53話
時はしばし遡り、松永久秀が謀反を起こしてからの話をしよう。
織田は当初、あくまで寝耳に水と云った対応で周囲を欺いた――高野山を動かすための偽装である。
そして高野山が動き、織田領内に侵攻したと云う事実をゲットするや速攻で行動を開始。
信長が居なくても迅速な行動が出来たのは、帰蝶らが優秀だったと云うだけでなく事前に信長から知らされていたから。
どこそこのタイミングで謀反が起こるであろう、と。
なのでそうとは気取られぬように水面下で準備を進めていたのだ。
各方面軍司令官が担当している地域以外で、つまりは本軍が対処しなければいけない領域である。
そこに攻めて来ていた連中を退け即座に久秀の居城たる信貴山へと侵攻。
途中で信長から絶対に参加させるようにと云い含められていた筒井順慶とも合流して。
数は五千にも満たない数で、信貴山城を攻めるのならば不足と思うかもしれないが……。
「さぁて、そろそろかしら?」
織田軍は信貴山城を囲むように事前に用意していた建材を以って墨俣の要領で幾つもの付城を構築。
その内の一つに、今回織田軍を任されているマーリンと順慶は詰めていた。
マーリンが具足をつけていないのはおかしくはないが、順慶までもラフな格好をしている。
それは何故か、確信しているからだ。この包囲は早期に終結するものであると。
ならば付城を作る必要はなかったのでは? と思うかもしれないが念のためだ。
事前の策が成らぬ場合は、普通の攻城戦をすることになる。
そうなった場合、数千では不足。
しかし、付城を構築していれば信貴山城を監視しながら援軍を待つことが出来る。
松永側から攻められたとしても砦で防衛をするだけならば保たせることは容易い。
それゆえの付城戦術である。
「でしょうな」
「ところで、筒井殿はどうなさるおつもりなのかしら?」
久秀と共に信長を主と仰いでからもう随分と時間が経った。
それでも順慶の久秀に対する恨みは微塵も衰えていない。
今でも憎き仇敵だと思っている、だからこそ彼にだけはかなり早い段階から信長も教えていたのだ。
具体的には京で久秀の臣従を受け入れた際。
久秀がどう云う人間なのか、ヒントはくれてやったが恐らくは高い確率で更正はしない。
必ずや裏切るから、それまでは我慢してくれと。
そして順慶はその言葉を信じて、今日へと至った。
「……正直、自分でも分かりません。信長様の仰ることが真であれば……。
いえ、こうして実際に謀反が起こった、しかも時期までピタリと。
であれば真なのかもしれませぬ。が、やはりこの目で見なければどうとも」
信長は今回の判断、順慶に任せている。
彼が決めかねた場合は、事前に用意していた己が判断を通すように云ってあるが最優先は順慶だ。
久秀の生殺与奪は彼が握っている。
「話を聞く限り、信長様の人物評通りならば正直……」
「正直?」
「このような取るに足らぬ相手に執心していたのかと云う気分になるでしょう」
信長が語った松永久秀と云う女の人物評。
それは順慶を大いに失望させるものだった。
彼は久秀を憎んでいる、しかし同時に油断ならぬ自分よりも遥かに強かな人間であるとも認めている。
筒井順慶と云う人間にとって、松永久秀と云う存在は見上げるほどの壁だ。
憎悪と同時に、ある種の畏敬もあった。
それだけに、信長の云う通りであるのならば端的に云って――――
「つまらない人間、殺す価値もない。生きていても死んでいても怖くも何ともないし、くだらない」
そのような人間に憎悪を燃やし続けることすら馬鹿らしい。
時間の無駄だ、そんなことよりも生産的なことをするべきだ。
「お気に入りの茶釜を差し出させて隠居、それでも良いのでは?」
今順慶が口にしたのは彼が決められぬ場合に信長が提示した選択だ。
役に立ったのは確かだし、命ぐらいは助けてやる、つまりはそう云うこと。
しかし、それが受け入れられるかどうかは果たして……?
