58、3日目(ヤスシSide)
「お疲れ様でした。お先に失礼します。」
23時も過ぎたというのに、厨房で残った料理を賄い代わりにして、まだダラダラと喋っている4人に声をかけ、丁寧にお辞儀をした。
うだつの上がらねぇ下っ端中堅どころの板前と、尻の軽い配膳係りといったところか。
先日俺がここへいきなり呼ばれて鯛茶漬けのレシピを聞かれた時は休みだったようで、ここで修業をさせてもらうことになった一昨日がこいつらとは初対面だった。
あの日は元々予約があった客だけの応対にして、殆ど店を閉めていたようなものだったから、半数以上の板前や配膳担当が休みになっていた。
3日働いてみて、あの日休みにした奴らと出勤になっていた奴らとの違いが何となくわかってきていた。
「はぁ?新入りが何で先輩より先に帰るんだよ。」
色白の太った三白眼の板前が、俺に絡んできた。
面倒くせぇなと思いながらも、新入りの俺は口調を崩さず答えた。
「担当の仕事が終わりましたので、お先に失礼しようと思いました。」
「あ?お前の仕事は洗い物と片付けだろ?俺らが食った食器、まだ片付いてないじゃん。仕事終わってないのに、帰るのかぁ?」
「そうだよなぁ。店に入って3日目で、もう仕事サボろうなんて大したもんだよなぁ。」
白豚三白眼に続いて、俺と同じくらいの背丈なのに顔がデカく4頭身くらいの板前が、言いがかりをつけてきた。
それに続いて、クスクスを笑う着物姿のスレた女2人。
鳴戸料理長の下で修業をしたいと言ったら、やる気があるならやってみろとあっさり背中を押してくれた父ちゃんに喧嘩だけはするなよと釘を刺されたし。
こんなクソみてぇな連中相手にするのもバカバカしいと思い、俺はそれなら終わったら教えてください片付けますんでと言うと。
「そうだ、お前待ってんならホールのテーブル全部拭いとけ。」
白豚三白眼がそう命令してきた。
テーブル席は確か40席くらいあったよな、今から全部かよ・・・。
つうか、ホールなら配膳係りの担当で、どうみてもその女たちの残った仕事なのは明らかで。
いや、その前にまだ自分の仕事の片づけが終わってねぇのに、飲み食い始めるってどんな勤務態度だよと内心呆れ返っていたが。
だけど、こいつらとこれ以上一緒にいるのもウゼェし、俺はわかりましたと答え厨房を出た。
一見綺麗そうに見えても、実際はそうじゃねぇことはよくあるが。
だけど、飲食店・・・いや、一流店と言われている店でこれじゃぁマズいだろと、俺は台拭きの汚れを見ながらウンザリとした。
台拭きを洗う用のバケツがあったから、それで何度も洗い水を汲みかえて。
バケツで台拭きをゆすぎ、汚れを落とす作業を何度したか。
まぁ、あと残りは1席だけだからいいが・・・。
だけどこの状態じゃぁ、下手したら食中毒がでるかもしれねぇし。
食いもんの店で不潔な状態が許せねぇ俺は、思わず大きなため息をついた。
「富士見か?・・・ああ、よかったまだ残ってたんだな。」
俺のため息が聞こえたのか、入り口から広瀬が入ってきた。
いや、その後ろから戸田までくっついてきやがって。
「うぉぉ・・・富士見、髪坊主にしたのか?だけど元々髪茶色っぽいし、板前っつうより、あんたがやると破天荒感がハンパねぇなぁ。似合ってるけどよ、何か・・・妙な迫力があって恐ぇよ。」
意味わかんねぇことを言い出した。
面倒くせぇからジロリと睨むと、黙ったが。
問題は、広瀬だ。
また、手間な事をいってくるんじゃねぇかと、手を動かしながら思わず舌打ちしたら。
「何だよ、何も言わないうちから舌打ちなんて酷いな。色々富士見に世話になったから、お礼をしようと思ってきたのに。今週は今日で終わりだろ?さっきそれ思い出して、慌てて来たんだ。会えてよかった。」
俺は、水・木・金曜日と3日間『ひろ瀬』で働くことになった。
ノリコの言った通り、正直に自分の気持ちを話し鳴戸料理長から修業をしないかと誘われていることを父ちゃん母ちゃんに伝えると、驚くほどあっさりと賛成された。
