悪魔の公式
ブランコに乗ってしばらく揺れていたら、ようやく聡が姿を現した。
「元気、ないわね」
もう反発することもできない。
「・・・・・・サンタクロース社は、MCTを制限することにしたわ」
「え」
何の心構えもできていなかったために、間抜けな声が出る。
「ちょっといろいろあったの。詳しくは、明日の朝にテレビでも見て頂戴」
彼女は微笑むが、俺は、もうどんな表情をしたらいいのか解らない。驚きや、怒りや、憎悪や、悲しみが混ざり合って、通常の感覚を鈍らせてしまう。
「私達は、MCTの実用化のために、母体外再生をしようとしていたの。結晶化された記憶は、確かに身体の外で保存することができる。だけどね、その記憶を見ようと思ったら、また母体に戻さなくちゃならないの。意味ないでしょ?」
聡は、俯きながら言う。
「そんなんじゃ、意味ないのに。・・・・・・MM02は、どう? うまくやってる?」
「・・・・・・はい、大丈夫です」
「彼女は、私が行った人体実験で、初めてのモルモットだった。三年前に、彼女の親が、サンタクロース社の創始者が死んだ記憶を、取り出したの。悲しまないように。結局、すぐにばれちゃったけど」
「・・・・・・でも、何で、番号が02なんですか」
「創始者が、一人だけ人間から記憶を取り出したことがあったらしいの。誰かは解らないけど、その子がきっとMM01なのね。確か、名前はトウヤ、という名前だったはず」
「そうですか。で、こんなことを言うために自分を呼び出したんですか?」
俺の声は、もう明らかに死んでいた。
「違うわ。今日あなたを呼んだのは、私がMM02を呼び戻したい理由。MCTを制限された今、サンタクロース社は本来の玩具製造にも力を入れなければならなくなった。そこでね、私は、『成長する玩具』を作り出したいの」
「成長する玩具?」
「ええ。無機質な物体を、人間と同じように成長させるの。身体も、意識も」
「そんなこと、可能なんですか」
「もちろんよ。そのために、MM02の記憶の中の製造公式を知らなくちゃいけない。でもね、その製造公式は、私が結晶として取り出してしまった。さっきも言ったでしょう、母体再生しかできないって。だから、少しだけでいいの、MM02を、貸して欲しいの」
「・・・・・・断る、って言ったら?」
「断る意味がないわ」
「・・・・・・考えておきます」
何も喋ることがなくなった。何で俺、こんなことしてるんだろう。
「私が持ってるあのライフル、なかなかかっこいいでしょ?」
「人に向けて撃つもんじゃないですよね。あれって、水族館で受け渡ししてたやつですよね?」
「・・・・・・あら、知ってたの?」
「変なマスクつけて。もう一人の方・・・・・・アノマロカリスの人は誰ですか?」
「ああ、まあ私の部下みたいなものね。部署が違うんだけど」
「・・・・・・そうですか」
「じゃ、私、そろそろ行くわね」
「・・・・・・」
俺はもう何も言えなかった。彼女は俺の言葉を待たずに去っていく。結局最後まで、彼女は朝祇のことをMM02と呼び、モルモットとしてしか見ていなかった。
「象潟聡と喋ってたのか」
突然、ヤツカさんの声が公園に響いた。
「・・・・・・はい」
「彼女のこと、どう思う?」
木の陰から姿を現したヤツカさんは、聡と同じようにブランコに座った。
「彼女の道理は、いかれてる」
「彼女は、人生も生き方も、狂わされたんだよ、ムネモシュネに」
「・・・・・・?」
「にしても、またサンタクロース社が『成長する玩具』を作るなんて」
「・・・・・・また?」
「そうだよ。『成長する玩具』のアイデアは、象潟が作り上げた訳じゃない。創始者が考えたものだ。話は全部聞かせて貰ったから言えるんだけど――別に君の妹がその製造公式を知っててもおかしくないよ」
「そう、ですか」
ヤツカさんに『君の妹』と言われると、なんだか罪悪感が襲う。彼なら、相談に乗ってくれるだろうか。
そう思った瞬間、俺の口はもう動いていた。
「俺、妹の、朝祇の兄じゃ、ないんです」
ヤツカさんは一瞬、え? という顔つきになった。しかし、すぐに冷静な顔になって、
