59話
信長の指摘通りであれば小物感溢れる、或いはサイコパス染みた謙信。
対して言葉は軽薄ながらも大物感を溢れさせてる信長。
ざわめきが広がる中、信長はただただ謙信を見つめていた。
「(さて、どうかな?)」
むしろ肯定するような物言いをしていたわけだし、実際その通りではある。
しかし信長は知っていた。
こう云う手合いに対してあんな物言いは侮辱に他ならぬと。
自らの聖性を誇っていたのだ、他とは違う優越に浸っていたのだ。
天星を地に引き摺り下ろされたようなもので、引き摺り下ろされた側が良い感情を抱くわけがない。
聖性を暴かれ、ただの人間だと指摘された謙信の心情は如何ほどか。
むしろこれよりが本番なのではないかと云う信長の予想は当たっている。
「――――」
攻撃の手を止め、俯く謙信。
心が折れた? まさか! そんな可愛い手合いではないだろう。
動機こそ有り触れているが、今の今まで欺き通して来たのだし戦争――闘争と云う概念に突出しているのは間違いない。
この胸のざわめきを何と表現しようか、まるで津波の前。
不気味な、耳に痛いほどの静寂、確定された禍を待つかのようで――――。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッッッッ!!!!」
それは声――と云うよりは最早雷鳴。
雷轟が如き雄叫びが戦場に響き渡り、誰もがその動きを止める。
と云うよりも、動けないのだ。一部の人間以外は。
英傑と呼ぶに相応しい織田信長、羽柴秀吉こと藤乃以外は。
それなりに距離があって、声すら届かぬはずの距離に居る勝家らの戦場でも誰もがその雷鳴に縛られている。
「俺も真実を暴いたからとて、安心しちゃいないさ。ああ、それが龍の逆鱗であることは理解していたよ」
理解して、その上で爪を突き立てたのだ。
龍の怒りに触れるが、しかし人が龍を倒すのならばそこを狙うしかないから。
しかし、それはあまりにも予想を飛び越えるものだった。
『うわぁあああああああああああああああああ!?』
兵達が恐慌しながら吹き飛んで行く、敵も味方も区別なく。
嵐だ、嵐が巻き起こっているのだ。比喩でも何でもなしに謙信を中心に嵐が巻き起こった。
最早、間近で相対しているのは信長だけ。
「……マジ?」
自分が招いたとは云え、これはない。これはありえない。
謙信はあの日、高野山で見た龍そのものへと変じていた。
彼の完成された在り方に亀裂を刻んだことで、抑え付けていたものが流れ出したのだ。
有り触れた想いをマーリンが評した"神がかり"と云う域にまで到達させているのだ、この男は。
確かに謙信には十の大言を十総て真実にする力は無いだろう。
その点で云えば信長達に劣っている。
しかし、先にも述べたように謙信は闘争と云う概念に突出している。
その突出した部分こそが、神がかりの象徴。
「やべえ、何て云えば良いか分からないし……正直、このまま夢だと思いたいが……」
そうもいかない。
それが、逆鱗を剥ぎ取った者の責任と云うものだろう。
「マーリン」
と、その名を呼ぶや信長が身に着けていた足軽用装備が光となって消え果てる。
変わりに現れたのは何時も通りの伊達男ファッション、そして――――千年を生きる魔女。
「ええ、どうやら私の領分みたいね」
はためく外套、七色の光を帯びたマーリンは静かに天を睨み付ける。
そう、信長が連れて来た一人のお供、それがマーリンであった。
先ほど口ではああ云っていたが、正直信長にそこまでの驚きはない。
謙信相手ならば何が起きても不思議ではないからと云う予感に従いマーリンを連れて来ていたのだ。
そして、羽柴軍に紛れる際に変装道具に化けてもらい待機してもらっていた。
「いや、あれの相手は俺だ。マーリン、お前は人間を護ってやれ」
火を点けたのは己で、聖剣なんて大そうなものもあるのだ。
ファンタジーの主役が如き龍退治に挑んでやろうと信長は哂う。
そしてその瞬間、信長もまた人としての像が崩れ始めた。
高野山ではあくまで見える者にしか見えない幻。
しかし、龍が顕現したのであれば天魔が顕現出来ぬ道理は無い。
聖剣は今の謙信を人理を外れた怪物だと判断した。
そして、ならばこそ担い手にも人理を外れてもらおうではないか。
魂の格、あくまでそのイメージでしかなかったが謙信が龍になれたのならば担い手も天魔になれる。