「まあ……そう、ねえ」
マーリンは少しだけ言葉を濁した。
彼女と、そして信長は共に久秀と云う人間の本質を看破している。
看破した上で何とも虚しいし傍迷惑だとも思っているが憐れみのような感情も抱いていた。
順慶のように冷酷に切り捨てる気持ちも分かるが、魔女も魔王も人が好きだ。
好きだからこそ、そんな生き方しか出来ず、与えられた更正の機会すらも掴めない久秀に憐憫の一つ二つ沸いてしまう。
まあ、そんな感情を抱きながらも冷淡なまでに利用し尽すのだから信長も恐ろしい男だ。
「魔女殿、来たみたいですよ」
陣内に伝令がやって来て――予想通り、いや予定通りに久秀とその子らは捕縛されたと伝えて来た。
あまりにも呆気ない幕切れ、しかしそれも当然と云える。
信長は京で久秀の臣従を受け入れた段階で、この展開を読んでいたのだ。
時間は幾らでもあった、内通者を潜り込ませることは容易い。
能力と忠誠心のある、若い人間を松永家に仕官させ順調に信と功を積ませて立場を向上させる。
その上でことが起きた際に裏切らせる。久秀は対策は云ってみればそれだけだ。
勿論、細心の注意と入念な準備の末に訪れた結果ではあるのだが。
「じゃあ、入城しましょうか」
「はい」
兵を引き連れ、明け渡された信貴山城へと入る二人。
副官に些事を任せ、マーリンと順慶は久秀が囚われている地下牢へと向かう。
牢内では久秀が唖然とした表情をしていたが、二人の顔を見るや忌々しげに顔を歪めた。
「無様なものだな、松永よ。信を置いていた臣に裏切られるとは……応報がくだったと云うべきか?」
「……」
久秀は何も答えない。
その聡明な頭脳を以ってしても、自分がどうしてこうなっているのかが分からないのだ。
突如として裏切り、自分に刃を突き付けた家臣。
これまで自分によく尽くし、裏切るなどと云う素振りは微塵も見せていなかった。
「何故裏切ったのか分からないと云う顔だな。当たり前だ、最初から裏切っていたのだから」
「……何だと?」
「はっきり云ってやる、信長様はお前が裏切ることを予想していたのだよ。お前が臣従したあの日からな」
「馬鹿な……!」
これまで信長に尽くし続けて来た、他のどんな役立たず達よりも。
その自負があった。
だと云うのに報われない、愛してくれない、だから謀反を起こしたのだ。
どうしてなのかを問い質すために。自分の価値を知らしめるために。
凡愚共とは違う、必ず自分を説得しに来てくれる。
再びその手に抱いてくれる、と。
「勿論、お前の前歴からなんて有り触れた理由ではないぞ」
大逆人としての前科があるから、なんて理由ではなくもっと根本的なもの。
そう語る順慶の路傍の石を見るかのようなつまらない視線が久秀の神経を逆撫でる。
「小僧が妾を見下すのかえ……!」
「それだよ、それだからお前は信長様に切り捨てられたのだ。使えぬ、とな」
大体、同じ裏切り者と云うのであれば真田昌幸も同じだ。
しかし、彼女は公私共に重用されて久秀だけはビジネスライクな関係にしかなれなかった。
その理由こそが昌幸と久秀を隔てる絶対的な差。
かつて信長は久秀に対してこんな忠告をした。
『お前にとっては取るに足らない、見るべきところもないような人間にも目を向けてみな。
お前が鼻で笑っているような連中をよーく見てみな。そして言葉を交し、その上で自分を見つめてみろ。
気付くのならば芽はあるが、気付かぬのならばそこまで。お前はただ頭がキレ過ぎる"だけ"の女以上にゃなれない』
それが総てだ。
久秀は頭がキレ過ぎる"だけ"の人間でしかなく、昌幸はそうではない。
だからこそ二人の扱いに差が生じたのだ。
「信長様は云っておられたよ、松永久秀と云う女は他者を見下すことでしか己の価値を確認出来ぬ人間であると」
私は誰それよりも優れている、そんな形でしか己を誇れないのだ。
いや、信長からすればそれは誇りですらない。
私は優れている、誰それとは違うのだ。
私は誰それよりも優れているのにどうして認めてくれないのか。
私より劣る誰それが可愛がられているのにおかしいじゃないか。
そんな風にしか、己の立ち位置について考えられない。
「実際に優れた能力は持っているのだから、一々誰かを虚仮下ろす必要も無い。
しかし、お前はそうしなければ自分と云うものを保てないのだ。自分に価値があるのだと思えないのだ」
だからこそ、信長はあんな忠告をしたのだ。
久秀より能力的に劣っている者は多々居る、そしてその中には自分を誇っている者も多々居る。
彼女からすれば鼻で笑ってしまうようなものかもしれない。
しかし、現在の己に至るまでに積み上げたものをちゃんと分かっている。
分かっているからこそ、その人間なりの"自信"を抱けている。
