表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
6/9

逃亡

 俺は放課後、保健室のあの部屋にいた。保健室、よりかは危険物保管庫、が似合うあの部屋だ。

「何ですか、先生」

 俺の横には制服の胸ポケットにリチウムアルミを入れた男がいる。彼は目を輝かして、あたりを見ている。謎な男だ。

「あなたたち、明日のお昼、暇? よかったら、ドライブに付いてきて欲しいんだけど。あなたたち、おもしろいし」

 葛西が硫酸と塩酸の瓶と試験管を持って、俺達――俺と謎男と朝祇と都――に尋ねる。

 断らせる気持ちは硫酸の中にでも溶けてしまったらしい。

「寝耳に水かしら?」

 先生が作ろうとしてるのは、水は水でも王水だけどな!

「・・・・・・条件があります」

 開けた筆箱を頭の上に乗せて、神妙な顔つきで語りかけるバカ。謎メーターが七百二十度くらい回転して、針が飛んでいった気がする。

「何かしら?」

 葛西も同じく開いた硫酸の瓶を頭の上に乗せて質問する。この学校はバカばかりだ。

「この中の薬品を、一つください」

「なんだ、そんなこと。別に全部持って行ってもいいのよ、アルコールから炭疽菌まで、何から何まで」

「そんなに持てないですよ」

 法的に、アウトだろ。炭疽菌て。世界を滅ぼす気なんだろうか、この人は。そう思ったあと、VIBのことが頭をよぎって、冗談じゃ、ないよな、と自己反省。

「じゃあ、これを貰います」

 そういって、彼が持ってきたのは、マグネシウムと硝酸ナトリウム系の混合物の入った瓶だった。

「お前、そんなもん、どうするんだよ」

 俺は彼に聞く。

「この筆箱と、相性いいんじゃないかと思って」

「・・・・・・どんな頭してんだ」

「俺の、前の筆箱を頭突きでへこました奴に言われたかねぇよ」

 ぐぬぬ。返す言葉がない。言葉はあるんだけど、彼には言葉では勝てない気がした。

「まあ、とにかく君は来てくれるんだねっ」

 俺と彼の気まずい雰囲気を吹き飛ばすように、葛西が言った。

「はい、約束は守る男ですから」

 彼は瓶の中身を筆箱の中に移し替えて、言った。

「んふー、空気読んだでしょ、私」

 葛西がドヤ顔で俺に自慢してくる。

「空気読む前に、薬事法とか、危険物取り扱いの資格の本を読んでください」

「・・・・・・はーい」

青菜に塩、ナメクジにも塩、タンパク質に硝酸、といった比喩が似合う感じで、葛西はうなだれた。自覚、してたんだ。

なんか、悪いことしたかな。俺を、朝祇と都が睨む。

「大人の人も、泣かせちゃうんだ・・・・・・」「よ、夜交・・・・・・」

 俺は呪詛の言葉を垂れ流す彼女達に背を向けて、葛西の方を向いた。

「先生、すみません・・・・・・」

 という言葉を喉元に用意したが、その喉元に、何かが突きつけられた。彼女の目が、ブラックダイヤのような深い輝きを持っている。

 そんな美しい人が手に持っているもの、俺に向けているのは、

「にっ、日本刀・・・・・・っ?」

「ドライブ、来てくれる?」

「もっ、もちろんでしゅっ・・・・・・」

 あ、噛んだ。

 そんなことはどうでもいい。生命の、危機だった。彼女は俺から離れて、刀を鞘に収める。

「竹光よ」

 でもこえーよ。

 まだ喉らへんがぞわぞわする。

「都ちゃん達も、来てくれるよね」

「もちろんですよ」

 彼女達は、口を揃えてそう言った。


       *


 翌日の午後、俺達は学校に向かった。

 広いグラウンドでは、野球部とサッカー部が所狭しと練習に励んでいる。耳を澄ませば、・・・・・・まあ耳を澄まさなくても、無理矢理に耳の中に入り込んでくる、吹奏楽部の楽器の音。ベランダに目をやると、美術部が白いスケッチブックを持って大勢並んでいた。

 夏の休日の、妥当な過ごし方だろう。

 俺は教員用の駐車場に目をやった。朝から気温は少し高めで、天気予報でもいきなり夏日になるでしょう、外出される方は水分補給を忘れないように、と言われていたこの七月の第二水曜日の午後、俺達を迎えたのは真っ赤なフェラーリ――

