62話
織田信長と云う人間をどう評する?
そう問われれば、私――明智十兵衛は迷わずこう答えるだろう。
『優し過ぎるほどに優しい人』
ああ、分かっている。世評や信長様の自己評価にはそぐわないだろう。
無垢なる民草には愛深き仁君、聖剣に選ばれた無謬の王。
商人などは自分達の使い方をよく熟知し、両者が得をするよう取り計らってくれる良い商売相手。
味方の武士は情深く、しかし敵には容赦せず恐ろしく頭が切れて地を這う姿がまるで想像出来ない無敵の男。
敵の武士は戦上手、人心を操る術に長け正攻法のみならず搦め手でもじわりじわりと首を絞めて来る厭らしく強大な敵。
他にも色々な評価はあるだろう。
が、他者からの評価は大体この辺りだ。
そして信長様自身は己を自分勝手、独善的、陰湿、女好きとかそう評するだろう。
聞いたことはないが、先ず間違いなくそんな感じの答えが返って来るはずだ。
あの御方が基本的に自分を評価しない。女絡みの手練手管ぐらいだろう、胸を張って御自身を評価なさるのは。
それはそれでどうかと思うのだが、まあそこは良い。
信長様の自己評価はともかく、先に挙げた第三者の評価だ。
ああ、間違っていないだろう。そう的外れではない。
愛が深いのは確かだし、大名としては珍しく商人を軽視せず、むしろ丁寧に扱っている。
まあ、そこで調子に乗った連中は問答無用で潰されていたが。
しかし、道理を弁えている商人に対しては決して損をさせることはない。
敵に対しての容赦の無さ、負ける姿が想像出来ない、戦上手、人心を操る術に長ける。
それらもまとめてその通りだと思う。
そんな評価が出ると云うことは実際に能力が備わっていると云うことだから。
が、私は思う。それはあくまで表層だ。本質を突いちゃいない。
一番誓いのは愛深き仁君だが……それにしたってその深度を理解してはいない。
愛に満ち溢れた方だよ、本当に。
生まれからして呪われている穢らわしいこの身が焼き尽くされてしまいそうなほどだ。
それでも、過ぎれば毒なのだ。酒は百薬の長と云うが彼の毛利元就の父や兄はそこの酒で身体を病んで死んだではないか。
その事実からも分かるように、どんな良いものでも過ぎれば害悪にしかならないのだ。
愛と云うのは諸刃の剣。
誰もそこまで愛深く在れないから気付かないだけだが、愛と云うものはその実、とても恐ろしい代物だと私は思う。
ああ、こんなことを云えば怒られるかな? 何故そこまで愛に対して懐疑的なのだと。
だがまあ待って欲しい、私は私なりの経験を下にそう判断したのだ。
そりゃ生きた年数自体は誤魔化せないが私は同年代の人間と比べても重ねた時間に比して中身が薄過ぎる。
知識とか頭が回るとかそう云う面ではまあ、それなりだと自負している。
後は戦の手腕だとか政治の手管も。
だが、そう云うことではないのだ。
表層的な能力で私より劣る同年代の者は数多居る。
自慢するわけではないが私は使える人間だ。方面軍司令官に任ぜられ、多くの領土を任されていることからもそれが分かるだろう。
ぶっちゃけ大半の人間が私よりも能力が低い。
それこそ、織田家中では同じ方面軍司令官や帰蝶ぐらいだろう。肩を並べられると云う意味では。
魔女や信長様については圧倒的に上で……ああでも、羽柴もそうかな? 後、徳川も。
まあとにかく、私と並ぶ、或いは凌駕する人間は少ない――表面的な能力と云う意味では。
しかし、だ。先にも述べた中身ではそれこそ十代の小僧小娘にも劣るのではないか?