そうは言っても、『魚富士』があるし父ちゃんが1人で大丈夫だとは言ったけど、修業は週の半分にしてもらった。
ただし、父ちゃんから必ず土曜日は仕事を入れないで休めとキツく言われていたから、『ひろ瀬』の勤務は平日のみとなった。
鳴戸料理長も事情がわかっているから、週の半分でという条件を出したら『魚富士』の定休日の土曜日だけ働くんだと思っていたから、逆に週3出勤で大丈夫かと心配された。
「麻実はいいのか、放っておいて。」
戸田がこの間、結婚してから広瀬の付き合いが悪くなったとぼやいていたが、当たり前の話だ。
麻実はもう寝る時間だ、こんな時間に帰らなければ夫婦で話す時間もねぇだろ。
「母が昼間麻実ちゃんを連れて買い物にいったら疲れたみたいで、今日は9時過ぎには寝てしまったんだ。」
つまらなそうな顔で広瀬がそう言うと、戸田はイヒヒと笑った。
「じゃぁ、この後は久しぶりに飲みに行こうぜ。富士見も明日休みだろ?つきあえよー。」
俺のスケジュールを何故か戸田までが把握していることにイラッとしたが、確かに明日は休みだし一度ジョーが働いているショットバーに顔を出したかったから、俺が行きたい店でいいなら付き合うと答えると。
「えーーー、富士見が行きたい店って、おねえちゃんがいるところだろー。ノリコちゃんに言いつけるぞー、スケベ・・・・ウプッ!?」
戸田がくだらねぇことを言い出したので、テーブルを拭いていた台拭きを戸田の顔に押し付け、くだらねぇこと言うなボケと低い声を出したら、ピタリと戸田の口と動きが止まった。
丁度拭き終わったところだから、台拭きはかなり汚れいていて。
戸田はそれに気が付いていないようだったが、俺は密かにスッとした気分になった。
それを見ていた広瀬が、ゲラゲラと笑い。
「まったく、戸田も懲りないよなぁ。富士見にかなうわけないだろ。まぁいいや、お礼なんだけど・・・これ、風町さんのここでやるディナーショーのチケット。火曜日の夜の部なら、お店終わって横須賀から来ても時間的に間に合うだろ?麻生君の分も入ってるから。本当に、富士見には色々世話になった。普通にお礼しようと思ってもいらないって言うだろうし・・・だから、こんなことぐらいしかできないけど、本当に気持ちだから。それから、風町さんのことうちでもできる限りバックアップしていこうと思ってる。」
思いもよらなかった礼と言葉をくれた。
それは広瀬の気持ちが本当にこもっている気がして、俺はありがたく受け取ることにした。
「わかった・・・広瀬、ありがたく頂く。マジ、鎌倉の方のチケット取ろうかと思ってたんだけどよ、ここの店の出勤日だったからどうしようかと迷ってたら、あっという間に完売しちまって。しかも、俺の予定も考えてくれて、感謝する。」
そう言って、俺が頭を下げた時。
「おい、新入りっ。何喋ってんだっ。テーブル全部拭き終わったのかっ!?サボるんじゃねぇぞっ!」
白豚三白眼の粋がった怒鳴り声が響き渡った。
それと同時に、肩を怒らせホールへやってくる白豚三白眼と4頭身。
だが、広瀬の顔を見た途端、ピシリと固まった。
「終業時刻はとっくに過ぎているはずだが、まだ仕事が残っているのか?」
広瀬の厳しい声に、白豚三白眼と4頭身が挙動不審になり、女2人も下を向いた。
「つうか、何で富士見がテーブル拭いてんだ?厨房の担当だろ?ここって、ホール担当の仕事じゃね?」
いつもおちゃらけたような口調の戸田が珍しく硬い声を出し、男2人後方のまだ制服の着物姿だった女2人をジロリと見た。
「広瀬、おめぇそおいやここの副社長だったっけ。初めて、らしい姿みたわ。」
くだらねぇ展開になって時間をとられるのが面倒だから、あえてふざけたことを言ったら、広瀬がふきだした。
「ブハッ・・・思い出した。富士見って浜田に俺の事、全国展開のラブホチェーンのジュニアだって言われて信じてたんだっけ。」
