6話
「しかし、蜂須賀正勝……ねえ」
国衆攻略のため美濃入りした藤乃。
流石に敵国なので、何時も織田家で着ている武士然とした衣服ではなく民百姓の質素と云うよりもボロい衣服に身を包んでいる。
しかし、元々百姓の娘だっただけに藤乃としては此方の方が落ち着くらしい。
「何か、引っ掛かるんですよねえ」
うーん、と首を傾げるもどうにも思い出せない。
多分、何処かで出会っているのだ。
そしてそれは恐らく信長に出会う以前、一番初見の人間と顔を合わせていたのはあの時期以外にはあり得ない。
「多分、愛しの殿方探しとして色々食べてた時期だと思うんですが……うーん……」
信長を除けば九百九十九人も居るのだ。
その総てを詳細に記憶出来ているわけではない。
一応、顔を見れば名前を思い出すことも出来るだろうが……。
「あ」
ふと、あることを思い出す。
「確か帰蝶様が云ってましたね、蜂須賀殿の通称は小六であると」
小六、その名には覚えがあった。
男漁りの時期に出会い、食べたとも食べていないとも云える相手だ。
初めての経験であったため、一際記憶に残っている。
正勝と云う名で繋がらなかったのは出会った際には小六と名乗っていたからだ。
「確か、国衆で父親が斎藤家に従属したとか云ってましたし……間違いはありませんね」
何も出会って直ぐ合体! となるわけではない。
そこに行くまでの会話と云うのも楽しむ性質であった藤乃はその時の記憶を辿り推測が間違いではないことを確信する。
「……ふむふむ、これはこれは」
蜂須賀正勝の父、蜂須賀正利は尾張に本拠を置く国衆だった。
当初は尾張守護――信長や信秀にとっては元主家にあたる斯波氏に従っていたが斎藤に鞍替え。
その時は未だ信秀や信長台頭以前であったため、その選択に関しても間違いではない。
しかし、既に正利の時代より移り変わり、その中で信長が台頭した。
だとすれば、
「小六さんとしては忸怩たる思いでしょうねえ」
流れがどちらにあるかは一目瞭然だ。
斯波氏から一先ずは織田――と云っても信秀や信長のそれではない。
語りだすと長くなるので簡潔に云うと、信秀や信長は元々織田家の庶流であった。
それを信秀が併呑して今の織田家となったわけである。
こんなことは今だからこそ云えることではあるが、小六からすればどうして父は斎藤に就いたのかと嘆いていることだろう。
斯波氏に一旦着き、その中で台頭した織田の本筋に鞍替え。
その後、信秀が台頭して来た辺りで彼に就いていれば自分は信長の下に収まれた。
自分ならばそこで活躍し、更なる地位を目指せたはずだ――と。
「と、すれば……ああ、今は自分を高く売る機を窺っているのか」
小六にとって織田と斎藤の対立は天の恵みだったはずだ。
戦いが長引き、織田方が焦れ始めた辺りで自らを売るつもりなのだろう。
「ふむ、此処ですね」
井ノ口の町へと辿り着いた藤乃は一休みすることもなくそのまま小六の住居へ。
アポなんて取ってはいないが、今回の場合はそれで正解だ。
「(事前に申し入れていたら逃げられる可能性ありましたし)失礼、蜂須賀殿は居られますか?」
戸を開け中に入るとガタイの良い髭もじゃの強面男が座敷に居て、藤乃の顔を見た瞬間……。
「~~~~!!」
カサカサと部屋の隅へと逃げて震え出してしまった。
中々に滑稽な絵面ではあるが、どうしてこんなことになってしまったのか。
それには勿論理由がある。
「御久しぶりですね、小六さん。でも、その反応は酷くないですか?」
「な、何の用だ…………お、御主は今、織田の臣なのであろう……?」
「だからそう震えないでくださいって。何でそんなに怖がってるんです? 前もいきなり逃げ出しましたし、私何かしました?」
ことの始まりは初対面の時だ。
良い具合に話も盛り上がり、さあ一戦やらかそうとなった。
その際、藤乃はいきなりではなく先ず御口で×××をしたのだ。
そこで二、三発出させたところで小六はガタガタと震え出して悲鳴を上げだして逃げ出してしまった。
それゆえ、食べられなかった相手として藤乃の記憶に残っていると云うわけだ。
まあ、口だけでもやったのだからある意味食べたとも云えるのだが。
「お、俺は……俺はお前が恐ろしい! あ、あのまま続けていれば俺は男として死んでいた!!」
それが恐怖の理由だった。
続けていれば得も云われぬ快楽を味わえただろう。
しかし、その後はどうなる? 股間の矜持がピクリともせず、地蔵のように大人しくなってしまえばどうなる?
