55話
ある日のこと、信長は縁側で宗三左文字の手入れを行っていた。
メンテナンス要らずの聖剣エクスカリバーや、他に使用しているものについては専業の人間に頼んでいる。
しかし、この宗三左文字だけは信長は何時だって手ずからメンテナンスを行っていた。
とは云っても最初からこうだったわけではない。
信勝の首を刎ねた後だ、それからは自分の手で行っている。
そのためだけに専業の人間にキチンとした手入れを学んだ。
教師はなるべく厳しく、信長だからと変に恐縮しない職人肌の人間を。
手入れの免許皆伝に年単位の時間がかかったものの、お陰でこれを専業に出来る程度には上達した。
鼻歌交じりに宗三左文字の手入れをする父を、真田兄弟はじーっと見つめていた。
「……堂に入った手つきですね」
「ん? そりゃまあ、一応これで喰ってける程度になるまでは扱いて貰ったからな」
目釘の劣化が気になるな、新調しようかな? などと考えつつ信之の言葉に答える。
下拭きで油と汚れを丁寧に丁寧に落す。
最近人を斬ったばかりなのでしっかりしておかねばならない。
「へえ、父上の趣味だったりするんです? それともモテるための余技?」
「モテるために刀剣の手入れ習うって意味わかんねー。刀剣女子なんてものはねえんだよ」
「じゃあ何だって自分から?」
「そらまあ、親父殿から譲り受けてこれまで色んな奴を斬って来た思い入れがある一振りだからなぁ」
キラキラと陽光を反射して煌く刀身は惚れ惚れするほどに美しい。
「思い入れ……それはどのような思い入れですか?」
「重要な局面で振るって来た――――いや、それも後から関連付けただけか」
そもそも最初は特に宗三左文字に思い入れなどなかったのだ。
京で聖剣を抜いた帰り道で藤乃にポンと貸していた辺りからもそれは窺える。
実際、重要な局面で意識して振るうようになったのは桶狭間以降だ。
「信勝を斬首にした時、コイツを使ったんだ。
そこでまあ、弟の首を刎ねたもんだから他人に触らせたくねえなってことで手入れを学んでな。
それから兄弟の因縁、兄弟で挑む戦であった桶狭間。
あの時の義元公との一騎討ちでも首を刎ねたのはこれだ。そこから重要な局面では意識してこれを使うようになってな」
先の武田征伐の折にも、信長は宗三左文字を使用している。
武田信玄、並びに武田勝頼。
彼らの介錯だけは信長が宗三左文字を以って務め上げたのだ。
「何にせよ、思い入れがある品ぐらいは自分で手入れするのが普通だろ?」
「へえ……じゃあ俺も父上から初めて貰った十文字槍は手前で手入れしましょうかねえ」
「うむ、良いことを云ったな源二郎。拙者もこれからはそのようにしよう」
うんうんと頷く真田兄弟。
彼らが信長から受け取った十文字槍と太刀、それには銘が未だ無い。
鍛えた刀匠の名を使うのもありだが、信長は敢えてそうしなかった。
総てが総てそうではないが、名のある刀剣はその行いによって名がつくことがある。
善事であれ、悪事であれ――出来るのならば前者で名がつくような逸話を立てられるように。
そんな子供達への期待を込めて無銘のままプレゼントした。
その際に、銘を聞いた二人に発破の意味もかねて理由を説明しているので二人も自ら名をつけるようなことはしていない。
「そうしてくれりゃ嬉しいが、お前ら俺ほど器用に出来んのかぁ?」
信長は手入れの腕前がプロ級であると云う自負がある。
自負があるからこそ、大切な宗三左文字を自ら扱っているのだ。
ニヤニヤと笑う父親にカチンと来た信繁が云い返す。
「御言葉ですが、俺はまだまだ若いので。若い人間の方が物覚え良いらしいですよ?」
「そりゃ結構。だが、結局こう云うのは感覚や観念がものを云うからなぁ」
