みんなと迎えた新しい一年!
冬休みも折り返しに差しかかった、ある夜のこと。
スマートフォンの画面が明るく灯り、聞き慣れた通知音が立て続けに鳴った。覗き込むと、紬葵ちゃんを筆頭にしたグループトークが、いつもより早い時間から賑わいを見せている。
『ねぇ、みんなで初詣行かない?』
紬葵ちゃんらしい、思い立ったが吉日といった提案だった。続けて、可愛らしいスタンプが立て続けに送られてくる。
『初詣! いいね! 茉子、絶対行きたい!』
『日程さえ合えば、私も構わないけど』
藍ちゃんの冷静な返信のあとに、少し遅れて短い一言が届く。
『……行く』
瑛良ちゃんらしい、飾り気のない返事だった。私は口元を緩めて、キーボードをタップする。
『私も行きたい!』
そこから五人での日程調整が始まった。誰かが候補日を出し、誰かがそれに反応し、誰かが用事を理由に少しだけずらす。他愛のないやり取りが積み重なって、やがて一月上旬のある日に集合することが決まった。
『じゃあ、その日にみんなで集合ね!』
『了解!』
『了解した』
『……分かった』
最後に私が『楽しみにしてるね!』と打ち込むと、紬葵ちゃんから締めくくりのメッセージが届いた。
『それじゃ、みんな良いお年をー!』
画面いっぱいに広がる賑やかなスタンプの群れ。私はその一つひとつに目を通し、来年もまた、この五人で笑い合えることを密かに嬉しく思っていた。
◇
大晦日の夜。
我が家のリビングには、出汁の優しい香りが漂っていた。
「杏奈ちゃん、年越し蕎麦できたよ〜」
湯気の立つ器を運んできたパパが、いつものふわふわとした笑顔で私の前に椀を置く。
「今年も一年、ありがとうね」
エプロン姿のママが、私の隣に腰を下ろし、優しく目を細めた。
「ママも、パパも。今年はいろいろあったけど……すごく楽しい一年だった」
「編入した時は、あんなに緊張してたのにね」
ママが懐かしそうに笑う。
「あの時は本当に、毎日必死だったな~……」
そう答え、私は蕎麦を一口すすった。細い麺と出汁の温かさが、身体の芯までじんわりと染み渡っていく。
窓の外では、遠くの寺から届く除夜の鐘の音が、夜の静けさにゆっくりと溶けていた。一つ、また一つと数えるたびに、今年一年の出来事が、走馬灯のように胸を過ぎっていく。
天ノ川女学院への編入。慣れない日々。少しずつ増えていった、大切な友人たち。そして、まだ自分でもうまく言葉にできない、あの人たちへの気持ち。
(来年は、どんな一年になるんだろう)
除夜の鐘が最後の一つを鳴らし終える頃、私のスマートフォンが、小さく震えた。
◇
日付が変わった瞬間、グループトークが一気に息を吹き返した。
『あけましておめでとう〜!!』
紬葵ちゃんの明るい第一声を皮切りに、次々とメッセージが積み重なっていく。
『明けましておめでとう! 今年もよろしくね』
『あけおめ〜!今年も茉子と仲良くしてね!』
『……あけましておめでとう』
瑛良ちゃんの一言にまで、今年は少しだけ丸みがあるように感じられて、私はつい笑ってしまった。
『みんな、明けましておめでと~~!今年もよろしくね!』
そう打ち込んで送信すると、しばらくの間、賑やかなやり取りが続いた。それも少しずつ落ち着き始めた頃。
画面に、見慣れた名前が新しく表示された。
『天ノ川さら』
『梅沢さん、明けましておめでとう。今年もどうぞよろしくね』
たった数行のメッセージ。それなのに、丁寧に選ばれたであろう言葉の一つひとつから、彼女らしい気品が滲んでいるようだった。私はしばらくその文字を見つめたあと、返事を打ち込む指先に、いつもより少しだけ力がこもるのを感じていた。
◇
