第47話 無関心の対義語
愛の対義語は無関心らしい。
誰かがそう言っていたのを唐突に思い出した。
◆◆◆
実はここまで全て手の込んだドッキリで、いきなりクローゼットの中から雫ちゃんが『ドッキリ大成功!』と書かれたプラカードを持って突撃してきてくれた方が、まだ信じられるというか、正直言って、そっちの方が遥かに現実味があった。(傷付くけど)
──梓さんは、私のことが好き。
分からない。私のどこが、そんなによかったのか。
顔がいいって言われたけど、今はメイクもしてないし、いいわけがない。
でも……これまでの梓さんの行動を振り返ると、どこか腑に落ちてしまう部分もある。
嫉妬しいだったり、手繋いだり、お泊まりしたり、ちょっとえっちなことをしたのだって、全部、私のことが好きだから。で、全て筋は通ってしまう気もする。
だからと言って、納得なんて到底できそうにもないけど。
そういえば梓さんと初めて話した日。
私は梓さんに告白されたと勘違いしてしまったことがある。
でも今されたのは、勘違いじゃない。本当の告白。
あの時は、正直ネガティブな感情が湧いていた。
だって、私なんかがうまくやれる自信がないから。
付き合う責任を負えないから。
答えを後回しにするのは、よくないから。
でも今は違うくて。
──梓さんと付き合ったら、きっと毎日が楽しい。
それは分かる。
まだ数週間の付き合いで何が分かるのかって感じだけど。
梓さんは優しくて、真面目で、一緒にいてすごく心地がいい。
けれどまだ、私の気持ちは分からない。少なくともまだ、好きじゃない。
多分、好きにならない。好きになるわけがない。だってこれまで、そうだったから。
それでも。できるだけ梓さんの気持ちには応えたかった。
だから私は──。
「……うん。分かった。じゃあ──」
付き合おうか。と、言いかけて──。
「ですが、付き合ってとは言いません」
梓さんは、私の言葉を遮るように静かに首を振った。
「私の気持ちが来栖さんに伝われば、それでいいんです」
…………えっ。
私はポカンと口を開けたまま、瞬きを数回繰り返した。
「え、ま、待ってよ。私、嬉しい。すごく、嬉しいよ?」
「……はい。そう言って頂けてよかったです」
「だからその。私、付き合ってもいいって思ってるよ? ていうか付き合おうよ、ね?」
なんで。
「あ、梓さん。嬉しいよ。ほんとに、私、嬉しいからさ」
やばい。なんか私、めっちゃ必死になっちゃってる。
でもほんと、なんで? もしかして今、遊ばれてる?
いや梓さん、すごい真剣な表情だし……そうは思いたくない。けど。
「……ご、ごめんなさい。私、あんな風に言っておいて」
「いや。え……あの。付き合おうよ。てか、付き合ってください」
「その。……ごめんなさい」
ちょっと待って。
……なんか私がフラれた感じになってる!?
◆◆◆
それからの数時間は、生きた心地がしないほど気まずい時間を過ごした。
「来栖さん、ここの英語の構文なんですけど」
「あっ、はい! えっとそれは、過去分詞の形容詞的用法で……」
しかも、気まずいと思っているのは、どうやら私だけらしい。
梓さんはさっきの告白なんてまるで無かったみたいに、けろりとしている。
今は部屋のローテーブルに向かって、持ってきた学校の課題を一緒に解いていた。
梓さんの横顔をちらと盗み見ても、そこにはいつもの優等生の表情があるだけ。
昼前の逃げ場を塞ぐような熱を帯びた瞳が、まるで嘘のようだった。
なんで、梓さんは、私と付き合えないんだろう。
好意を伝えておきながら、付き合う気はないという矛盾。
でも、私にとってはそれでよかったのかもしれない。
好きになる確信もないまま付き合う罪悪感もやはりあるし。
それに、梓さんは色眼鏡を抜きにしても、クラスで一番可愛い。
そんな美少女と付き合ったら、私に奇異の目が向くかもしれない。
恋愛ってそういうもんだ。誰かしらが、必ず傷付くようにできている。
陰キャがこの世界で正しく生きるためには、空気を読むことが一番重要だ。
余計なことをしてはいけない。何が起きても静観しなければならない。
今がどれだけ退屈で不幸でも、何もしなければこれ以上の不幸はないから。