人並みに、平凡な手入れ程度ならば誰にでも出来るだろう。
しかしそれぐらいならば初めから専業の人間に任せた方が良い。
結局のところはセンスであるセンス。
「直ぐ調子に乗って失言しちゃう源二郎ちゃんだもんなぁ……」
「失言関係なくない!?」
「あるある。一事が万事つってな」
まったく関係のない事柄とは云えそこで見えた小さな傾向一つ。
それを見るだけでも他の面が大体分かるのだ。
ポカをし易い人間なんかは大体、別の事柄でも似たような理由で失敗している。
「諫言だな。源二郎、これからは気をつけなばな」
「兄上まで父上の味方かよぅ……俺らずっと人質として肩を寄せ合い暮らして来たのに!」
「いや、別に拙者らは不当な扱い受けてないだろう」
むしろ厚遇されていた。
既に割り切りはしたものの、信之としても申し訳なくは思っているのだ。
「ところで父上、少しよろしいでしょうか?」
「んー?」
「次はやはり、上杉の討伐に向かうのですか?」
武田と来れば次は上杉、それならば真田の出番もあるだろう。
何せ上杉に奪われた海津と真田は隣接しているのだから。
であれば信之としても実家に戻って父から貰った愛刀片手に戦働きをする所存だ。
「いや、先ずは高野山だな。あそこを徹底的に焼く。そのための土壌は既に整っているしな」
マジうぜえこと極まりねえ腐れ坊主から権力を取り上げねばならない。
今回も囲んで焼くつもりだが、一度叡山を焼いているので既に逃げている者も居るかもしれない。
が、それならそれで結構。逃げた連中の向かう先は予想がつく――――本願寺だ。
そこで一緒くたにして撫で斬りにしてやれば坊主の首でフルコースが出来る。
「で、次は本願寺……用意していたものも、そろそろ世間様に見せてやらにゃーな」
「用意していたもの、それは何です? 俺としてはすっげえ気になるんですけど」
「毛利と村上の水軍にぶつけるためのもの、とでも云っておこうか」
本願寺を攻めれば間違いなく海上からの勢力が問題になる。
毛利水軍、村上水軍、それらに対する策を講じておかねば間違いなく敗北だ。
好んで負ける趣味もない信長は傘下の九鬼水軍に命じて特別な船を建造させている。
設計にはマーリンも関わっているうえに、予算も潤沢に渡してあるのでさぞや良い船が出来るはずだ。
「(そういや、マーリンは未だ戻らんのかねえ)」
久秀自身がどうするかを決断するまで見張っているように頼んであった。
平蜘蛛の献上を拒否すれば信貴山でそのまま処刑。
承諾したのならば美濃へと移送と云う段取りだった。
そして久秀は平蜘蛛を差し出すことを決めたので美濃に向かっているはずなのだが……。
「信長様!」
「おう、どうした蘭丸」
「魔女殿がご帰還なされました!」
「噂をすれば影……か。分かった、今から登城しよう」
宗三左文字を一旦組み直し、手入れの道具を持って屋敷を出る――まだメンテは終わっていないのだ。
その際、信之と信繁も興味があるようで一緒に着いて来たのだが信長は何も云わなかった。
茶釜を渡されて形式的に隠居を云い渡すだけなのだ。
見られて困るものは何一つとしていない。
まあ、ちょっとした予感もあるのだがそれにしたって当たるかどうかは分からない。
当たっていたとしてもまあ――勉強にはなるだろうと思っているので同行を黙認。
「(ふぅ……段取りが整うまで続きするか)」
一足先に謁見の間に行き上座に腰を下ろした信長は久秀達が到着するまでメンテを続行。
もう少しで終わりだったので、後回しにするか久秀を待たせれば良いのだが仕事は早めにと時間を無駄にしないが信条の信長だ。
用意が整うまでの間に城内で仕上げれば良いと思っている。