卑下しているわけではない。厳然たる事実としてそうなのだ。
中身とは何だ? そう問われればこう答えよう――他者との関わりである。
人間は一人で完結する生物ではない。他者ありきの生き物なのだ。
ほんの一言二言交わしただけ。
いやさ、例え言葉を交わしていなくてもぱっと視界に入れただけ。
それだけでも立派な関わりだ、何かしらの影響は必ず受けている。
例えばそう、みすぼらしい人間を見てこう思ったとしよう。
『自分はこうはなりたくないから、頑張って働こう』
良いことだ、しかしそれはみすぼらしい人間が居たからこその自戒である。
ただ見ただけの他者ですら立派な関わりだ。
そう云う意味で私より能力が劣っている者達は数え切れないほどの人間と関わって来たはずだろう。
気付かなかったり活かせなかったりしても、関わりによって厚くなった中身は確かに存在している。
気付くこと、活かすこと、それもまた別の関わりによって出来るようになるかもしれない。
可能性に満ち溢れていると断言しても良い。
反面、重ねて云うが私の中身は薄い。
何せ、朝倉に仕えるまでの数十年の間に私が関わった人間は――――たったの二人だけ。
何を馬鹿な冗談を、と思うかもしれないが事実なのでしょうがない。
ああ、私だって認めたくないし心底恥じている。ハッキリ云って汚点だ、出来ることならば目を逸らしてしまいたい。
嫌なことから目を背けられないと云う意味で、信長様に似ているのだろう。
まあ、似ていて当然とも云えるがまあそこは置いておく。
補足しておくが、その二人とは両親――と云うわけではない。
そりゃ私も木の股から生まれたわけではないので父母は居る。
実際、接して来た二人の内一人は実際に私を産んだ母だ。
父とはまあ、事情があって会うことが出来なかった、そしてそこに対する非は母にある。
無論、私とて厚顔ではないから父を父と呼ぶことは出来ないが。
自分に責が無いとしても、愚かな母が事実として居るから私はあなたの子などと云えようはずもない。
……話がずれた。私が関わった人間二人についてだ。
一人は先にも述べたが母、もう一人も――――ある意味では母と呼べる女。
心底おぞましく、憎らしいし、忌避感は永劫拭えないし何時か殺してやろうと思っている女だ。
二人に共通しているのが行き過ぎた愛で己も他人も害する類の人間であると云うこと。
信長様の愛は大部分が自分を蝕んでいて、他人にも心配をかけると云う意味で害を成していると云っても良い。
しかし、先の二人は違う。
本当に迷惑なのだ、害悪と断じるべき存在だ。
しかも一方は実の母、そんな女の胎から生まれた事実が心底おぞましい。
どれだけ父の胤が素晴らしくとも、母の胎が腐り切っていれば意味は無い。
そう云う意味で帰蝶が産んだ信忠や他の弟妹や他の女達が産んだ子供達は運が良い。
父母共に素晴らしい人間なのだから。
詳細を語るのも億劫なので、深くは切り込まないが二人の母についてそれなりに説明してみよう。
実の母は自制の利かぬ愚か者、赦されざるとしても愛してしまったのだからしょうがない。
私は我慢していたの、でも迷惑をかけぬ手段があるのなら甘えても良いじゃない、だって苦しいのよ――って阿呆か。
私が生まれた時点で迷惑をかけているだろう。よくもあれで母親ヅラが出来るものだ。
無垢だった頃は素直に母と呼んでいたが道理を弁えてからは視界に入れるのすら嫌になった。
で、もう一人はもっと分かり易く迷惑だ。
愛する唯一人が総て、愛する者以外は等しく無価値、愛する者が居ない世界がどうなろうと知ったことではない。
分かり易く害悪をばら撒く、いっそ笑えるほどの典型的な糞だ。
私の誕生に関わったのもそいつで、実母も唆されたようなもの。
まあ、私からすれば忍び耐えることをせず甘言に乗った時点で弁解のしようもないと思うが甘い価値観の人間は被害者と云うかもしれない。
そんな人間を間近で見ていたからこそ愛と云うものを無条件に全肯定出来ないのだ、私と云う人間は。
正直、今挙げた二人のような人間が愛に狂って破滅するのはどうでも良い。
むしろ自業自得とスッキリするぐらいだろう。
だが、信長様は駄目だ。あの御方の破滅への道行きは見ていられない。
身内に優しい、それは事実だし実際に身内に対する愛情は群を抜いている。
しかし、だからとて他の人間に対しての愛が無いわけではない。
先に処断した松永弾正久秀や、それこそ信玄や謙信のような敵対していた大名から叡山や高野の腐れ坊主に至るまで愛している。
戦で散る一兵卒に至るまで、あの御方は愛を注いでいる。
やると決めたことを成すために覇道を往かねばならない、ゆえに手ぬるい真似はしない。
だが決して悔やまない、悔やんではいけないと己を戒めている。
嫌だと、そう思うのならば初めからやるべきではないから。
辛いと思うことすら罪悪であると断じて、代わりに散った命が無駄ではないのだと証明しようとしている。
平和な世の中を作り、より良い暮らしを広めることで。
