7 いそがしい歌姫と、夕刻の予約
ジュードとユナが演じた歌劇には、もちろん他に配役がある。なかでも男声のテノールとなると、女主人公に恋い焦がれる青年役しかないのでは? という話になった。
なぜか満場一致。
アルムはふと、照れくさくなった。
ちなみに、それはジュードが演じた役の息子にあたる。別の歌劇の曲にしなかったのは、二人を相手に歌わねばならないユナの負担を減らすためではあったものの、その一点においてのみ、アルムは眉をひそめた。
「いやだな……ジュードが父親とか。しかも『息子と別れてくれ』なんて、劇中の彼女に言いに行くのはおかしいと思う」
教壇にほど近い位置の椅子に腰かけ、組んだ膝の上に大きな総譜を置く。ジュードの私物だが装丁もしっかりしていて、なかなかの重量だ。ずっしりしている。
その男声パート部分に目を通しながら、アルムはぼそ、と呟いた。
言われた当人はまったく動じない。教壇に立ち、教師用の大きな机に両肘をついて体重をかけ、アルムが広げた総譜を上から覗き込んでいる。
「そうか? 私は、お前がどんな女と付き合っても文句を言うつもりはないが」
よって、アルムの頭上からは、やたらといい低音声が降って来る。低い音はそれだけで存在感があるのに、彼の場合さらに艶っぽい。
黒髪の少年は嘆息した。濃い緑の目は若干据わっている。
「……そんな風に微妙にずれた答えを返されるってわかってた。だからいやなんだよ。将来の、お前の子どもにめちゃくちゃ同情するよ」
「うん? 私は、むしろアルムみたいな子どもなら………ふ、フハハッ……! だ、だめだ想像すると笑える!! いかん、ぜひ欲しい!」
「なんだなんだー? 昼間っから。飲んでないのに笑い上戸か、ジュード?」
白銀の括り髪の青年が「おいおい面白そうだな」と言わんばかりに、ひょいっと会話に加わった。
こちらは、行儀悪く机に腰掛けている。やはり上から総譜を眺められる場所――つまり、アルムの隣の席に陣取っている。
アルムは、キッ! と、未来の主君を睨み上げた。
「マルセル、混ぜっ返さないでください。今日こそはジュードに“人の話を聞け”と言いたいんですから」
「う~ん……、そいつは諦めたほうがいいかもな。こいつのコレは、たぶん一生治らない」
「貴方が言うと、説得力ありますよね」
「んん? 何か含んでる?」
「いえ何も」
「……」
ユナは終始、黙っている。
正確には口を挟めずにいる。彼女は、再び西側の窓辺に佇んで楽譜を見ていた。あまり人と関わる性質ではないのかもしれない――
そう、思って見つめていると青色の視線がふと、こちらを向いた。どきり、と心臓が跳ねる。
(いやいやいやいや、おかしいだろ。何でこんなに舞い上がるんだよ?!)
もはや彼女に関しては、自分でもよくわからないことになっている。
しかし、アルムの内心を知ってか知らずか、薔薇色の髪の少女はごく普通に口をひらいた。
「ねぇ、貴方たちって、いつもこんなに賑やかなの?」
アルムはつとめて平常心を心がけた。よって、返事は二拍分ほど遅れたが――概ね、普通に声を出せそうだと安堵した。
「ん? あぁ……うん。そうだね、大抵は煩いかも。それぞれ違うことしてるときは、逆に恐ろしく静かなんだけど。どうして?」
「……『どうして』って……」
少女は、少し考える仕草をした。小首を傾げて宙に視線を投げ掛ける。
「あの、怒らないでね。あなた達って一応、我が国の皇子殿下と楽士伯家当主、それに大国の王太子殿下じゃない。これでも最初はげんなりしてたのよ。うわぁ……って。わたし、身寄りのない平民だし。もっとぞんざいに扱われると思ったわ。でも、そうでもなかった。
……ごめんね、最初ピリピリして。さっさと歌って気が済んだら、飽きてぽいってされると思ったの」
「……飽きて、ぽい…」
「ほう」
「……」
アルム、ジュード、マルセルはいつの間にかユナの声に無心に耳を傾けていた。
内容も興味深かったが、彼女の話し声は歌声のそれより響きが少し低い。
そして、甘い。
「えぇと。流石にそんなことはないって、もうわかるよね?」
「えぇ。こうして見てると、思ったよりずっと普通の男の子だった。ふふっ……あ、わたし、次は第二専科の講義入ってるの。もう行かなきゃ。……えーと、バード卿?」
「アルム、でいいよ」
――すかさず訂正。
ユナは、にこっと笑った。
「ん、わかった“アルム”。……わたし、大抵は寮の夕食前の自由時間、西塔の崖下で個人練習してるの。その時でよければ歌劇の演目、付き合うよ。昼間はぜーんぶ、こっちの殿下や他の人に予約されちゃってるから。そういうことで、いい?」
――はきはきと、是、以外の答えを許さない提案。
もちろん、アルムに否やはない。