その魂の格は謙信に決して劣らず、なれない道理が無いのだ。
とは云え亀裂を刻まれたことで謙信がああなったように、切っ掛けが必要となる。
が、信長には謙信のような綻びはなく亀裂を刻まれ流れ出す可能性はない。
あるとすれば聖剣の能力だが、それにしたって必要に応じてブーストしてくれるだけ。
敵が謙信でもなければ幻の天魔が実像を結ぶことはなかっただろう。
そう云う意味で、これは最初で最後の怪獣決戦と云っても過言ではない。
「やれやれ……戦国時代に特撮映画もどきするとは思ってなかったぜ」
紅い紅い鬣のような乱れ髪をした山ほどもある頭巾の無い三つ目の山伏。
さりとて山伏のような厳かさが存在しているわけもない。
纏う法衣は鮮やかな模様で彩られ、外套のように羽織った女物の着物が嵐の如き龍の吐息で波打つ。
怒れる龍の眼光と、痴れた天魔の瞳が交わり――――超常の闘争が始まった。
「……まるで神話の世界ね」
龍の光線を嘲笑と共に飲み込む天魔、余波だけで空が割れ大地が砕けている。
結界を張るマーリンが呆れを滲ませた感想を漏らすのも無理はない。
彼女はあくまで、敵味方戦闘員非戦闘員問わず戦闘の衝撃が届く範囲の人間に結界を張っている。
一応申し訳程度に環境に対しても保護結界を張っているが護り切れていない。
だからこそこんな大地震めいた振動が大地を襲っているのだ。
マーリンの技量であろうとも、人間を完全に保護しようと思えば環境にリソースを割くことが出来ない。
千年を生きた魔女にすら、織田信長と上杉謙信と云う男二人は規格外なのだ。
「私でも見たことないわよ、こんなの」
天魔と戦龍の気が大地を伝い、遠く離れた浅間の山が火を噴く。
そこもまたマーリンの結界が行き届いているので人的被害は皆無だろうが環境被害は……。
この戦いが終われば、始まる以前程度にまで修復せねばならないだろう。
その労力を考えると少しばかり憂鬱になるマーリンだが、彼女は決して信長の勝利を疑ってはいない。
"謙信! 謙信よ! まるで癇癪を起こした餓鬼そのものじゃねえか! ええおい!!"
信長の声が天地に響き渡る。
そこに含まれた嘲弄の情は、この上なく謙信の自尊を傷付けるものだった。
"図星突かれてキレたら龍に変化するって、そりゃ何の冗談だよ!?"
"カァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ……!!"
天魔のドテっ腹に戦龍の頭が突き刺さる。
流れ出す黒い血も何のその、天魔は両手を組んでハンマーのように戦龍の頭蓋へ打ち付けた。
"何か云えやオラァ!!"
そう叫びながら信長は気付いた。
ああ、コイツそもそもコミュ障なんだ――と。
そしてそれを改善する気もない、そもそも他人なんて自分を崇めるエキストラ程度の認識だから。
自分を崇めさせるのに不都合がないのならば改善させる意味もない。
何せこれまではそのコミュ障も、自尊を満たす役に立っていたのだから。
「……ッッ! 少しは、手加減して欲しいものね」
戦龍の咆哮が竜巻を呼び、雷を降らせる。
更に結界の強度を高めるために力を注ぐマーリンだが、その顔色は死体のように青白い。
それだけ消耗を強いられているのだ。
千年の魔女マーリン、護りを考えず自分一人ならばどうとでも出来るだろうがそうもいかない。
もしも此処で結界を緩めてしまえばどれだけの人間が死ぬことになる?
人間同士の戦いで命を落とすのは良い。
何かを掴もうと、信ずるもののために戦った結果でそれが歴史を作っていくのだから。
だが、魔道のようなドがつくマイノリティ如きがデカイ顔するのは嘲笑ものだ。
人の歴史に関与し、人の命を簡単に散らしてしまうことを許容してはいけない。
信長にとってもさぞ不本意な戦だろう、どうしてこんなことをしなければならぬのかと。
これだけの力を持って生まれてしまったのだから。信長も謙信も不幸な人間だ。
魔道に進めば大成するだろうが、共に興味はない。
人としてその生をまっとうしようとしている、少なくとも信長は。
人の手に余る、人の歴史から弾かれてしまうような力は別に要らない。
要らないのに捨てることも出来ない、初めからそうである以上、どうしようもないのだ。
"畜生、こんな戦はこれっきりにして欲しいぜ! まあ、お前のような奴が他に居るはずもないだろうがな!!"
