待つという強さ 後編
獲物をしとめたことを確認したフアナが、アグニたちの元へ歩いてくると、アグニとイオナもまた母親のところに駆けつけた。
「母さんっ!」
「いい動きだったわアグニ。いつの間にか腕を上げたようね。イオナも初めてにしてはよくできたわ」
「えへへ、私がんばったよ~!」
獲物を刺したときの返り血に染まったイオナを、フアナが清め術で撫でるように拭いて、綺麗にしてあげた。それを見るアグニは、なんだか不服そうな眼をしている。
「どうしたのアグニ。撫でてほしい?」
「子ども扱いしないでよ!」
「アグニはまだ子供よ」
「そ、それよりっ! さっきはなんであんな…………危ない事したの? 母さんらしくない失敗じゃないか」
「まずは獲物の血抜きが先よ。そうね、作業しながら話しましょうか」
なんだかはぐらかされた様な気分のアグニだったが、フアナの言う通り、仕留めた獲物を鮮度が落ちないように、すぐ加工する必要がある。血を抜き、内臓と肉と皮を分離して、保存状態をよくしなければ、鳥の肉はすぐに傷んでしまう。
3人は、泉の近くの岩場に座って、解体作業を始める。
まだ慣れてないイオナに、アグニは自らの手でなぞるように、解体の順番を教えていく。だが、その合間にも、先ほどのフアナの独断専行について、何度も詰問する。
「狩は連携作業、チームワークは絶対に乱さないようにって教えてくれたのは、母さんだったよね」
「そうね。イオナが生まれる前に、一家総出で狩りをしたとき、そう教えたのは私よ」
「だったらどうして…………?」
「アグニ、あなたは大切なことを怠ったわね。シグナルミラーで合図を送ってきたとき、どっちが前衛になるか、決めないまま行っちゃったでしょ」
「……………あ」
アグニはフアナに言われて、ようやく自分の非に気が付いた。
そう、獲物を見つけたことを連絡したとき、注意を惹く前衛と、援護する後衛を決めなければならなかったのだが…………フアナと狩をするとき、いつも自分が前衛にいたせいで、今回も自然に自分が前衛を担うと思い込んでいたのだった。
「まあ確かに、私もわざと危ない事をしたわ。本当なら、アグニの考えを読んで、私が後衛になるべきだった。地形的にも、泉の向こうから前衛を張るのは悪手だわ」
「じゃあなんで…………」
「決まってるじゃない。きちんとやらないと、こういうことが起こるんだって、教えるためよ」
「だからって! 今母さんのおなかには赤ちゃんがいるんでしょ! そんな時に、こんな無茶するだなんて……! 僕が悪かったよ母さん! だから、危ないことしないで!」
アグニは、自分が犯したミスの重さに苛まれながらも、心の底から母親に自愛を求めた。
二人のやり取りを見ていたイオナも、涙目になって、居心地が悪そうに感じている。
「お母さん、私も……ごめんなさいしたほうがいいの?」
「大丈夫よ。イオナはきちんと、お兄ちゃんのいうことを聞いたのよね。えらいわ」
フアナはまたしても、イオナの頭をくしゃくしゃと撫でてあげる。頭を撫でられたイオナは、とても気持ちよさそうな顔をしている。で、それを見るアグニの目は複雑だ。
(…………僕もはじめのころは、あんなふうに褒めてもらったっけ)
その感情は羨望か嫉妬か。アグニは、自分はもう子供じゃないと言い張る年頃になったが、それでもまだ親に甘えたい気持ちは大きい。昔に比べて、褒めてもらえることは少なくなったし、褒めてもらわなくても、自分の力で強くなれるはずなのに―――――
そして、もうすぐ新しい妹か弟が誕生する。その妹か弟が狩りに出るころには…………アグニはほぼ大人になり、早ければ独立しているかもしれない。それが今では、アグニは少し不安に感じている。
「それにアグニ」
「え?」
母親の声で、考え事をしていたアグニは急に精神を現実に引き戻された。
「あなたももう、私のことを心配してくれる歳になったのね」
