待つという強さ 前編
魔樹ヤテベオの脅威が去り、村の井戸に水が戻ってくると、メルタ村の住人たちは歓喜に沸いた。
そこで、村を挙げて祝宴が催されることになったのだが、祝宴の料理の素材は、結局アグニ一家が用意することとなった。
この日アグニは、いつもの愛用の弓と鉈、それに短槍を携えて、里の西に位置する渓谷まで足を運ぶ。だが、今アグニの隣にいるのは父親のグエンではなく、母親のフアナだ。それに、妹のイオナまでいる。フアナもイオナも、アグニと同じく白の刺繍が入った赤い頭巾をかぶり、フアナは長弓を、イオナは短剣を装備していた。三人とも若干の色の違いはあれど髪も金髪なので、並ぶと親子というよりも三姉妹のように見える。
「イオナ、初めての狩だから、よく私たちの言うことを聞いて動くのよ」
「はぁい」
「アグニはできる限りイオナの援護をお願いね」
「わかった」
母親の指示に素直にうなずくアグニ。しかし、内心は大きな心配事を抱えていた。
それは、わずか4歳のイオナが初めて狩に出るから――――――――――というわけではない。狩りをすると言っても、イオナのやることは弱った獲物にとどめを刺すことだけ。アグニもそうだったが、この兄妹は3歳の時から簡単ではあるが武器の使い方は仕込まれており、山の環境に慣れさせるために、ついてこさせているのである。かなりの危険が伴うのは確かだが、アグニ一家は厳しいながらも、代々このように育てられてきたのである。
で、アグニが何を心配しているかというと……………フアナの体のことだ。
現在フアナは妊娠三ヶ月――――――母体にとって、とても大事な時期である。肉体的にも精神的にも急激な変調が出るため、本来であれば絶対安静の必要がある。にもかかわらず、彼女は夫であるグレンに、条件付きで狩猟に出ることを許可してもらっている。
帰ってすぐにそのことを聞かされたアグニは、とても驚いたものだ。
(母さんには無理はさせられない! イオナも狩は初めてだ! 僕が頑張らなきゃ!)
アグニは、そう自分に言い聞かせ、気合を入れた。
これから、アグニ一家による狩が始まる。
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この地域の狩猟は、数多くの困難が伴う。ヤテベオの影響か、遮蔽物となる木は年々減り続け、厳しい環境を生き抜く野生動物はとても強い。さらに、近年では狩猟技術を持つ人間も減っており、狩猟はほとんど一人で行わなければならない。狩猟は数日間に及び、時には危険な斜面を上り下りすることがある。まさに命がけだ。
だが、アグニ一家は、イオナを除き誰もがその道のエキスパートだった。いずれはイオナも、そして順調に育てばフアナの中にいる子供も、その一員となることだろう。
「足跡だ。ムスタエミューの群れだ、ついてるな。数は7、1羽大きいのがいるね」
アグニは、運よく、この地方に生息する巨大エミューの足跡を発見した。体長は大体人間の子供の大きさ程で、全身黒い羽毛に覆われた、二息歩行の鳥だ。トナカイやシカに比べれば、かなり容易な獲物だ。その上、仕留めた後の処理もほかの獲物に比べれば楽なのも大きい。
「お兄ちゃんは数がわかるの?」
「まあね。ムスタエミューの歩幅は大体このくらいだから、纏まって移動してもすぐにわかる」
アグニはイオナに、ムスタエミューの生態と習性、戦うときの注意点などを、足跡をたどりながら教えていく。
常に数匹の群れで行動するムスタエミュー。食事をするときには徹底してため込み、その後は約2か月間飲まず食わずで行動できる驚異的な体力を持つ。アグニが狙うのは、食事を終えて少しした後のタイミングだ。エミューたちが最も警戒心が緩むときであり、なおかつ体に脂が一番乗っているときでもある。しかし、ひとたび移動を開始すれば、狩の難易度は一気に跳ね上がる。また、食事の前は体力が落ちて仕留めやすいものの、エネルギーを使い果たしており、旨味が少ない。どうせやるなら、最高の状態を狙いたいところだ。
「となれば、向かうのはあそこしかないな」
「鳥さんの行き先までわかるんだ」
「食べ物が豊富で水を飲める場所は限られてるんだよ。足跡の向きからして、間違いない」
やがてアグニたちは、小高い丘に登ると、前方のかなり遠くに微かに何かが動くのを見つけた。
距離にして約2㎞先、窪地にある泉に、ムスタエミューの群れを発見したのだ。
アグニはすぐさま、懐から手鏡を取り出すと、自分たちが来た方角に向かって鏡の反射光を発した。すると、鏡の光を向けた方角からチカチカと光が点滅するのが見えた。これはいわゆる、シグナルミラーと呼ばれるもので、離れた場所で待機しているフアナに太陽光の反射を利用して、獲物の位置を知らせているのだ。
