31、卵から・・・(ノリコSide)
どんよりとした空のように、私の体も心もどんよりとしていたのに。
何故か先週よりも歌詞が心にしみて・・・歌えば自然と気持ちが入り込んだ。
「ノリコ、凄くいいよ!やっぱり、やり直してよかった。だけど、こんなに変わるなんて、週末なんかあった?」
結城プロデューサーが驚いていたけど、一番驚いているのは私だ。
恋心に気づいて、いきなり告白されて両想いになったと思ったら、どうこうなれねぇ約束もできねぇ・・・だもんね。
まるで、ジェットコースターのようだよ。
上げられたと思ったら、真っ逆さま・・・。
だけど、浜田ジョーの現状を聞いたら、ヤスシの気持ちが痛いほどわかったから。
ヤスシが言う通り、今私にできることは歌を頑張って、離れていてもヤスシに聴いてもらえるようにただ直向きに歌う事だ。
無事レコーディングを終えたので、作詞・作曲家のミッチーの仕事はひとまずここまでとなって。
衣装も決まり、後はレコードのジャケット撮影や、キャンペーン準備、テレビ局やラジオ局、レコード店等の挨拶回りなど、ミッチーがいなくてもこなせる仕事内容となった。
本当はその他の事も現場についていこうかと思ったんだけど・・・と、申し訳なさそうな顔をしながら叶社長の事件のことで調べることがあるからと、ミッチーは2・3日留守にすると私に告げた。
歌のテストを受けてから、ずっとミッチーが付き添ってくれたから安心できていた部分もあって、正直不安だけれど。
それでも、浜田ジョーやあの街の人たちの気持ちを考えると、一刻も早く解決してほしいから、私は大丈夫だよ!と笑顔で見送った。
「ちょっと、いい?」
今日の打合せが終わり、1人帰宅しようとレコード会社のビルを出て駅に向かい暫く歩いていたら、後ろから声がかかった。
振り向くと、このあいだミッチーに話しかけながらもずっと無視されていたレコード会社のお姉さん。
声の高さが、前ミッチーに話しかけていた時よりも随分低かったので、一瞬誰だかわからなかった。
でも、今日も可愛らしいお洒落な服を着ていて都会の女の人、という印象だ。
と、そこまでは好印象を持っていたのだけれど。
「ブスが何で、こんなにトントン拍子にデビューできるの?しかも、売れっ子の西先生の作品で。身の程を弁えなさいよっ!」
いきなり暴言を吐いたかと思ったら、手にしていた卵を投げつけられた。
それも、3つ。
しかも、生卵・・・。
運の悪いことに、1つは頭に当たり髪が汚れ、1つはブラウスの襟に当たり胸元まで汚れ。
もう1つは、去年の誕生日にエミ姉に買ってもらった、籐のカゴバッグに当たり悲惨な状態となった。
あまりの惨状に唖然としていると、いい気味!と言ってお姉さんは走り去ってしまった。
まぁ、黄身と「いい気味」のダジャレを考えている余裕はあのお姉さんにはなさそうだったから、偶々なのだろうけれど。
それでもそう思いついてしまったら、何だか可笑しくて。
黄身をへばりつけたまま、クスリと笑ったら。
「最初からノリコは大物だと思ってたけど、こんな状況で笑うって、何で?」
ここにいないはずのミッチーのあきれた声がした。
驚いて声が聞こえてきた車道の方を見ると、大きめの高級乗用車の後部座席の窓からミッチーが顔を出していた。
「え、何で?今日は帰れないって言ってたのに。」
「うん、そうなんだけど・・・それより、ノリコ。そんな恰好じゃ電車にも乗れないよ。とりあえず、車に乗って。」
「い、いやダメだよ。私、卵でベチョベチョだし。車が汚れるからっ。乗れないよっ。」
「大丈夫、大丈夫。あ、この人戸田君っていうんだけど、この車の持ち主。戸田君、ノリコ乗せても大丈夫だよな?」
どう考えてもこのまま乗ったら車が汚れるのがわかるから、固辞していたのだけれど。
「あー、新聞紙あるから・・・敷いたら汚れないから大丈夫だよ。」
と、持ち主という車を運転している人に大丈夫と言われてしまい、仕方がなく乗せてもらうことにした。
だけど、やっぱりこのまま乗るわけにはいかなくて。
「ちょっと、待ってて!すぐ戻るから!」
そう言うと私は、すぐ近くに見えた銭湯に向かって走り出した。
「やっぱり、ノリコって大物だよねぇ。女の子でこういう状況時に、まさかこういう選択をするなんて。思いつかなかったなぁ。てっきり風呂に入るのかと思った。アハハハッ。」
ゲラゲラ笑うミッチーと、バックミラー越しに大工さんがするようにタオルで頭を覆っている私と目が合い、肩を震わすこの車の持ち主の戸田さん。
ちなみに籐のカゴバッグも銭湯で買った洗面器にの中に入れ、卵の汚れが付かないよう私の膝の上に置いている。
もちろん、お尻の下には新聞紙も敷いている。
とりあえず、汚れ対策はできた。
「だって、銭湯が目に入ったから、タオルと洗面器が売ってる!って思ってさ。そうそう、さっき番台のおばちゃんに聞いたんだけど。卵って髪にいいんだって!髪、染めてちょっとぱさついていたから、タオルでくるんでおけば髪の状態良くなるって。それにふろ場で使ってる洗面器が劣化してきてたから、丁度使えると思って。エミ姉の好きな水色があってよかった。ラッキーだったよ。」
そう言うと、それまで我慢していたのか戸田さんが思いっきりふきだした。
そして、バックミラーに映る私をみながら、よくわからないことを呟いた。
「確かにな・・・苦しみも悲しみも馬力で跳ね飛ばせるような、強い女・・・だ。」