 

俺達四人――俺と朝祇と都と、今も銀色の筆箱で遊んでいる不思議な奴――は、かなり緊張しながらその真っ赤な車に乗り込んだ。いくら臨堂市が比較的都会だからといって、目立ちすぎる車だ。

「遠慮しなくていいのよ」

 葛西はそう言ったが、俺達はやはり緊張が解けない。

「・・・・・・お兄ちゃん」

「ん?」

 俺の右隣で、朝祇が身体をこちらに寄せながら言った。

「この乗り物、何?」

「・・・・・・学校に初めて来たとき、タクシーに乗っただろ? それと、同じだよ。ちょっと、値段が高いだけ・・・・・・」

「よ、夜交っ、ちょっと、近いよ・・・・・・」

 俺が朝祇の相手に追われているときに聞こえてくるのは、左に座っている都だ。前に買った服を着用している。

「あ、ごめん・・・・・・」

「べ、べつに、いいんだけど・・・・・・っ」 

彼女はそう言ったが、俺は身体を密着させてくる朝祇をもうちょっと右に押しやり、何とか都との隙間を作った。

何でこの車、こんなに狭いんだよっ。心の中で叫ぶ俺の声は、誰にも聞こえない。助手席に座っている親友のにやにや笑いがどうも気に入らない。

「両手に花で、嬉しそうだな」

「こいつっ・・・・・・」

 

明らかに制限速度を百キロオーバーしているスピードで走る車は、止まることを知らない。

ちゃんと赤信号では止まっているけれども、発進する度に、身体がシートに押しつけられて仕方がない。

 スピード違反の取り締まりをしている警察は、フェラーリに目を奪われ、ぼうっとしている。

 警察官仕事して。

 山の蛇行する道を、ブレーキペダルを一切踏まないで登る車両。俺達は右に左に揺れながら、早くこの苦行が終わることを望んでいた。

朝祇はかなり喜んでいたが。まあ、絶叫大好きだもんな。

一方、都の方は、さっきから俯いていて、顔を赤くしている。酔ってるのか?

「大丈夫か・・・・・・?」

「え、あ、うん・・・・・・」

 彼女は無理に笑ってみせる。

「別に、酔ってる訳じゃないんだよ、ただね、うん・・・・・・」

 口をもにゅもにゅとする彼女の表情は、心なしか喜んでいるような感じだった。


「さーあ、着いたわよ」

 葛西が運転席から降り、皆を誘導した。俺達の中で一番歳の数が大きいのに、何故か彼女が一番若々しかった。

「綺麗でしょ?」

 そう言って、彼女が指さしたのは、大きな、広い湖だった。

「わああ、きれい!」

 朝祇が柵にもたれかかって、大きく叫んだ。

 綺麗な青空が、水面をきらきらと輝かしている。水ってこんなに青いんだ、と思った瞬間だ。

「すっごく、青いんだね、水って」

 都が、俺が思っていたことと同じことを言った。以心伝心、ってやつだろうか。

 だけど、この素晴らしい景色を見たら、誰でもそう言ってしまうんじゃないだろうか。そのくらい、美しい光景だった。


 葛西はそのあと、思い切り走り回って、存分に叫んで、はたまた俺達も、高校生とは思えないようにはしゃぎまくっていた。たまには走り回ったり叫んだりしたいときもあるのさ、と自己弁護。草原で、寝転がる、というのも一度はやってみたかった行動だ。

 都市部の方ではあまり自然がないため、こんな風に裸足になって走り回ることはできない。

街ではひり付くアスファルトが、ここでは心地よい冷たさを与えてくれる緑な訳だし、エアコンの室外機から出てくる熱風でヒートアイランドなビル街とは違って、湖からの風がさわやかな冷風を浴びせてくれる。


