64話
その後も益体のない話をつらつら続けていたのだが、ふと気付く。
空気が腐臭を放ち始めたのだ。
無論、近くに腐乱死体があるとかそう云うわけではない。
不吉と云うものの匂いを感じ取ったためで、この感覚を共有出来るのは誰も居ないだろう。
とは云え、奇妙丸も何処か顔色が悪いのは……。
「父上、何やら気分が悪いのですがこれは……」
「だろうな」
それ以外に何があると云うのか。
信長は立ち上がり、腰に宗三左文字とエクスカリバーを佩いて近くに置いてあった外套を奇妙丸に投げ渡す。
「マーリンお手製で火に強いし普通の攻撃にもそれなり以上の耐性がある。ちゃんと羽織っておけ」
「ハッ!」
元服した頃から使い続けている魔女の外套。
信長の鎧代わりのもので、本来ならば彼が着けているべきなのだろう。
が、そこは親心と自分を更に追い詰めるため自分よりも直接戦闘の機会が少なかった奇妙丸に貸し与えた。
奇妙丸も父の気遣いと意図は分かっていたので大人しくそれを受け取る。
不利な局面、そこで何かを得ようと思えば自分から更に危機へと向けて飛び込まねばならない。
そんな信長の信条をよーく知っているから何を云っても無駄だと分かっている。伊達に親子をやっていないのだ。
「(援軍が来るまでまだ時間はある、それまでは百の兵で持ち堪えねばならない)」
つぅ、と奇妙丸の額に汗が浮かぶ。
油断しているように見せ掛けるため持って来られる兵は少ない。
そして、光秀がちゃんと動けるようにするため安土の兵もギリギリまで動かせない。
ハッキリ云って極限状況だ。
こんな中でも戦意を滾らせてはいても、まるで怖じていない信長。
奇妙丸はそんな父の背を見て、己の気を落ち着けさせる。
信長の後継がこの程度で何を怖じている。
父上は出来ないことを人にやらせはしない。
己は生き延びられると評価してくださったから囮の打診をされたのだろう。
此処でビビっていては父の名に泥を塗るようなもの。
嫌だ、そんなものは嫌だ――母譲りの蛇眼が俄かに鋭さを取り戻していく。
そうして自分が落ち着いたことを確認すると、奇妙丸もまた準備を始めた。
「あ、明智光秀様の軍勢が此方へ向かっております! い、今直ぐお逃げください!」
二人が戦仕度を終えるのと同時に別室で待機していた蘭丸が飛び込んで来る。
当然の如くに聞かされていなかったので顔面蒼白で酷く気の毒の有様だ。
「もう結構近くまで来てんだろ? だったら逃げらんねーよ」
「し、しかし今直ぐに逃げれば……!」
「違う。姿を見せた時点で蟻の巣穴一つ無くなってるってことだ。光秀舐め過ぎだぜ」
万を優に超える兵力を、発覚が遅延するように薄く分散して京の四方から侵入させて本能寺を包囲。
一つ辺り千で十数、光秀が直接率いて来るのは数千程度か。
大体そんなところだろうと予想は立てていた。
光秀の直轄部隊が本能寺から視認出来る距離に居るのならば既に包囲は完成していると云っても良いだろう。
以前信長が使ったような民衆扇動による脱出も使えない。
何せ近場に民が居ないし、もう完全包囲されているのだから。
「……地獄までお供致します!!」
「待て待て、早とちりするなや」
トップ二人が落ち着いているのは死に際に醜態を晒さないため。
そう思ったのだろう、蘭丸も覚悟を決めたのだがお門違いだ。
「俺は別に死ぬ気は無いぜ? つーわけで、指示を出すからよーく聞け」
「は、はい!」
蘭丸に兵への指示を託すと、信長は奇妙丸を伴って本能寺の屋根へと上がる。
当然のことながら外灯も何も無い時代ゆえ真っ暗だ。
それでも、夜間の行軍ではどうしたって火が必要不可欠。
明智軍のものと思わしき火が四方あちこちに存在している。
信長の読みは正しく、既に包囲されているようだ。
「これは……」
包囲自体に驚きはない、しかし別の部分で驚くことがあった。
聖剣で強化された視力が捉えた兵達の顔――どれもこれも正気のそれではない。
心此処にあらずで人形の如く、その癖殺意だけはこれでもかと漲っている。
誰が見ても一目瞭然だ、彼らは操られている。
が、人の用いる手段では心神喪失状態に出来たってそれ以上は不可能。
とても兵として率いることなど出来ようはずもない。
つまるところ、
「……魔道の術か」
そりゃそうだ。
普通に信長に逆らうと云っても光秀はともかく末端は混乱するだけ。
離散する兵だって居るだろう、織田信長と云う男の恐ろしさを鑑みれば当然だ。
「が、解せんな」
