人間と竜人
竜人の里は、アグニたち人間が住む地域から、西に深い谷を越えた先にある。
アグニとヴェルが共に過ごすいつもの川が、山を下るにつれて地形を削り、長い年月をかけて深い峡谷を形成している。
昔、竜人たちがこの峡谷を渡り、たびたび人間の領土に侵入しては資源などを略奪していたが、途中からこの関係は、山の民が増えて力をつけたことにより逆転する。
ついに峡谷に橋をかけた山の民たちは、竜人らを一時は殲滅寸前まで追い詰めるも、追い詰められた竜人たちの猛反撃を受け、彼らを根絶やしにする前に甚大な被害を被ることになる。
疲れ果てた双方は、これ以上の戦いは不毛であると判断し、お互いに不可侵の盟約を結んだ。
竜人は人間たちに持っている武器のすべてを引き渡し(それでも彼らは素手でも十分人間と渡り合えたが)、人間側は峡谷にかけた橋を焼き落として、竜人の縄張りに侵入しないことを約束した。
それ以来、人間と竜人は、表面上は平穏な関係を維持してきた。悪く言えば、彼らは互いに国交をほぼ閉ざし、互いの存在を無視するように過ごしてきた。仲直りをしようにも、双方が受けた傷と際限なく増えた憎悪は、あまりにも深すぎた。だから、彼らは時がすべてを洗い流すのに、時の流れに身を任せるほかなかったのである。
しかし、今やドレークの里の主は入れ替わり、人間との盟約は、元の持ち主らの存在と共に、いずこかへと葬られた。なぜ勇猛果敢な竜人が、弱い人間たちと盟約を結んだかを知らぬまま…………
「族長! 族長! 一大事だ!」
「何事だ」
昼をやや過ぎたころ、里で一番大きな館で、数人の竜人が昼間から酒を飲み交わしていたところに、一人の深緑の鱗の竜人が大騒ぎで駆けつけてきた。
族長と呼ばれたのは、一際体格の大きな紅蓮の鱗の竜人だ。体はまるで鎧のような筋肉に覆われていて、金色に輝く瞳は凶悪そのもの。
族長は、せっかく陽気に酒を飲んでいたところだったので、やや不機嫌そうに、濁り酒の入った器を床に置くと、その場で胡坐をかいたまま報告を聞くことにした。
「昨日、北の方の人間を襲いに行った連中の一人が……酷い姿になってもどって来やしたんで!」
「なにぃ?」
「おい、ウェルジュ、いったいどういうことだ」
「まさか奴ら、人間如きにやられたのか」
族長の周囲にいた竜人たちは、ウェルジュと呼ばれた竜人の言葉に眉を顰めた。
もし彼の報告が本当であれば、由々しき事態であることは間違いない。だが、それでも竜人たちは、彼の報告に対し半信半疑だった。
このような連中であろうと、竜人は基本的に嘘をつくのは不名誉だという矜持がある。ウェルジュが嘘をついているとは思えないが、それ以上に仲間が人間にやられたという事態の方が、より信じられなかった。
族長と、その取り巻きたちが里の入口に向かうと、そこにはすでに大勢の竜人たちが、動揺した様子で集まっているのが見えた。
「族長が来たぞ!」
「族長、見てくだせぇ! この酷いありさまを!」
「なんだなんだ。若いやつらが人間にやられたのか、だらしがね――――」
ひどい状態と聞いて、てっきり怪我でも負ってきたか程度に思っていた族長たちだったが、「それ」を見た瞬間、彼らは一瞬で言葉に詰まった。
襲撃に行ったはずの若い竜人が、まるでぼろ雑巾のようにその場に横たわり、無残な表情で涙を流していた。
まず目につくのが、踵の深い刺し傷。一応止血はされているが、包帯は血液で赤黒く染まっており、
一歩歩くだけでも激痛に苛まれるだろう。むしろ、ここまでよく自力で歩いて戻ってこれたと、逆に称賛してしまうほどだ。体全体には、低温やけどで出来た水膨れがびっしりと鱗の表面に現れ、一部では鱗が剥げ掛けている。
「オ゛……ッ、オ゛ア゛ッ…………ァ゛」
重症の竜人が発した声――――いや、呻きが、彼らの背筋を凍らせる。
なんということか、この竜人は、喋れないように煤か何かを無理やり飲まされ、喉を潰されていたのだ!