 自然はどうやら、人間の時間の感覚を鈍らせてしまうらしい。

 端から見れば気色悪いほどに騒いだ俺達は、いつの間にか五時間を過ごしていた。恐ろしい。

「そろそろ、帰りましょうか」

葛西の声で俺達はようやく我を取り戻し、互いに赤面しあう。都の、開けた一面を見ることができたのは、少し嬉しかった。

夕焼けの赤が、空と湖を染めている。その、異世界を思わせる空間を俺は見ようと、柵に寄った。

あたりを見渡し、泣きたくなるほどの美しさを湛えた空と湖を記憶して、俺は回れ右をした。

 その時、その空間に、全く見覚えのないものが映った。

 木の陰に、白い、十字架があったのだ。

「五時間近くもここにいたのに、気付かなかった・・・・・・」

 俺はそれに駆け寄った。俺が何かを見つけたことを悟ったのか、他の皆も集まってくる。

「何かしら、これ。お墓?」

 葛西はしゃがんでそれに見入る。

「何か、文字が彫ってあるみたい・・・・・・」

 都が、十字架の下の台座を指さした。

『ムネモシュネの過ちを忘れぬため、ここで記憶を守る』

 短い文だった。その下にはまだ、何かが彫られている。

『――三塒』

「先生、なんて読むんですか?」

「・・・・・・さあ?」

 葛西は、首を傾げる。俺も、こんな字は見たことがない。

 

 太陽が、沈み始める。太陽の動きを、初めて速く感じた。

 俺達は、その十字架の近くから歩き、車の方へと向かった。橙色の空間で出会ったあの十字架が、どうしても気になってしまう。

 車は、動き始める。ゆっくりと。赤い車が湖岸を走るとき、俺は、窓から見える景色に、既視感を覚えた。そして、ゆっくりと襲いかかる、睡魔――


 変な臭いで、俺は目が覚めた。

「またここか・・・・・・」

 俺がいたのは、危険物の倉庫だった。

「ひどいじゃない。夜交君。人が免許取り立てで、必死になって運転してたのに寝てるなんて」

「免許取り立てだったんですか・・・・・・。生きてることに感謝しないと」

 俺の横で、朝祇と都が向かい合って眠っている。

 本当の、姉妹みたいだった。

「駄目よ、夜交君」

「心配しなくても襲ったりしま――」

「朝祇ちゃんの身内は、夜交君だけなんだから。都ちゃんじゃ、ない」

「――わかってますよ」

 顔に寂しさが出ていたのが恥ずかしくて、俺はそう吐き捨てた。

「だったら、起こしてあげて? もうそろそろ帰ってもらわないと」

「ですよね」

 俺はそう言って、朝祇の肩を叩いた。彼女はすぐに目覚める。

「おい、都ー。起きろー」

 さすがに、彼女に触れるのは気が引ける。

「起きろって」

 ちょっと声を大きくしてみる。

「・・・・・・ん・・・・・・よま、じぇ?」

 彼女はゆっくりと覚醒する。

「もう、外は真っ暗よ?」

 葛西は、起きた都に告げた。

「はあ・・・・・・」

 寝起きで少し頭がぼうっとしてるらしい。それに葛西も気付いたのか、

「寝てる途中に夜交君が都ちゃんに抱きついたのは知ってる?」

「んなっっっっっ・・・・・・」

 都は、変な声を出して、俺の方を見る。顔が真っ赤ですぜ。

「なんもしてねえよ。・・・・・・目は覚めたのか」

「・・・・・・・・・・・・なんだ」

「都ちゃん、残念だったね」

「朝祇、お前は何を言っている」

 俺はそう言いながら、まだ寝ている友に近づき、額にデコピンした。

「・・・・・・非軍人を攻撃するなんて・・・・・・」

 訳のわからない言葉と共に身体を起こす彼。

「帰るぞ」

 俺達は、外に出た。


 で。

 目の前に、象潟聡がいた。

「またあなたですか・・・・・・」

 俺は溜息混じりに言う。

「・・・・・・早く答えを出して欲しいの」

「・・・・・・協力しない」

 俺は、その短い言葉を言うのに、多くの酸素を使った。

「そう・・・・・・残念ね」

 彼女がギターケースから取り出したライフルが、葛西を捉えた。躊躇なく引かれる引き金。青い光が、葛西に直撃し、彼女は吹き飛んだ。

「なっ・・・・・・」

「これはね、記憶の結晶を弾丸としているの。記憶は常温では気体なの。それを、常温でも固体に保たせるのが、MCTの基本。ちょっと高温になれば、すぐに気体になってしまうんだけど。それを応用してるわ、この銃は。空気摩擦で熱を発生させて、わざと気体にする。夜交君、記憶は、母体再生しかしないって言ったわよね、記憶は、他の身体を拒否するの。磁石に同じ極を近づけたみたいに。だけど、記憶は、その反作用を受けない。だから、発射速度と、拒否反応で起こった速度の和で、この記憶の気体はぶつかる。それが、だいたいマッハ一・〇五くらいね」