「なんて言えばいいのか解らないけど、僕なりに言うと――君達は本当の兄妹ではないかもしれないけど、少なくとも君は、彼女の、朝祇ちゃんの、サンタクロースだと思うよ」
「・・・・・・サンタクロース?」
「そう。・・・・・・僕が、そうであったように、ね」
俺は彼の謎めいた言葉を気にはしなかった。その代わり、俺は更に口を開いた。
「ヤツカさん、サンタクロースの袋の中には、何が入っているか知っていますか?」
ヤツカさんは、驚いたような顔をした。
「それは――君が考えなければならないよ。僕は確かにその答えを知っているし、その質問の答えを数秒で答えることもできる。だけど、それに意味がないことは、解るよね」
「・・・・・・はい」
しばらく、沈黙が続く。
「・・・・・・他人の記憶は、覗けない、んですよね?」
俺は沈黙を打ち破るように言った。
「そうだよ」
ヤツカさんは即答した。彼は、MCTについても詳しいのだろうか。
「・・・・・・俺、前に象潟聡の記憶を見たような気がするんです」
「・・・・・・それは、ないんじゃないかな」
彼は苦笑いと共にそう言ったが、俺はそれでも続けた。
「誰かが、撃たれる記憶――ボートの上で。夕焼けの湖のボートです。遠くの方で白い点が何回か光って、すぐに、近くにいた男の人が立ち上がって、その人からいきなり血飛沫が舞うんです。そして、彼が、水に落ちて、水飛沫と悲鳴が上がるんです」
俺は思い出すのに少し時間をかけながら、できるだけ細かく伝えた。
「確かにそれは、彼女の、記憶だ」
ヤツカさんは、旋律の顔と共に、言った。見開かれた目が、震えている。
「・・・・・・です、よね」
「最近、科学がめざましい発展をしている。その科学は、一人歩きを始めた。科学が、もはや科学では証明できなくなったんだ。そんな科学を、何というか解るかい?」
「・・・・・・解らないです」
ヤツカさんは柔らかく微笑む。その微笑みは、何かに満足したような、しかし満たされないような、絶対に何かが欠けている表情だった。
「――魔法、というんだよ」
「魔法・・・・・・」
「科学の発展の先に魔法があったなんて、皮肉だね」
「・・・・・・そうですね」
「記憶開発は、もう殆どが魔法の領域なんだ。訳がわからないまま、確かな証明もないまま、未開の地が荒らされている。それを科学科学と叫ぶなんて、本当に愚かだ。もう人間が科学について行けてない」
彼は社会を嘲笑うかのように言った。
そして再び俺の目を覗き込む。
「君は、絶対に君の能力を他言しちゃいけないよ。喋ったら、君は確実に自由を奪われる。サンタクロース社やムネモシュネが、何年もかけて未だ手に入れられていない技術を、君は完成された形で自分の中に持っている。欲しい人は、君を八つ裂きにしてでも持って帰るね。君の能力は、極めて危険で、貴重すぎる。絶対に、誰にも言うんじゃない」
俺は背筋を汗が伝うのが解った。
「わかり、ました・・・・・・」
「絶対だよ。これは、君のための忠告だ」
俺は、力強く頷いた。
帰ってからも、都に対する罪悪感は消えず、訳の解らないもやに、身体を削られるような痛みを感じていた。
俺はその感情をどうすることもできなくて、ベッドに入り、無理矢理意識を強制終了した。
翌朝、俺は当たり前のようにテレビを点けた。
『サンタクロース社がMCTの制限を行わなかったため、政府がサンタクロース社に対して攻撃を行ったという事実が、今日未明、サンタクロース社により発表されました・・・・・・』
俺は、急いで電源を切った。アナウンサーの後ろのディスプレイに映っていたのは、もくもくと煙を上げるサンタクロース社の施設だった。黒煙が上がっているところは局地的で、どうやらMCT開発をしていた棟にだけ攻撃をしたらしい。
俺は後ろを振り向き、朝祇を見た。料理スキルを向上させてきた彼女はこちらに背を向けて目玉焼きを作っている。油の音で、聞こえていないことを願おう。
学校に行けば、嫌でもこの情報は耳に入ってくるだろう。それでも、彼女にサンタクロース社の話題を聞かせたくなかった。