「む、息子よ! しっかりしろ! どうして……どうしてこのような目に……! おおお……」
彼の父親は、変わり果てた息子の姿を目にし、大いに涙した。
あまりの惨さに、誰もが口を開くことができなかった。やった相手は間違いなく人間なのだろう。だが、勇猛果敢にして最強を誇る竜人に対し、このような形で挑戦状を突き付けてきた…………怒りよりも恐怖が勝るのは、竜人たちにとって初めての経験だった。
「おい、そいつをそこに寝かせろ」
「え…………」
何を思ったか、族長は父親に息子を地面の上に敷いた筵に横たわらせた。いったい何をする気なのかわからぬまま、苦しむ息子を仰向けに寝かせる父親。すると――――
「オアアァッ!!」
叫び声と共に、長柄の戦斧が勢いよく振り下ろされ、重傷の竜人の体を真っ二つにした。
大量の血が爆発したように飛び散り、族長を含む周囲の竜人たちに降りかかる。一瞬何が起きたのかわからなかった父親だったが、我に返るとすぐに族長に食って掛かった。
「族長!? なぜ俺の息子を殺した!?」
「……人間相手にここまでコケにされるような弱い奴は、この部族には不要だ。竜人に生まれたからには、強さのために生き、名誉のために死ぬのだ! そうだろうお前ら!」
「そ……そうだ! 族長の言うとおりだ!」
「人間どもに、竜人を侮辱したことを後悔させてやるぞ!」
族長は無慈悲にも瀕死の若い竜人にとどめを刺すと、逆に力強い言葉で部族の戦士たちの戦意を煽った。どうやら彼は、ただ強いだけでなく、リーダーとしての駆け引きも心得ているようだった。
息子を殺された父親は「ぐっ……」と悔しそうに俯くが、それ以上の行動は起こせない。竜人には竜人の風習や常識がある。彼らにとって、仲間の命とはその程度のものなのかもしれない。
「よーし! ザガン、いるか!」
「おう族長、呼んだか」
族長に呼ばれ、ザガンという名のやや薄い青の鱗の竜人が前に出た。
族長ほどではないが、全身が筋肉でできているかのような大男で、片手には顔の二倍はあろうかという巨大な斧を握っている。
「人間たちに借りを返してこい」
「合点だ! 明日朝一番で若い衆10人連れて行ってくる! 奴らがどれほど大勢いるのかは知らねぇが、全員血祭りにあげてやるぜ!」
「ふっ、若い衆と違って頼もしいな。それと、奴らを探すのも忘れるなよ」
「おうよ!」
竜人の戦士たちは、再びアグニの里を襲うつもりのようだ。
だが、その動きは全て、ある人物に監視されていた…………
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「なるほど、明日来るのね。10人って言ってたけれど、もう少し多めに見積もった方がよさそうね」
竜人の里入り口近くの松の木の上に、小さな人影があった。
その正体はフアナだ。気配の消し方が非常にうまいのか、そこそこ近くにいるにもかかわらず、竜人たちは誰も彼女の存在に気づいていない。
「これだけわかれば十分だわ。さっさと引き上げっと」
フアナは大胆にも、竜人の里の位置を探るべく、負傷した若い竜人の後をつけてきたのだ。
わざと腱を切ったのは、竜人が再び戦えなくするためだけでなく、歩く速度を遅らせ、追跡を容易にするためでもあった。声を潰したのは、竜人の第2陣に罠の存在を悟らせないためだ。
実は竜人は文字を持っていないため、伝達はすべて口伝である。その為、声を潰されると伝えたいことも伝えられない。竜人は口が利けない者に対して、かなり差別的であることも、若い彼の運命を助長したのである。
里の位置と、次回の襲撃計画をつかんだフアナは、林を抜けて山を駆けた。
彼女が本気で走れば、荒れ地でもまるで滑るように駆け抜け、地面をける足の動きは捉えきれない。なのに上半身が一切揺れることなく、その姿はさながら陸を泳ぐ白鳥のようだ。
尾行でまる2日かけて踏破した竜人の縄張りを、わずか3時間で折り返したフアナだったが、縄張りの境目の川まで来たとき、靄の向こうに何者かの人影を見て、足を止めた。人影に見覚えはあったが、自分の家族ではない。そして向こうも、フアナの姿を見てゆっくり近づいてきた。
「あんた…………アグニの母親か?」
「あら、あなたもしかして、うちの旦那が言ってた」
「アグニそっくりだ、すぐにわかったぜ」
その正体は――――――行方が分からなくなっていたヴェルだった。
左肩をかばうように歩いているところを見ると、どうも左腕を負傷しているようだが、表面上の傷はふさがっているのか、流血は見られない。
フアナは一瞬、どう声をかけていいか迷ったが…………
彼女が話しかけるよりも先に、ヴェルがその場に膝をついた。
「お願いだ! 親父を助けてほしい! 頼む、この通りだ!」
「ちょっ……ちょっと! そんな、竜人が人間対してに膝をつくものじゃないわ! 何があったのか話しなさい、ね?」
竜人の誇りを捨てるかのように、深々と頭を下げるヴェルに対し、フアナは慌てて頭を上げさせた。おそらく竜人が人間に頭を下げたのは、この時が初めてなのではないかと思われるくらい異常な光景に、当のフアナまで困惑してしまう。
「親父が……大怪我をして、この近くの洞窟に隠れているんだ」
「ブレヌスさんが大怪我を……。わかったわ、一緒に行きましょう」
状況が状況だけに、罠であることも考えられたが、誇り高き竜人が、そのような卑怯な真似はすまい。フアナは、ヴェルの案内の元、ブレヌスの居場所へと向かった。