 彼女が構えるライフルが、再び青い光を放った。それは夜の空気の中に消える。

「・・・・・・確かに『成長する玩具』は、画期的なアイデアだ。だけど、その公式を思い出させることが、朝祇にとっては苦痛なんだよ」

 聡は、ふっと笑った。

「言い訳御苦労」

 たたたたたっという音が、周りの灯りを打ち抜いた。俺達のいる空間が、光源を失う。俺達が、VIBを知っていることは、もう彼女の耳に入っているらしい。

「何であんたはそんなにしてまで、VIBを完成させたいんだッ」

俺は闇に向かって叫ぶ。

「決まってるじゃない。世界の脅威になれば、私はMCTを開発できるからよ」

「世界を滅ぼそうとしてまで、MCTが大事か?」

「あなたなんかに、解らない。私には、再生させなきゃならない記憶があるのっ」

 闇の空気が、再び沈黙を作った。

「一つ、聞いていいか?」

 俺の隣にいたらしい友が、口を開いた。

「あんた、暗視スコープでも使ってんのか?」

「は?」

 突拍子もない質問に、聡が唖然とするのが声で解った。

「いや、暗視スコープを使っているのかと」

「使ってるけど」

「ふうん。俺も欲しいな」

 最後のは明らかに独り言だった。

「とにかく、私は、絶対にVIBを完成させるわ」

 青い光が、俺の横を通過した。たぶん、誰にも当たってないはずだ。

「朝祇、都・・・・・・いるか?」

「うん、いる、よ」「うん・・・・・・」

 声が明らかに震えていた。俺は、横にいるであろう彼女の手を握った。緊張で冷たくなった彼女の手が、あまりに心細い。

「夜交、そう言えば・・・・・・彼女が、お前にキスした奴か?」

「・・・・・・ああ、そうだけど・・・・・・」

「綺麗な人、だったな」

「え?」

 こんな状況で、こいつは何を言ってるんだ。彼が、手に持っていた何か――たぶん、筆箱だと思う――を、振り上げたのが解った。だいぶ目が慣れてきたらしい。

「だけど、兵器が似合いすぎる」

彼はそう言って、筆箱を、聡に向かって投げつけた。

「バカね。私には、スコープがあるのよ?」

 彼女の言葉には、耳を傾けず、筆箱を放った彼は、ただ一言、走れ、と叫んだ。

 そして、聡が飛来する筆箱を狙撃した音――しゅっという音が響いた。

 その瞬間、

 筆箱から、大量の火花が散り、熱気が押し寄せた。金色の蝶蝶のような光の飛沫が、闇を照らす。俺は、朝祇と都の手を引いて訳も解らず走った。

「何、これっ」

 後ろから聡の声が響く。後ろから、ライフルの構える音がしたが、結局弾は飛んでこなかった。


 俺達は無我夢中で逃げて、そして、俺の家に逃げ込んだ。

「お前、さっき何したんだ?」

 居間に移動してもなおは呼吸を荒くしている彼に、俺は尋ねる。朝祇は台所から持ってきた四つの紙コップに水を注ぐ。

「・・・・・・ああ、フレアだよ」

「フレア?」

「赤外線追尾ミサイルの目標を狂わすやつだ。葛西先生から貰ったやつ。暗視スコープは、暗いとこでは役に立つけど、強い光とか、熱を浴びせると駄目なんだ」

「・・・・・・何度くらいになるの?」

