第一話 名家に生まれて
「お前にはエルガの森へ修行に行ってもらう」
父さんはたった一言、それだけを告げた。エルガの森で修行をしろ。それはすなわち死んでこいということだった。私は思わず息をのむ。
「父さん!? どうして、どうしてなの!」
「とにかく、出ていくのだ」
父の眼は無を映していた。いや、もっと性質が悪いかもしれない。大陸に名だたる魔術の名家に生まれてしまった、世界的にも稀な『魔法が全く使えない無能』。それを見る周囲の視線は穢れた魔族でも見るかのごとく冷たかった。
かつて勇者に仕えた大魔法使いランプ・エルヴァンスの再来と謳われた父、ガルディア・エルヴァンス。そして召喚の巫女の血統を引く由緒正しき姫であった母、ヘルナ・エルヴァンス。その二人の間に生まれた私、リーナ・エルヴァンスは一人娘であったこともあって、周囲からの期待を一身に受けて育った。
幼いころの私は、幸福に満たされていた。母も父も優しくて、みんな暖かくて。春風に包まれているようだった。そのころの屋敷は光でいっぱいで、使用人たちもいつも笑っていたことを覚えている。しかし、春はすぐに終わってしまう。砂上の楼閣が崩れ落ちるように、幸せの砂はさらさらと私の手からこぼれおちていった。
「お母様……!! ねえ、お母様起きてよ!!」
「リーナ! やめなさい……」
始まりは四歳の春だった。もともと体が丈夫でなかった母は、肺を患うと朝露が消えるようにして死んでしまった。薬の匂いが染みついたシーツの上で、徐々に徐々に刺されている管が増えていき、周りを取り囲む機械が増えていき。最後はその山の中に埋もれるようにして、酷くあっけなく息を引き取ってしまった。穏やかで満ち足りたその死に顔は、今にも息を吹き返して「どうしたの? そんな顔して」などと声をかけてくれそうなほどだった。
しかしそんなことはなく、月日は流れていった。それからというもの、父は額にしわを寄せて過ごしていた。もともと細く鋭かった眼をさらに細め、母の面影を捜すように度のきつい眼鏡をかけて。埃にまみれながら本を読みふけっていたと思ったら、今度は得体の知れぬ連中を引き連れてふらりと屋敷から居なくなってしまう。厳格ながらも優しかった父は、私にとって理解できない異質な何かとなってしまった。
そんな父は、私のことなどすっかり忘れてしまったようであった。使用人たちも時々荒れるようになった父の機嫌を伺うのが精一杯で、幼い私のことなど構わなくなっていた。良い意味でも悪い意味でも、その頃の私は世話の掛からない子供だったのだ。
いつの間にか、勉強と習い事以外の時間はもっぱら部屋の中で空想にふけるようになった私。そんな私に興味を持ってくれたのは、新入りのメイドアルトだけだった。田舎育ちで都会に興味津津だった彼女は、私のするくだらない話をよく聞いてくれた。たまにおやつのクッキーを分けてあげると、それを口いっぱいに頬張りながら、小麦色でそばかすの少し目立つ顔――それでも健康的で、他のメイドたちよりずっと愛らしかった――をほころばせてくれたものだった。
そんな私のことをある日突然、屋敷の人間は意識し始めた。いや、意識せざるを負えなくなった。
「ま、魔力反応なし……!? そんなことが……」
「間違いだ! 別の測定球を用意しろ!!」
「は、はい!!」
忘れもしない、よく晴れた空月の十三日。私の魔力測定は何度も何度も、父の執念を物語るように執拗に行われた。けれど、何度測定しても同じ。どんな精密機器を用いても同じ。魔力反応ゼロ。私の身体は世界屈指の魔術師の家系に生まれたにもかかわらず、およそ魔力というものを寄せ付けない奇妙で狂った体質であることが判明しただけだった。
無視されていた私は、その日から差別される存在へとなり下がった。父は私が怪我をしようが病気をしようが一切無関心を貫き、何も言わなくなった。むしろ、私を見るたびに口では何も言わないが、酷く失望したような顔をした。使用人たちは私のことを呪われた子供だといい始め、少しずつ避けるようになっていった。やがて他家に対する体面を気にした侍従長の手で、私の部屋は日当たりの悪い物置き同然の部屋へと移され、父はそれを黙認した。
そんな折だった。アルトが私から離れていったのは。
「リーナ様、その……ごめんなさい!」
「どうしたの?」
「侍従長がリーナ様の部屋にはあまり近づくなって……」
「え?」
「ちょっとの間、お部屋に来られなくなるんです……。でも、しばらくしたらまた来ますから!」
そう言い残して、アルトは足早に部屋を飛び出した。声をかける暇すらなかった。あっという間に扉の向こうへと消えた小さな背中。彼女を見たのは、それが最後であった。その日以来、私の部屋にはほとんど誰も寄り付かなくなってしまっている。せいぜい、投げやりな態度の御用聞きのメイドがやってくるだけだ。もう、部屋の中でまともな会話すらなされることはない……。
アルトが居なくなって、数カ月後。もうこれ以上落ちることはないと思っていた私のもとに、あの女が現れた。考えるだけでも心が焼けつくようなあの女が、とうとう屋敷にやってきたのだ――。
「今日からお前の妹になるアリスだ。仲良くしてやれ」
「よろしくね、アリスちゃん」
「よろしく」
危ういほどの美しさを持つ少女だと私は思った。私自身も母譲りでそれなりの容姿を自負しているが、そんなものは比ではない。最高の職人によって創り上げられた、完成された美。アリスはそんな印象すら与えるほど、整った顔立ちをしていた。鼻梁は高く理想的な曲線を描き、白磁の頬は柔らかな桜色に染まっている。豊かな金髪は風に流れて、蒼い瞳は清新な光を湛えていた。