約束の日。一月上旬にしては珍しく、雲一つない青空が広がっていた。
待ち合わせの神社は、古くから地元の人々に親しまれてきた由緒ある社だった。長い参道の両脇には、まだ正月飾りが残る店先が並び、甘酒の湯気と、焼き団子の香ばしい匂いが冬の冷えた空気に溶けている。
鳥居の近くに着くと、すでに二つの人影があった。
「うめめー!」
軽やかな声とともに手を振ったのは、紬葵ちゃんだった。
私は言葉を失った。若緑色の地に、小さな椿の花が咲き乱れる振袖。帯には、繊細な金糸の刺繍が施されている。いつものギャルらしい華やかさとはまた違う、しっとりとした大和撫子の美しさが、そこにはあった。
「つ、つむつむ、すごく綺麗……!」
「えへへ、ありがと!実家の反物、使わせてもらったんだ」
紬葵ちゃんは頬を染めてはにかむと、くるりとその場でまわってみせる。着物の裾がふわりと揺れ、椿の花模様が朝日を受けて艶やかに輝いた。
その隣で、静かに佇んでいたのは瑛良ちゃんだった。深い藍色のコートを纏い、いつも通り無駄のない立ち姿で、手にした文庫本を静かに閉じる。
「ごめん、待った?」
「……待ってない。ちょうど今来たところ」
瑛良ちゃんは小さく頷くと、ちらりと紬葵ちゃんへ視線をやった。
「……紬葵、目立ってる」
「え、あっきーってば褒めてる?」
「……悪くない、とは言った」
素っ気ない言葉の中に覗く、確かな肯定。紬葵ちゃんは満足そうに笑った。
しばらくして、藍ちゃんと茉子ちゃんも合流する。
「梅沢さん、みんな。明けましておめでとう」
「梅沢ちゃん!つむつむ!瑛良ちゃん!今年もよろしくねー!」
いつものメンバーが揃うと、それだけで賑やかな空気が生まれる。私たちは連れ立って、参道を歩き始めた。
◇
手水舎で身を清め、長い石段をのぼる。参拝客の列に並んで、私はふと隣を歩く紬葵ちゃんへ目を向けた。
「そういえば、着物での初詣って初めて?」
「ううん、毎年着てるよ。うちの家業だし、これくらいは」
「似合ってるよ!すごく!」
素直な感想を口にすると、紬葵ちゃんは一瞬だけ驚いたように目を丸くし、それからくすぐったそうに目を細めた。
「もう、うめめってば。……ねえ、今年一年、よろしくね」
差し出された小指に、私はそっと自分の小指を絡めた。誰に見られているわけでもないのに、その些細な仕草だけで、心がふっと軽くなる。
「うん。よろしく、つむつむ」
参道を進む足取りが、いつもより少しだけ弾んでいた。
一方、少し先を歩いていた瑛良ちゃんが、ふと足を止めて振り返る。
「杏奈」
「ん?」
「……手、冷たそう」
ぶっきらぼうに呟くと、瑛良ちゃんはコートのポケットから小さな懐炉を取り出し、私の手のひらへそっと押し付けた。
「わ、あったかい……。ありがとう」
「……大したことじゃない」
顔を背けたままの瑛良ちゃんの耳が、寒さのせいだけではなさそうな色に染まっている。私は懐炉を握りしめたまま、その横顔をそっと見つめた。
(瑛良ちゃんって、本当は誰よりも気配り上手なんだよな)
石段を上りきる頃には、懐炉の温もりよりも、胸の内側の方がずっと温かくなっていた。
◇
拝殿での参拝を終え、おみくじを引くか引かないかで盛り上がる、そんな時だった。
「あ……」
茉子ちゃんが、参道の先へ視線を向けたまま声を漏らす。つられて振り返ると、そこには小さな人だかりができていた。
人垣の中心にいたのは、四人の見覚えのある姿。
深紅の華やかな着物姿のさら会長、上品な白藤色の着物を着た海寧先輩、淡い桜色の着物に身を包んださゆり先輩。そして、着物姿の三人とは対照的に、洗練されたロングコートを羽織った紫苑先輩。
