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日常の崩壊を告げる銃声

 翌朝。

「昨日は、ごめん。都を、傷付けた」

俺の次に登校してきた都に、俺は頭を下げた。

「ほっぺた、大丈夫?」

絆創膏を指さして都は心配そうに尋ねてきた。

「ああ、これはちょっと硬めの筆箱で打ったんだ」

「私も、昨日はちょっと思考回路が狂ってたみたい。ごめんね、いきなり殴ったりして」

「いや、別にいいんだ、俺が悪かったんだ。ほんとに」

会話が途切れた。数分間の沈黙。

「――朝祇ちゃんは、まだ来てないの?」

「さすがに入学手続きしてないのに来さすのはまずいと思って。都に制服も借りれないし」

「私は別にいいんだけど」

「いやいや」

「・・・・・・そう言えば、水族館には、いつ行くの?」

「え、ああ・・・・・・明日にでも行こうかと思ってる。・・・・・・あのさ、あれ、誰かと行くつもりで買ったんだろ、よかったのか?」

「いいの。あれはだって元々夜交と行くつもりで買ったの」

やっぱり買ったものだったんだな、と心の中で呟く。

「でも何で俺なんかと」

「・・・・・・す、好きだから」

「・・・・・・え」

俺の微妙な反応に自分が言った言葉が不適切だったことに気付いたのか、慌てて言葉を付け足した。

「も、もちろん、さ、魚がだよ! 魚が好きなのッ! イルカとか、シャチとか、クジラとか! 別に夜交のことが好きな訳じゃないよ! いや、嫌いじゃないけどッ! どっちかって言うと・・・・・・すっ、好きな方だけど・・・・・・ッ」

・・・・・・何なんだこの狼狽ぶりは。というかイルカもシャチもクジラも全部魚じゃないