52話
信長が躑躅ヶ崎館を拠点として十日ほどで対武田総力戦は終結した。
勝頼が味方の裏切りに遭い、信長の下に引き立てられて来たのだ。
むしろ十日もよく保ったと云うべきだろう。
あれだけガタガタの状態でよくもまあタッキーや竹千代with三河武士を相手に戦えたものだ。
主だった家臣は総て捕縛され、此処躑躅ヶ崎館に収容されていて後は沙汰を待つだけ。
砥石より信玄が移送されて来れば武田は滅びる、それは確定事項だ。
勝頼にも途中で腹を斬るチャンスはあったのだが彼はそうしなかった。
武田勝頼と云う人間は確かに織田信長と渡り合えるほどの器量はなかた、父信玄のような力はなかった。
しかし、だからと云って無責任な男ではない。
家臣達の助命を請うためにわざわざ生きたまま、信長にその身を委ねたのだ。
武田と云う御家がこの世から消滅してしまうとしても、だからとて家臣まで道連れにする気は無い。
これまで武田を支えてくれた恩に報いるためならば、武士としての最期を望めずとも構わない。
斬首だろうが晒し首だろうが覚悟の上。
父の仕業とは云え、裏切りと云う形で織田領内に攻め入ったのだ。
報いは受けねばならない、信長の怒りを受け止めるのは現当主たる己の責務だから。
ちなみに北条に関しては九日目までは武田と共に戦っていたのだが途中で逃げた。
何時まで経っても到着しない上杉、これ以上戦を続けても無為な消耗が増えるだけ。
最早織田との関係修復が不可能な以上、戻って備える方が上策と判断したのだ。
勝頼はそのことについても特に怒ってはいなかった。
そもそも北条や上杉を巻き込んだのは自分達武田だから――と。
人好しにもほどがあって、戦国大名としては些か以上に頼りは無いが人間としては出来ている。
「(父上はまだ到着せんのだろうか……?)」
牢に閉じ込められるでもなく普通の部屋に軟禁状態の勝頼。
戸の向こうに見張りは居れども、室内には誰の目も無い。
だもんでごろりと寝転がってぼんやりと信玄のことを考えていた。
「(海津は半日とせずに陥落し、砥石は上杉の猛攻を受けていたと云うが……ひょっとして死んでるのか?)」
本気を出した上杉のマジパネェ猛攻により海津は速やかに陥落させられた。
その後、昌幸の読み通りに逃げ弾正を取り込んだ上杉はその足で砥石へ。
結果については先にも述べたように、武田との合流は出来ず。
表裏比興のファンタスティックガールの底力でとことんまで邪魔をされて武田軍瓦解の報を知るや撤退。
今は砥石も落ち着いているので、とっとと移送出来るはずだ。
大体織田からも迎えを寄越しているだろうし、と勝頼は溜息を吐く。
「(……いや、俺の気が逸っているだけか。流石に死を前にすれば焦っても来る)」
死が避けられぬ以上、速やかに執行して欲しい。
この待つ時間こそがじわじわと心を苛む毒となる。
今は家臣達の助命のことで頭がいっぱいだが、それも何時まで続くことか。
いずれは恐怖に呑まれてしまうやもと勝頼は自嘲する。
「よう、居るかい?」
軽い声が聞こえ、戸が開かれた。
入って来たのはパっと見自分よりも年下に見える、しかしその風格は段違いな男。
部下に自分を捕らえさせて出頭した際に、一度だけ対面したことがある。
「! の、信長公……何用ですか?」
「そう固くなる必要はねえよ。安心しな、総てとはいかんが基本的にそっちの家臣は殺さんよ」
信玄や勝頼らに次いで立場が重い人間に関しては責任として腹を切らせるつもりだ。
家族に関しても勝頼の嫡男などについては龍興の時とは事情も違うし切腹は避けられない。
それでも生かしても良い者に関しては誰一人として殺すつもりはない。
勝頼もそこらについては当然、弁えているので家族についての助命はしなかった。
あくまで家臣のみ。
「誠で御座りますか!?」
「ああ、働き口がなくてその気があるなら家で雇っても良い……能力があるなら直臣にしてやるつもりだ」
「……それ以外の者らも?」
「構わねえよ? まあ、他所の家行って俺らとまた敵対してその家が潰れてまた捕縛された場合は別だがな。
そん時はまあ、見せしめに殺すが一度目で即殺する気はねえ。こちらとしても、寛容さを見せる良い機会だ」
何も情で命を助けるのではないのだと断言する。
その方が勝頼としても安心出来るだろう。
今の今まで敵対していた家の人間に情があると云われた方が不気味だから。
「……かたじけない」
「何つーか……親父に似ず、真面目な性質だなアンタ」
「よく云われ申す。信長公は父と面識があったのでしたね」
「ああ、油断ならねえ糞めんどくせえ親父だと思ってたよ。ま、一個人としちゃ好きな方だがね」
少しばかり残念、と云う気持ちが信長にはあった。
