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 全身びしょぬれになりながら、俺は、叫んだ。

「都をっ、都を、返せっっ!」

「・・・・・・あら。MM02を、連れてきちゃったの?」

 サンタクロース社の、雨が叩き付ける広い駐車場で俺と聡は対峙した。

「連れてきちゃったのなら仕方ないわね、先にこっちに寄越して貰おうかしら」

 彼女の後ろには、手足の自由を奪われた都がもがいている。口にも布を噛まされていて、叫ぶこともできない。

「お前・・・・・・っ、都を怪我させたら許さねえぞ!」

「まさか。私は、そんなことしないわよ。さ、VIBを完成させましょう?」

 その言葉を聞いて、朝祇が叫んだ。

「私は、絶対にVIBを完成させない!」

「・・・・・・それは、あなたの兄に、そう言えと教えられたの?」

「違うわ。私自身の、答えよ」

「朝祇自身もそう言ってるだろ! いい加減、諦めたらどうだ!」

「――諦める? 何を言ってるの、夜交君。私、諦めるって、嫌なのよ」

 俺は、彼女を睨み付けた。思い切りの軽蔑を込めて。

「その眼、気に入らないわ。あなた、要するに邪魔なの」

「だったら、どうする」

「もちろん、黙ってて貰うわ」

「んんんんんっ、んんん!」

 彼女の後ろで、都が叫ぶ。無音に近い叫びを、聡は当然のように無視する。

「さ、眠ってなさい」

 彼女が一体どういう行動に出るかは、解っている。

 だから俺は地面を蹴って、聡の方へ向かった。俺の突然の動きを想定していなかったのか、彼女は動揺する。

 俺は右の拳を固めた。雨が弾丸そのもののように俺を撃つ。俺は濡れた黒い地面を蹴って、自らを空中に投げ出した。全体重を一発の突きに込める勢いだった。だが、彼女の動きの方が速かった。

 彼女の右手に握られた軍事機械の引き金に、細い人差し指が掛かる。銃口は確実に俺の腹を狙い、その指は、躊躇うことなくそれを引いた。あと少しのところで彼女の頬に届く、というところで俺の腹に、五発の弾丸がめり込んだ。

「ぐっ・・・・・・」

 俺は無様に頭から硬いアスファルトに滑り込んだ。

しかし。

何故だろうか、葛西の時のようにあからさまに吹き飛ばない。顔を顰めた聡が、再び、引き金を引いた。右太股に、激痛が走る。

「・・・・・・何で、拒絶が起こらないの?」

 俺はどうして自分が記憶を拒絶しないのかを、直感的に、最も速い、本能で理解した。そして、生存本能が、その真実を隠そうとする。

 俺の口から、言葉が流れ出る、その響きは、呻き声に似ていた。

「――そうか、・・・・・・あんたが、俺を、捨てたんだな・・・・・・赤の他人になんてなろうとしたのは、あんただったんだな・・・・・・」

よくわからない言葉を垂れ流す標的を、聡は再び狙撃した。

一発一発の弾丸が着弾する度に、その弾は俺の中に取り込まれていく。俺の中で、その記憶達が圧縮されていく――そして、遂に俺の中で、忘れていた記憶の再生が始まった。

「あがっ・・・・・・、あああ、あああああああああっ、止めろ、殴るなッ、熱い、皮膚がッ――破れるッ」

「・・・・・・お兄ちゃん?」

 朝祇の声が脳の中に取り込まれる前に、昔の記憶がそれをブロックした。頭の中で記憶が竜巻のようにうねり、たくさんのものを巻き込んでいく。その摩擦だろうか。それとも、突然の記憶の改変に情報処理能力が追いつかず、それによって上がる悲鳴のせいなのだろうか。

ただ、頭が熱い――

そして、身体に凄まじい衝撃を感じて、俺達の周りの空間が歪んだ。綰ねられた世界に展開されたのは、俺の、記憶だった。

たたたたたっ、という音に連動して、周りのスクリーンのようなものに記憶が貼り付けられていく。

痛みと、恐怖と、絶望に染められた、記憶。親からの、本当の親からの、怒りの矛先。全てが、姿を現した。弾丸になっているのは、俺の、幼いときの記憶――

ただ暴力の向かう先にしかなっていなかった俺の過去だ。都は辺りに広がる記憶を目に入れまいと瞼を閉じている。朝祇は、慄然として、立っていた。

「なるほど、そういうこと・・・・・・」

 周囲を見渡した聡が、遂に総てを悟ったように笑った。

「・・・・・・ねえ、トウヤ君」

 どくん

 ねっとりと、しかし攻撃的な刺激を含んだ声が、俺を痛めつける。

腸を、目の粗い紙やすりで擦られたかのような、激痛と不快感。

「トウヤ君は、どうしてこんなところに来たの?」

どくんっ

「ねえ、トウヤ君、黙ってちゃ、解らないでしょ? ほら、早く言いなさい、トウヤ君。私、あなたが、MM01だなんて、全く気付かなかった。あなた自身も、気付いてなかったんじゃないかしら? トウヤ君?」