しかし、そんな完璧な顔が浮かべている表情は無だった。表情に乏しいというより、完全にないのだ。最近の機械仕掛けは恐ろしいほど高度だと言われる。いっそ、彼女は人間ではなく機械技術の産物だと言われた方が、しっくりくるほどだった。人工的で、完全なはずなのにどこか不完全。酷くいびつな印象を、私はその少女に抱いた。
アリスが現れて以降、屋敷は光を取り戻した。かつて私や母を中心にして回っていた屋敷は、今度はアリスを中心に回り始めたのだ。始めはコミュニケーションすらままならぬほど無口で無表情だった彼女も、急激に人間らしくなっていった。が、それと同時に傲慢にもなっていった。
父をも超える莫大な魔力容量。それを扱うための天性の才。天に二物も三物も与えられた彼女は、次第に自我を増大させていった。周囲の人間もそれに同調し、彼女をほめそやした。そうして肥大化した自我を彼女は、容赦することなく屋敷で最も劣った存在――魔法が使えない私――に向け始めたのだ。
「イタッ! 何をしますの!?」
ある日のこと。廊下の真ん中を歩いていたはずのアリスが、すれ違いざまに肩をぶつけてきた。足を見ると、どう見ても角度が不自然だ。廊下を歩くのに真横に足を出す人間などいるだろうか。しかし、アリスがわざとらしく肩をさすると同時に取り巻きのメイドたちが睨みつけてくる。仕方なく、私は頭を下げた。
「ごめんなさい……」
「お姉さまはできるだけ廊下の端を歩くべきですわ。あなたみたいな人が目立つ必要はありませんことよ」
「これから気を付けるわ」
「せいぜいそうしてくださいな。ふん、できることなら家から出てって欲しいぐらいだわ」
同調するようにメイドたちは笑った。彼女たちはわざわざ私に聞こえるように大声で噂話に興じ始める。痩せたメイド曰く「リーナ様は本当に行儀がなってない」。太ったメイド曰く「ヘルナ様の娘とは思えませんわ。あの無能様」。私はひたすら耳を押さえながら、その言葉に耐えるしかなかった。
屋敷の中は私にとってまさに地獄に等しいような状況だった。しかし、そんな私も今年で十二歳になる。あと三四年もすれば、適当な下級貴族とでも政略結婚させられるだろう。幸い、容姿だけは母譲りで悪くない。体も年相応以上に育っている。選り好みしなければ『引き取り手』はいるはずだ。
こうして何年か後に少しはマシになるであろう状況に思いをはせながら、ひたすら屋敷の端で報われないかもしれない修練を続けていたのだが……父はそれすら嫌だったようだ。
「用件は済んだ。さっさと出て行け」
「父さん、私は家の片隅においてさえくれれば……」
「黙れ! お前がいなくなればすべてうまくいくのだ……」
堅いブーツが鳩尾を貫いた。血の味が口に滲んでくる。魔法が使えないから、自身に力が無いから――こんな目に合わなければならないのか。私だって何もしなかったわけじゃない。寝ることすら忘れて魔法書を読み漁り、知識を詰め込んだ。全身が血まみれになるほど修練に励み、女の身でありながら軍人にも負けないほど身体を鍛え上げた時期もあったのだ。
魔法が使えない、それだけでそれらはすべて否定されるのか。灰色の水が心の中を溢れていく。全身が黒に呑まれ、胸が息苦しくなってくる。どうして、何故。思念が無数に重なり合って私の心を膨らませてゆく。どうして、何故。心が軋みを上げてゆく。肥大した負の感情はこのまま私の胸を突き破り、外へと飛び出してしまいそうだ。精神的な苦しさが物理的な苦しさにまで昇華され、意識が不明確になってくる。
たまらず私は部屋を飛び出した。すると廊下で、たまたまアリスとすれ違う。煌びやかなドレスを着て、侍女を付き従える彼女の姿は自信に満ちていた。彼女は私の姿を見つけるや否や、扇で口を押さえながら眼をわざとらしくそらす。……相変わらず、嫌味な女だ。私は激しく顔をしかめてしまう。
「あら、どうしましたのお姉さま? そんな恐い顔をなさって」
「なんでもない……」
「何でもなくはないでしょう? ああ、なるほど。ついにお屋敷を追い出されることになったんですね。それでそんな恐い顔をなさってる」
「なんで、それを知ってる?」
私は思わずアリスを睨みつけた。視線を向けられた彼女は芝居がかった大仰な動作で後ろにのけぞると、口に手を当てて笑う。
「私が遠まわしにお父様に頼みましたの。あなたみたいな人がいると目障りだって」
「お前ぇ!!!!」
手を伸ばさずには居られなかった。細い首に手を回し、一気に力を込める。流石のアリスも私がここまでするとは思っていなかったのか、すぐには反応出来なかった。蒼い瞳が見開かれ、口元が歪む。その次の瞬間――。
「……イージス……!!」
現れた半透明の壁。それに弾かれた私の身体は軽々と宙を飛んだ。細い身体はそのままくたびれた布切れのように壁へ張り付く。全身を激痛が包む。骨が何本か折れたようだ。手足がしびれてしまって、動かない。
これが魔法の力、アリスと私を隔てるモノ。思わず絶望を感じずには居られなかった。この力が私にはない。この絶大な力が、私には一切存在しない――
「目障りですわ。さっさとエルガの森でもどこにでも行ってしまいなさいな。そして二度と私の前に現れないで」
アリスは私を一瞥すると、廊下の端へと消えていった。この五日後、私は生きては帰れぬとされるエルガの森へと捨てられた。