学校には、都が来ていた。というか、クラスの半分以上が来ていた。もちろん、サンタクロース社の話題で盛り上がっていた。が。俺が入るなり、クラスメート達は急に静かになり、そして俺を睨み付けた。特に、彼は――俺の友は、液体窒素よりも冷たいまなざしでこちらを見ていた。
俺は都の前を通らないようにして、自分の席に向かう。鞄を置いて、都の所に勇気を出していく。朝祇は教室の異様な雰囲気に対応しきれずに、扉のところでおろおろしている。ほかの教室からの騒ぎ声が、いやに遠く感じる。
遂に都の席にたどり着いた。
「都――、」
「き、昨日はごめんねっ、先に帰ったりして」
「都・・・・・・」
何で謝るんだよ。何で一番傷付いた顔をしてたお前が、謝るんだよ。
「見た、だろ、あれ・・・・・・」
クラスの視線が、アイスピックのように突き刺さる。
「気になんて、して、ないよ・・・・・・」
してるじゃないか。こんなに俯いて震えてるのに、何で、そんな辛い嘘を吐けるんだよ。
「む、無理矢理、だったもんね。か、か、彼女っ、私とい、一緒だった、から。怒ってたんだよねっ」
俺に刺さったアイスピックが、どんどんと熱され、痛みと共に熱さが加わって、慣れることのない痛みを作り出していく。
「都、違うんだ・・・・・・。あれは、」
都は初めて、俺を見た。美しすぎる、残酷すぎる、見たもの全てを悲しみのあまり凍り付かせてしまうような、表情だった。微笑みと言うにはあまりに深すぎる、神秘主義の表現に頼るしかない顔を見せた彼女は、言葉を放った。
「もう、いいよ。ごめんね。ほんと、私、ばかみたい。こんなことで浮かれて。罰が当たったんだね」
そう言って、彼女は、席を立ち上がった。そして、扉の方へ向かっていく。俺の友が、俺を軽蔑したように見て、そして彼女を追っていった。扉近くの朝祇は、事態を理解した様子で、それでいて場には不釣り合いな落ち着きぶりで、教室から出て行く二人を見つめていた。
「ちょ、待ってく――」
俺は必死になって都を追いかける。長い廊下を走り、ようやく彼女に追いついて、肩に手を置いたとき、彼女はそれを振り払うようなことはせず、ゆっくりと振り返って、ぽろぽろと涙を零しながら、
「何で私が夜交に怒ってるのか、全然わかんないよ? だけどね、もう、辛いの。絶対に、私の声は届かないって解ってるから。もう、今は、夜交の顔を、見たくないの。だから、」
どくん。
俺の心臓が、大きく脈打った。駄目だ。言っちゃいけない。その言葉の先は、孤独――
「だから、もう、何も関係ない、他人でいようね」
どくんっ
――もう、赤の他人でいましょう?
誰かの、声が、頭の中で、響く。
「・・・・・・俺は、」
どくん
「また・・・・・・」
どくん
「捨てられるのか――」
何かの記憶が俺の中ではじける。
もう、赤の他人でいましょう この言葉――。
忘れちゃ、いけない、最後の――
「うわあああああああああ――――――――ッ」
俺は、叫ぶ。訳の解らない記憶の爆発に、俺というガラスは耐えられない。
「―――――――――――――――ッ」
本来入るべき言葉を、俺は覚えてはいない。だから俺は、
この、無音の、空気のような、慟哭を、過去に捧げよう――。
俺の意識は、がん、がん、という音と共に、軽やかに、闇への門をくぐった。
頭が、痛い。脳が寄生虫にしゃくしゃくと囓られているように、痛む。額が、ひりひりする。どこかに打ち付けたんだろうか。原因不明の頭の痛み達と共に、俺は、覚醒した。
「・・・・・・」
超アップの若い女性の顔が、俺の目にとまった。彼女は、俺の口にスプーンを近づけていた。そこには透明の粉のようなものが山のように盛ってあった。訳のわからないものを飲まされそうになっていた俺は、能面のような表情をしていたと思う。
「起きちゃった・・・・・・」
「・・・・・・ここ、どこですか。施設、ですか」
「違うよ、ここは、保健室」
名札に、葛西と書かれている養護教諭だった。
「保健室――?」
「の奥の部屋、と言ってもいいね。私が勝手に使ってるだけだけど」
俺はゆっくりとあたりを見渡した。たくさんの薬品が置いてある。だけど、それは、たぶん消毒用とかではないと思う。