「――やめてくれっっっっ!」

 わざと『トウヤ』という名前を連呼する聡に、俺は哀願する。しかし、それが叶えられることは、絶対にない。

「トウヤ君、どうなの? あなたは自分がモルモットだったと、知ってたの?」

「――俺を、トウヤと、呼ぶな・・・・・・っ」

「何言ってるの、あなたはトウヤよ。あなたは、夜交じゃない。夜交にはなれない・・・・・・早く答えなさい。・・・・・・仕方ないわね、」

――仕方ないわね

その言葉が俺の耳に入るなり、身体は拒絶反応を起こした。

――仕方ないわね

「罰を、与えるわ」

 聡の、悪魔の宣告に俺は全身の力が抜けてその場に崩れ落ち、何もかも忘れたいと願うように頭をアスファルトに打ち付けて、そして、

「――――――――――――――――ッ」

 記憶の空に向かって、慟哭を放つ。

あのときと、同じだ。

この叫びに相応しい言葉を、俺はもう手に入れた。

「――――許して、ください・・・・・・」

 そして俺はまた、闇に放り込まれた。


 俺は、宙に浮いていた。倒れた俺の身体が、眼下に転がっている。いわゆる幽体離脱というやつだろうか。にしても、こんな時に。

 俺は朝祇の方を見た。彼女は俺の身体を抱きかかえて、泣き叫んでいる。

 俺はここだ。

 そんな言葉が、彼女に通じるわけがないのは、感覚で理解した。

俺は、死んでしまったのだろうか。

彼女に触れようとしても、手が通り抜けてしまうだけで、触ることさえできない。

「何で・・・・・・」

 俺は自分の手を見た。あるべきはずの手は、俺自身にさえ、見えなかった。これは、予想していなかった。

 自分自身でさえ、認識することのできない、身体。空気のような身体を、俺は持っていたくない。

 朝祇に、どんどんと聡が近付いていく。

「朝祇! 逃げろ! 俺はもう、・・・・・・俺はもうそこにはいない!」

 こんな、自らへの呪いのような言葉も、彼女には届かない。涙を流す彼女の前で、本当に助けてやるべき時に、俺は、無力だった。

「朝祇っ! 早くッ、早く逃げろッ」

「・・・・・・MM02、さあ、これで、思い出して頂戴」

 紫色の血漿を持った聡が優越を全身に湛えて言った。

「っく・・・・・・お兄ちゃんを、お兄ちゃんを返して!」

 朝祇は、今までにないくらい大きな声で、叫ぶ。俺の身体がびりびりと震えた。

「・・・・・・トウヤ君は、あなたのお兄ちゃんじゃないわ。家族といっても、ただ口先だけの、軽い約束のようなものだったでしょう? あなたが彼のことを気にする必要なんて、ないじゃない」

