37話
「気軽に答えてくれるなよ? 俺の問いの意味、君ならばしっかりと理解していると思う。
思うがそれでも、敢えて云わせてもらう。危惧した事態が起これば、夥しいほどの血が流れる。
彼らを殺すのは俺だ、しかし死へと追いやったのは君だ。その意味、分かるだろう?」
譲れないラインを超えないように布教すると云う約定の下に布教を赦されたのだ。
しかし、譲れないラインを超えさせてしまった。
それは布教した側の責任になる。
「努力をしたと云い訳をするのかな? それは死んだ者達にこう云っているのと同義だ。
私は悪くない、悪いのは君達で、君達が馬鹿だったからこんなことになったんだ――――とね」
「ッッ……」
フロイスは完全に呑まれていた。
この恐ろしい男の圧倒的な存在感に。
海を越えて教えを広めに来るような強い意思と覚悟を持っていることに疑いようはない。
この場合はフロイスが気弱なのではなく、信長が大き過ぎるのだ。
「剣術の稽古じゃないんだ、人命がかかっている。努力をしたと云う事実のみで評価が成されることはない。
一人一人、尊い命だ。千人千通りの人生があって、それが一瞬で奪われるような愚行に走らせてはいけない。
反乱を起こされた俺が悪い? いいや、違うね。俺は既に明瞭な事実を所持している。
善政を敷いていると云う、揺ぎ無い事実だ。他の領土にも行ったことがある君ならば分かるだろう?」
その通りだ。
フロイスは多くの地を訪れた。
しかし、一番豊かで人々が生き生きとしているのはこの国の首都ではなく信長の領内の人間だ。
知恵ある者ならば、随所に散りばめられた領民への手厚い庇護を感じ取ることが出来る。
知恵なき者でも、人々の顔を見るだけで良い暮らしをしているのだと云うことが分かる。
「俺は結果を出している。だから、結果を出した俺に布教を願い出ると云うことは君も結果を出さねばならない。
俺は君を尊重して布教の赦しを出した、だから君も俺を尊重してその証として結果を出し続けねばならない。
例えこの国から離れたってそう。国を離れた後までは責任を持てない? それも良いだろう」
もしもフロイスが日ノ本を離れた後で、民草が愚行に走ったとしよう。
殺す、皆殺す。責任を感じないと云うのならばそれも良いだろう。
ただし、
「君の信仰心は、神の教えを広め人々に安寧を齎したいと云う慈愛はその程度だったと心得ろ。
俺は何か間違ったことを云っているか? 愛を謳うのに、過ぎ去った後は省みないでは道理が通っていないだろう」
その場限りの愛など愛ではない。
信長の言葉に云い返せない、それはフロイスが正しいと思っているから。
キツイ言葉ばかり投げかけている信長ではあるが、その実フロイスに対する評価は高い。
「(侵略目的、或いは他の薄汚い我欲を以って日本に来たわけじゃないんだ。この男は)」
侵略目的やその他の薄汚い我欲、別にそれも否定はしない。人の性だ。
しかし、それとは別に好き嫌いと云うものがある。それもまた人の性だ。
好き嫌いに照らし合わせるのならば真摯に信仰を広めに来た覚悟が見て取れるフロイスに対しては好意と敬意を抱くのが当然。
「神の愛は広大無辺、限りをつけてしまうのは人。勝手な解釈をするのは人。
異教徒である俺ならばまだ良いだろう。しかし、君達は決して云い訳をしてはならない。
それが信仰と云うものだろう? 信仰の道を真っ当すると決めたのならば易きには流れるなよ。
流れることが悪とは云わない、それもまた人らしさだ。しかし、その瞬間に信仰から重みは失せてしまう。
そんな信仰に対して、俺は何一つとして敬意を払いはしない。迷惑になれば無慈悲に蹂躙するだろう」
さぞや傲慢な物言いに聞こえるだろう。
しかしそれが為政者と云うもの、それが王と云うもの。
誰に教えられるでもなく、信長はそれを理解している。
「異教を広めることを許可すると云うのは為政者にとっては毒を呑むに等しいんだ。
何時爆ぜるか分からぬ爆弾を抱えると云うことなのだから相応の覚悟が無ければやるべきではない。
無論、悪いことだけではなく恩恵も与えてくれるだろう。
しかし為政者は常に最悪を想定していなければならぬのだ、ならぬからこそ重い覚悟を以って対峙せねばならない」
「(何と云うか……この方は、本当に何時も何時も新しい顔を見せてくれるわね)」
黙って脇に控えていたマーリンは深く感じ入っていた。
もう長い付き合いになる。
それでも、信長と云う男を総て理解してはいないのだと強く思い知らされた。
この場で語られる宗教と云うものへの考え方、為政者としてどう相対するべきなのかと云う信念。
フロイスと云う違う角度から切り込んで来た存在でなければこんな話を引き出すことは出来なかっただろう。
「(どんどんどんどん好きになっていく。何処まで惚れさせれば気が済むのよ)」
今直ぐにも抱き付いてイチャイチャしたい気分だったがグっと我慢。
流石にそう云う空気ではないのだから。
「だからこそ、俺は相手にも重い覚悟を求める。
Via Dolorosa――――茨と薊の道を往く信仰の徒にこそ、俺は敬意を払おう」
その言葉は深く深くフロイスの心に染み渡った。
「信長様。アナタは……アナタは、深い見識の持ち主デス」
此方を尊重する、その言葉に偽りはなかった。
尊重していなければこれほどまでに愛や命について考えてくれるものか。
重い覚悟を以って対話に臨んでくれるものか。
気軽に許可を出すよりも、よっぽど真摯だ。気軽に許可を出すと云うことは此方のことなどさして考えていないと云うことなのだから。
異国人で、異教徒で、しかしそれがどうした?