信秀の葬儀が始まる前に云っていたように、初めは信玄とも直接やり合う気だったのだ。
が、昌幸から示された策で予定が狂ってしまった。
とは云え、友好な手段ではあるしちと回りくどくはあるが一応信玄存命の間に武田を滅ぼせたと云えなくもない。
彼の虎を見事罠に嵌めて捕らえて――ってな具合で。
真正面から倒したわけではないので、色々云われるかもしれないがそこはゴリ押しだ。
事実として信玄が生きている間に滅ぼせたことに変わりはないのだし。
「……あのような不義を犯したのに?」
「ハ! そもそもあのオッサンに義理なんてものを期待しちゃいねえよ。分かった上で同盟を受け入れたんだ」
断れる状況でもなかったし、と苦笑する。
「駿河やらに攻め入られたのは俺が間抜けだったからって面もあるし、それにほら、最終的に勝ったの俺だろ?」
三方々原での戦も、今回の戦も最終的な勝者は信長だ。
勝者があれこれと愚痴愚痴云うのもみっともないだろう。
「にしても……驚いたよ」
「何がでしょう?」
「いや、正直云うとな。俺はアンタのことをパっとしない跡継ぎだと思っていたんだよ」
だがどうだ? 死を前にしても落ち着き払い、臣の命だけを考えている。
決して軽んじてはならないタイプの人間ではないか。
信長がそう素直な賛辞を述べると勝頼は苦笑を浮かべて否定を返す。
「その通りでありましょうよ。今はまだ取り繕っていられるだけで更に時が経てばどうなるか……。
能力も父には及ばず、昌幸の裏切りに対しても何ら有効手を打てなかった。
どころか、そもそも長い付き合いであったはずの昌幸の本性を見抜くことすら出来ませんでした」
室賀正武の謀反で昌幸が殺されたと云う虚報を聞いた際を振り返り、恥ずかしくなってしまう。
微塵も疑うことなくただただその死を悼んでいた。
そして、後に虚報であったと知らされた際も信じられぬと慌てふためくだけ。
「怨み辛みすら抱けぬほどに、己が間の抜け具合に自嘲しか浮かびませぬ」
勿論、昌幸に対しては裏切り者だし良い感情は持っていない。
だが、それよりも自分に対する失望の方が大きかった。
武田の御家を存続させるのならば形振り構うべきではなかった。
無茶な降伏条件を呑んででも、雌伏を選ぶべきだった。
「だったら俺も間抜けだと思うがね、いやお前の親父もだ。アレに騙されたと云うのならば俺や信玄も同じだからな」
なまじっか人を見抜く目に長けていたからこそ正直、今でも思うところはある。
どうして見抜けなかったのか。
見た目は良いけどつまらない女などと、よくもまあ思えたものだ。
「ま、それはそれとしてだ。切腹は明日の正午に決まった。さっき信玄も着いたしな」
「……そうですか」
「何か希望はあるか? 家臣の助命以外で。聞ける限りは聞くぜ? アンタは敬意を払うべき人間のようだからな」
「お気遣い感謝します。しかしそれは無用の儀」
家臣をなるべく生かしてくれると云うだけでも十分だ。
これ以上の情けをかけられてしまえば、あまりにも惨めと云うもの。
敗者には敗者の矜持があるのだと勝頼は云い切った。
多分に見栄を孕んでいることを信長は見抜いていた、見抜いた上で見ない振りをした。
男の意地に野暮は無しだ。
信長はそうか、とだけ云って部屋を後にする。話をするべき相手はもう一人居るから。
その相手とは語るまでもなく甲斐の虎、武田信玄である。
信玄に割り当てられた部屋の前に居た見張りに軽く挨拶をして無遠慮に踏み込み開口一番、
「よう、十数年ぶりだな信玄。戦うことすら出来ずに負けた気分はどうだ?」
勝頼に対しては多少の哀れみもあったし、気遣いも見せた。
しかし信玄に対しては微塵も無い。
このタイガー親父に関しては優しさなどは無用。
それは信玄を対等の存在として見ているからだ。
勝頼には敬意を抱けども、それでも下に見ていた。事実として揺ぎ無く格が違うから。
しかし信玄は違う。病身にあろうとも、あっさりと騙されたとしても変わらず対等。
先にも勝頼に対して述べたが昌幸に騙されたと云う意味では信長も信玄と同じだから。
「そう云うおんしも毒蜘蛛に裏切られたらしいが、のんびりしとってええんかい?」
信長の毒舌をさらりと受け流す信玄。
毒蜘蛛、つまりは松永久秀が謀反を起こしたのである。
タイミングとしては真田兄弟が信長の下を訪れる少し前。
情報が届いたのはその後日。
武田の劣勢が反信長勢力に伝わっていた最中の松永久秀謀反。
反信長勢力には吉報だっただろう。
「耳が早いな」
「わしを移送しておった織田の人間がひそひそと話しておったよ。戻らずとも良いのか、とのう」
「良いんだよ。ハナっからそのために手元に置いてたんだからな」