白い『毒』という文字が、白い枠の黒いシールに印刷されている。そのシールの貼ってある瓶を、目の前の彼女は持っていた。
「何ですか、それ」
「ん? これ? なかなか起きないから、飲ませてあげようと思って」
「殺す気ですか」
俺はそう瓶を引ったくる。葛西は玩具を取られた子供のように、口を尖らせた。
「でも、ストリキニーネだよ?」
「呼吸中枢麻痺さす奴でしょ、これ」
「はあ・・・・・・?」
間違ってる・・・・・・今の薬事法は間違ってる・・・・・・何でこんな人の毒薬持たすんだよ! 周りの棚にも、『毒』『劇』、ストーブの上には、『火気厳禁』と書かれたマグネシウムと硝酸ナトリウム系の混合物――ちゃんと冬には退けてるんだろうな。
「君、どうしたの?」
「・・・・・・?」
「・・・・・・ええとね、君は、筆箱に頭を何回も叩き付けて、倒れちゃったんだよ?」
「誰に、やられたんですか」
「・・・・・・・・・・・・」
どうせ、あいつだろうな、そんなことするの。
「あなた自身よ」
「え――?」
「覚えてないの? 本当に。・・・・・・というか、筆箱で頭ぶつけて倒れるなんて、あなたの頭も弱いのね」
筆箱が硬すぎるんだ、と、普通ならば言っていただろう。だけど、俺は、あまりの記憶のなさに、自分を恐れていた。
「俺が、自分で・・・・・・?」
「まあ、記憶の錯乱も仕方ないわね。五日間眠り続けていたんだもの」
「え・・・・・・?」
「五日間も?」
「五日間も」
全く、記憶がない、とんでいる。土日を跨いでしまうなんて。
「でも、これだけ休めば大丈夫ね」
しかし、俺は一つの疑問に思い当たった。
「なんで、病院に行かなかったんですか?」
「サンタクロースが、病院は駄目って言ったのよ」
「サンタクロース・・・・・・朝祇が?」
「ええ。何でかは知らないけど。まあ、硝酸をかけられてまで病院に連れて行く気は私にもなかったし、というかめんどくさいし。手続きとか」
ばっちり聞こえてるぞ。
「でも、何で、朝祇がそんなこと・・・・・・」
「それは帰ってから本人に聞いて頂戴。毎日、ちゃんとお見舞いに来てくれたのよ、彼女たち」
「彼女たち・・・・・・?」
もう駄目だ。俺が眠っている間に、疑問が増えすぎている。
「朝祇ちゃんと、あなたのクラスの委員長、だったかな、あと、男の子。いっつも筆箱持ってる子」
「・・・・・・都?」
――だから、もう、何も関係ない、他人でいようね
「都は」
「? みやこ? 京都かしら?」
「クラスの委員長は、どんな顔してましたか」
葛西はきょとんとしていたが、そのうち、妖艶に微笑み、
「私には、言えないわ」
と言った。
「どうして、ですか」
俺には、もう彼女と話せるほどの勇気は残っていない。
「だって、私が言っちゃったら、君は満足しちゃうよ? そうなったら、君しか幸せになれないじゃない」
「・・・・・・それでも、教えてください」
「君は、自分のことしか考えないね。だから私は、君には言えないの。あなたが、彼女のことをもっと知れたなら、あなたは今まで自分が気付いていなかった感情に出会えるかもしれないのよ?」
「・・・・・・」
彼女の言葉が、心を削った。しかし、その通りだと思う。俺はいつも、自分のことしか考えていない。それが、結局は自分を傷付けているのだと知っていても。
「・・・・・・まったく、青春は若い人たちにはもったいないわね。さ、行きなさい。みんな待ってるわよ、あなたの帰りを」
カーテンの向こうからは、傾いた太陽の光が差し込んでいる。
「五日間、お世話になりました」
「どういたしまして。彼に、よろしく言っておいてね」
「・・・・・・? はあ・・・・・・」
彼、というのは筆箱男のことだろうか。まあいい。俺は、保健室から出て、家に向かった。
*
家では、朝祇が一人でテレビを見ていた。
「お帰り、お兄ちゃん」
「あ、ああ、ただいま」
何事もなかったかのように言葉をかけてくる朝祇が見ているテレビは、サンタクロース社の報道だ。現在、MCT開発棟は全て壊され、そこには新しい玩具産業の建物が建設され始めている。
「サンタクロース社、MCTを本当に制限するんだな」
「モルモットも、全部解放するらしいね。全部、動物実験にするみたい」