「あ、当たり前だよ! 僕だって母さんを守れるんだから!」
「ふふっ、イオナが生まれたときは、お母さんをとっちゃやだって、駄々こねてたのにね」
「ええっ!? そんなことあったっけ!?」
アグニの記憶にはもうないが…………イオナが生まれてすぐのころは、母親と狩りに行けなくて、すねる日が多かったらしい。それからは、グエンが代わりに山の巡回に連れて行ってくれたことで、今度は自然にグエンと行動することが多くなっていったのである。
「イオナもきっと、赤ちゃんが生まれたら、駄々をこねるようになるのね」
「そ、そんなことないもん! 私もお兄ちゃんみたいなお姉ちゃんになるもん」
「お兄ちゃんみたいなお姉ちゃん…………なにそれ」
相変わらずの天然な妹の発言に、大爆笑するアグニ母子。
この後解体はすぐに終わり、獲物と世界樹の恵みに感謝するために、獲物の骨を燃やして地面に埋めた。
そして、ついでに……………獲物を燃やした時に起こす炎で、狩ったばかりのムスタエミューの肉を焼いて食べる。一番新鮮な状態で食べるお肉と、今しか食べられない内臓の珍味。それを味わえる…………これぞ狩猟者の特権だ。
「ほーら、焼けたわよ」
『わぁい!!』
串に刺さったムスタエミューの強靭なもも肉は、よく焼くことでさらに引き締まる。焼く前によくまぶした岩塩は、炎の中でパチンパチンと花火のような音で弾け、焼きあがるころには焼き目と一体となり、沈着する。
狩で動いたせいか、空腹モードの子供二人は、串に刺さったもも肉に勢いよく齧り付いた。表面はカリカリとしているのに、中はとても柔らかくモチモチしている。そこに、岩塩の味が加われば、口の中はまさにお祭り騒ぎだ。
「うん、おいひ」
「あむっ! あむぅっ!」
おいしすぎて言葉も出ない二人を眺めながら、フアナはよく焼いた食道を味わう。首が長いので食道も長いムスタエミューだが、場所によって味が異なる。フアナは最もおいしい場所を熟知しているので、いの一番に味わっているのである。この味の良さは、当分子供には教えたくないと思うほどだ。
「母さん…………その部位好きだよね。おいしいの?」
「お母さんはね、この噛んだ時の食感が好きなの」
どうやら、アグニには薄々気付かれつつある様だ。独り占めできる時期も、そろそろ終わりかなと、フアナは心の中で静かに涙を流した。
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狩は済んだ。獲物も見事。
アグニ一家は、途中で野宿して一晩明かすと、解体した獲物を担いで家路を急いだ。
ところが、フアナが途中で「寄るところがある」と言って、急に進路を変更した。いったいどこに向かうのか、訝しむアグニとイオナだったが、何か考えがあるのだろうと思って、何も言わずに後に従った。
フアナが訪れたのは、底が見えないほど切り立った急峻な谷間だった。こちらから谷間の向こうまでの距離は100mもないが、深さは数十メートルもあり、底は川が流れている。この谷は、アグニが住む里やメルタ村の住人が山の向こう側へ行くのを阻むように走っていて、この崖の向こうはアグニですら行ったことがない、
「母さん、此処に何かあるの?」
「うん、ちょっとね。今日はいるかしら」
そういってフアナが何かを探すように、目を凝らしてみると――――――しばらくもしないうちに、何かを発見した。
「おっと、今日はとてもツイてるわね。めったにいない獲物がいるわ」
「めったにいない獲物?」
「なになに?」
フアナが指さす先を、二人が見ると、崖の向こうに茶色の毛並みを持つ、やや大ぶりな兎が見えた。
この地方の崖に生息する『カレーリアラパン』と呼ばれる珍しい兎で、アグニもまだ仕留めたことがない相手である。というのもこの兎、崖を住処にしているためか、脚力が非常に強い。その脚力で断崖絶壁を、まるで平地のように走るのだから、並の人間ではまず追いつけないだろう。
