子に、こいつらの厳しい生活がまた垣間見えた気がした。
俺は、目の前のホットミルクをゴクリと飲み、苦手な甘さに顔を顰めながら。
「皆、それぞれの事情ってもんがある。けどよ、自分が辛いからって、人を羨んだり妬んだりしたって何の解決にもなんねぇぞ。羨んだ奴にも、おめぇらが見えねぇだけで、そいつなりの苦しみってもんがあるかもしれねぇし。どこの家にだって、大なり小なり必ず綻びってもんがあんだよ・・・俺がかなわねぇって思ってるやつが1人いてよ。そいつの親・・・ヒデェ親で、生まれたばかりのそいつに質草の意味をもつ名前つけたんだよ。将来、質草になって家に金入れろって。その他にも、色々大変だったみてぇだけどよ。だけど、そいつ強ぇのなんのって。そんな理不尽な環境に生まれて卑屈になるどころか、どこまでも真っすぐな心で不幸なんて自分で吹っ飛ばして、今はいい家族に恵まれて自分の夢に向かって頑張ってる。マジ、叶わねぇ。そいつ見てると、正しくて強い心が最大の武器になるんだって思う。だから・・・何か、偉そうなこと言うけどよ。人それぞれ違うけど、辛いのは皆辛いんだよ。だけど、それをどう自分で受け止めるかだ。辛い気持ちを人に当たって下らねえ奴になるのか、それとも自分の中で飲み込んで正しい心で乗り越えるか。生まれ落ちた環境は自分ではどうすることもできねぇけど、大人になってその環境を自分で変えることができんじゃねぇの?簡単な事じゃねぇって思うけど、だけど・・・弱いもんいじめや、妬んだ気持ち、愚痴を吐くだけじゃその環境を良くすることはできねぇぞ。俺、おめぇらに怒ってはいねぇけど、それが言いたかった。俺、普段はあんま他人のこと気にするタイプじゃねぇけど、おめぇらは同じ職場で働く仲間だしな。」
話でしか聞いたことねぇのに、何となくガキの頃のノリコを思い浮かべながら、こいつらにもまともな道を進んでほしいとそんな風にガラにもなく思っちまった。