織田家に属する者ならば――いやさ、それ以外の者であろうと誰もが知っている。
織田信長と云う人間は戦に際して魔道の力を使わぬ、と。
人の営みは人が作るべきもので、それを忘れてしまえば人は腐るから。
聖剣もそのカテゴリーに入るが既に人の営みに組み込まれているものだから、聖剣伝説として。
第一、その聖剣にしたって人知を超える力を発揮したのは数えるほどだしその数えるほどの戦も理由あってのこと。
一度目は初陣で矢除けの加護を使った際だ。
そもそも謀反を知る前は大名になんてなるつもりはなかったので魔道についての方針なども定めていなかった。
二度目は桶狭間、あれは云わずもがな、先に使って来たのは今川だ。
三度目は手取川で謙信と相対した際だが、あれも先に化け物になったのは謙信である。
その他、前線で聖剣を振るう際には強化が発動するが強化自体は人知の範囲。
脳内麻薬やらリミッターなんて人の枠に収まる程度のもの。
ちなみにもっとも分かり易い奇跡たる矢除けの加護だがあれは基本的にカットしている。
元々オート発動だったのをマーリンにどうにか出来ないか相談してもらってONOFF可能にしてもらったのだ。
目に見えてる分かる奇跡である矢除けの加護が発動しないので、魔道に対する方針を論って突付いて来る者も居ない。
「基本魔道は使わないって公言してるが、相手が使えば遠慮なく使うとも云ってるってのに……何だこれ?」
問題はそこだ、先に述べた方針を深く理解しているはずの光秀。
その彼が何故、魔道の力を用いているのか。
光秀本人が魔道なのか、或いは魔道の徒を傍に置いているのかは分からないが……。
「それだけ自信があるってことか? 千年の魔女マーリンにも負けぬって」
確かに今の快復し切っていないマーリンは全盛にはほど遠い。
が、彼女の言を信じるのならばそれでも超一流クラス。
そしてマーリンと云う女は必要以上に自分を大きく見せることはないので事実だろう。
ゆえに、その超一流ともタメを張る自負があるのだと信長は推測したがそれは半分正解で半分間違いだ。
安土に帰還してから信長はその事実に気付くことになる。
「マーリン」
肩に担いでいた聖剣に語り掛けると直ぐに返事が聞こえて来た。
『ええ、聞こえているし見えているわ。そっちがその気ならこっちもそうしましょ』
「ああ、死ぬかと思っていただけに拍子抜けじゃあるがな」
今、マーリンは京へと向けて軍を動かしていた。
本来ならば援軍が来るまで光秀の猛攻に耐えて耐えて命を拾う気だったが、最早その必要も無い。
拍子抜けとは云ったが、どうにも嫌な予感がする。
が、相手が魔道の徒となれば当初の予定通りに進めても危ない。
嫌な感じが拭えないものの、自分の命と奇妙丸の命を優先した。
普通の戦ならばともかくこんなもので命をくれてやれるものか、と。
『何処の若輩者かは知らないけれど――――』
雄叫びを上げながら本能寺へと突っ込んで来る明智軍だが、
『千年を生きる魔女の恐ろしさを教えてあげるわ』
その大半が一瞬して消し炭となった。
彼らを滅したのは天より降り注ぐ雷、雷が雨の如くに明智軍に降り注いだのだ。
しかもその雷は命を奪うが多少粉塵は上がっているものの家屋などには傷一つついていない。
「父上、これは……」
目を白黒させている奇妙丸、そりゃそうだ。
援軍が到着するまで決死の戦いをすると思っていたのにいきなり雷が振って来たのだから。
「ああ、マーリンだよ。悪いな、何か折角気合入れさせたのによ」
云いながら信長は眼下の兵に視線を向ける。
勢いが空回ったのは何も奇妙丸だけではない。兵達もまた、決死の覚悟を決めていたのだ。
現代の価値観では理解し難いかもしれないが、彼らは降伏をする気がなかった。
光秀が受け入れる受け入れないの問題ではない。単純に嫌なのだ。
命よりも大事なものなんて、と思うかもしれないが嫌なものは嫌。
彼らには自負がある、信長と云う絶対正義の男と共に戦っているのだと云う自負が。
目に見えるほどに生活の質を向上させて、豊かな暮らしを提供してくれた信長。
どんどん敵を討ち滅ぼし、夢幻の如くに霞んでいた太平を現実のものにしようとしてくれている。
今の自分達の暮らしがいずれはもっともっと広まる、皆が豊かになって幸せになれる。
それは誰のお陰だ? 聖剣王信長のお陰だろう。
その絶対正義に楯突く不義の輩に命乞いをするなど耐えられない。
「皆もすまんな! 折角意気込んでくれてたのに……だがまあ赦せ!