「うるさいッ! いいから、お兄ちゃんを返して、ねえっ、お願いッ!」

 聡はなおも歩行の動きを止めない。未だ喚く朝祇の白い喉を、聡が面倒臭げに見た。

「聡! やめろ! 朝祇に、触るな!」

 聡の手が、朝祇の首に掛かった。聡の顔が、嗜虐的な笑みに覆われる。ぎりぎりと締め付ける触手のような指が、朝祇の抗う力を奪った。

「っか、く、・・・・・・あ、・・・・・・」

 朝祇の詰まった悲鳴が、俺を侵食する。

「聡、やめてくれ、朝祇を、苦しめないでくれ、これ以上・・・・・・」

 何で、声が届かないんだよ。こんなに、守りたいのに。守ってあげたいのに。

「畜生・・・・・・」

 朝祇の額に、とうとう紫色の欠片があてがわれた。そこから、霧のようなものが吹き出す。

 記憶が、朝祇の元に帰るのだ。

「公式が・・・・・・」

 首を強く絞められて、抵抗することができない朝祇の表情が、絶望に変わっていく。瞳が光を失い、焦点を定めることを止めた。

「やめろ――――ッ」

 その瞬間、目映い青色の光が、朝祇を包んだ。

「・・・・・・おに、いちゃ、ん」

 人形のような彼女から姿を現したのは、彼女の、記憶だった。

 水族館に行ったときの。朝祇と過ごしてきた中で、一番、穏やかだった、あの日。あの日の記憶が、丸い牆壁となって、VIBの製造公式の記憶を拒絶していた。

「・・・・・・くッ」

 聡の、欠片を押し込む力が、いっそう強くなる。

 しゃん、という鈴のような音と同時に、朝祇の記憶から光の飛沫が上がった。

朝祇の記憶が、VIBの脅威に耐えられなかったのだ。

「お兄ちゃん、ご、ごめん、ね。あの日の記憶、壊れちゃいそうなんだ。すっごく、楽しかったのにね、ごめんね、ごめんね・・・・・・せっかく、いい思い出だったのにね・・・・・・っ」

 真っ黒な目をした朝祇は、涙を流した。

「――っあ、あさっ、朝祇ちゃん!」

 突然、都の声が響いた。自力で口に回されていた布をほどいたらしい。

「もう止めてッ聡さん! その記憶は、壊しちゃ駄目ッ! 夜交と朝祇ちゃんの、大切な、とっても大切な思い出なんだから――ッ」

しゃんっ

「やめろ、壊さないでくれ、記憶を、」

 聡のライフルが、都を貫く。手足の動きを制限されたまま、宙を舞う都。

「もう、俺から――大切なものを奪わないでくれ――ッ」

 記憶にリンクする時のような感覚が、俺を襲った。それと同時に、空間を覆っていた俺の昔の記憶に亀裂が入った。

聡が、記憶の空間の崩壊に気づき、頭を庇った。

空の亀裂はびしびしと音を立てて広がり、遂にガラスのような破片になり、飛び散った。

鋭利な欠片が、倒れている都の手と足の布を切り裂く。

そして俺は、身体を取り戻した。

「――象潟聡ッ」

 俺は立ち上がって、彼女の姿を捕らえた。

「・・・・・・生きてたの、トウヤ君」

「・・・・・・トウヤ・・・・・・、」

 俺は、その恐ろしい言葉を反芻した。

「トウヤ君、あなたの居場所は、ここじゃないでしょう? トウヤ君とMM02には、何の接点もないわ」

「何の接点も・・・・・・?」

 しゃんっ

「トウヤ君。また、罰を与えるわよ。孤独な、空間。広い街にトウヤ君が一人だけ」

「・・・・・・おに、いちゃん、負けちゃ、だめっ」

しゃんっ

こうしている間にも、朝祇の記憶が傷付いている。もどかしさが俺を襲い、『トウヤ』も俺を襲った。呼吸が浅くなり、血液中の酸素濃度が下がる。

「この子は、全く血の繋がりのない子供よ。トウヤ君、あなたは永遠に幸せにはなれないのよ。ずっと、孤独だもの。そういう運命。可哀想に」

 俺は膝を折った。アスファルトからの痛みが大腿を刺激する。絶望の中で『トウヤ』の呪縛が俺を支配して、それが生み出す恐怖に、俺は怯えていた。

 ・・・・・・俺は、トウヤだったんだ。

 夜交という名は、後から付けられた名前に過ぎなかった。

 『トウヤ』という名前が消えたところで、結局、『トウヤ』は記憶だけで生きていたのだ。

「トウヤ君、あなたは捨てられた子供らしく、段ボールの中で短い生涯を終えるべきだったわね」

 遂に『トウヤ』は、俺に帰ったのだ。全ての、幸せへの選択肢を叩き潰して。俺を孤独にするためだけに、彼はやって来た。

・・・・・・だけど、俺は、そんな記憶のために、全ての心を壊すのか?