世継ぎとかそう云うことではない、無論世継ぎを作れなくなるのも大変だがそれ以上に大変だ。
男としての一大事だ、誇りの喪失だ、だからこそ小六は逃げた。脇目も振らず悲鳴を上げながら逃げた。
それはそれで誇り失っていないかと思わなくもないが、自分の中で折り合いはついているのだろう。
「いやまあ、確かに私が御相手した人の中には男を廃業した方も多少は居たようですが何もそこまで……」
多少、ではなく殆どの間違いだ。藤乃はかなり過少申告してる。
「ですが、このままでは話が進まないので明言しておきます。
私はもう信長様以外の殿方に身体を赦すことはありません、だから別に昔の喰い逃しを食べに来たわけじゃありません」
小六からすれば藤乃が訪れた時、恐怖恐怖恐怖でしかなかった。
かつて逃げた自分を仕留めるためにやって来たのだと震えることしか出来なかった。
やっぱりそれはそれで誇り失っていないかと思わなくもないが、心に棚を作るのが上手いのだろう。
「そもそも誰とでも寝ていたのは最高の殿方を見つけるためですし?
それもう見つかりましたから、信長様ですから。
戯れに、気分転換に他に手を出すことはありません。第一、信長様以外で私を満足させられるとは思いませんし」
信長と日々切磋琢磨し合っているのだ。
藤乃はかつての藤乃ではないし、信長もかつての信長ではない。
互いに限界突破し更なる性豪への道を切り開いてしまったセ●クスモンスター二匹。
単純な快楽で満たせるのは互い以外には居ない。
まあ、だからと云って信長にとって藤乃が一番かと云えばそれはまた別だが。
マーリンにも帰蝶に竹千代にも藤乃にも、それぞれにしかない良さがある。
そしてそれは優劣をつけるものではなく、心から愛でるもの。
信長は別に快楽だけを求めてまぐわっているわけではないのだ。
「心も身体もあの御方に捧げてるので浮気はしません。ね、安心出来ました?」
「……いやむしろびびった。お前の如き化け物を信長公は閨で屈服させたのか」
「ええはい。今川の松下殿に仕えてる時分に出会い、勝負し、敗北して総てを捧げたのです」
ふふん、と薄い胸を張る藤乃。
私の男は凄いでしょう? と気分良く自慢しているのだが、
「っと……この話はとりあえず終わりです。私は別件で来たんですから」
やるべき仕事を思い出して軌道修正を行う。
「ですがその前に確認しておきましょうか。どうです? 此処で私を斎藤に引き渡しますか?」
木下藤吉郎の名もそれなりに知られている。
小六の『お、御主は今、織田の臣なのであろう……?』と云う発言を見れば分かるだろう。
しかし、それが良い意味でかどうかはまた別。
勿論、優秀な将と云う良い意味での名も知れているが、それはある程度聡い者の間だけ。
大概の人間には信長の情婦として取り立てられた娘でしかない。
斎藤義龍辺りもそう思っているだろう。
木下藤吉郎は信長に気に入られ寵愛されているからこそ、今の地位に居るのだと。
さあ、そんな人間を確保すればどうなる? 取引材料として使えるではないか。
「……そのような卑劣な真似はせん」
と答える小六だが無論、言葉通りの意味ではない。
機を待ち織田に寝返ろうとしているから、此処で信長の反感を買うような真似をしないだけである。
更に云えば小六は藤乃がただの情婦ではないことを理解している。
それは藤乃と言う一個人がその程度の枠に収まるような小さな人間ではないと知っているから。
優秀な将で、そして女としても信長に求められている。
それが小六の見立てであり、ずばり正解であった。そんな人間に害を成せばどうなるか。
噂で伝え聞く太原雪斎への報復を考えればとてもとても。
悪意と敵意を向けられてはたまったものではなく、信長への恐怖もまた小六が藤乃を売り飛ばせない一因であった。
「何と見事な武者振る舞い、感服致しましたよ蜂須賀殿」
ニコニコ笑顔で小六を賛辞する藤乃だが、当然の如くに本音は看破している。