ムネモシュネは、どう行動してくるのだろう。俺は緊張の唾を飲んだ。
俺は夕飯の支度を始める。朝祇が横でエプロンを着て、袖をまくっている。
「そこにゴムあるから」
いくらあげてもずり下がってくる袖と格闘している朝祇に、輪ゴムでとめるように言う。
「ありがと」
ぼそっと聞こえたその感謝の言葉は、なんだか心を穏やかにしてくれる。
「そういえば、何で俺を病院に連れて行きたくなかったんだ?」
俺は疑問を口にした。朝祇は包丁を持ったままこちらを向く。
「お見舞いに、行けないから」
「え? 何でだ?」
「だって、病院も、サンタクロース社がやってるんだよ。前みたいに水族館なら名前を記入しなくてもよかったけど、病院じゃ、患者も、お見舞いに行く人も、名前を書かないといけないでしょ。四条なんて苗字の人、なかなかいないから、知られちゃうんじゃないかって思って・・・・・・」
俺は彼女の頭を撫でた。
「よくそこまで頭がまわったもんだな、さすがだ」
朝祇は少し俯いている。ぐりぐりと撫でている間に、俺は次に何をしたらいいのか解らなくなってくる。
「・・・・・・さ、作るか」
無理矢理に流れを中断して俺は野菜を切る。その横で、朝祇はずっと俺の顔を見つめていた。
夕食を食べ終え、食器なども全て洗い終えた俺達は、思い思いに過ごしていた。朝祇は新聞の記事を読んでいるし、俺は授業の遅れた分を取り戻そうと参考書を開いていた。
何なんだろう、この空々しさは。家の中が、何となく息苦しい。酸素が足りないのだろうか、と思ったが、まあそんなことはないだろう。
おそらく、原因は朝祇の雰囲気だ。彼女はさっきから黙りこくっているし、俺が帰ってから何となく暗い。
「朝祇、どうしたんだ、元気ないぞ? 気分でも悪いのか?」
「・・・・・・お兄ちゃん」
「ん? なんだ?」
「・・・・・・キス、したの?」
「・・・・・・え、なんで朝祇が知って――」
「都ちゃんから聞いたの。あの日、二人で買い物に行った日、お兄ちゃんが、チャイナドレス着た綺麗な人と、ビルの陰でキスしてたって」
朝祇は、知らない。チャイナドレスの女が、象潟聡であることを。そして、都もまた、彼女がサンタクロース社の社長であることを知らない。
「朝祇、あのな、」
「お兄ちゃんは、知ってたの?」
「・・・・・・何を」
「何を、って」
朝祇の肩は、震えていた。悲しみとか、憎しみとか、そんな、暗い感情のこもった目で俺を見る。
「・・・・・・都ちゃん、すっごく楽しみにしてたんだよ」
彼女はそう言って、部屋を出て行った。俺は、参考書を閉じる。
知っていたさ。都が、誰かと遊びに行くのを楽しみにしていたことくらい。だから俺は、精一杯彼女を褒めたじゃないか。決して建前ではなく、俺自身の本心で。
俺にはもったいないと思うほどの言葉を、これが最後だと思って、祝福のつもりで、捧げたじゃないか。
「なあ、最近、何なんだよ・・・・・・」
俺は空気に尋ねた。
*
朝の学校は、妙に寒々しい。俺は一人で、学校に向かった。朝起きると、携帯に都からメールが届いていたのだ。
『朝七時に、学校に来て』
俺は携帯を握りしめ、深呼吸したあとに、顔を洗って、朝食を急いで作り、あとから起きて来るであろう朝祇に先に行ってる、と書き置きをして、全ての朝の仕事をこなしてから家を飛び出した。
俺は急いで校舎に駆け込んで、教室に前転をする勢いで転がり込んだ。
「・・・・・・おはよう」
都が、いつも通りのタイミングで、飽和した悲しみを必死に押さえるような声色で、言った。
「――おはよう」
俺もまた、困惑を隠せなかった。
「ねえ、私との買い物、楽しかった?」
都は、もう躊躇はしていなかった。ただ、疑問を俺にぶつけてくる。
「ああ、もちろんだ」
こんな時に嘘を吐くほど、俺は腐ってはいない。
「・・・・・・服、似合ってた?」
彼女は制服のみぞおちあたりをぐっと握りしめて尋ねた。
「ああ、とても、似合ってた」
俺は、また真実を述べる。
「そ、そう、かな。最後の、し、質問ね」
「ああ」
「私達、た、他人、なんか、じゃ、ないよ、ね?」
