モテ期到来?
アグニは、大きな荷物を背負って急峻な山道を往く。
今日は、待ちに待った1ヵ月に1度の帰宅の日。久しぶりに家族に会えると思うだけで、アグニの足は不思議と軽くなる。常人なら、何も持たずに登るだけでも、息切れして死にそうになるような、過酷な坂道を登っているにもかかわらず、表情はとても晴れやかで、鼻歌を歌う余裕すら見える。
そんなアグニが、家族の待つ里まで(アグニの足で)あと30分ほどの距離まで登った頃、道の脇に生える松の木の下に、見覚えがある人影が2つ見えた。
「にいさーん!」
「おにーちゃーん!」
「やあ、イオナ、ウリユ。ただいま」
待っていたのは二人の妹、イオナとウリユだった。
5年前のアグニのように、山の民の風格を醸し出しはじめているイオナと、まだ山に入ったばかりで、所々擦り傷の治療の跡があるウリユ。しばらく見ないうちに、二人はまた大きくなったかなと、アグニはしみじみと思った。
「二人とも、こんなとこまで迎えに来てくれてありがと」
「べ、別に……ウリユがどうしても兄さんを、迎えに行きたいっていうから……」
「ふふ、ありがとうイオナ」
悪態をつくも、兄にありがとうと言われ顔を赤くするイオナ。
どうやらイオナは、なかなか面倒な年ごろになったようだ。
昔はよく、素直にアグニの後ろをついて歩いてきていたというのに…………
「ウリユは一人でも大丈夫だよっ!」
「よくない! ウリユ一人で行かせたら、兄さんと行き違いになるでしょ!」
「ウリユ…………気持ちはわかるけど、ちゃんとお姉ちゃんの言うこと聞こうね」
「はぁい」
一方で、父親に似て、負けず嫌いが芽生え始めているウリユ。
詳しくは後程述べるが、とある事情によりイオナ以上のお兄ちゃん子になった彼女は、半年ほど前、アグニに会いたいがために、3歳にして一人で里からメルタ村まで下ったという、壮絶なバイタリティの持ち主である。
一人で村まで来たウリユを見て、アグニは腰が抜けて、一瞬立てなくなるくらい驚いたものだ。その為、アグニの家では、ウリユが外出するときは、必ず誰かが付き添うルールが設けられたのだった。
もっとも、その役割の大半は、イオナが文句を言いつつ自らこなしているのだが。
「さ、帰ろう。お土産もたくさん持ってきたから」
「何があるの? 楽しみ!」
「またこんなに沢山持ってきて、兄さんはウリユに甘いんだから…………こんなに重そうなのを背負ってたら、家まで帰れないじゃない。仕方ないから、あたしが代わりに持つわ」
「ウリユが持つっ!」
「あ~……わかったわかった。二人に別々に持ってもらうか」
こんなところまで張り合う姉妹を見て、アグニは苦笑しつつ荷物を分割して二人に渡した。
誰かさんに似て負けず嫌いの二人には、きっと何を言っても聞かないだろう。自分も小さい頃はこんな感じだったなと、懐かしい思いにふけりながら、競うようにして坂を上っていく妹二人の後ろを、アグニは悠々と歩いて行った。
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「そうか、そんなことがあったんだな。アグニが楽しそうで何よりだ」
その日の夜、久々に一家で夕食を囲む中で、アグニは村での生活を語って聞かせた。
かつては同じ境遇で過ごした父グエンは、まるで自分の姿をなぞるように、アグニの話に思いを寄せる。グエンが子供のころは、負けず嫌いな性格が災いして、しょっちゅう子供たちの間で喧嘩ばかりしていたのだが、アグニにはそういったことがほとんどなく、内心ほっとしているようだ。
「どう、お母さんの特訓は役に立ったでしょ」
「そう……だね。村の生活がここまで気楽に思えるなんて」
「俺も正直、途中で音を上げるかと思ってた。俺はあんなのご免だ」
話題は、おそらく読者の方々も気になっているであろう、アグニがフアナから受けた特訓についてだ。
「家の掃除は全部僕がやってるし、破れた服も僕が縫うし、手紙の代筆もするし…………」
なんてことはない。フアナが主に叩き込んだのは、家事全般と学問だった。
ただし、その内容があまりにも凄まじい。まず、今までフアナが一人でやってきた、料理に裁縫、掃除洗濯、燃料用の薪割りから武器の完全な手入れまで、すべてを午前中までに終わらせなければならなかった。 そして、それが終われば午後からは疲れた体で筆記や計算の勉強をする。これまた怒涛の詰め込み教育で、アグニの頭はパンク寸前だった。
肉体的につらいのは我慢できても、精神的につらいことにあまり慣れていなかったアグニは、夜になると何度も涙を流して暮らした。それに並行して、さらに今まで以上の武器の訓練を朝と夜に課されたものだから、一時期のアグニは急激にやつれていた。グエンもたまらず、フアナにもう少し手心を加えろと詰め寄ったが、フアナはただアグニに預けたネックレスを、グエンの目の前に突きつけるだけで黙らせた。