流れた血を凌駕する幸福を打ち立てることで無駄ではなかったのだと。
奇異とも映るほどに、信長様は命に対して価値を見出している。
立場ある人間ならばともかく、有象無象の命にまで。
だがそれは最初からそうだったわけではないはずだ。
元々、そう云う土壌はあったのかもしれないが深くは考えていなかっただろう。
だが、死者の念に囚われ進み始めた覇道の中で次々と命が散って行く。
最初は味方の命、次なる切っ掛けは叡山、必要なこととは云え僧侶以外も殺した。
それでも罪悪を覚えることが赦せない、恐らくはその辺りで散った命が無駄ではないと証明することを考え始めたのだろう。
そこから浅井長政と云う好感を抱いていた義弟も殺しどんどん荷物が増えて行く。
背負ってしまえば何一つとして下ろすことが出来ない御気性ゆえ、どんどん自分を追い詰めてしまった。
流れた血が無駄なものであってはならない、呪いのように己に云い聞かせながら転がるように前へ前へ。
真田の兄弟二人から信長様の国家像を聞いた時は眩暈がした。
流された血に見合うだけのものを――そう云うことなのだろう。
……まだ、まだ日ノ本だけで完結するのならば良かった。
それでも良いじゃないか、百年二百年は確実に安泰なのだから。
外海にまで手を伸ばす、侵略と云う意味でなくともそうすれば当然、軋轢が生まれる。
小競り合いなども起これば、間違いなく信長様自ら軍を動かすだろう。
二代目に、信忠に頂点を譲り渡してしまえば死んでしまっても構わないから。
そこで負けて死ぬのならば良い、しかし想像出来ないのだ。
私も同じだ、他の家臣らと同じようにあの御方が敗北するところが想像出来ない。
が、勝ってしまえば信長様はその命のため更に自分を追い詰める。
占領してしまえば、だ。そこに住まう者らのためにあれこれと世話を焼くだろう。
そうやって、最後の最後、寿命が来るまで背負い続けそうして、死んで行く。
嗚呼――――何て酷い生き様だ。
尊くはあっても、そこに幸福があるとは私には思えない。
日ノ本を統一してしまえば、後はもう良いではないか。
もう十二分にあの御方は戦った。
応仁以来の戦乱の世が終わりを迎えようとしていて、それは信長様の功績だ。
それだけで十分だろう、誰にでも出来たことではない。
止まれない、あの御方はもう止まれないのだ。
外海に出てしまえば、何が起こるか分からないと云う意味では日ノ本の比ではない。
倒れるその日まで、心の臓が動きを止めるまで苦難の道を歩き続ける。
嫌だ、そんな姿は見たくない。救って差し上げたい。
嗚呼、だが哀しいかな。真っ当な方法では救えない。
誰かに云われて止まる程度ならば、背負っている者を自分から幾つか捨てられる。
そうして身軽になって、自身の幸福を目指せるだろう。
だから……ああ、やはり血は争えないと云うことか。
散々悪し様に罵った、二人の母。私もあれと同じ穴の狢だ。
毒にしかならぬ、害悪を振り撒く、自制が利かぬ――――悪しき部分が凝縮した負の遺産こそが私か。
そして、実母を誑かしたあの女は、きっとこれを予想していたのだろう。
良いだろう、利用されてやるさ。
私が望みを果たすことは、あの女にとっても望みを果たすこと。
そしてそれが叶ってしまえば最早悔いはないだろう? 私が殺してやる。
だから一先ずは、一先ずは手を組んでやろうじゃないか。
そんな私の想いに呼応するように、室内の影が蠢く。
小姓も近習も誰一人として近づけていないし、今は草木も眠る時間だ。
微かに揺らめく蝋燭の炎が照らす室内には私一人しか居ない。
だと云うのに、気配が徐々に徐々に生まれ始めている。
信長様は凄い、魔女を傍に置いていてこのようなことも日常茶飯事なのだろう。
しかし、私はどうしたって慣れそうにない。生理的な嫌悪が拭えないのだ。
「フン……多くを語る必要はあるまい?」
私の言葉に形を成した影は心底愉快そうに頷く。
ああ、どうせ分かっているのだから無駄な問答を重ねる必要はないだろう。
「当然、貴様も力を貸してくれるのだろうな? 足利の馬鹿将軍を操るように、裏方でも構わないが……」
これが役に立つことは知っている。
表でも裏方でも活躍出来て、十全に扱うのであれば表裏両方で使いたいが表に出たくないのならばそれでも構わない。
私の愛が毒に変わり始めた時に気付いた、金ヶ崎の真実。
それと同じように、裏方で策を弄するだけでも構わないと云ったのだが影は首を横に振った。
己も前に出る――まあ、確かにそうかもな。
逆恨みも甚だしいが直接見なければ溜飲が下がらないのだろう。
「ん? 何だこれは……」
ふと、影が私に剣を差し出した。
それは聖剣とも微妙に似通った意匠ではあるが、酷く禍々しい。
蒼と金が眩しい聖性を感じさせるエクスカリバーに比べて此方は紅と銀。
不審がる私に影はこの魔剣の銘を告げた。
「――――クラレント、か」
前話から最終章って感じです。
もうちょっとお付き合い頂けると嬉しいです。