「おー、そうだそうだ。あのジョーのクソ野郎が。ったく・・・・先輩、テーブルは全部拭き終わりました。」
軽口を叩いた後、白豚三白眼に向き直り俺は口調を敬語に変えてそう言った。
「そ、そうか。ご苦労さん・・・も、もう上がって良いぞ。」
「あー、じゃぁ食器洗ってから、上がりますんで。」
俺がそう言って厨房に足を向けると、広瀬がいきなり俺を押しのけ厨房に入った。
「その服のまんま入るな!厨房だぞっ!おいっ・・・。」
やっぱ営業終了後といえども衛生面が気になる俺は広瀬に注意をしたが、振り返った広瀬の厳しい目つきに口を閉じた。
「君たち、名前を教えてくれ。終業時刻をかなり過ぎているのに、1人だけ・・・しかも担当でない場所を掃除させたり、衛生面ばかりか臭い、味覚に気をつけなければいけない厨房で煙草を吸って、しかも洗うからとはいえ店の食器に吸殻を投げ捨てている料理人は、うちではいらない。同様に、自分の担当場所の仕事を他のものにやらせて、平気な人間もうちにはいらない。他にも多々あるが・・・常に一流を目指している『グランドヒロセ』の方針にそぐわない人間はいらない。」
まぁ、広瀬のいう事は経営者としちゃあたりまえのことなんだけどよ。
ただ、その前にもっと気が付くべきところがあるんじゃねぇのかと、俺は思った。
広瀬の言葉に青ざめた顔色の4人は言葉も出てこない様子だが、広瀬はそんなことお構いなしに会計のカウンターの上の電話から事務所に連絡を入れたのだろうか、レストラン担当の支配人をすぐにこさせてくれとキツい口調で伝えていた。
直ぐにやってきた担当の支配人は既に私服で、帰宅する直前だったらしい。
まぁ、店は『グランドヒロセ』の経営だから、社員教育や業務内容、就業規則等についてそりゃぁ徹底しているんだろう。
広瀬の厳しい口調の説明に、顔が強張る担当支配人。
椅子に座り固まって動けない4人を睨む戸田は放っておいて、俺は賄いの残骸を手早く片付けた。
「それじゃぁ、片づけ終わったんで。お先に失礼します。」
根本的なところに目を向けず、気が付いた点に集中して意見する広瀬を見て、こりゃあ時間がかかるなと思い、俺は引き上げるべくそう挨拶をした。
その途端、戸田と広瀬が驚いた顔で俺を見た。
「え・・・さっき、これから飲みに行くって言ってなかったか?」
「富士見、今あったことそのままにしていいのか?」
2人の言葉に、俺はため息をつくと。
「まだ時間かかりそうだろ?待ってるの、ダリぃし。それに、今あったことをそのままって・・・目の前のくだらねぇことに目くじらたてるんじゃなくて、もとの問題をまず解決しろよ。」
俺はそう言って、さっき戸田に押し付けた雑巾を広げて広瀬と担当支配人に見せた。
その汚れ具合に、広瀬と担当支配人は顔を歪めたが。
「おいっ、それっ、さっき俺の顔に擦り付けた雑巾だろっ!」
戸田だけは、過敏に反応した。
俺はうるせぇ戸田はそのままスルーし、広瀬に向き直った。
「これ、雑巾じゃなくて台拭きだ。ここのテーブル席拭いたらこうなった。もちろん、何度もバケツの水汲みなおしてゆすいで、これだ。おい、これどういうことかわかるか?さっきおめぇ一流を目指すって言ってたけどよ。こんな汚ぇ一流ってあるか?店が一見綺麗に見えてても、自分の目で確認しねぇから大事なところを見落とすんだよ。ここは客が食事をする大事なところだ。表面だけ綺麗だからって、それだけで判断してねぇか?厨房内は3日間見た限り、すげぇ管理されて一切汚れなんかねぇ。それは鳴門料理長が目を光らせてるからだ。そいつらだって、料理長がいる時は言われた通りやってる。だけど、こっちのホールは酷ぇ。テーブルの裏、壁側側面、調味料が載せてある盆の裏側、いつ拭いたんだよ?」
こういう汚れが許せねぇ俺は、一気にまくしたてた。
ヤスシは極度の綺麗好きです。なので、店内の汚れはそこまでではありません。あくまで、ヤスシ側の意見です。