すれ違う参拝客たちが、思わず足を止めて見惚れるほどの華やかさだった。
「あら」
先に気づいたさら会長が、優雅に手を振る。
「梅沢さんたちも初詣に?」
「は、はい! ごきげんよう、会長」
「ごきげんよう」
海寧先輩が短く応じ、さゆり先輩が柔らかく微笑む。
「奇遇ね。みんなで来ていたのね」
「やあ、これはこれは。賑やかなところに出くわしたな」
紫苑先輩が芝居がかった仕草で軽く一礼すると、その場の空気が一気に華やいだ。
「せっかくだから、みんなで恋みくじでも引きましょうか」
さら会長の提案に、誰も異を唱える者はいなかった。
◇
授与所に並び、それぞれが恋みくじを引いていく。
薄い和紙を開く音が、次々と重なった。
「フン、大吉、か。悪くない」
海寧先輩が、静かにその文字を見つめる。
『大吉
迷いなく前へ進む者に、天は微笑む。己の心に正直であれば、求める縁は自ずと近づいてくるだろう。これまで押し殺してきた想いこそが、あなたを次の場所へ導く力となる。』
海寧先輩の頬が、ほんのわずかに色づいたのを、私は見逃さなかった。
「あら、私も大吉よ」
さら会長が、嬉しそうにおみくじを掲げる。
『大吉
あなたの周りには、すでに大切な縁が集まっている。その中の一つに、まだ気づいていない特別な絆が眠っているだろう。飾らぬ心で向き合えば、思いがけない幸福が訪れる。』
「ふふ、幸先が良いわね」
会長は意味深に微笑むと、ちらりと私へ視線を送った。
「……中吉」
瑛良ちゃんが淡々と読み上げる。
『中吉
静かに積み重ねてきたものは、いつか必ず誰かの目に留まる。急がず、焦らず。真心はゆっくりと相手に届くものだ。』
「わ、私も中吉!」
紬葵ちゃんが、瑛良ちゃんと自分のおみくじを見比べ、嬉しそうに頬を緩めた。
『中吉
飾らぬ自分をさらけ出す勇気が、良き縁を引き寄せる。二つの顔を持つあなただからこそ、誰かの心にまっすぐ届くだろう。』
「小吉、か。う~ん、まあ悪くはないのかな?」
さゆり先輩が、穏やかな表情のまま呟く。
『小吉
人を思いやる心はあなたの財産。時にはその心を、自分自身にも向けてみよ。』
「ボクも小吉だな」
紫苑先輩が、肩をすくめてみせる。
『小吉
仮面を脱いだ素顔にこそ、誰かを惹きつける魅力が宿る。』
「私も、小吉」
藍ちゃんが小さく息を吐く。
『小吉
真面目さは美徳なれど、時には流れに身を任せることも縁を呼ぶ。』
「え〜、茉子は末吉だー!」
茉子ちゃんが唇を尖らせつつも、すぐに気を取り直したように表情を明るくした。
『末吉
賑やかな心の裏に、ふと寂しさを抱くこともあるだろう。焦らずとも、あなたの明るさに惹かれる者は必ず現れる。』
そして、最後に残ったのは私だった。
薄い和紙をそっと開くと、そこに書かれていた衝撃的な文字に、私は固まった。
「え、きょ、凶……!?そ、そんな~~~~!!」
「あらら」
茉子ちゃんが同情するような声を漏らす。
その下に続く文言を読んだ瞬間、不思議と胸のざわつきは静まっていった。
『凶
迷いの多き道こそ、汝の心を試す試練なり。されど、己の気持ちとちゃんと向き合えば、自ずと良き縁に恵まれるだろう。凶と出ても嘆くことなかれ、これは始まりの合図である。』
「……始まりの合図、か」
小さく声に出して読み上げると、なぜだか少しだけ、勇気が湧いてくるような気がした。
「梅沢さんらしいわね。凶から始まるからこそ、その先が楽しみになる。……そうは思わない?」
会長のその優しいその言葉に、なぜか私は素直に頷くことができた。
◇
賑やかな時間はあっという間に過ぎ、日が傾き始めた頃、それぞれ帰路につくことになった。
「うめめ、また連絡するね!」