フロイスもまた、信長に対する親愛と尊敬の念を抱いていた。
「よしてくれ。これまで語ったことは誰かに習ったわけでもねえ、あくまで俺個人の考えだ。
そちらの教義を引き合いにも出したが所詮は素人。深く学んでいる君らにゃー及びもしねえよ」
「イイエ、素人だからとイウのは関係ありマセン」
我と彼、共に命一つの人間。
相手を想い、真剣に考えて真剣に紡ぎ出された言葉は等しく重い。
フロイスはそう熱弁する。拙い日本語ではあるが、それでも彼の熱意は十二分に伝わった。
「そして、ダカラこそワタシも軽々しく返答をするわけにはいかぬと判断致しマシタ。
ワタシは今、猛烈に己を恥じてイマス。軽い気持ちで此処を訪れたコトが情けなくてしょうがありマセン」
殺される、死ぬかもしれないと云う覚悟はしていた――しかしそれが何だ?
何と礼を失していたことか。
信長は殺すどころか真剣に、異国人たる自分に向き合ってくれたのに。
本質を見ようともせず風聞のみで勝手に恐れを抱き勝手にその人間を決め付けていた。
このような有様で誰に教えを説けると云うのか。
真面目な人間だからこそ、フロイスは今、誰よりも己を恥じていた。
「ユエ、もうシバシお時間を戴きタイのデス」
「ああ。構わんよ。何なら岐阜にある俺の屋敷に滞在してくれても構わん。一つ、頼みを聞いてくれるのならばな」
「頼み、トハ?」
「諸外国のことを知ろうと、うちの家臣連中や嫁さんが話を聞きに来るだろう。その時、話せる限り、分かる限り正直に答えてやって欲しい」
教育パパノッブがあの手この手で考えることと、知ろうとすることを育んで来たのだ。
全員が全員と云うわけでは勿論ないが、向学心のある家臣も多い。
その者らが南蛮人ルイス・フロイスの存在を知れば確実に話を聞きたがるだろう。
とは云え相手は南蛮人、若干ハードルが高いこともまた確か。
しかし信長から事前にそう云う条件で滞在させているのだと教えられていれば気分も楽だ。
だからフロイスが此処で頼みを聞いてくれるのならば安心なのだが、と信長はちらりと彼を見やる。
「是非に! 語らうコト、ソレハきっとワタシにとっても益あるコト。喜んでお引き受けシマース!」
「そうか。そりゃ良かった。じゃあ、ちょっと待ってろ」
念のためにと事前に花押型も着替えと一緒に取り寄せていたのだ。
「マーリンマーリン、墨墨」
「はいはい」
紙・筆・墨・硯の一式を取り出しこの場で書状をしたためる。
そして最後に花押型で本人のものである証明をしてやればこれで完了。
「これをうちの人間に見せてやれば後は上手いこと差配してくれるだろう」
「重ね重ね御配慮感謝致しマス」
「どういたしまして。俺も明日には此処を出るから、先に着いたらそのことを伝えてやってくれ」
「分かりマシタ! それでは、これにて御免ナサイ」
ちょっぴり変な言い回しではあるが、外人相手にそれを指摘するのも野暮と云うもの。
フロイスは来た時と違って実に軽い足取りで、それこそ鼻歌でも歌いだしかねないほど陽気に去って行った。
「ふぅ……割と時間がかかったが……まあ、上手くまとまって良かったわ」
布教しようとするかどうかはともかくとして、話が拗れることもなく良い印象を与えられた。
無論、フロイスに語ったことは本心ではあるが気分を害されても不思議ではない。
そう考えていただけに信長としても一安心だった。
「直ぐに現場に戻りたいが、先ずはまあアレだな」
一応今までのも仕事と云えば仕事だ。
なのでゆっくり食事を摂って少し一服するぐらいは赦されるだろう。
そう自分に云い訳をしてみると、物分りの良い自分は直ぐに理解してくれた。
「マーリン」
「はいはい」
アレで通じる辺り母親なのか女房なのか。
マーリンが軽く手を振ると握り飯と多少のオカズに湯呑みが出現する。
「ん」
「はいはい」
湯呑みを差し出せばキンキンに冷えた冷水が注がれた。
とは云え毎度毎度、結構な頻度でおかわりを所望する度に水を出すのも面倒だ。
マーリンが宙に手を翳すと信長の直ぐ傍にバスケットボール大の水球が出現する。