"自信"と云うものの裏打ちとなるものは、他人に求めるものではない。読んで字の如くに己に求めるものだ。
そう云う意味で、根本的にずれているのだ、松永久秀と云う女は。
そして不幸なことに、或いは滑稽なことに本人はまるでそれに気付いていない。
加えて周りの人間もそれに気付き難い。
久秀が他人を見下していることは人の顔色をそれなりに読める人間ならば直ぐに分かる。
分かっても、勘違いしてしまう。
絶対の自信を持っているからこそ、他人を見下しているのだと。
自信を得るために他人を見下しているのだとは想像し難い。
勿論、一定数そんな人間も居るからこそ信長やマーリンは気付けたのだが久秀の場合はなまじ能力を持っているから分かり難いのだ。
これで能力が少しでも欠けているのならばまだ良かった。
信長もこんな使い方はしなかっただろう。下手に能力を持っているからこそ深入りをしなかったのだ。
事実を指摘し、更正を促すことは出来ない。
これはそう云う類のものではない、言葉で他人に云われて改善出来る悪癖ではないのだ。
あくまで自ずから、認めることに意味も意義も生まれる。
信長の忠告、あれは精一杯と云っても過言ではないだろう。
「ッッ……!」
「図星だろう? その顔を見れば分かる。もっとも、お前自身自覚はなかったのだろうが」
久秀のそれはポジティブに受け止められることではない。
そして、人間と云う奴は往々にしてそんな嫌な面を認めたがらない。
気付いていても、意識の上には出て来ない。
無意識下で薄々気付いているのが精々だろう。
今、順慶は事実を指摘しているがこれは決して更正に繋がることはない。
先にも述べたようにこの悪癖は自ずから、と云うのが重要だから。
「お前のような人間はな、与えても与えても満たされることがないんだそうだ」
仮に信長が久秀の云うところの、寵愛を授けたとしよう。
私人――ひとりの女として可愛がってやり、公人としても重く用いる。
それで総て解決万事オーライ――――になるわけがないのだ。
その程度で解決するぐらいならば最初からやっている。
この手の類の人間は、寵愛を与えられて一先ずは満足するだろう。
しかし、
「いずれ不安になる。どれだけ寵愛を与えられていても、己を信の拠り所と出来ぬ者には」
時間が経てば経つほど、功を得られる機会は少なくなっていく。
仕事をこなして、ほれ見ろお前らとは違うのだと自分を安心させることが出来なくなる。
何せ乱世は終息に向かっていて、治世においては功と云うものが得られ難くなるから。
与えられた領土を完全に運営する? 他の人間もやっていることではないか。
大きく差をつけることは出来ないし、さしたる優劣もつけられないから他人を見下せない。
さあ、そうなるとどうする?
「同じく寵愛を受けている者の排除に走るのだと信長様は云っておられた」
信長もホスト時代に久秀ほど優秀ではないものの、同じような人間に排除の対象とされたことがある。
能力が自分よりも劣っていたからこそ上手くかわしてやり過ごせた。
だが、久秀は違う。困ったことに大概の人間を排除してしまえるだけの能力を持っている。
そんな人間を抱え込むことに何の益があらんや。
君主としてそんな人間を抱え込むメリットは皆無だ。
「だからお前はこのような役割を演じさせられた、無自覚な道化として踊らせる以外には使えぬ」
「ふ、ふふふふふざけるなァ! 違う、違う違う違う! 妾は、そのようなくだらぬ人間ではない!
貴様らが如き凡愚とは違うのだ! 見誤っておられる、あの御方は妾を――――!!!」
檻にしがみ付き山姥が如き形相で否定の言葉を放つ久秀。
それを見ていたマーリンは小さく溜息を吐き、軽く指を振るう。
すると久秀は途端に言葉を発することが出来なくなった。
「喋れば喋るほど、憐れになるだけよ。松永弾正久秀」
事実は事実、久秀本人も無意識下では認めている。
認めているのにそれを表層に反映して受け入れて納得することが出来ない。
出来ないからこそ、今のような状態になっているのだ。
「沙汰を下す、信長様も命までは取るつもりはない。役には立ってくれたのだからな。
お前のお気に入りの茶釜……何だったか、平蜘蛛? それを差し出し隠居するのであれば赦すそうだ」
そう告げて順慶は久秀に背を向けて歩き出した。
マーリンもその後を追い地下牢から出た時、
「……俺は、俺はこんなくだらない人間のために憎悪を燃やし続けていたのか」
順慶はぽつりとそう漏らした。
「筒井殿……」
マーリンとしても何と云えば良いか分からない。
誰かをそこまで憎んだ経験がないから、順慶の気持ちを共有出来ないのだ。
「もっと有益な時間の使い方をすれば良かった……いや、今からでも遅くはないな」
こうして、筒井順慶は憎悪の連鎖より解き放たれたのであった。




