24話
六角を蹴散らし、その勢いのままに上洛――織田はその武威を天下に知らしめた。
尚、入京の際に信長は聖剣を佩いておらず義秋に配慮したのだと何も知らぬ者は考えただろう。
まあ実際はここぞと云う場面で義秋を爆発させるために利用するのでそれまでは注意を向けないよう隠匿しているだけなのだが。
それはさておき、三好勢を追い出した信長は先ず全兵に略奪を始めとする軍の無法な振る舞いを禁止することを徹底させた。
聖剣の王が率いる軍勢がそんなことをすれば後に差し支えるからだ。
ゆえに禁を破れば即斬首と云う厳しい罰を設けて秩序立った行動をするよう云い含めた。
京都は三好三人衆や松永久秀が攻めて来た際に刻まれた戦火の傷跡がまだ癒えておらず割と酷い有様だ。
そこで信長は治安維持と復興補助のために軍を分けそれぞれを勝家、タッキーに率いさせ治安の回復を図った。
その間、信長は自らの手勢と上洛に加わった浅井軍・筒井軍を伴って義秋を仮の御所へと移送。
直ぐにでも暮らし、政務が取れるよう整える。
その間も正式な将軍任官のための手続きをするために藤孝と奔走したり、ある意味で戦よりも忙しい時間が流れていった。
そうして一段落ついた頃、改めて義秋と面談。
「むほほほ♪ 信長殿、そなたのおかげで此方はようやっと京に戻って来られた!
将軍の座も奪い返したし、云うことなしじゃ! これはあれじゃの、しっかりと礼をしてやらねばならんわ!」
「ありがたき御言葉、と云いたいところですが少々御待ちを」
「にゅ?」
「まだ三好や松永の脅威が完全に除かれたわけではありませぬ。我らが京を去れば即座に攻めて来るでしょう」
「きょ、京を去るとはどう云うことじゃ!? 此方を見捨てるつもりか?!」
「いいえ、そうではありませぬ」
あくまで義秋の身の安全が保証されたのならば美濃へ戻ると云うこと。
未だ日ノ本には将軍に従わぬ不心得者が多い。
それらへ睨みを利かせるためにも自分が何時までも京に居ることは不味い。
それに何よりまだ此度の上洛に際して何も云ってこなかった潜在的な敵が存在している。
彼奴らが三好と連携すれば厄介だからそれを潰さねばならない――とまあ、口車を回す信長。
すると、
「む、むぅ……そなたこそ真の忠臣よ!!」
と見事に引っ掛かってくれた。
にんまぁ、と上機嫌な笑みを浮かべて扇子でポンポンと信長の肩を叩く義秋――それを見ている藤孝は気が気ではなかった。
「と云うわけで防備の整った城を一刻も早く築城することが最上であると……」
「うむ、良きに計らえ!!」
詳しい内容も聞かずにこれだ、信長への好感度が窺えると云うもの。
信長は愛想笑いを返し、そろそろこの場を後にしようと考えだしたところで……。
「し、失礼!」
「ええい! 何であるか、此方と信長が語らっておるのが見えんのか!?」
息急き切らしてやって来た家来に向けて酷い云いようだ。
信長は義秋をなだめ、先を促す。
「ま、松永弾正久秀が現れました!!」
義秋以外の人間が一斉に顔色を変えた。
誰もが誰も、気になっていたのだ。久秀の将軍暗殺以降の意味の分からない振る舞いを。
他にやることがあったので棚上げしていたのだが、まさかあちらから来るなどとは思ってもみなかったのだ。
「兄上を殺した仇ではないか! 殺せば良かろうに!!」
「御待ちを義秋様」
「何故止める藤孝!?」
「彼の者は梟雄、下手に殺して肉袋より毒が撒き散らされれば此方が痛手を被る可能性もあります」
「何と!? 毒を吐くのか松永は!」
藤孝のそれはあくまで比喩だ。
短絡的に行動すると痛い目を見るよってことなのだが義秋は素直に受け取ってしまったようだ。
「いや、まあ……じゃあ、そう云うことで……」
「藤孝殿、将軍様をお頼み申す。奴への対応は俺と俺の家臣団、そして長政と順慶で行います」
良いな? と長政と順慶に目線で確認を取ると彼は小さく頷いた。
怨敵松永久秀と相見えるとあって、順慶は殺意を漲らせているが彼も阿呆ではない。
こうやってのこのこと現れた以上、簡単には殺せないことぐらい分かっている。
「行くぞ」
先頭に信長、後ろ両脇に同盟相手たる長政と因縁深き順慶を。
その後ろに他の家臣団を従えて信長は久秀を待たせていると云う場所へ向かう。
そこで目にしたのは、
「……ふぅ」
ふてぶてしくも敵地にてのうのうと茶を啜る久秀の姿であった。
「松永久秀、であるか」
すぅ、と目を細めて久秀の名を呼ぶ信長。
「如何にも。妾こそが松永弾正久秀に御座いまする」
妖艶な笑みを浮かべ信長を見つめる久秀の瞳には狂おしいまでの恋情が燃え滾っていた。
「此度の上洛、真におめでたく」
「祝いの言葉は要らんよ。愛らしい将軍殿からこれでもかとお褒め戴いたのでな」