「おかわりがしたくなったのなら、球の下に湯呑みを差し出して頂戴な。自動で注がれるから」
「ほう……いや、相変わらず便利だなぁ」
雷を降らせたり、影に潜んでみたり、何かに変化したりとそう云うものにも憧れはする。
だって信長も男の子だから。
しかし、それ以上に魅力的なのがこのように日常で使える魔道だ。
何せ飲料用の水を用意したかと思えば少し離れた場所では洗濯用の水球まで用意されている。
フロイスとの対面前に着ていた着物を洗うためのものだ。
戻る時にまた着て帰ろうとも思ったが、今纏っている新たに取り寄せた衣服。
これをちょっと着ただけでも洗うぐらいなら着続けて汚してからの方が良い。
そんな信長の考えを云われずとも察したのだろう、マーリンは。
「天下統一して、奇妙丸に家督を譲り渡したら勉強してみようかねえ」
「魔道を? あー……その、期待を裏切るようで申し訳ないのだけど、魔道って元来こう云うものではないのよ」
「と云うと?」
「至極無駄な学問とでも云うべきかしら? 私みたいに日常生活用にあれやこれやと術を作り出すような者こそが異端なの」
便利なのにどうしてしないの? なんて疑問が出る時点で魔道の徒としては失格。
そんな疑問が出て来るような連中ならばもっと俗世に干渉して来る。
「初歩から学んで私と似たようなことをやるにしても、かーなーり、手間だと思うわ。
魔道はね? 初歩が一番難しいの。指導を受けたとしても酷く曖昧で抽象的な言葉ばかり。
私が師事したばかりの頃は、何度テキトーなことを抜かす師を殺してやろうと思ったことか。
でもね、一人前になってようやく気付いたのだけど私の師は精一杯やっていたの。
あれ以上が無いから私も似たようなことしか……いえ、違うわね。多分私の指導要領は師よりも酷いと思う」
生来教えることに向いていないのだとマーリンは溜息を吐く。
この説明の時点でかなり曖昧だが、軽く齧るの段階で至極難しいらしい。
「ほーん……でもまあ、そん時になって興味が継続してたら習ってみるわ」
「それならまあ……ええ、私も教本とか作ってみるわ。出来るかどうか微妙だけど」
「おう」
「あ、学ぶで思い出したのだけど信長様。一体何処でバテレンについて習ったの?
何か専門用語と云うか教義にまで踏み込んだかなり深い内容だったように思うけど」
別にそんなことはない。
ないのだが、馴染みが無い人間には確かにそう聞こえたかもしれない。
「俺って南蛮ものや珍しもの好きって印象が強いだろ? 何でか分からんが。
そのせいか異国の書物やらもちょいちょい献上されたりして、それでまあ貰って放置じゃ申し訳ないし色々読んだりしてたのよ。
異国の言葉で書かれているものも多いが、そこはまあ四苦八苦しながら読み進めたりしてな」
「あー……」
そう云えば、とマーリンも思い出す。
暇な時分、エロいことをしない日は読書やら何やらに勤しんでいた。
表紙や装丁を見るに異国のものだとは思っていたが……。
「つっても、理由はそれだけってわけでもないがな」
そう云って信長は悪戯っぽく笑った。
無論、前世のことだ。基礎的な土台が違うからこそ、それなりに会話を成立させられたのである。
「他の理由って?」
「天下取ったら教えてやるよ」
「何それ」
「一つでも多く約束を増やしておけばそれだけ『死ねない』『生きなきゃ』って力になるからな」
大事な約束、背に負う愛しい重みの一つになってくれ――と凛然とした笑みを浮かべる。
重ければ重いほど、想いを実感出来て何でも出来そうな気になる。
背に負う大切なものを落として土をつけてしまいたくはないから、膝を折れずに踏み堪えることが出来るのだ。
信長の生き方は苛烈なものだ。そして、その生き方が何時か禍を呼ぶのかもしれない。
「……そうね。じゃあ、何が何でも約束よ? 破ったら酷いんだから♪」
「おう! ああ、そうだ……うん、良いこと思いついた」
「何?」
「いや、今度親父殿にも約束してもらおうと思ってな。俺が天下人になる瞬間を必ず見届けてくれってさ」
そうすればきっと長生きしてくれる、信長は童のように無邪気に笑った。




