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魂は減数分裂するのか  作者: 春採太郎
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講義篇(人狼)

 アパートからの最寄り駅の市営地下鉄南北線の南豊平駅に小走りで向かい、慌ただしく改札を通ると既にホームに列車が入線していた。列車に乗り込むと同時に扉が閉まった。乗り遅れていたら、日本旅客鉄道の学園線への乗り継ぎに失敗して、講義の開始時間に間に合わない。

 学園線の事実上の始終着駅にして、道内の特急列車の起終点駅になっている札幌駅の直下にある乗り換え駅に着くと、券売機に走った。地下鉄は磁気式プリペイドカードで乗れるのだが、日本旅客鉄道はそんな便利なものはなく、券売機で切符を買わねばならない。切符を買い改札を通ると、札幌駅発学園線茨戸文教大駅行の列車になる列車は入線しているところだった。列車の扉が開き列車に乗り込むと、席に座る。数駅で目的の駅とはいえ、それなりの距離なので、立ちっぱなしは辛い。学園線の沿線はベッドタウンになっているので、結構な人数の乗客が乗り込んでいた。列車は定刻通りに発車した。

 列車が学園線茨戸文教大駅に着くと、駅前のバス停に駆けていく。茨戸文教大方面の路線のバス停には、既にバスが停車していた。バスに乗り込むと降りやすいに前方の席に座る。バスは定刻通りに発車したのだが、途中で道路工事の関係で片側交互通行になっている場所があり、大学の最寄りのバス停に着いた時は、定刻よりかなり遅れていた。バスから降りると、脱兎のごとく大学に駆けて行った。

 講義室に講義開始ギリギリの時間に滑り込むように、皐は入室した。二年生の講義なので、まだ共通講義棟の講義室で講義をしているとばかり思っていたのだが、共通講義棟の同じ番号の講義室の学科棟の講義室で講義は行われていた。講義室の識別のために振られていた識別記号を見落としていたのだ……

 講義室にいる学生が、トルストがどうのドフトエフスキーがと話しているのを聞いて、部屋を間違えているのではないかと心配になり、隣の学生に聞くと、赤池先生の講義は学科棟で行われていること、聴講生が識別記号を見落として、共通講義棟のこの部屋に迷い込むことが有ることを教えてくれた。父親が教鞭をとっている人文社会学部人文社会科学科は共通講義棟からは一番離れていると言う非情な現実も教えてもらい、慌てて飛びしたことは言うまでもない。

 皐は、父親の赤池敏彦が開講している『スケープ・ゴートとしてのオカルト』の講義が行われている人文社会科学科の学科棟の講義室に到着すると、父親は聴講生に講義の資料を配っていた。

「すいません、遅れました……」

 皐は、遅れたことを詫びる。

「見ない顔だな、聴講生?遅れたのは、あれだろ。片交でやってる道路工事でバスが遅れたんだろ?朝通勤する時に、片交と信号で十分以上時間を取られた」

 赤池は、咎める様子もなく、あの片側交互通行で行われている道路工事のおかげで、通勤に時間がかかったと、ボヤく。

「今日の講義というより、先週から始まった講義の資料。講義が始まるまで目を通しておくように。新入りだろうが、留年居残り組だろうが、情け容赦無く意見を言ってもらうから、その覚悟で」

 赤池は、新参者で途中参加者である聴講生にも容赦なく意見を言ってもらうと恐ろしいことを言いながら、講義の資料を渡して来た。

 皐は、父親から資料を渡された講義の資料に目を通す。講義の題は『なぜ、食中毒の被害者を人狼と称さなければならなかったのか』と言うものだった。皐からすれば、キョトンとする題だった。

 人狼、世間では狼男のほうが通りが良いだろう。その存在が実在のものであることを知っているので、食中毒被害と称することには、腑に落ちない物があった。知っている人狼さんから聞いた話では有るが、食中毒被害の被害者なのに、人狼の濡れ衣を着せられ、殺された人間が存在することも事実なのだが……

 講義は、前回のおさらいから始まった。聴講生随時受入れという門戸を広く開放している講義だけあって、途中から聴講を始めた聴講生に配慮していた。しかし、おさらいをしている最中から、質問を学生に投げかける。

「前回は、人狼はある作物の栽培地とその伝承の分布地が重なっていると話したが、ある作物とは何だったかな?最上」

 指名された最上は、慌てて答える。

「ライ麦ですか?」

「そうだ、ライ麦だ。ライ麦の栽培地と人狼の伝承地がなぜ重なるか。それは、麦角菌に感染し汚染されたライ麦を食したからだ。原因になっているのは、麦角菌に含まれる麦角アルカロイドだ。アルカロイドは基本的に毒なのだが、医薬品としても使われている。有名なのはモルヒネ、アトロピン、アコニチンだな。モルヒネは言わずと知れた鎮痛剤、アトロピンは散瞳剤とか有機リン系中毒の治療薬、アコニチンは薬よりも毒薬で有名で、これを悪用した悪い奴が居る。脱線しすぎないうちに本題に戻らないとな……」

 中退とは言え医学部に居ただけあって、アルカロイドの種類や用途を淀みなく説明する。

 そして、次に指名する学生を選ぶのだが、学生の中に一人、指名して下さいとオーラを出している学生が居た。

「飛島、指名した奴が明後日方向の意見を連発して、二進も三進も行かなくなるまでは、指名しないぞ。指名すると、一から十まで開陳するし、それを当て込んで下調べをしてこない連中が出てくるから……」