俺は、目を見開いた。今までの心の蟠りが綺麗さっぱり消えていって、隠されていた感情も、答えも、俺の中に姿を現した。
「当たり前だ。俺達は、れっきとした、親友だ」
彼女の表情は、なんと言ったらいいのだろう。救われたような、傷付けられたような、二つの感情が絡み合った、複雑な表情だった。
「よ、よかった、ごめんね、あのときは、あんなこと言って」
「いいんだよ、俺も、都の気持ちも考えないで、自分のことばかり言ってた」
彼女は無言で俯いた。
「仲直りだ」
俺はそう言って彼女の頭をがしがしと撫でた。単なる、照れ隠しだった。涙を、見られたくなかった。
放課後、俺は朝祇と都の三人で下校していた。俺達三人の中で誰一人として、部活動に精を出している奴はいない。俺と朝祇は金銭的な問題で(できるだけ金を使いたくないのだ)、都は生徒会にも入っているために部活動には入れない。
よって俺達は毎日、放課後は教室で喋ったり、街で遊んでいる。生徒会所属の人たちが部活動に入れないなんておかしいよな、と呟いた俺に、都は、生徒会が部活みたいなもんだよ、と答える。そんなものなのか。
しばらく歩いて、俺は一つの話題を提示した。
「・・・・・・そういや、全然関係ないことなんだけどさ」
「ん?」
朝祇が問い返す。
「何?」
都は立ち止まり、三人の動作を止めさせた。
「なんか、サンタクロース社が新しい玩具を作るらしいけど、どんなのか知ってるか?」
「・・・・・・知らない」
朝祇が俯いて、ぼそりと呟いた。その朝祇の静かな拒絶に、都は気付く。
「朝祇ちゃん?」
俺は気付く。朝祇は、サンタクロース社の創設者の娘だった。
「朝祇、朝祇は、『成長する玩具』の、製造公式を知ってるのか?」
「成長する玩具? そんなのを、開発してるの?」
「製造公式なんて、知らないよ」
「製造公式? 何なの、それ」
都一人だけが話に付いていけてない。が、俺は、朝祇に尋ねた。
「象潟が、言ってた。象潟聡は知ってるだろ? サンタクロース社の社長だ。で、その玩具を完成させるために、朝祇が必要なんだそうだ。協力、できるか?」
俺は沈黙する朝祇を見た。
――断る意味がないわ
聡の、あの言葉。確かに俺達に、断る意味はない。正直、俺は反対だ。だけど、彼女に俺は、抗えない。
「無理だよ、お兄ちゃん。協力なんてできない」
「どうしてだ」
解っていた答えが返ってくる。
「確かに私は、製造公式を知ってる。だけどそれは、玩具のために使われるわけじゃない」
俺は彼女の言葉を聞いて、一つの疑問を抱いた。
「・・・・・・何で、知ってるんだ? 製造公式を。何で、覚えてるんだ?」
「製造公式全てを覚えてるわけじゃない。その存在を知ってるというだけだよ」
都はさっきからずっと黙っている。しかし、そんな彼女からは、焦りが滲み出ている。話の内容が解らないにしても、今が冗談を言っているのではないと解っているようだった。
「製造公式は、私は絶対に忘れられない。悪魔の数字達は、永遠に私を呪い続ける」
「悪魔の数字・・・・・・? 何で公式が悪魔の数字になるんだ?」
朝祇は俺と目を合わせた。そう言えば、彼女は観覧車の中でも、『悪魔の数字』という言葉を放っていた気がする。
朝祇が、俺を責めるような目をした。
「お兄ちゃんは、『成長する玩具』の原理を、解ってない」
原理? 単に、育成ゲームみたいなものじゃないのか。
「・・・・・・『成長する玩具』はね、所有者の対応に伴って、意思を持ち、行動する玩具なんだよ。精神も、身体も、成長してしまう、玩具なんだよ?」
彼女が何を言いたいのか、俺には全く理解できない。
「どういうことだ?」
「お兄ちゃん、ぬいぐるみは、死ぬ?」
突然の、場違いに思える問い。
「・・・・・・死なない。そもそも、成長しない」
自分の言葉で、微妙に答えが見えてきたような気がした。
「じゃあ、ホウライエソは、子孫を増やす?」
「ああ、もちろんだ」
「もう、解った?」
「・・・・・・『成長する玩具』は、ぬいぐるみが普通の生き物として活動する、ってこと?」
俺より先に、都が口を開いた。
「正解だよ、都ちゃん」
ただの物体に、命を吹き込むってことで、間違いないよな?