「あー、二一三〇度くらいだな。結局、その熱のせいでライフルの弾丸も消えちゃったみたいだから、よかったけど・・・・・・あの人、死んでないよな?」

「・・・・・・大丈夫だろ。ヘリが墜落しても生き続けてるような人だ」

「そうか、安心した」

 やっと呼吸が落ち着きを取り戻し、上下に揺れていた肩が安定した頃、彼はおもむろに立ち上がり、カーテンを開けて外を眺めた。

「夜の街って、こんななんだな」

 彼の目が、ひどく冷めている。

「・・・・・・どうしたんだ?」

「いや、夜の風景なんて、あんまりよく見たことがなかったからさ」

「夜になって、カーテンあけたら見えるだろ、そんなもん」

「俺の部屋、窓ないんだよ」

「マジか」

「親が、夜の風景は気を狂わすってうっさくて。とうとう間取り変えちゃった」

 言葉の後ろにカッコで挟んだ『笑』の文字が見えそうな声色で恐ろしいことを言ってくれる。

「じゃあ、今日はいい経験だったと言うことで?」

「ああ、素晴らしすぎる経験だった。じゃあ、もう帰るよ、俺は」

「もう帰っちゃうの?」

 朝祇が、口を付けられていない紙コップを見て言う。

「うん。臨堂市にまで俺に着いてきて、挙げ句の果てに夜景さえも見せない親が、外泊を認めると思うか?」

「・・・・・・ごめんなさい」

 朝祇は下唇をくっと噛んで、小さな声でそう言った。

「・・・・・・じゃあな、気をつけて帰るんだぞ」

「ああ、ありがとう」

 彼は爽やかに笑う。

 俺達は夜の闇に吸い込まれていく彼を見送った。


「と、ところでっ、朝祇ちゃん、私、今日ここに泊まってもいい、かな・・・・・・?」

「いいよ」

「おい」

 何だか無視されたような気分が残る。いや、されたんだろうな。

「ちゃんと家があるだろ、お前は」

「私の寮、もう門限過ぎちゃったから・・・・・・」

「寮住まいだったのか」

「そうだよ、れっきとした女子寮」

 何がれっきとしているのかよく解らないが、まあ放っておく。

「じゃあ、泊まってけよ。服は多分朝祇のでいけるだろ」

「お兄ちゃん、もうちょっとなんかないの? 女の人が家に泊まるんだよ? もっと、ふぁあああってなったりないの?」

「ねえよ」

 ふぁあああ、ってなんだよ。

「解ってるよ、夜交がそんなの気にしないって。・・・・・・だって私達、親友だもんね」

「都ちゃん・・・・・・」

 都、好きな人いるだろうにこんな、人の家に泊まってていいんだろうか? 俺が四条の人間じゃないにしろ、一応この家の所有者は俺だ。まあ、気にすることでもないか。

「飯食うか?」

「んー、私はいいや」「私もいい。その代わり、明日の朝ご飯期待してるからね」

「都お前な・・・・・・」

「朝祇ちゃん、お風呂いこっかー」

「うん、はいるー」

 わざとらしい会話だが、憎めはしない。

 風呂場から二人のきゃっきゃした声が響く。俺は点けていたテレビの音量を少し大きくした。どんだけ風呂ではしゃぐんだ。

  

 たっぷり一時間後、ようやく俺の番だ。

「お兄ちゃんっ、お湯飲んだりしちゃ駄目だからねっ」

「誰がするか」

 最近妹の言動がおかしい件について、誰か語り合ってくれる人はいませんか。

 