自分を引き渡すかと云う問いは一応の確認だったのだ。
蜂須賀小六と云う人間が織田に寝返る気があるのかどうか。
そしてその最終確認は済んだ。やはり自身の予想通りであったと。
「私の見立ては間違っていなかった、あなたを推して良かったですよ」
「俺を……推す? それはどう云うことだろうか」
「そうですね、では順を追って話しましょうか」
「うむ、頼む。が、その前に座ってくれ。茶は無いが酒ならばある」
来客用の盃に酒を注ぎ、それを対面に置く。
藤乃はそれならばと家に上がり、盃の前に腰を下ろす。いよいよ調略が始まるのだ。
「先ず、今回の美濃攻略。全権を持つ総指揮は信長様ではありません」
「何!?」
確かに織田家の臣は優秀な者が多い。
小六が知る限りでも柴田勝家、丹羽長秀、滝川一益、佐久間信盛や藤乃――木下藤吉郎が居る。
とは云え、だ。それらにポンと全権を渡すとは何ごとか。
義母たる斎藤道三から国を譲られたのならば信長が陣頭に立ってしかるべきだ。
「一体誰だと云うのだ」
「濃の美姫、帰蝶様ですよ。正当性はあるし、何よりも帰蝶様が陣頭に立つ意味は重い」
諸々の思惑、しばし思案して小六もそれに気付いたのか成るほど、と頷く。
「とは云え、信長様は完全に傍観。
加えて家臣達には帰蝶様の案が間違いだと、納得が出来ぬのならば遠慮なく意見しろと申しておりまして」
「それはまた……大変ではないか」
「ええ。しかしそこは蝮の娘、策の全体図は皆が納得しました。私が此処に来たのは最初の段取りを整えるため」
と、そこで困った顔をする。
「どうされた?」
「最初の段取りは国衆の引き込み、しかしそこで意見が割れたのですよ。私と帰蝶様、そしてそれ以外で」
「と云うと?」
「帰蝶様は他の国衆も引き込める実力があり、本人も優れている蜂須賀正勝殿――つまりあなたを推しました。
その名を聞き、私もあなたのことを思い出し、成るほど彼ならばと支持したのです」
「お、俺を……お前が?」
「ええ。確かに逃げられはしましたが、それとこれとは別。閨に行くまで、酒を酌み交わしたでしょう?」
その際に色々と語らった。
語らいの中で自分は小六が優れた人間であると判断していたと藤乃は云う。
褒められて悪い気はしないのは当然で、小六は僅かに顔を綻ばせる。
「ですが、他の方々は反対をしたのです。御分かりでしょう?」
これは方便だ、しかし決してバレぬ方便である。
何せ事前に帰蝶を通じ根回しはしているのだ。
仮に小六を織田に引き込んだ後でそれをバラせばどうなるか。
家中に不和を招いた愚か者であるとして――――まあ、そう云うことだ。
「う、むぅ……」
「尾張織田を支持せずに斎藤側に回った蜂須賀は信用出来ぬ、と。
ですが、斎藤に就いたのは正勝殿ではなく御父上であり関係は無い。
父の決めたことで、それを子が覆していきなり裏切るなど不義理にもほどがありましょう。
むしろ私は正勝殿は義理堅い人間だと思っています。それは帰蝶様も同じ意見」
ふぅ、と深い深い溜息を吐く。
どうして他の方々は分かってくれぬのかと。実にイヤラシイやり方だ。
織田に就きたがっている小六の前でお前は嫌われているのだと暗に告げたのだから。
その上で、自分と帰蝶は違う、味方であると切り込んでいる。
「私と帰蝶様はあなたを引き込むことが最善と説得に回りました、結果として一度だけ機会をもぎ取れたのです。
蜂須賀殿、どうか織田を助けて頂けませんか? もう十二分に斎藤への義理は果たしたでしょう。
親殺しなどと云う大きな不孝を犯しかけた義龍に味方し続けていれば、いずれは蜂須賀殿の名が地に堕ちまする」
義理に厚い男であると強調し、小六を持ち上げる。
その上でもう十分義理は果たしたから問題ないよと裏切っても大丈夫だと安心させる。
「……し、しかしだな。お前の申すことは一々尤もではあるが、他の臣は俺に良い感情を抱いていないのだろう?