「ん? ……ハッ、そう云うことか。悪どいことを考えよる」
「そこで直ぐに察せられるお前も大概だっつの」
信長が持参していた盃と酒瓶を畳に置くと、横になっていた信玄も起き上がる。
最早長生きのために養生する必要もない。
末期の酒ぐらいは、と云うことだろう。
「武田の劣勢、おんしに反抗する勢力からすれば意気を挫かれるだろうなぁ。
が、そこで大人しくなられても困る。特に高野山、高野山を狙い打ちにしたな?」
「ああ」
松永謀反に呼応して信長の領内で暴れ始めた勢力の一つに高野山の坊主連中が居る。
信長は朝倉の残党を匿っている高野山にこれまで形だけの引渡し要請を送っている。
が、悉く無視された――と云うかあちら側としては無視せざるを得ないのだ。
信長を非道の徒として糾弾し、敵対している彼らに朝倉の残党を追い出すことが出来ない。
そうすれば更に信長がその事実を論って民を扇動するから。
助命を請うて逃げて来た者を見殺しにするんですね、やっぱり糞坊主じゃねえかマジあり得ねえとかイチャモンは幾らでもつけられる。
そして、信長としても引き渡されては困る。
一応、包囲網当初に他の連中と一緒に宣戦布告をして来たが高野山は攻勢には出ていなかった。
その状態で叡山延暦寺への仕打ちを繰り返すにはちと面倒だ。
敵対している、朝倉の残党を匿っている以外にも、もう一つ何かが欲しかった。
信長の中で焼き討ちは決定事項ではあるものの、そうするための名分が足りていなかったのだ。
そこで松永弾正久秀を利用することにした。
自らの手で己が闇に気付き、更正するのならば良し。そのためのヒントもくれてやった。
しかし、無視をして改められないのであればそれまで。
改められぬのならば謀反を起こすと分かっていた。分かっていて信長は謀反をスルーしたのだ。
事前に食い止められて、久秀が更なる悪名を負わずに済んだ可能性もあるのに無視して謀反を起こさせた。
松永弾正久秀の謀反は起爆剤だ。
勢いが無くなった反信長勢力に火をつけて敵対関係を継続させる。
織田が滅ぼしても衆目が憐れみよりも当然だと云う侮蔑を抱くように。
そのために此処で芋を引かせてはならない。特に高野山に対しては。
延暦寺はああなり、本願寺も滅ぼすつもり、高野山だけを残すつもりはない。
二度と幅を利かせないようにするためにも徹底的に寺社勢力を叩く必要があるのだ。
そのために、そのためだけに久秀は存在していたのだ。
非道外道、気付いた者にはそう謗られても無理はないだろう。
しかし、信長は先にも述べたがチャンスをあげている。
子供じゃないんだ、自分よりも年上の人間に一から十まで世話を焼く義理は無い。
「俺の天下で、宗教がデカイ顔をするのは困るんだよ」
「フッ……もうこの天下を取った気でおるんか。いや、確かにこの流れは最早止められんか」
従わぬ者は織田と云う大きな波に呑まれて消える定め。
武田がそうだったのだから上杉や北条も滅びは必定だと信玄は哂う。
確かに彼の云う通りだ。最早織田を止める手立てはない――――普通の方法では。
「皆滅ぼすさ、邪魔な連中はな。アンタが必死こいて盛り立てたこの武田のように、夢幻に還してやる」
ただ、一つだけ知りたいことがあった。
「なあ、積み上げたものが総て消えるってのは……どんな気持ちなんだ?」
諸行無常は世の習い、永遠に続くものなど何もない。
頭では分かっていても実感したことがない信長は分からなかった。
「怒り、憎しみ、悲しみ、口惜しいと云う気分もあるにはあるが……それらはもう通り過ぎてしもうた」
「じゃあ今は何が?」
「少々の虚しさと――――満足感」
結末は良くならなかったが、それでも此処に至るまでの道のり。
苦しいことも多々あったが、今となってはどれも良い思い出。
素直に楽しかったと思えるのだ。
「悪くはない、楽しませてもらった。今は素直にそう思えるわい」
「そうか……ありがとよ、教えてくれて。直ぐに謙信も地獄へ送ってやるから、先に行って待ってると良い」
「当たり前じゃあ。わしを負かしておいてあの胡散臭い野郎を殺せなかったとなればわしがあれ以下っちゅーことになるじゃろうが」
信玄は重荷を総て捨てたことで、これまで分からなかった謙信について少しだけ理解が及ぶようになっていた。
それでもそのことを信長に伝える気はない。
意趣返しどうこうではない、旧き時代を終わらせると云うのであれば己が力でやるべきだから。
「分かってるよ、龍も虎もまとめて俺には敵わんって証明してやらぁ」
「ハン、つくづく口の減らん男だのう!」
この翌日、武田信玄・武田勝頼らの死によって戦国大名武田家は日ノ本より完全に消滅。
旧き時代の終焉は、もう直ぐそこまで来ていた……。