「じゃあ、すごい発見じゃないか。協力する甲斐があるんじゃないか?」
「だと思うだろう?」
突然背後で響いた声に、俺達は、驚く。
「いやあ、ごめんね、前に見た顔だと思ったら、君達だったね」
ヤツカさんだった。ヤツカさんは朝祇を見ると、初めまして、と握手を求めた。朝祇も愛想よく彼の手を握る。
なんだか、和む雰囲気だ。
「・・・・・・と、ところで、何が『だと思うだろう』なんですか・・・・・・?」
都は、おそるおそる、といった様子で尋ねた。
「ああ、そうだったね。一応僕としての答えは持ち合わせているんだ。だけど、根拠がない。だからちょっと、そこのお嬢さんに、質問をしてもいいかな?」
「どうぞ」
朝祇は笑顔で答える。
「いきなり核心を突くけれども、・・・・・・君は、ヴィブっていう言葉を、誰かから聞いたことはあるかな?」
「・・・・・・なんでそれを、知ってるんですか」
「それは知ってる、っていう答えと見なしていいよね」
「その解釈で、いいです。だけどどうしてそれを、あなたが知ってるんですか」
「僕はいろんな意味でスパイみたいな活動をしてるわけだけど、調査した組織の中で、ヴィブが出てきたんだ。その計画は凍結したみたいだけれど」
意味が解らん。
「そろそろ説明を、お願いしてもいいですか」
「いいよ。だけど、条件だ。君達は、このことを口外しちゃいけないよ。特に、ムネモシュネが最近うろちょろしてる今、あまり人混みとかで口にしない方がいい」
「・・・・・・解りました」
俺と都の言葉で、ヤツカさんは口を開いた。
「昔、ムネモシュネはもっと過激な組織だったんだ。そのおかげで、この臨堂市ができたわけだけど、まあとにかく、MCTなんて、力で奪ってしまえばいいじゃないか思考の集まりだったんだ。だけど、知性はあった。彼らは、新しい武器を開発する天才だったからね。所変わってあるとき、サンタクロース社初代社長が、新しい玩具、『成長する玩具』を作り出すことを決意した。その開発は、どっちかって言うと科学的なものだったことは解るよね。何せ、無生物と生物を合体させるような感じだから。まあ、実験に実験を重ねた結果、遂に製造公式を見つけたわけだ。全く異なる性質を持ったもの同士を融合させる、公式を。その時、既にサンタクロース社はムネモシュネの科学を超えていた。だけど、あるとき、何があったかは知らないけど、社長はムネモシュネが新しく開発しようとしている兵器の情報を知ってしまうんだ。それが、さっき話に出たヴィブだ」
「・・・・・・とにかく、社長の考えた公式が、兵器の開発に役立ってしまうんですね?」
都は尋ねる。
「だけど、実際の所、ヴィブって、どんな兵器なんですか? 聞いてる限り、生物と無生物を合体させただけじゃ、たいしたことはできないと思うんですけど。玩具にするくらいの技術なんだから・・・・・・」
「まあ、そうなんだけどね。玩具にする分には、全く問題ないことだったんだ。だけど、社長は、ヴィブという言葉さえも、知ってしまった。そして、彼は、自ら死を選んでしまった」
「・・・・・・そんなに?」
隣で朝祇が俺に身体を密着させてくるのが解った。俺は彼女を無言で抱きしめる。
「いま、僕たちは単にヴィブといっているけれども、これは略した言葉をそのまま読んでいるんだ。マクトもそうだろう? あれはMemory Crystallize Technic の頭文字を取ってる。そんな感じで、ヴィブもV、I、Bの三つのアルファベットを並べて読んでる」
「VIB・・・・・・?」
しっくり来る単語がなかなか思い浮かばない。
「これに気付いた社長は、きっと、世界の終焉を知っただろうね」
「動く玩具で、軍隊でも作る気だったんですか?」
都は尋ねる。
「製造公式は、無生物を動かすための公式じゃないよ。・・・・・・生物の利点と、無生物の利点を都合よく融合させるための公式だ。生物のように意思を持ち、増えながらも、無生物のように、決して死にはしない。社長が真相に気付いたとき、彼は、自分を呪った。その自分に向けた呪詛の言葉を、君が聞いていたんだろうね」
「・・・・・・はい」
朝祇は、声の震えを押さえて言った。
「さっき、都ちゃんは玩具にするんだから問題ないと言ったよね。確かに、その通りなんだ。自分たちが生み出したものが目に見えるものであれば、暴走は食い止めることができる。だけどね、VIBは違うんだ。VIBは、」
俺達は、唾を飲み込んだ。そして、次の言葉を待つ。
ヤツカさんは、声を出すのを躊躇ったが、遂に、言葉を発した。
「VIBは、Virus Increased Bomb――ウィルス増殖兵器の略なんだよ」
彼の言葉から、それが一体どんな兵器であるかを予想することは簡単だった。
「爆弾の中に、製造公式を使った無生物ウィルスを乗せて、爆撃する。当然それらは生物として、分裂をする。だけど、死ぬことはない。ほら、ぬいぐるみが死ぬなんて話、聞いたことないだろう?」
にやりと、挑発的に笑うヤツカさん。
「生物兵器ともとれないような、中途半端な兵器が、世界を滅ぼすんだよ。実に、気持ちの悪い、不快な話だね。それを、彼女が開発しようとしているのが僕にはもっとも気分が悪いのだけれども」
夕焼けが、血のように赤い。
「もう、帰りなさい。夜交君はもうちょっと残っていて欲しいんだけど」
「はあ・・・・・・」
俺は訳が解らず、間抜けな声を出してしまう。
ヤツカさんに従って、朝祇は帰ろうとするが、都だけは顔を地に向けたまま動こうとしない。何だ?