敵がそうであったから、そしてまたそれに立ち向かえる力が信長にあったからこうなった。
噛み合わせが悪過ぎる――端的に云えばそれだけのこと。
「……何と云うか、人間性が如実に表れていますね」
藤乃がポツリと呟く。
謙信が変生した際に、吹き飛ばされてしまったものの……あの巨体だ。
見上げれば何処に居たって見える、それこそ加賀の外に吹き飛ばされていたとしても隣国程度ならば。
藤乃や他の者らが吹き飛ばされたのは戦場から精々数百メートル程度なので尚更である。
「見た目で云えば禍々しいとすら云えるのに、身内の欲目を抜きにしても信長様には嫌悪なんて沸きませんし」
天魔と戦龍、見た目だけをピックアップするのならば前者は酷く邪悪な存在に見える。
阿修羅の如く両面につけられた天狗面と鬼面、真ん中の素顔も嘲弄の笑みで善性は微塵も感じられない。
それでも、忌避感や嫌悪、気持ちの悪さは感じない。
そりゃ確かに馬鹿でかい火縄の射撃一つで山を吹き飛ばしているような様は恐ろしくはある。
だが、根本的にあの天魔は広く深く他者を肯定しているように見えるのだ。
信長の本質そのままに、どんなに浅ましい、自分自身ですら目を背けたくなるような薄汚い欲望。
それですらも、肯定してくれている。『それで良いのだ』と。
欲望に貴賎はなく、立場によって対立や好悪も生まれよう。
しかし、だからとて恥じることはない。貫くも折れるも自由である。
人間の根源たる欲望、その肯定者なのだからむしろ安心感さえ覚えるほどだ。
対して戦龍はどうだろう? ああ、確かに見た目は神々しいとすら云えるよ。
しかし、あれは開かれていない。完全に自分の形に閉じているのだ。
他者はあくまで自尊を満たすための道具でしかないとあまりにも雄弁に告げている。
徹底的に自己完結したその性根に端を発する排他性が発露している。
それゆえ、忌避感とまではいかないがどうにも馴染まないし藤乃個人としてはつまらないと思う。
「確かに……分かってしまえば、怖くはありませんね。あれほど苦しめられて顔も見たくなかった軍神なのに……」
ちらりと横目で同じくこの魔境の戦いを見守っている上杉軍を見やる。
白けている藤乃とは対照的に、彼らの瞳には未だ謙信への信仰が残っていた。
「(骨の髄まで……ですか。手遅れですね、この人達)」
真実を晒されても尚、信じちゃいない。
それほどまでに盲目的な狂信、その狂信こそが謙信にとっては心地の良いことなのだろうが……。
「(なら、それと一緒に沈んでください。ご愁傷様です)」
藤乃は謙信から離れられない者達の滅亡を感じ取っていた。
"ぐぅううううううううああああああああああああああああああ……!!"
戦龍の顎より放たれた最大最高の破壊光。
謙信の総てが込められた一撃に――天魔から立ち向かった。
身を裂くような悲鳴が木霊するが天魔は歩みを止めず。
光を貫き踏破する頃には半身が完全に消し飛ばされていたが闘志は微塵も萎えていない。
"そろそろ逝っとけやぁあああああああああああああああああああああああああああああああ!!"
乾坤一擲、振るわれた太刀が戦龍の首を刎ね飛ばす。
天高く舞い上がった龍頭はしかし、地には堕ちず光となって消滅した。
同時に残された龍体も光となり、謙信はただの人間へと回帰。
だが、信長も既に限界を迎えていた。
天魔の身体が薄れ始め元の人間に――とは云え、誰の目にも勝敗は明らかだ。
「はぁ……はぁ……!」
意識を失い倒れ伏す謙信に向かい、よろよろと歩み寄る信長。
その息は荒く、疲労困憊で最早意識を保っているのが奇跡と云う有様だ。
それでも、戦いを終わらせるためには謙信にトドメを刺さねばならない。
が、信長が聖剣を振り下ろすよりも早くに、
「謙信様ぁああああああああああああああああああああああああ!!」
敗北と同時に駆け出していた騎馬隊が乱入し、謙信を回収して撤退してしまう。
どうせなら此処で信長を狙う気概ぐらい見せろよと思うかもしれないがそりゃ無理だ。
それが出来るような人間であれば、真実を暴露された時点で謙信から離れている。
信長は意気をすかされたことで、更に疲労が圧し掛かった。
聖剣を大地に突き刺し、その柄に額を押し付けるように立つ姿は何処までも痛ましい。
「もう……もう、二度とやらねえ……!」
ビックリ怪獣大決戦など大名の業務ではないのだ。
謙信のような相手とは二度とやりたくはない、心の底からそう思う信長であった。
「私だって二度とは御免よ、流石にこの規模のがまたあれば今度は護りきれないわ」
「御婆ちゃんですしね、あまり無理をすれば身体に障りますからね」
「おう……マーリン、藤乃……御疲れ……」
正直、眠くてしょうがない。
しかし、伝えるべきことは伝えておかねばならない。
「上杉の追撃は要らん、後は景勝と昌幸が何とかするから情報操作、頼む……!」
情報操作と云うのは今回の戦いについてだ。
あんな力があるから、などと頼り切られては困る。
あくまで戦場に出る一人一人が主役で、その魂の燃焼が世界を変えるのだ。
織田軍に染み込ませたその認識が揺らがぬよう上手くやって欲しい。
本当は細かい指示も出すべきなのだろうが、今は頭が回らない。
だとしても、まあ意図を酌んで上手くやってくれるだろうと信長は思っている。
だからこそ、伝えるべきは伝えたと意識を手離すことが出来た。
「っとと……お猿さん、信長様は私が責任を持って美濃へと連れ帰るわ」
倒れた信長を抱きとめるマーリン。
「ええ、御願いします……ところで景勝って上杉景勝?