俺は、偽物の兄だった。夜交という人間でさえでさえ、なかった。 

だけど朝祇は、俺のことを兄と、お兄ちゃんと、呼んでくれたじゃないか。

都は、俺がずっと羨望の眼差しで見ていた都は、俺のことを夜交と、呼んでくれたじゃないか。

名前のない彼も、存在を否定されて続けている俺の友も、何度も呼んでくれたじゃないか、夜交、と。

俺はずっと四条夜交を演じ、その存在が揺るぎないものであると信じて疑っていなかった。

だから。

だから俺の頭の中には、四条夜交の記憶でいっぱいだ。

「――ッ、れのッ・・・・・・俺のっ・・・・・・」

「なに? まだ、家族ごっこを続けるつもりなのかしら? トウヤ君」

 トウヤ、という文字が、頭の中で横溢する。

 だけど、俺は、その禍禍しい文字の羅列を振り切って、

「――――俺の頭の中に、トウヤの記憶は一つもねえッ! 俺は・・・・・・俺は! 俺は、夜交だ! お前がどれだけなんと言おうと、俺は四条夜交で、――朝祇の兄だッ!」

 俺は地面を蹴って、朝祇の元に向かう。製造公式から朝祇を引き剥がして、俺は公式記憶に手を突っ込んで、無理矢理に共鳴した。

 腕が、焼けるように熱い。頭の中に、たくさんの数字と記号が流れ込んでくる。

「っあああ、っく・・・・・・」

「この、誰にも必要とされない分際で・・・・・・ッ」

 俺は、そう叫んだ聡を睨む。その背後に、俺は『彼』の姿を捉えた。

俺は、真実を、理解した。

「もう、・・・・・・もうVIBは必要ない! だって、ヤツカさんは・・・・・・三塒八束さんは生きてるから!」

「え・・・・・・?」

 聡は、俺の視線の先、つまり、俺達を哀しそうな目で見ている八束さんを見た。

吹き飛ばされた都も、目を覚まし、俺の視線の先を追う。

「・・・・・・嘘、」

 聡が自分を否定するように言った。ヤツカさんは、ゆっくりと歩きながら口を開いた。

「聡、僕は君を、ずっと、騙していた。MCTを完成させるために、君を、利用していた」

「・・・・・・だけど、それは、ムネモシュネに、あなた自身を人質に取られていたから」

 朝祇が、荒い息で補足した。硬いアスファルトにしゃがみ込んでいる聡に、八束さんが近付く。

「・・・・・・ご・・・・・・ご、ご、ごめん、な、さ、い・・・・・・」

 ――ムネモシュネに、人生を狂わされた。

八束さんの言葉が、頭の中に響く。ムネモシュネからの見えない糸が、聡から消えた。操り人形の糸は、今、この場で断ち切られてしまった。彼女は頭を抱え、全身を振るわせ、目を大きく見開いて、たくさんのものを拒絶するように首を大きく横に振った。

その異常な、痙攣のような行動が終わったのは突然で、静寂と共に、彼女は気を失った。

頭の中が混乱しすぎて、対応できなかったのだろう。八束さんが、倒れたその身体を抱いた。それを見届けて、俺は目の前で渦巻く製造公式を見据える。

――世界に終焉をもたらす、悪魔の数字達。

俺は、公式の記憶を、びりびりとしびれる右腕を通して体内に取り込み、そして、ぐっと力を入れた。

こんなことをするのは初めてで、やり方も何も解らなかったはずだった。ただ俺はこのやり方しか自分にはできないと、確信していた。

そしてこの方法が、きっと最善へ導く方法だ。

「――っが、あぐっ・・・・・・あがぁっっっっ・・・・・・」

 心臓に、何億本もの針で突かれているような痛みが襲う。血液を送り出すポンプが最大出力で稼働する。

その痛みを少しでも誤魔化そうと、俺は左胸をぐっと握りしめた。

すると、驚くべきことに体内にずぶりと手が入り込んだ。炎の中に手を突っ込んでいるような熱さの中で、俺は、たった一つ、異質な何かを掴んだ。

きっと、それは結晶化された記憶。

胸から、無理矢理に固形化された記憶を取り出した俺は、それを、ぐっと、握りしめた。完全な結晶ではなくて、結晶になり損ねた、記憶。表面から、どんどんと昇華していって、俺はとっさに朝祇と都に目配せをした。

 言葉を介さなくても、何をすればいいのか俺達には何となく解っていた。二人は急いで俺の元に駆け寄って、手を伸ばした。

 俺の右手に、朝祇と都の手が添えられる。三つの光に捕らえられた不安定な塊は、遂に、完全な結晶と化した。

 俺達は、聡を抱えて蹲る八束さんの傍に寄り、微笑んだ。

「聡――僕達は、これを見なくちゃいけない。それが、僕達への呪縛が解かれるときだよ」

 聡は、八束さんに抱きかかえられたままだった。彼女の顔は、何の感情も湛えていなくて、象牙の、美しい彫刻のようだった。

 俺達三人は、大きく息を吸って、二人に告げた。俺達の、過去への訣別の言葉を。


 ――――これが、俺達の、魔法です

  



                     煌めく無数の、記憶の欠片――――


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