「よ、夜交っ・・・・・・き、キスなんて、しちゃ駄目だからねっっっ」
「しねえよ」
ヤツカさんは男だぞ。一体どんな想像をしてるんだよ。
「都ちゃん、大丈夫だよ。僕はそんなことしないから。それに、僕はちゃんとした、誰かのサンタクロースだから」
「・・・・・・サンタクロース、ですか」
都は、呟く。その瞳が、黒い。
暗黒物質のような彼女の瞳。何も感じられない両目になら、何の感情も含まない、どんな感情も吸収しない、そんな目になら、俺は、捨てられてもいい、と思った。
我ながら、意味わかんねえな。
「その人は、幸せでしょうね」
都は、黒い双眸を隠し、言った。
「・・・・・・幸せじゃないよ。僕は、その人のサンタクロースでありながら、何のプレゼントも与えられていないような気がするんだから」
「・・・・・・いいじゃないですか。ヤツカさんが、自分はその人のサンタクロースなんだって、気付いてるだけで。この世界には、自分がそうだと気付いていない人もいるんですから」
「・・・・・・なるほどね」
ヤツカさんは、意味深な声色で、納得した。その五文字の言葉が、妙に近くに感じられる。
「そういう人は、傷付いているんだよ、きっと。君が、その人のサンタクロースになればいい」
ヤツカさんの言葉が、都にとっては予想外だったのか、彼女は身体を震わせた。
「何も、サンタクロースは男だとは限らないんだよ」
「・・・・・・・・・・・・」
都は黙って俺達に背を向けて、歩いて行った。その後ろ姿が、朝祇と同じく庇護欲をそそる。
「・・・・・・夜交君」
おもむろに、ヤツカさんが口を開いた。俺は彼の顔を見たが、彼は、俺の方を向かず、都と朝祇が歩いて行った、アスファルトの先を見つめていた。
「なん、ですか」
その、能面のような彼の顔を、見なかったようにして、俺は同じように道の先を見た。もう、誰の姿もない。
「君は、一体、誰のサンタクロースなんだい?」
涙が似合う、その声を俺は、どうしても、好きになれない。
「俺は、」
セメントのような、重い空気。
「俺は、誰にも、何も、与えられません。プレゼントと称される袋の中身も、俺は、与えられない。俺は、誰のサンタクロースにも、なれません」
その言葉を聞いて、ヤツカさんは溜息を吐いた。
「君には、何もかも、難しいんだろうね」
「・・・・・・ヤツカさんには、袋の紐を緩められる人が、本当にいるんですか」
「いたよ。今も、いる。僕はずっと、その人を見ている。たくさんのものを失っても」
その瞬間、俺は、ヤツカさんの記憶に、リンクした。
夕焼け空の中、赤色に染まった美しい山を、座りながら、ずっと、見ている光景。
「・・・・・・ヤツカさん。あなたは、夕焼けが綺麗だった日、青い結晶、記憶の欠片を持って、何を、してたんですか」
ヤツカさんの表情が、凍り付いた。
「――何のことかな」
「すみません、何もないです」
俺は、最悪の結果を恐れた。だから、逃げた。
「夜交君。記憶が真実だとは限らないんだよ」
俺は、ヤツカさんの、冷たい言葉を耳に入れて、それでも何も返事を返さずに、歩き出した。
朝祇の、もとに。