その間に勝家と藤乃の連合軍が加賀へ侵攻し制圧したと云う報せが届く。
「(……何か、微妙に良い予感がしねえな)」
加賀を陥落させるのは武田攻めの後。
勝家達はその通りに動いてくれたのだが、どうにも首筋がちりちりする。
先ほど息子達にはああ云ったが予定を組み変える必要もあるかもしれない。
などと考えているとマーリンと順慶が久秀を連れて謁見の間へとやって来る。
先に詰めていた家臣らは当然の如くに久秀に対して悪感情を剥き出しにしていたが当人は何処吹く風。
どころかむしろ爽やかさすら見える。
「(順慶らが松永久秀と云う人間に事実を突き付けたんだろうが……それで更正した、って感じじゃねえな)」
言葉で指摘されたからとてどうにかなる類のものではない。
マーリンと順慶も何処か怪訝な顔をしている。
「(……こりゃ当たりっぽいな)」
メンテを終えた宗三左文字を一度だけ確認し、鞘へと収める。
その際、誰にも見えないように抜き取った小柄を袖口へ。
「此度の謀反、赦し難し――――と云いたいが、俺とて鬼じゃねえ」
どの口で云ってるのか信長自身も笑いたくなったが此処は我慢だ。
「結果的に織田への益にも繋がった。ゆえ、隠居だけで済まそうと思う」
「寛大な処置、感謝致しますえ」
両手をつき、頭を下げる久秀が何を考えているかはイマイチ読めない。
変わらず、他者を貶めることでしか自身の価値を確認出来ない状態なのは分かる。
マーリンも順慶も、真実を看破していたり知らされていた者は注意深く見守っているが理解することは不可能だろう。
基本的に健全な精神をしている者に、不健全な精神の者が考えていることなど分かろうはずもない。
理解している信長とて似たような例を知っているからで経験していなければ気付くことはなかっただろう。
「が、タダで隠居と云うのでは示しがつかない」
「承知しております」
「名器、古天明平蜘蛛を差し出せ、それを以って助命としよう」
「ハッ!」
久秀が信長の下まで歩み寄り、平蜘蛛を差し出す。
それを座ったまま両手で受け取るが久秀は中々離そうとしない。
「惜しくなったか?」
「……いえ」
すっ、と久秀の両手が離れずしりと信長の両手に重みが加わる。
「(これが自爆に使われた茶ガ――――)」
久秀から視線を外し平蜘蛛に意識を向けたその瞬間だった。
彼女の袖口から暗殺用の針が飛び出し、視線を下げたままの信長の首に突き立てんと腕を振り上げる。
『父上!!』
『信長様!!』
慌てず騒がず信長は一番近くに居て介入して来そうだった息子達へ向けて平蜘蛛を放り投げる。
息子達は名器を放り投げられ二人であたふたと平蜘蛛をキャッチ――これで直ぐには動けない。
「あぐぅ……!?」
久秀の悲鳴が上がり、仕込み針がぽろりと零れた。
そう、暗器を持っていたのは彼女だけではないのだ。
信長は平蜘蛛をパスすると同時に袖口から小柄を滑らせて手元へ。
それを逆手に持ち久秀が腕を振り下ろす勢いを利用してその手に突き立てたのだ。
カウンターの要領だったのでタイミングをミスっていれば刺されていたのは信長だっただろう。
「お前ら手ぇ出すなよ……こりゃ俺の後始末だ」
たたらを踏んで後退した久秀、宗三左文字を手に立ち上がる信長。
手を出すなよと云われても家臣としては不安で不安でしょうがないだろう。
が、だからと云って手を出すなと云われた以上命令にも逆らえない。
結果、家臣らは腰のものに手をかけ何時でも動けるようにと備えるしか出来ず。
「ひ、ひひひ……!」
痛みから、額に汗が浮かんでいるものの久秀は笑顔だった。
抜刀しつつ歩み寄る信長を見て満面の笑みを浮かべているのだ。
「――――お前は思い出にすらならんよ」
