12 懐匂
「雪斗今日も休みだって」
陽向がスマホを見ながら言う。
「結構長引いてるね」
紅葉が少し心配そうに眉を寄せる。
「ここ最近、急に暑くなったり涼しくなったり、気温の変化激しかったしねぇ」
「たるんでるんだろ(笑)まぁ今はそんなに熱もないみたいだし、大丈夫っしょ!」
「そうだといいですけど……」
「……あ、そうだ」
渚が思い出したように言う。
「これ、保護者会のプリント。昨日先生に言われてて、雪斗の家に届けないとなんだよね」
「あー言われてたね。家近いから持っていってくれって」
言った側から、首を傾げる紅葉。
「ん?昨日言われて……なんで今それ持ってるの?」
「いやぁ…その〜………」
一瞬の間。
「……えへっ♡昨日の帰り、急いでて忘れてた♡」
渚の言葉に呆れる三人。
「私だけだとまた忘れるかもしれないし、放課後みんなで行かない?」
(雪斗くんの家………!?)
「みんなで行くのってどうなの?」
「まぁ、プリント渡すだけだし、いいんじゃね?そこまで酷いわけでもなさそうだし」
「……あの!えっと……私も行っていいですか?」
遅れてこはるが言う。
「もちろん!それじゃみんなで行こうか!」
⸻
ピンポーン
「はいはーい」
……!!
こはるの心臓が大きく跳ね上がった。
玄関の扉が開く。
「あら、いらっしゃい」
「おばさん!先生から頼まれて、保護者会のプリント持ってきました!」
(お母さんの……声だ………)
こはるの目に涙が溜まっていく。
みんなにバレないよう、サッと涙を拭った。
「あら、ありがとう」
「雪斗、体調は大丈夫ですか?」
「もうだいぶ落ち着いているわ。でも今は部屋で寝てるみたいね」
「そっか」
「わざわざありがとう。暑かったでしょう?せっかくだし、上がってお茶でも飲んでいきなさい」
「え、いいんですか?」
「もちろんよ」
⸻
リビング。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
カラン………
氷の溶ける音が心地いい。
そして……落ち着く匂い。
「……」
(……懐かしい………)
閉じていた目を開き、周囲をゆっくりと見渡した。
軽く紅葉とこはるの自己紹介をした後、陽向が雪斗の母親に尋ねた。
「そういえば……俺はよく来てますけど、渚が来るの久しぶりじゃないですか?」
「昔はあんなによく来てたのにね」
「いや……なんか思春期?と言うか……なんか恥ずかしくなっちゃって……」
「そんな柄じゃないのにね」
紅葉がツッコミ、くすりと笑う母親。
「いつでも来ていいのよ」
「いいんですか!?」
みんなの会話が盛り上がる。
こはるは、その輪から少しだけ離れた。
部屋の空気。
匂い。
音。
すべてが懐かしい。
(…………)
でも、
胸の奥が、少しだけ苦しくなる。
視線が部屋の隅に置いてある棚に向いた。
「……」
棚の上の一枚の写真。
そこに写っていたのは――
小さな、うさぎ。
――ドクン
ゆっくりと近づく。
――――ドクン
心臓の鼓動がだんだん大きくなっていく。
その時……
「その子ね、」
「!?」
急な声にびっくりするこはる。
後ろには、雪斗の母親が優しく笑っていた。
「はるちゃんっていうの」
「昔、飼っていたうさぎさんなのよ」
――キュッ
胸が締め付けられた。
「……そうなんですか……」
こはるの指先が、ほんの少しだけ震える。
⸻
「うさぎさんのこと……最初はね、全然分からなくて」
母親は、懐かしそうに話し始めた。
「おうちに来て最初の頃かしら」
「ケージの外に出したら、急にぴょんぴょん跳ね始めて」
「足元のマットが気持ち悪いのかな?とか、何かが嫌なのかなってびっくりしちゃって、すぐケージに戻しちゃったのよ」
「あとで知ったんだけど、うさぎさんって、嬉しいときにジャンプするのよ」
「外に出れたー!わーい!って、はるちゃんは言っていたのに、すぐにおうちに戻しちゃって……可哀想なことしちゃったこともあるのよ(笑)」
「……」
こはるは、静かにその話を聞いていた。
(……あの時のことだ……)
ふと、写真の隣に目がいく。
小さな皿。
そこに乗っているのは、
大好物のパインとバナナのチップス。
こはるの視線が止まる。
「それ……」
少しだけ迷って、
「嬉しいときに、ぴょんぴょん跳ぶやつ……ビンキーって言うんですよね」
「ええ、そうなのよ。こはるちゃん、よく知ってるわね」
母親が微笑む。
ほんの一瞬の間。
「急に広いところに出られたから、嬉しくて……」
――はっとする。
「……あ」
言葉が途切れる。
「えっと……その……!」
一瞬迷って、
「私も昔、うさぎ飼ってて……その……似たようなことが、あって……!」
言ってから、しまったと思った。
「……あれ?」
いつの間にか、すぐ後ろにいた紅葉がぽつりと呟く。
「こはる、うさぎ飼ったことないって言ってなかった?」
「えっ!?」
こはるは慌てて顔を上げる。
「いや、その……!」
「いとこの家で飼ってて……少しだけ……一緒にお世話とかしたことがあって……!」
自分でも、言い訳が雑だと分かる。
「へぇ〜」
紅葉は、じっとこはるを見る。
「だから、そんなに詳しいんだ」
そう言いながら、紅葉も写真を眺めていた。
「うさぎさんがおうちにいるって珍しいからね、こう言う話ができて私も嬉しいわ」
母親が優しく返す。
けれど、その視線が少しだけ残る。
「久しぶりにはるちゃんの話をしたからかしら……」
ふっと笑う。
「なんだか……とても懐かしい感じがする」
そう言って、写真に指をそっと添える母親。
⸻
帰り際。
「今日はありがとうね」
「いえ!」
「雪斗にも伝えておくわね」
「うん」
「こはるちゃんも、紅葉ちゃんも。またいつでもいらっしゃいね」
「「はい」」
⸻
玄関の扉が閉まる。
静かな部屋。
後ろから足音。
「……母さん」
雪斗が少しだけ顔を出す。
「起きてきて大丈夫なの?」
「飲み物飲んみに来ただけ」
「わざわざ来たんだ……大丈夫だって言ったのに」
「そう言わないの。プリント持ってきてくれたんだから。あとでちゃんとお礼するのよ?」
「……わかってるよ」
それだけ言って、またゆっくりと階段を上がっていく。
⸻
母親は、ふと振り返る。
棚の上。
写真の中のうさぎ。
「……はるちゃん」
くすりと笑う。
「……本当に、懐かしいわね」
⸻
帰り道。
夕方の空。
こはるは、少しだけ俯く。
(……)
「……もう」
「……5月、か」
少しだけ、目を伏せる。
「……あっという間……だなぁ」
握った手に、無意識に力が入っていた。