今回は戦に出て来てないので本拠に居るんでしょうが……真田の昌幸さんは分かりますけど何故景勝?」
「あちらから上杉の内憂たる謙信をどうにかして欲しいと打診が来たのよ」
「ああ、そう云うことですか」
「ええ。美濃を発つ前に信長様は昌幸に指示を出しておられたから後は万事上手くやってくれるわ」
精根使い果たした信長を見れば分かる。
彼よりも敗北した謙信の方が消耗は激しく、それならば景勝でも何とか出来るだろう。
その証拠に今よりしばしの後、上杉全軍は春日山へと帰還する。
ようやく帰れるのだと安堵と共に誰もが城を眺めていたその時だった。
「ん? あれは若様の兵か?」
「待て! 何故、我らに銃口を……!?」
城に残した兵、並びに援軍として謙信らが不在の間に越後へ来ていた真田の兵が敗残兵を包囲する。
兵達は総て火縄銃で武装しており、何時でも放てる状態だ。
「では景勝殿、後はあなたの役目ですわ」
昌幸が隣の景勝に語り掛ける、その顔には酷く邪悪な笑みが浮かんでいた。
景勝は一度大きく頷き、
「聞けい! 徴兵された者らは即座に投降せよ! このまま蜂の巣になりたくなければな!!」
殺すのはあくまで謙信とその影響を髄まで染み込ませた老害達だ。
末端の兵は民なのだ、出来るだけ生かしてやるのが道理と云うもの。
「皆様、投降するのならば武器を捨てて、ゆっくり此方へ歩いて来てくださいな。死にたいのならば別ですが」
包囲網の一部が開かれる。
そこは景勝と昌幸が居る場所で、兵達は戸惑うものの直ぐに武器を捨ててゆるゆると歩き出した。
そりゃこれだけの火縄に囲まれているのだ、理由は分からずとも命の危機でることぐらいは馬鹿でも分かる。
通過する兵を一人一人見て、中に上杉家中の人間が紛れていないことを確認し終えると包囲網が再び塞がった。
残されたのは謙信を含めて百名ほどだ。
「若様! 御館様に銃を向けるとは何ごとか! 不敬であるぞ!!」
「織田に寝返ったのか!? この恥知らずが!!」
口々に景勝を罵倒する声が上がるも、
「黙れ! 貴様らが揃いも揃って目も見えぬ阿呆ばかりだから若い俺達が苦労するんだろうが!!」
手際良く包囲したように見えるが、その実ギリギリなのだ。
突然の出陣だったし、運良く城の防衛を任されたから良いがそうでなくば真田とも連携を取れなかった。
景勝自身、謙信に染まりきっていない若手で地盤を固めていたとは云えハッキリ云って少数。
もしも景勝が失敗していれば、上杉は武田と同じく名すら残せず滅んだだろう。
しかしそれも、そもそも景勝らより年長の者がしっかりしていれば良かった話だ。
上杉の誤った舵取りを修正していれば……景勝の怒りも最もだ。
「貴様……景勝ぅううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううう!!!!!」
疲労困憊だと云うのに、よくぞそこまで叫べるものだ。
謙信の怒号が響き渡るが景勝は意に介せず。
「最早問答は無用――――ってぇええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!」
数千の砲火が謙信らを襲う。
結果は語るまでもないだろう、この過剰とも云える砲火に晒されたのだから。
無残な肉塊に変わった老害達を一瞥し、景勝はようやっと安堵の吐息を漏らす。
「ふぅ……これで、首の皮一枚繋がった」
景勝の英断が上杉の命脈を保ったのだ。
このことは景勝の偉業の一つとして後の世においても高く評価されることとなる。