袈裟懸けに一閃、防ぐことも避けることもせずに久秀は笑顔のまま白刃を受け入れた。
仰向けに殆ど音もなく倒れた久秀は自分を見下ろしている信長を見上げて否定の言葉を返す。
「いい、え……わら、わは……消えない傷として、残り続ける……」
「ならねえよ。さして思い入れもないお前は此処で死んで俺の中から消えるのさ。これまでを振り返ってみろ、思い上がるな」
「ふ、ふふふ……だれもが、あなたを……強い人間だと云うが……それは、間違いである……」
無表情のまま久秀を見下ろす信長に情など一片も窺えないように見える。
しかし、松永久秀は否だと断言した。
「強者が強者たる所以、それは弱者を理解せず弱者に心を砕かぬからこその……強者。
わら、わを遠ざけたのは…………必要以上に関わらなかったのは……恐れた、から……。
切れなく、なるから……否、切っても今より後味の悪い思いをすると思っていた……から。
己は松永弾正久秀に対して何ら思い入れがない、使い捨ての道具として切り捨てられる冷酷な人間である。
そう、思うことで断固たる決意を揺らがせないように、した……ひ、ひゃひゃひゃ……なんて、なんて弱い人間」
松永久秀の性を理解し、暴発させるために冷たくしていた。
大前提の理由はそこにあるが、だからとて親しく接していても暴発させることは出来たのだ。
それをしなかったのはひとえに、表面的であろうとも情を以って接していれば背負うものが重くなることを恐れたから。
「そもそも、向いておらんのよ……このように、人を利用し尽して斬り捨てるやり方に……」
将軍義昭のように利用されていたとしても、何か此方に害を与えていれば罪悪感など微塵も沸かない。
悪いのはあちらだと自分を納得させることが出来るから。
しかし、久秀は何もしていない。忠勤に励んでいた。
例えその心根が危険であったとしても、事実として害は成していないのだから。
将来の危険性は確かでも現段階では何もしていないのだから自分を納得させるには足りず。
「お前は思い出にもならない……ひひひ、そう、云い聞かせておられたのであろう?
何とかわいい、可愛らしい……愛らしい御方……わらわの意図を理解し、ているから……そう云わねば辛いのであろ?
こうするしか、最早道のなくなった……わらわ……わらわを、此処まで追い詰めた事実が胸を、しめつける」
久秀の目的は信長の心に引っかき傷を作ること。
消えない傷となり、愛した男の心を蝕み続けることを望んだ。
愛を捨てられず、己も変えられず、ならばこうするしかなかった。
信長はそれを理解していた、似たようなことに付き合わされたことがあるから。
理解した上で、付き合ったのだ。誰かに斬らせることで責任を押し付けたくはないから。
自分のケツは自分で、これを招いたのは己だから己の手で。
「わらわの意図を理解しておきながら……家臣に斬らせず、自ら斬った…………雁字搦めの虜囚の如き振る舞いだえ……」
だからこそ、最早悔いは無い。
分かっていたことだけど改めて事実が並べられたことで強く確信出来た。
責任を誰かに押し付けられない、必ず自身に求めてしまうこの男だから――――
「わらわは"そこ"で生き続ける」
すっ、と細い指が信長の胸に向けられた。
「――――その命、ある限り」
愛している、最後にそう云い遺して恨み言ひとつ吐かずに久秀はこと切れた。
それは素直な気持ちだったし、愛していると伝える方が信長の心を蝕むことが出来ると知っていたから。
悪罵よりも純真、どんな目に遭わされても死の淵でさえも一途に想い続ける。
そんな女を、そう簡単に忘れられるはずがない。そんな女を死に追いやった事実がそう簡単に消えるわけがない。
絡新婦の毒が消える日はさて……何時になることか。