私は中学時代、それを学んだ。だからこれでよかった。
私と梓さんは、このままで。
作家とファンで。
ただのクラスメイトで。
きっと、よかったはずだ。
「…………」
窓の外には、いつの間にか燃えるような夕焼け空が広がっていた。
時計を見れば、夕方の五時を回っている。遠くの空で、カラスが鳴いている。
もう、お別れの時間だった。
「じゃあ、二日間ありがとう。また学校でね」
玄関でスニーカーの紐を結びながら、私は努めて明るい声を出す。
顔はまともに見れない。私は今、どんな顔をしているのだろう。
そして梓さんは今、何を考えて、どんな顔で私を見送っているのだろう。
「はい。……その、送りましょうか? 家まで」
「いやいいよ! ありがとね」
顔を上げず、片手を軽く振る。
梓さんと視線を合わせないように、わざと目を細めて笑った。
奥の廊下から雫ちゃんの視線を感じたけど、気のせいということにする。
ガチャリ。と重厚な玄関のドアが閉じて、私は溜めていた息をはぁっと吐き出した。
夏のぬるい空気が、じっとり肌を撫でていく。
これから近付く本格的な夏に、少しうんざりした。
「…………」
月江家から最寄り駅までは、徒歩で十分弱。
そこから電車に乗って数分揺られれば、私の家の近くの駅に着く。
でも、歩いて帰ることにした。だってそうでもしないと、余計なことばかり考えて、頭の中がぐちゃぐちゃになって、パンクしてしまいそうだったから。
一歩。また一歩と、アスファルトを踏みしめて歩き出す。
そのうちに自然と早足となって、気付けば地面を強く蹴っていた。
「……はっ。はっ」
息が上がる。
肩に掛けたバッグが、走る度に身体を打つ。
でも今は、その重みも痛みも、全く気にならなかった。
私は、梓さんのことが好きじゃない。
きっとそうだ。
私は、恋愛一つで絆されるような人間じゃない。
好きと言われたから、私も好きかもなんて思うほどちょろくない。
第一、好きってなんなんだろう。どういう感情なんだろう。
一緒にいてドキドキすること? 触れたいと思うこと?
確かに梓さんといると、たくさんドキドキする。
彼女の匂いや、体温に、頭がくらくらする。
それが好きってことなの?
小説ではもっと簡単に、好きを表現できた。
ヒロインの顔を赤くして、胸に手を当てて、高鳴る鼓動を意識させでもして、綺麗な言葉を並べて都合のいいシチュエーションを用意すれば、彼女の好きを伝えられた。
でも、現実は違う。名前の無い感情が渦巻いている。
苦しくもある。息ができなくもある。泥臭くもある。
複雑な伏線も、劇的なイベントもないのに、どうしようもなく心が振り回される。
──かん、かん、かん、かん。
思考を、踏切の警報音が掻き消すように鳴る。
けれど、頭にこびりついた梓さんの声も、手首に残る感触も、簡単には消えない。
降りる遮断機。すれ違う少年の笑い声。誰かの自転車のブレーキ音。地面を蹴る靴音。
見慣れた日常の風景が、音の濁流となって通り過ぎていく。
もう家は近い。一体、どれだけ走ったんだろう。
ブラウスが、汗で肌に張り付いて気持ちが悪かった。
ようやく辿り着いた自宅のドアを乱暴に開ける。
靴を脱ぎ捨てて上がると、美波がスマホを片手に廊下を歩いていた。
「あ、おかえりお姉ちゃん……って、どしたの。そんな汗掻いて。顔真っ赤だよ」
私は無言のまま、美波の横を通り過ぎる。
「って無視かい。お泊まりだったんでしょー? 楽しかったー?」
背後からの美波ののんきな声を置き去りにして、自分の部屋に飛び込む。
バタン。とドアを閉めて、内側から体重をかけて鍵をかけた。
「おーい、開けてよ。おみやげはー?」
こんこん、とドアがノックされる。
扉を背にして座り込み、私は美波の侵攻を防いだ。
まだ心臓はドキドキしている。走った後の、動悸だったのかもしれないけど。
「……違う。きっと、私は……違う」
愛の対義語は無関心らしい。
誰かがそう言っていたのを唐突に思い出した。
でも私は、それは違うと断言できる。
だってそうなると、無関心の対義語も愛ということになって。
私は──梓さんが好き、ということになってしまうから。