そして、アグニが何よりも苦労したのは、生まれたばかりのウリユのお世話だったりする。
前述のハードワークをこなしながらの育児に目を回したアグニは、改めて自分たち子ども二人を育て上げたフアナの手腕に畏敬の念を覚えた。ウリユがやたら兄になついたのは、アグニに付きっ切りで育ててもらったのを覚えているからなのだろう。
地獄のような特訓の結果、今やアグニは村の女子たち以上に高い家庭維持能力を持っているし、子世代の中でも数少ない、文字も書けて計算もできる存在になった。洗濯も料理も軽々こなし、文字も書けて教えることができるアグニに、同年代の誰もが一目置いている。
「ふふふ、イオナもそろそろ…………私の特訓を受けてもらおうかしら」
「じょ、冗談じゃないわ! あんなのやったら、あたし死んじゃう!」
「アグニは死んでないでしょ? それに、お兄ちゃんに負けっぱなしでいいの?」
「ぐぬぬ……」
兄の代わって意気揚々と山巡りをしている間に、ほとんど里から出ることがなく、やつれていく兄を間近で見ていたイオナとしては、同じ目にあうのは嫌だという思いが強い。だが「負けっぱなし」の一言が、イオナのプライドを刺激する。
「じゃあウリユがやる。そうすれば、お姉ちゃんにも勝てる?」
「なっ!? だったらあたしだって!」
「あのね二人とも、心配しなくても、よっぽど頼み込まなければ、僕みたいなことにはならないから」
負けず嫌いなのは悪くないが、必要ない苦労をする必要もない。
正直アグニは、二人には自分のような地獄は見てほしくないと思っている。なぜなら、アグニが叩き込まれたことは、本来フアナの年齢になるまでにゆっくり自然に覚えていくこと。それを数年でものになるようにするというのだから、無茶もいいところだ。
「このレインディアも一人で仕留めたんだってな。しかも生け捕りとはな。悔しいが、俺はもう強さではお前にはかなわん」
悔しいといいつつも、どこかうれしそうな顔で、グエンは肉のひとかけらを口に放り込む。今食卓に並ぶレインディアのステーキは、先日アグニが狩ってきたものだ。
「だが、教えてやりたいことはまだ山のようにある。明日は久しぶりに、一緒に山に入るか」
「うん!」
その言葉を待ってましたとばかりに、アグニは首を大きく縦に振った。
なんだかんだ言って、アグニはこの山が好きなのだ。それに、やはり父親と二人で山をめぐるのが一番気分が乗るようだ。
このやり取りに、女性陣はあまりいい顔はしなかったが、グエンの「女性が女性にしか話せないことがあるように、男には男にしか話せないことがある」という一言に、彼女たちはしぶしぶ引き下がるほかなかった。
「むー、次のお休みにはウリユに狩りを教えてね。約束だよ!」
「あたしだって…………たまには、兄さんと……」
「アグニったら、モテモテね♪」
「まあね、あはは」
身内にモテたところで、どうこうなるものでもないのだが…………
それでも、嫌われるよりは何百倍もいい。村で一緒に生活している同世代の中には、兄弟とうまくいっていなかったり、家族と不仲だったりで、家に帰らない子が何人かいる。こうして、アグニ一家のように、家族揃って仲良く暮らせることは、当たり前のようでいて、実はとても貴重なことだ。
「そうだわ、モテるといえば…………ローザちゃんとはどうなの?」
「え!? な、なんでローザちゃんが、出てくるの?」
ここで話題は、フアナによって急に恋愛の方向に持っていかれた。
その瞬間、アグニの顔は見る見るうちに赤くなり、イオナとウリユの耳が大きくなる。
「何かあったわね。それもつい最近」
「な、ななな、何にもないよ! 何にもないったら!」
そしてこの反応である。
急速に父親の背丈を越えた息子の、分かりやすいにも程がある慌てぶりに、グエンは思わず吹き出しそうになるのを堪え、こみ上げる笑いを必死に押しとどめた。
ここで大爆笑しようものなら、アグニは傷心のあまり、明日の山巡りの予定を放棄してしまうだろう。息子の……男としてのプライドを保つため、グエンはあえて沈黙に徹した。
(あんなことがあったなんて、言えないよ)
浴室で起きた偶発事故。扉を開けた瞬間に目に入った、色白で柔らかそうな肢体。必死になって、ようやく頭の片隅に追いやったというのに、あの日の光景が再びアグニの脳内にはっきりと映し出された。
「兄さん…………本当に何もなかった? 素直に白状しなさい!」
「ウリユも、聞きたーい♪」
「隠すとためにならないわよ、アグニ」
「あ、あうあう……」
「風呂入ってくる(強くなれよ、アグニ)」
女性陣による包囲網にとらわれたアグニ。
グエンは心の中で黙とうをささげながら、せめてもの情けとばかりに食卓を後にした。