「おや、妾も若い者にはまだまだ劣らぬと自負しておるのですが……」
「だろうな。中々の女だよ、お前。毒っ気がぷん、と香って来やがる」
信長は笑みも何も浮かべていない、ただただつまらなそうな顔をしている。
久秀はそのことが若干癪に障った。
そりゃ当然だ、好いた男から無関心を決め込まれて不機嫌にならぬ女など何処にも居ない。
が、それでも表に出すほど若くはないし、何より切り札を持っていると自尊を揺るがせることはなかった。
「お褒めに預かり恐悦至極」
「そりゃ結構。さて、無駄話をしてるほど俺も暇ではなくてな。多忙の身なんだよ、これでも」
藤乃にアイコンタクトを送ると彼女はさっと火を点けた煙管を手渡す。
目と目で通じ合う良い仲の男と女。
その光景がガリガリと久秀の心を掻き毟るのだが、やはり表情には出ない。
「本題に入ろう。わざわざ敵地に乗り込んで来て何がしたいのかね、お前さんは」
くゆる紫煙越しゆえ、久秀の顔はぐにゃぐにゃと歪んでいるように見えて何処かおかしかった。
一歩後ろで両脇に控えている長政と順慶は真面目な顔をしているのに信長は何とも不真面目なまま。
無論、それには理由があるのだがそれはまたの機会に語るとしよう。
「織田様の旗を仰ぎたく、参上仕った次第」
その瞬間、後ろに控えていた長政と順慶がキレた。
「よくもまあ抜けぬけと! 立場が分かっておらぬのか松永弾正久秀!」
「浅井殿の云う通りじゃ! 厚顔にもほどがある! 貴様が如き悪女を誰が好んで懐に招き入れるか!」
「……とまあ、こんな感じなわけだが、久秀よ」
激昂する二人とやはりつまらなさそうな顔をしている信長。
しかし、織田家家臣団からすれば前者二人の反応の方に共感が出来ると云うもの。
うちの殿様は一体何を考えているのか。
「お前、何を以って織田家に加わると云うんだ?」
「何を……とは、これはこれは」
クスクスと心底おかしそうに笑う久秀、それがまた真っ当な者達の怒りを掻き立てる。
「妾は既に礼を以って迎えられるほどの功を上げていると愚考致しますが?」
「何を意味の分からぬことを。生まれてこの方、非道以外働いておらん女が……」
順慶の顔を疾走する虫唾。
現代であれば中指をおっ立てて唾を吐きかけているレベルの嫌悪っぷりだ。
「ふむ……おいたわしや、信長様。揃いも揃って無能ばかりの御様子」
着物の裾で口元を隠し、よよよ、と泣き真似をして見せる久秀だがその瞳は嘲弄の色に染まっていた。
「布地を用意し、包みを繕うべく一針目を入れたのは妾だと何故分からぬのか」
にまぁ、と吊り上がる両の頬、愉しげに細められた瞳。
器量を見せ付けるような妖しい妖しい笑顔と共に放たれたそれは一瞬にして赫怒を拭い去った。
訪れる刹那の静寂、
『――――!?』
そして誰もが言葉の意味を理解し息を呑んだ。
底の見えぬ深い洞に突き落とされたかのような恐怖を誰もが感じていた。
あの藤乃でさえ、額に汗を浮かべているではないか。
情報が漏洩した? いいや馬鹿な、そんなはずがない。
大戦略を聞かされた人間はその後、自主的にマーリンの下を訪れ秘術をかけてもらったのだ。
同じことを知る者にしか他言出来ぬように、と。
大体からして防諜関係には気を遣っていたのだ、洩れるわけがない。
それに久秀の物言いからすれば義輝暗殺以前から知っていたことになる。
馬鹿な、と思う。しかし、だとすれば腑に落ちるのだ。
将軍暗殺後の行動総てに。
目の前に居る女であれば義秋を殺すことだって出来たはずだ。
しかし厳然たる事実として彼女は生きて奈良を脱し、今、将軍の座に就いた。
つまりわざと見逃したのだ、知っていたから、信長の意を知っていたから。
そして京に戻らず早々に本拠地信貴山城に戻ったのも合点がいく。
既に目的を果たし終えた以上、無駄な消耗は避けるべき。
大人しく引き籠もって信長が上洛する際に備えておくのが最上。
義秋の上洛宣言の際に従属しなかったのは、あの状態だと目通り出来る可能性が低かったから。
それに印象付けるとすればこのタイミングが一番だ。
義秋を将軍の座に就け、一先ずは落ち着いて気が緩んだところにドギツイ一刺しを抉り込む。
そうすることで信長に深く印象付けたかったのだ、松永久秀と云う女は。
「どうしたんだい、坊や達? 妾に怯えているのかえ」
そら見たことか。
どうですか愛しの君よ、あなたの背後に居るような有象無象とは違うのです。
どうですか愛しの君よ、妾はきっと御役に立てる。そこな木っ端連中よりも。
どうですか愛しの君よ、見比べて御覧なさいな、それらと妾を。
きっと、あなたが大戦略を発表した段では誰も気付いていなかったのでしょう?