 ささっと髪と身体を洗って、十五分足らずで風呂場脱出、ジャージに着替えたあと、ゴム手袋をはめて、浴室を洗う。

「あ、お兄ちゃんごめんね、私が今日当番だったのに」

 シャワーで洗う音が聞こえたのか、朝祇が小走りでやってくる。

「いや、別にいいんだけど」

「私、やるよ」

「いや別にいいって」

 何となくムキになってしまう。水が出ているシャワーを、朝祇が奪おうとする。

「ちょ、止めろ、かかるぞ」

 ただでさえ水と石けんで持つところが滑りやすくなっているのだ、ほら、いわんこっちゃない・・・・・・。

「きゃあっ、そんな、頭からかけるなんて最低っ!」

「だからちゃんと手はなせっていったろ。お前がいつまでも近くにいるから」

 あくまで、シャワーの話だ。

都に誤解されたくないな、弁解面倒だし。

しかし、そんな心配は必要なかったらしく、彼女は床に敷かれた布団の上ですやすやと寝息を立てていた。

「寝るのはえーな、こいつ」

「最近慣れないことばっかだったから、大変だったんじゃない?」

 まあ、こいつ、寮でも一人だから、朝祇が近くにいることでちょっと安心、というか嬉しいんだろうな、とも思ってみる。

「俺らも寝るか」

「うん」

 俺は自分の部屋へ向かい、朝祇は都の横に静かに布団を敷いた。


 朝起きて、朝食の支度をする。ついでなので、都の分の弁当も作っておく。丁度いい大きさのタッパーがあったのでよかった。

 油が爆ぜる音が、未だに寝ている彼女達に聞こえはしないかと少しびくびくしながら、俺は卵を焼く。

 大きな黄色い目玉が三つ、フライパンの中にできあがる。その出来に俺は少し頬を緩めた。

 やがて朝祇が起き、そして都も朝祇に起こされて、まだ眠そうに目を擦って身体を起こした。

「おら、顔洗ってこい、すぐ朝飯にすんぞ」

 朝祇が俺の横を通る際、短い会話をする。

「おはよう、今日も早いね。低血圧は治ったの?」

「いや、体温は低い方だけど」

 妹に低血圧を心配されるのは、なんだか微妙な気分になる。

続いて都が俺の元にやってくる。まだ眠そうな彼女だが、言葉ははっきりしていた。

「お、おはよう、朝ご飯、作ってくれたんだ?」

「そりゃお前が昨日期待してるとか言ったから――」

「お、覚えててくれたんだ・・・・・・」

「記憶力は比較的いい方なんだ」

 と自画自賛。都はその言葉になんの反応も示さず、朝祇の後を追った。

 彼女達の姿が見えなくなると、俺は作った朝食を適当な皿に盛りつけて、食卓に運ぶ。まだ部屋に敷かれている布団を俺は整える。まだ、彼女達の肌の温もりが残っていた。いいよな、俺なんて年中寒くて、寝ながら震えてるのに。自嘲気味に笑ってみる。

「お兄ちゃんが、私達の寝ていた布団を触ってにやにやしている――」

 朝祇が壁から顔を覗かせ、とんでもないことを言った。

 いや、端から見たらそうなんだろうけど。だけど違うからな。

 なんか突っ込む気力さえ沸いてこない。

「いいよお兄ちゃん、これくらいは私がするよ、昨日はお風呂掃除やって貰ったんだし」

「おお、そうか。重いけど頑張れよ」

 俺の行動を大して本気にはしていなかったことに安心感を抱き、俺は再び台所に向かった。

「箸、あったかな・・・・・・」

 朝祇がここに来たときも、焦って買いに行ったくらいだ、余分なものなどあるはずもなかった。

「割り箸ならあるんだけどな・・・・・・」

 俺は戸棚の中から割り箸を取りだして一人で呟いた。

「いいよ、割り箸で」

「うおう、いたのか」

 背後から突然響いた都の声に、俺の心拍数が一気に跳ね上がった。独り言を言ってるところを見られるのって、結構恥ずかしいんだよな・・・・・・。

「いいのか、割り箸で」

「いいって。私が無理言って泊めさせて貰ってるんだから、やっぱりそのくらいは我慢するよ」

「そうか。あいつだったら問答無用で俺のやつを使うだろうに」

 親からの制限が激しい友の姿を思い浮かべる。まあ、あいつが俺の家に泊まることは、まずないんだろうな。寂しいけど。

・・・・・・何故か隣で都が赤面している。

「そ、そんな・・・・・・っ、それだったら、かかかか間接キ、スになっちゃうわけだし、」

「あいつだったら、の話だよ。いや、朝祇に割り箸使わせてもいいんだぞ、っていう話」

「え・・・・・・?」

 さっき以上に顔を赤く染める都。頬を伝う汗から、体温がかなり上昇していたんだということが解る。いいな。

「私は、ほんとに割り箸でいいから、ね?」

「そうか、そこまでいうんなら」

 ようやく落ち着きを取り戻した都は確認するように俺にもう一度言った。俺も納得する。

 客人に気を遣わせるって、あんまり好きじゃないんだけど。


 朝食を終えて、二人に弁当を渡し、三人で家を出る。しっかりと鍵もかけて、学校へ向かう。

「また今度、私の部屋にも来てね」

「うん、行くよ」

 朝祇が笑顔で言う。

「ほら、お兄ちゃんも」

「あ、ああ、・・・・・・でも、寮なんだろ? あんまり大人数で行ったら、迷惑がられるんじゃないか?」

「そ、そんなことないよ、結構防音設備もしっかりしてるんだから」

「そうか、じゃあまたいつか行くよ」

「うんっ」

 都はとても嬉しそうな表情になった。

こいつの笑った顔、本当に綺麗だ。それが俺だけに向けられるものじゃないって、もう自分の中で納得しているけれど。それでも都は、美しい。


       *


都の入っている寮には、うちのクラスメートの女子も何人か入寮しているらしい。そのせいか、「昨日都いなかったね」「どこ行ってたの?」等の質問が少数の女子間で飛び交っていた。

「ちょっとね、友達に泊めて貰っただけだよ」

 都は何気もなしにそう言った。どうしてか、胸がちくりと痛んだ。

「友達、か」

 俺はそう一言呟いて、机に突っ伏した。


 放課後、俺と朝祇、そして都は保健室に集まった。客が来ている、と、葛西が直接言いに来たのだ。これで、教室から保健室への男子の流出率が高くなったのは言うまでもないだろう。