「まさか母さん…………あれを」
「いい、アグニ。イオナをしっかり見ててね」
「ちょっ……ちょっと! 母さん! 行っちゃダメ!」
フアナは、イオナの面倒をアグニに押し付けると、アグニが止めるのを無視して、切り立った崖を下って行った。
「ま、まずい! 母さんを助けなきゃ!」
「わ……私はどうすればいいの」
「あっ……」
アグニはいてもたってもいられず、自分も母の後に続こうとしたが、イオナを一人にするわけにはいかない。魔獣に襲われないとも限らないし、もしかしたら自分たちを追って、無謀にも崖を下ろうとするかもしれない。
「母さん……! なんで、どうして! 僕に言ってくれれば、狩りに行くのに!」
「お兄ちゃん…………あのね」
がっくりとうなだれるアグニに、イオナが寄り添ってきた。
「お兄ちゃんとお父さんがが山行っちゃうと……お母さんいつも、お兄ちゃんとお父さんの心配してるの。今日は無事かな、怪我してないかなって。イオナもいつも心配してる。お兄ちゃんたち、元気に帰ってきてほしいって。でも、お兄ちゃんとお父さんはいつも言うよね、これくらいどうってことないって」
「イオナ……それは」
イオナの言葉が、アグニの胸に突き刺さる。
アグニは小さなころから、父と母が出かけるときは、いつも外に付いて行っていた。家で一人で留守番したことなんて、一度もない。
だから、アグニには待つ側の気持ちがわからなかった。
母親がいつも、どんな気持ちで自分たちを待ってるかなんて、真剣に考えてなかった。
(この前の……猟騎士さんたちに助けてもらわなかったら、母さんは…………)
行ってほしくない。けれども、結局行ってしまう。
無理しないでほしい。けれども、やっぱり無茶してしまう。
怪我無く無事に帰ってきてほしい。けれども…………服は泥と血にまみれてボロボロだった。
「そうか。今の母さんは……僕そのものだ」
アグニは今になってようやく、母がわざと無茶な行動をとる理由が分かった。
フアナはとても強い。それに身体能力も、グエンなんか目じゃないくらい高い。こんな崖くらい、フアナにかかれば目隠ししても、底の方まで下りていくことができる。
けれども、待っている方はそうは思わない。
万が一足を踏み外したら……万が一具合が悪くなったら…………残されたアグニは、不安で押しつぶされそうになっている。
待つことがここまで苦痛だとは、アグニは知らなかった。
フアナだけじゃない。イオナも……いずれは狩りをするようになって、山の巡回に行くかもしれない。
その時果たしてアグニは、イオナを信じて、家で待っていることができるだろうか。
フアナが戻ってきたのは、狩を始めてから30分ほどたった頃だった。
まるで何事もなかったかのように、軽い足取りで崖をはねてきた彼女の手には、首根っこをつかまれてもがくカレーリアラパンがある。
「ロープを持ってくのうっかりしてたわ。アグニ、縛っておきなさい」
獲物を渡されたアグニは、言われた通り、細いロープで身動きが取れないよう、カレーリアラパンを縛り付ける。その間にフアナは、水筒の水を一気飲みし、口を潤した。
「ふぅ、久々にいい汗かいたわ。やっぱ狩はこうでなくっちゃ」
「………母さん、その……おかえり」
「ただいま。どう、いい子にして待ってられた? 寂しくなかった?」
フアナはアグニの前にゆっくりしゃがんで、下から覗き込むようにアグニの目を見た。
アグニの顔は―――――今にも泣きそうで、でも妹の手前、兄の威厳を維持するため、ぐっとこらえている。
「ふふ、どうやらその顔を見ると、分かってくれたみたいね。お母さんのこと、心配してくれたんでしょ? こんなにうれしいことはないわ」
「イオナも心配だった」
「そうね、イオナもいい子で待ってたんだもんね」
そういってフアナは、アグニとイオナを同時に抱きしめた。