俺にも養わねばならん者らが居る、織田に就き冷遇でもされたら……のう?」
小六としては値を吊り上げてなどと云ってられる状況ではない。
待ち続けて裏切れば、更に織田の重臣達の悪感情を掻き立てられてしまうから。
だからこそ小六は建前を出して、藤乃がそこらはどう考えているのかを聞きたかった。
「問題ありません。正勝殿、良いですか?
あなたが織田に就いて頂けるのならば早速私と共にやってもらうことがあるのですよ。
それは今後の美濃攻略を左右する重要なもの。仮に正勝殿が裏切れば、織田にとっては大打撃。
真面目に務め、仕事を成功に導けば大きな功となり、同時に信も得られましょう」
裏切れば大打撃を与えられるタイミングで動かねば普通は安心する。
どころか、美濃攻略を左右するとまで云われる任務だ。
成功すれば手の平を返すと藤乃は誘惑の舌禍を振るう。
「信長様は功ある者には必ず報います。それは今川方への処置を見ても分かるでしょう?」
「……うむ、信長公は随分と器の大きな御方だろう」
不当な扱いはせず、忠勤に努め、戦以外でも功あらば報酬を惜しみなく与えている。
既に今川は信長に篭絡されていると云っても過言ではない。
「今回、任せられた仕事を成功させれば希望するなら直臣として末席に座ることも可能でしょう。
無論、それだけではなく銭もかなり得られるのは間違いありません。如何でしょう?」
自分と帰蝶の顔を立てると思って織田に助力してくれ。
藤乃は深々とと頭を下げる。
「……うむ、相分かった! 頭を上げてくれ木下殿。この小六、織田に御味方致そう」
「何と!」
「しかし、その前に御願いがあり申す」
「何でしょうか?」
「俺を木下殿の家臣にして頂きたい」
「? それでは、あなたの功は私のものになってしまいますよ。無論、それならそれで私から報いるつもりですが……」
「ならば十分。裏切るとは云え斎藤家への義理もあり申す。直臣にはなれませぬ」
「だから私個人に?」
「うむ、俺を買ってくださったあなたの下に就きたく存じます」
こんなことを言い出したのには無論、理由がある。
直臣になればどうなるか。
その仕事とやらで信を得ても、直臣になれば肩身が狭い思いをすると考えたからだ。
何せ信長直属の臣となった途端、出世争いのライバルになってしまう。
そうなれば過去のことを持ち出してケチをつけてくるくらいはすると小六は判断した。
能力を示せばそれでも出世は出来るだろうが間違いなくやっかみは来る。
周りに敵が居ると安心出来ない、当然の感情だ。
良い思いが出来ても、ふとした瞬間に足を引っ張られて転落するくらいならば次善に流れよう。
藤乃は信長のお気に入りで器量もある、必ずもっと上に行くはずだ。
ならば今は未だ家臣の居ない彼女の第一の家臣になった方が良い。
そこでも十二分に良い思いは出来る。
石橋を叩いて渡る気質の小六にとっては不安を孕んだ最善よりも安定した次善の方が魅力的だった。
それに、藤乃の家臣になる理由も表向きは義理。
自身への悪感情払拭の一手になると小六はそう読み切って提案したのだが、
「(はい――――節約成功)」
彼の提案は総て藤乃によって誘導されたものだった。
分かり易く説明しよう。
信長直属の家臣と、信長直属の家臣たる藤乃の家臣――どっちが給料良い?
つまりはそう云うこと。藤乃は最低限の値段で良い買い物をしたのだ。
普通に藤乃の家臣に、では当然不満が残る。
しかし小六自から、しかもその方が有益だと判断して選んだのならば不満などあろうはずもない。
むしろ自分は良い選択をしたと御満悦――踊らされたことに気付かねば誰もが幸せになれるのだ。
「分かりました。私には未だ家臣が居なくて色々不便もあったので、蜂須賀殿が手助けしてくれるのならばありがたいです」
「では、これからよろしく頼み申す。それと、俺のことは小六と御呼びください」
「はい、それではよろしく御願いしますね小六」
飛びっきりの笑顔を浮かべる藤乃――彼女の方が一枚も二枚も上手だった。