「職員室じゃ駄目なのか?」

 俺は保健室へ向かう廊下でそう言った。

「先生が勝手に呼んだ人だとか? でも、そんなの学校の規則で禁止されてるよね、勝手に部外者を入れちゃいけないって」

 都は言う。

「あの先生、学校の規則どころか法律だって無視してる先生だ。やりかねない」

「お兄ちゃんはあの先生のこと、嫌いなの?」

「いや、まさか。ああいうノリがちょっと斬新すぎて、まだ対応の仕方に困ってるだけ」

「そっかあ、良かった」

 不思議な反応を見せる朝祇。

「何が良かったんだ?」

「嫌いじゃないんでしょ? 会いに行くのが苦痛って訳でもないんだよね?」

「まあ、そうなるな」

「象潟聡が私達を襲ったとき、先生、ぶっ飛ばされちゃったでしょ? で私達そのまんま逃げちゃった訳で」

「・・・・・・」

 何だか、急に会いに行くのがひどく嫌になってきた。絶対に恨まれてるぞ俺。

「やっぱ、謝らないといけないかな、と」

「・・・・・・だよな」

 溜息と共に俺はその言葉を口にする。


「というわけで、あの時はすみませんでした」

 俺達は葛西の姿を見つけるなり、揃ってそう言った。

「あら、別にいいのよ、そんなこと」

 葛西は手をひらひらと振ってどうでもよさげな声を出した。

 じゃあ、何で呼び出したんだ?

「客が来てるって、ほんとですか?」

 俺は白衣のポケットに手を突っ込んでベッドに座って鼻歌を歌っている彼女にそう聞いた。

「ええ、ほんとよ。名前は、ミトヤ、といったかしら男性の方」

「ミトヤ?」

 聞いたことのない名前だ。俺は朝祇と都に視線を送るが、彼女達もまた首を傾げるばかり。

「私の携帯番号知ってたみたいなの。私の知人かしらと。でも名前に全く聞き覚えがないのよね」

「いつ、その人は来るんですか」

 朝祇が彼女に尋ねる。

「もうすぐ来るんじゃない? ほら、噂をすれば、よ」

 葛西が窓の外に視線を送った。俺達もその先を捕らえる。

「・・・・・・ヤツカさん?」

「だよな」

 都の確認に、俺は同意する。

「ミトヤヤツカって名前なんだ・・・・・・」

 彼はまっすぐに保健室に向かってくる。保健室には二つの入り口があって、一つは校舎内側、もう一つは校舎外から入ることが出来る。ヤツカさんは正面玄関から入る様子はなく、そのまま靴を脱いで、保健室内に入ってきた。

「改めまして、ミトヤヤツカです」

 葛西への自己紹介と共に、俺達への紹介も入っているような気がした。

「別に姓を黙っていた訳じゃないんだよ、ただ、所属組織の規則で、あまり姓を名乗らない方針になってるんだ」

 一体どんな組織なんだ。

「とにかく、この学校に来たのは、先生が――葛西先生が、象潟聡という人間と接触してしまったお詫びを申したいと思いまして、」

「象潟聡?」

「前にあなたを撃った女性です。彼女は僕の責任の下に動いている――そんなふうに思って頂いて結構です。彼女の行動の責任は、全て僕にあるんですね、ですから、こうやってお謝罪の言葉を」

 ヤツカさんは葛西に頭を下げた。

「いや、別にいいんですよ、いい体験をしましたから」

「ありがとうございます」

 彼女にそう言って、ヤツカさんは俺達に向き直った。

「最近の彼女は、かなり凶暴化している。彼女を放っておくと、そのうち本当にVIBを完成させてしまうかもしれない」

「・・・・・・理解しているつもりです」

「記憶の結晶が、常温では昇華してしまうという話は知ってるかな?」

「はい。象潟自身から聞きました」

「記憶は、気体になると、母体の所に帰ろうとする性質を持つ。その反応が起こるのは極めて狭い範囲だ。およそ半径五メートル、そのあたりだ。その五メートルの範囲で、記憶は空気と混ざり合いながら母体の元へ引き寄せられる。そうなると、母体に戻ったときにノイズが入るんだ。一部、思い出せなくなることがある。確実な方法は、結晶を母体と密着させ、そして気体にする方法だ。理論上、それで記憶は純粋なまま帰る。聡が君の身体を欲しがってるのが解るだろう」