先に反則を使って来たのはアイツらだ。ゆえ、俺も応報させてもらった」
傍目には敵が魔道を使っていたかどうかなど分からない。
それでも兵達は信じた、何せ他ならぬ信長の言葉だから。
金ヶ崎の撤退と云う絶体絶命の危機にすら魔道を用いなかった信長だ。
今、ピンチだからと己が定めたルールを捻じ曲げて魔道を使うような男ではないと理解している。
「応報とは云うけれど、完全に出来たわけではなさそうよ」
雲の間から覗いた僅かな月明かりが信長に影を作り、その影よりマーリンが出現。
相も変わらず演出過多で、割とそう云うのが好きな信長は引退したら自分もこう云うことさせてもらおうと静かに決意する。
前々から羨ましいとは思っていたのだ、こう云う登場の仕方が。
「と云うと?」
「あれ、光秀以外は全部消し飛ばす気だったんだけど」
すっ、とマーリンがある一点を指差すと粉塵が一気に消し飛ぶ。
そこには健在な光秀、彼が健在であるのは別に構わない。
問題は彼が直接率いていた数千の兵が無傷であると云うこと。
他の方向から雪崩れ込んで来ていた明智軍は総て塵一つ残さず消滅したと云うのに。
「最初に云っておくけど、かなり本気だったわよ私」
弱体化した状態で出せる力、その八割ほどを行使したのだ。
全盛にはほど遠い今のマーリンだが、それでも超一流クラス。
その超一流が八割の力を尽くしても滅し切れない。
であれば、先の予想は当たっていたのかもしれぬと信長は目を細めた。
「そう、か……しかし何だい、ありゃ? 気持ち悪いにもほどがあるぜ」
信長が顎で残っている明智軍を指す。
彼は動かない、こうなれば玉砕がてら突撃! でもなければ全力逃走! でもなく完全停止。
光秀は一体何を考えているのだろうか。
「……父上、これは罠では?」
光秀は信長の気質をよーく知っている。
こう云う場合、織田信長と云う人間は先ず間違いなく前へ出て自ら確認に行く。
そこを狙っているとは考えられないだろうか? 奇妙丸の言葉は尤もだ。
信長自身も、己がそう云う気質の人間であると自覚している。
「もしくは……マーリン」
が、もう一つ可能性があった。
わざわざ魔道の兵を用いて攻めて来たことから推察出来ることがある。
それはマーリンを此処に誘き寄せるためでは? と云う可能性だ。
兵を率いて安土を離れていたため、元々安土には居なかったわけだが敵からすれば知ったことではない。
「……異常は無いみたいよ」
敵が魔道の徒であると分かった時点でマーリンは己が率いていた軍を安土へ転移させていた。
仮に安土で何かあっても対処出来るようにと強化の魔法をかけて。
元々全軍を率いて来たわけではないので安土にも兵は残っていたのだが念には念を、だ。
そして安土の軍を統率しているのは帰蝶で、今マーリンはその帰蝶と連絡を取っていた。
安土で目に見える異変は無し、帰蝶が居る天守から視界をリンクさせて周囲を窺って見ても特に異常は無い。
帰蝶だけでなく同じように視界をリンクさせた使い魔を安土領内を飛び回らされているがやはり異常は無い。
「見事に行動を縛られているな」
「そうね、まんまとしてやられた感があるわ」
細かい異変を察知しようと思えば、今のマーリンでは直接安土に帰還するしかない。
転移すれば帰還は一瞬だが、調査をしようと思えばそれなりに時間がかかる。
その間に光秀が何かを仕掛けて来る可能性もあるし何より安土では目に見える異常が無いのだ。
であれば此処に残るのが普通で、だがしかし、そうやってマーリンの動きを制限しているのでは?
幾つもの疑念が生じて雁字搦め、優先順位で云うならば疑いようもなく信長なのだが……。
「こりゃ、何らかの痛手は喰らうと覚悟しておいた方が良いかもな」
マーリンが傍に居る限り、自分と奇妙丸がどうにかなる可能性は皆無だ。
そしてマーリンとリンクしている帰蝶も。
しかし、それ以外の何か別の部分で痛手を喰らう可能性は高い。
ベストな手は打てない、最早その道は封鎖されていると見るべきだ。
「行くぞマーリン」
兎にも角にも光秀と顔を合わせねば状況は動かない。
「ええ、お供するわ」
二人は一度だけ視線を交して屋根から飛び降りた。