頭の巡りが悪い連中なぞよりも、ずっとずっと可愛がってください。
どう考えても不釣合いではございませんか、あなたとそれら。
主君たるあなたは柳に風と涼しい顔のまま、内心はきっと驚いているでしょうけど顔には出していない。
ですが後ろに控えている者達は童のように素直に面に出している。
何と情け無い、陰謀策謀渦巻く戦国乱世。これでは立ち行きません。
ええ、それでも最低限使えるヒトは有限ゆえ仕方なく使っておるのでしょう。
しかし、そのような者達よりも妾を見て――久秀から滲む妄執染みた想念を、信長は確かに感じ取っていた。
「信長様」
ひとしきり見下して自尊心を満たした後、久秀は改めてその名を呼んだ。
「高く――高く買ってくださいまし」
妾を、松永久秀と云う女を――胃がもたれるような執念が滲む言葉。
それを受けた信長は、
「……絡新婦、か」
「は?」
久秀にはそんな意図はなかったのだろう。
だが、信長は彼女の言葉を聞いて何時か読んだ小説を思い出していた。
最早大まかにしか思い出せないがタイトルだけは忘れていない。
「いや、何でもねえ。あの物語の絡新婦は美しく聡明で盲いているような女じゃあなかった」
「あの、一体何を……」
要領を得ない信長の言葉に小首を傾げる久秀だが、当人は疑問に答えるつもりはなかった。
「年上の人間に説教かますのもアレだし、何より俺自身説教かませるような身分の人間でもねえ。
が、厚顔無恥が売りでな。少しばかり忠告させてもらおうか、松永弾正久秀よ」
戸惑う久秀、期待していた反応と違うのだ。
「お前にとっては取るに足らない、見るべきところもないような人間にも目を向けてみな。
お前が鼻で笑っているような連中をよーく見てみな。そして言葉を交し、その上で自分を見つめてみろ。
気付くのならば芽はあるが、気付かぬのならばそこまで。お前はただ頭がキレ過ぎる"だけ"の女以上にゃなれない」
それは言葉を投げかけられた当事者にも、傍で聞いている者にもよくは分からなかった。
しかし、信長と付き合いの長い家臣達はおぼろげではあるが理解していた。
我らが主君の人を見抜く眼力は凄まじい。久秀と云う人間を看破し、その上で助言らしきものをしたのだろう。
それならそれでまた分からない部分も出て来るわけだが。信長は久秀のことをどう思っているのか。
助言らしきものをしていたとは云え好意も嫌悪も抱いていないようにしか見えなかった。
だと云うのに助言? と第三者達は頭を悩ませる。
「ま、活かすも活かさず殺すもお前次第よ。忘れてくれても一向に構わん……っと、そうだ。降伏だったか?
ああ、認めてやるよ。所領も安堵してやる。つーわけで早速仕事を任せようか」
反信長包囲網を敷くまで、まだ時間が必要だ。
その前にバラされては、大戦略が無茶苦茶になるかもしれない。
恐らく久秀は保険をかけているのだろう、自分が帰らねばあちこちに大戦略の内容が書かれた書状が届くように。
それゆえ、降伏を認めざるを得ない。
「義輝公が殺された二条御所、あそこを拡大して防備に優れた拠点に仕上げる。
その築城に名人と名高いお前の力を借りよう、久秀。うちの長秀と共同で立派なのを仕上げてやんな。
それと順慶、今からちっと二人で話をしようか。色々と謝らなにゃーならんしな」
「は、はぁ……」
云うだけ云って思わず毒気を抜かれてしまった順慶を伴い信長はこの場を去ってしまった。
「えーっと……じゃあ、私達もまあ、解散しますか」
と、この場に居る家臣を代表して藤乃がそう締め括った。
そしてぞろぞろと部屋を出て行き残されたのは久秀一人。
「……」
久秀はぷるぷると身体を震わせていた。
別に領土拡大や、好待遇の提示がなかったから震えているのではない。
何故、何故なのか。信長のあの態度は何だ?
妾にしてやられた筒井の小僧には情を見せて、何故自分にそれが無い?
終始つまらなさそうな顔をして、これでは自分がまるで――認められるわけがない。
「……そう、か。妾は期待されておるのじゃな」
凡人と天才、期待の度合いが違うのは当然。
自分はもっともっと出来るだろうと期待されたのだ。
久秀はそう思い込み、更なる成果を上げてみせると強く強く拳を握り締めた。
「とりあえずは築城、か」