 赤池は、顔を渋くしながら、指名して下さいオーラを出していた飛島を牽制し、講義室の中を見回す。一瞬躊躇したが、田川という学生を指名することにした。

「田川、食中毒の被害者を何で人狼と呼称する必要がある?」

 指名された田川は、考えながら発言する。

「食中毒だとは、思っていなかったんじゃないんですか?」

 参考書籍を読み込んできたのかと赤池は、ため息をつきながら言う。

「残念だが、病気らしいという認識はあった。ある修道院に行くと治療できると言われていて、その修道院に行くと何でか治ると……」

 しっかりしてくれと言わんばかりの顔をしながら、ダメ出しをし、田川の次に誰を指名するかと、思案する。新入りの聴講生でも、意見を出せないこともない程度のものだからと、新入りの聴講生を指名する。

「新入りの聴講生、名前と意見を」

 指名された皐は、

「聴講生の赤池皐です。食べ物が原因だと知られたら、社会不安を招くからですか?」

と、名乗って、意見を言う。

「赤池、悪いな。教務の連中が、新しい聴講生が来ると今朝になって言ってくるから、聴講生貸出用の参考書籍も用意できていないと言う体たらくで済まん」

 赤池は、聴講生の赤池皐に謝罪する。

「さて、赤池の社会不安というのは及第点だ。怪しげな術だの薬で人狼に成るのなら、それを教えたり、売り捌いている奴をとっ捕まえれば済むが、主食が原因で人狼になりますなんて知れ渡ったら、恐慌状態に陥る。問題は恐慌状態に陥るだけで、済むのか?」

 皐の意見に対し、意見への評論と補足をする。

 主食が原因であると知られた場合、恐慌状態だけで済むのかと言う問題への意見を、誰に開陳させようかと講義の残り時間と学生の顔を見比べながら考える。この講義の後に共通講義棟で講義のある学生も居るので、時間超過は許されない。飛島以外に発言させると、時間超過をしかねないので、飛島に発言させることにした。時間が余れば、毎年、時間が余ればやっている、あのネタをやればいいしと……

「飛島、食中毒の被害者を人狼と称さなければならない、他の理由は何だと思う?」

 仕方ないなと言うような表情を隠すことなく、飛島を指名すると、飛島は待ってましたと言わんばかりに意見を言う。

「食中毒の被害者を人狼と呼称していた人間が比較的安全な食べ物を入手できる立場にある人間なら、農民や庶民の主食が原因であることが露呈し、食中毒の被害者を人狼と称していた人間からは被害者が出ていないことに気がついたら、矛先が自分たちに向くかも知れないからだと思います」

 飛島が意見を言うと、赤池は感心するとともに、飛島に頼って他の学生が下調べをしなくなるのではと言う不安がどんどん大きくなる。

「飛島の意見は最もだ。飛島、食中毒の被害者を人狼と称した人間は誰だと思う?」

 さらに続けて、スケープ・ゴートを仕立てた人間が誰かと、意見を求める。

「支配階級の人間である、教会と王侯貴族だと思います」

 飛島は、支配階級の人間だと答えた。

「何故、教会も食中毒の被害者を人狼と称した側の人間だと思った?」

 赤池は、飛島に教会が含まれている理由を求める。

「中世の頃は、教会と王侯貴族の関係は、二人三脚や持ちつ持たれつ。日本の寺社勢力は独自の軍事力である僧兵を有していたところもありますが、教会の場合は基本的に王侯貴族に軍事力を依存し、王侯貴族は教会の宗教的権威に依存する関係なので、不可分だからです」

 王侯貴族と教会の関係を飛島は答える。飛島の答えは、満点と言っても良い。他の学生の理解が追いついているのか、全体に質問する。

「さて、飛島の言っていることが、何が何やらと理解に苦しんでいるのは居るか?今の内に素直に自供すれば、補足や解説をするぞ?」

 赤池に、そう聞かれた学生達は、本当に理解しているのか甚だ疑問だが、誰も挙手しない。挙手がないので、理解していると前提で、話をする。

「まず、人狼とは麦角菌に感染し汚染されたライ麦を食した結果の食中毒に起因するものである。次に、食中毒の被害者を人狼と称しなければならない理由として、社会不安を招くことと、食中毒の被害者を人狼と称している側の人間に矛先が向かないようにすることである。最後に、人狼と称していた人間は、二人三脚で農民や庶民を支配していた教会と王侯貴族だ。もう一度聞くが、理解したか?」

 赤池は、今日の講義を簡潔にまとめて説明し、講義の内容を理解しているか、学生に問うが、誰も挙手をしない。

 講義の後に、研究室に実はと、学生がやって来るのは毎度のことなので、辟易しているし、どうせ質問してくれるなら、講義中のほうが、他の学生の知識も広がるのだが……

 時計を見ると、講義終了時間ギリギリになるかなと思っていたのだが、講義のまとめをした後に、全く質問が無かったお陰というか所為で、時間が三十分ほど余っていた。今度こんなに時間が余る機会が何時訪れるか分からないので、例年学生に意見を聞いているアレをやることにするかと、黒板にある言葉を書く。

その道の人には、至らぬ描写があるかと思われますが、ご笑覧ください。

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