「母さんが北側から回り込むって言ってる。僕たちは反対側に回ろう」
「あうぅ…………そんなことまで分かるの? お兄ちゃんすごい!」
「僕だって、すにできたわけじゃないよ」
シグナルミラーは、アグニが狩猟を覚える過程で最も苦手としていた技術で、簡単なやり取りができるようになるまで1年以上もかかっている。それが今では、妹に教える番。アグニはずいぶんと感慨深いものを感じた。
「いいかいイオナ、絶対に僕の傍を離れないでね」
「うん」
「ムスタエミューは自分たちが優位だとわかると攻撃してくる。駄目だとわかるとすぐに逃げる。僕はエミューたちに威嚇射撃をして、意識をこっちに向かせるから。ちょっと危ないかもしれないけれど、僕がきちんと守るから安心してくれ」
アグニ一家が、二人以上でムスタエミューを狩るときは、大体が『キツツキの法』または『逆キツツキの法』というフォーメーションを組む。その名の通り、キツツキが獲物の虫を獲るが如く、獲物の群れを挟み撃ちにする作戦で、獲物に近づいて攻撃する側から獲物が逃げれば、もう一方が遠くから待ち伏せして仕留め、逆に獲物が向かってくる場合は、背後から攻撃する。ただ、言うのは簡単だが、実際には高度な技と連携、それにとっさの判断力が求められる。
シグナルミラーの扱いが苦手だったアグニではあったが、このフォーメーションはなぜか大得意だった。
獲物が向かってきても怯むことはなく、獲物が逃げれば弓で追撃し、有利な場所まで追い込むまで、平然とやってのけた。
今回の狩は、アグニが近接戦闘を担う。母フアナと組んで狩猟をする場合は、お互いの得意武器の関係上、大抵この形になるのだ。しかし…………張り切りすぎか、油断か、アグニは重要なことを忘れていた。
(さぁて、いよいよかな)
アグニとイオナは、ムスタエミューが集う泉まで約50メートルの距離のところまで近づき、茂みに身を隠した。風は吹いていない。吹いたとしても地形的に風上にはならないだろう。
群れを見れば、一際大きな個体が周囲を警戒しており、それ以外の6羽は食事を終えてのんびり過ごしている。まさに絶好のチャンスだ。
(こちらから飛び出せば、あの巨体が真っ先にこっちに向かってくるはず。そして、そのあとに若い個体が続いてくるだろう)
アグニは一瞬で段取りを決めると、泉の向こうにいるフアナに合図を送るべく手鏡を懐から出そうとした――――――その時だった。泉の向こうの草むらから、光が三回点滅するのが見えた。それを見たアグニは仰天した。
「ちょっ、母さん! 何を考えて!?」
直後、アグニが狙いを定めていた大型個体に向かって、泉の向かい側から三本の矢が同時に襲い掛かった。狙われたムスタエミューは矢が風を切る音すら気が付かず、頭と首と左足を撃ち抜かれて絶命した。
ムスタエミューの群れは、突然リーダーがやられたことで一瞬でパニックとなり、次の矢が飛んでくると慌ててアグニとイオナの方に逃げ出してくる。
「お兄ちゃん! こっちくるよ!」
「仕方がない……僕が動きを止めるから、イオナは教えた通り、素早くとどめを刺すんだ!」
「うん、頑張る!」
素早く判断を切り替えたアグニは、まず弓を素早く構え、茂みから飛び出すと同時に、一番近くまで迫っているムスタエミューの両足の腱を素早く射抜いた。足の動きを封じられたムスタエミューは、痛そうな鳴き声を上げてその場に崩れ落ちる。
それを見てイオナも茂みから飛び出し、とどめを刺すべく首に短剣を突き付ける。
後続の1羽が仲間を助けようと向かってきたが、アグニは素早く弓を短槍に持ち替えて、格闘戦に持ち込んだ。ムスタエミューの強烈な飛び蹴りがアグニを襲う! だが、アグニは槍を柔軟に滑らせて攻撃を受け流し、逆に石突で細長い首を打ち据えた。
前後を挟まれ、より一層混乱するムスタエミューの群れは、もう1羽が背後からの弓矢で仕留められたことで完全に戦意を喪失し、散り散りになって逃げて行った。イオナは、無事に足を封じられた個体にとどめを刺し、アグニもまた格闘戦に持ち込んだ個体を首の骨を折って無力化した。
結果、仕留めた獲物の数は一番大きな個体を含めて4羽―――――宴会で大量消費しても、なお余るほどの戦果だ。
逃げ出した個体をそのままにしたのは、これ以上狩っても持って帰れないから。不要な殺傷は、山を守る役目の山の民にとって御法度なのである。
普段なら大いに喜ぶほどの完璧な成果。しかし、アグニの顔は晴れなかった。