 朝祇は頷いた。

「記憶の破壊の仕方を、参考までに教えておくよ。結晶化されて、そしてその記憶を砕いた場合、記憶は完全に抹消される。ムネモシュネの実験から解ったことだ」

 俺はヤツカさんの目を見て頷いた。

「だけど、記憶を完全に粉砕する方法はまだ解明されきっていない。度重なる実験の中でも、記憶がわずかに残るケースが多くある」

「結果は、運ってことですか」

「そうだね。そもそもムネモシュネは記憶の破壊にわざわざ一軒家くらいの大きさの装置を使ってる。記憶の破壊は、夜交君の特殊な能力に賭けるしかない。MCTが魔法の領域に染まってしまった以上、破壊の方法も、魔法に頼るしかないんだよ」

「・・・・・・」

 ヤツカさんの答えが、重く俺にのし掛かった。VIBは、世界を崩壊させかねない。そんな兵器から世界を救えるのは、俺だけだって言うのか。

しかも、俺は記憶が見える能力を自由に使いこなせる訳じゃない。自分の中に巣くう能力を、畏怖さえしてるのに。

「お兄ちゃん、能力って何なの?」

「・・・・・・言えない。頼む、聞かないでくれ」

 ヤツカさんが俺に与えた忠告を、無視するわけにはいかない。

 俺の持つ力は、記憶の母体外再生に大きな飛躍を与えかねない。俺がモルモットとなることを恐れているのだろう。

 そして、その情報が聡に漏れれば、朝祇が協力しようとしまいと、VIBは完成されてしまう。

 ヤツカさんは俺達にもう一度深く礼をすると、保健室を去っていった。


 帰宅途中、俺は何だか釈然としない気分で道を歩いていた。

「お兄ちゃん、いつ都ちゃんの家に行くの?」

 朝祇が数メートル後ろから声をかけてくる。

「ん? 都? 行く気はないよ。社交辞令だよ、覚えとくといい」

「社交辞令? そんな風には見えなかったけど」

「仮にそうじゃなくても、あそこには女子がいっぱいいるんだ。俺達が泊まったことが知れたら、俺死ぬぞ」

 朝祇はつまらなさそうに唇を尖らせた。

「よっぽどのことがない限り、あそこには行かないよ」

「うちは都ちゃんを泊めたのに?」

「今回都を泊めたのは、そうしなくちゃ彼女が野宿しなくちゃならなかったから。いい加減諦めてくれ」

「はーい」

 俺達は歩き続け、家への曲がり角を曲がる。そこでふと思い当たる。

「・・・・・・朝祇、都の家、泊まりに行くか?」

「・・・・・・え、いいの?」

「うん。許可するよ。というか俺も行く。都に電話する」

 そう言って俺はポケットから携帯電話を取りだして、都に向けて発信した。

「あ、都? 今からそっち行ってもいいか? ・・・・・・いや、遊びとかじゃなくて。泊まってもいいって言ってただろ? ・・・・・・急には困る? いや、そこを何とか・・・・・・何でダブルベッドがいるんだよ、訳わかんねえよ。・・・・・・ああ、、俺の服か・・・・・・まあ制服で何とかするから、しばらくの間泊めて欲しい。・・・・・・家の場所? ああ、俺知らないな・・・・・・自力で何とかならねえよ。どこかで待ち合わせにしよう・・・・・・え? 三時間後? 着替えにどんだけ時間かけるんだよ。制服でいいから。制服でいいから、普通に学校に来てくれ。・・・・・・おう、解った。じゃあ、よろしく」

 何だかすごく疲れた気がする。

「朝祇、学校に戻るぞ」

「え? 何も持って行かないの?」

「うん、多分都が何とかしてくれるはずだ」

「お兄ちゃんのは? 服とかないでしょ? ただでさえ制服しか持ってないんだから・・・・・・」

「俺はどうだっていいんだ」

 俺はもと来た道を小走りで移動する。

 ・・・・・・もうあいつ、隠す気ゼロだろ。変なオブジェにもならねえよ。最新式のアンテナにもならねえよ。ご近所さんから苦情言われるレベルだよ。

 俺が曲がり角を曲がったときに、視界に入ったもの。

 それは、俺の家の屋根に止まった、象潟聡の愛用機、ボーイングAH―64アパッチだった。

 家が、ばれたのだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