自分のおなかの中から生まれた二人の子供が、両腕でやっと抱えられるくらいの大きさになった。そのことが、フアナにとってうれしくもあり、寂しくもある。
「さてアグニ。父さんから話は聞いたわ。ヤテベオと闘って、負けそうになったけれど、とっても強いフライコーア二人に助けてもらったんだって」
「ごめんなさい、母さん。心配かけちゃって」
「心配掛けるなんていつものことじゃない♪ それよりも、アグニ……あの二人みたいに、強くなってみたい?」
「え?」
思いがけない質問に、アグニは目が点になった。
「う、うん! 人間でもあんなに強くなれるんだって思ったら……なんだか僕も、あそこまで行けるような気がして」
「そう……そう思うのは悪くないことよ。でもね、残念ながら、アグニがずっとこの山で暮らすなら、あれほど強い力は必要ないの」
「でもっ! 僕にあれだけの力があれば、ヴェルの仲間のドレークたちだって大勢救えたし、それに……もう一度あんなことがあったら、今度は誰も助けてくれないかもしれないし………」
「それは違うわ」
フアナはより一層アグニに顔を近づけて、迫るように諭した。
「あの人たち……フライコールには、大勢の人を守る『義務』があるの。私たち山の民がいくら強くなっても、世界のどこかで別の強敵が現れても何もできない。だから、あの人たちが存在するの…………。アグニ、あなたはあの人たちと同じくらい強くなりたいって、言ったわね」
「うん……」
「だったら、私が特別に、鍛えてあげることもできるわ。もちろん、お父さんは反対するだろうけど」
アグニの身体に、震えが走った。
かつてこれほどまでに、母親が怖いと思ったことがあっただろうか。
優しくて、陽気で、おいしいご飯を作ってくれる母が、まるで――――あの時、井戸でアグニを捕まえようとしたヤテベオの根に向かって矢を放った――――戦う者の目をしている。
「父さんが反対するって……なんで?」
「グエンは……お父さんはね「私以外の」猟騎士が大嫌いなの。それに、私はグエンに誓ったの。子供たちは全員山の民に育てるって。けれども、アグニが今以上に強くなるなら、今この時が最後の分かれ道になるの。山を守って一生を終えるか、それとも…………時が来たら、山を出ていくか」
山を出ていく―――――――アグニはそんなこと、考えたこともなかった。ずっと山で過ごして、村か里の人と結婚して、一生を終える。自分もそうなるんだと、ずっと思っていた。
だが、強くなるなら、その選択は捨て去らなければならない。未来は不確定になり、場合によっては山を離れなければならない。
「母さん………僕は、強くなりたい! もっともとっと! ヴェルよりも! ヤテベオよりも! あのフライコールの人よりも! 強くなってみたい!」
「お兄ちゃん……! い、イオナは?」
「イオナはまだ早いから、ゆっくり考えなさい。そしてアグニ、今更だけれど、あなたの進む道はかなり高い確率で後悔と挫折にまみれることになるわ。今までのような甘えは一切許されない。それでもいいというなら―――――」
フアナは自分のカバンから、ボロボロになった袋を取り出して見せた。
アグニが恐る恐る開くとそこには――――――緑色の宝石がはめ込まれたペンダントが入っていた。
「母さん…………これって、まさか!」
「あなたはまだ、その首飾りには触れられない。でも、袋越しになら、触ることはできるわ。アグニ、あなたに命を懸ける覚悟があるなら、それを受け取りなさい。ないならば、私に返すことね」
アグニは、母から受け取ったネックレス入りの袋をじっと見つめていた。少しの逡巡の後、アグニは―――――袋を自分のカバンに、大切にしまい込んだ。
「決まりね、アグニ。明日から厳しくいくから覚悟しなさい」
そういってフアナは、今まで見せたことのない、どう猛な笑みを浮かべた。
後日、村で祝賀会が開かれた。
そして、その日を最後に、アグニは長い間里から出ることはなかった。