「今日はありがとう、瑛良ちゃんも」
「……うん」
紬葵ちゃんと瑛良ちゃん、藍ちゃんと茉子ちゃんが、賑やかに手を振り去っていく。その背中を見送っていると、ふと隣に、さら会長が残っていることに気づいた。
「梅沢さん、少しだけいいかしら」
参道を外れた、人通りの少ない一角。夕暮れの光が、朱色の鳥居を淡く照らしている。
「今年一年、あなたのおかげで、たくさんの『初めて』を知ることができたわ」
会長は、凛とした穏やかな声で続けた。
「プリクラも、クレープの食べ歩きも、他にもあなたと経験した全て……、あなたがいなければ知らなかった」
「そんな、私は何も……」
「ううん」
会長は静かに首を振ると、私の手をそっと取った。
「あなたが隣にいてくれるだけで、私の世界は少しずつ色を変えていくの。……今年も、よろしくね」
夕焼けに染まる横顔は、いつもの余裕に満ちた微笑みの奥に、確かな温かさを滲ませていた。
「はい。……こちらこそ、よろしくお願いします」
私がそう返すと、会長は満足そうに目を細め、軽やかな足取りで参道の向こうへ消えていった。
◇
「梅沢」
「海寧先輩……!」
「同じ方向だろう。帰るか?」
「へへ、私もお声かけしようと思ってました」
海寧先輩はどこか面映ゆそうな様子ながらも、特に気負う様子もなく歩き出す。私は慌ててその隣に並んだ。
夕暮れの参道を抜け、住宅街へと続く道を、二人並んで歩いていく。
「今日は、その……楽しかったな」
海寧先輩がぽつりと呟く。
「みんなで恋みくじを引いたのなんて、初めてだ」
「私もです。海寧先輩の大吉、すごく嬉しそうでしたね」
「……な、何を言っている。気のせいだ、気のせい」
海寧先輩は気まずそうに視線を逸らす。その仕草が、いつもの凛とした佇まいとは違って、なんだか年相応で可愛らしく見えた。
「梅沢の凶みくじも、悪くない結び方だったな」
「え?」
「始まりの合図、というやつだ。お前らしい」
海寧先輩は前を向いたまま、そう続けた。夕陽に照らされたその横顔には、いつもの厳しさとは違う柔らかな色が浮かんでいる。
「あの、海寧先輩」
「なんだ」
「よければ、連絡先……交換してもらえませんか」
思い切ってそう切り出すと、海寧先輩は一瞬だけ足を止めた。
「それは……構わんが」
「なんだか、これまで言うタイミングがなくて」
正直にそう答えると、海寧先輩は小さく息を吐き、それからスマートフォンを取り出した。
「ほら、こっちに向けろ」
差し出された画面には、いつになく丁寧な操作の跡があった。二人分の連絡先が交わる、小さな電子音。
「これで、何かあればすぐに連絡できるな」
海寧先輩の声には、隠しきれない微かな嬉しさが宿っていた。
やがて、私の家の前まで辿り着く。
「送っていただいて、ありがとうございました」
「礼を言われるほどのことでもない」
海寧先輩はそう返したものの、その場をなかなか立ち去ろうとしなかった。
「今年も、色々と世話になると思う。よろしく頼む」
「はい! こちらこそ、よろしくお願いします!」
私が笑顔で答えると海寧先輩はふっと目元を緩め、小さく頷いた。
「では、な」
踵を返すと、夕暮れの道を歩いていく海寧先輩の背中を、私はしばらく見送っていた。
ポケットの中のスマートフォンには、たった今交わしたばかりの新しい連絡先が一つ。
その小さな灯りを握りしめて、私は玄関の扉を開けた。
(今年も、きっと素敵な一年になる)
凶から始まった、この一年の物語が、これからどんな色に染まっていくのか。まだ誰も知らない。
だけど、胸の奥に灯る小さな温かさだけは、確かな予感を私に教えてくれていた。




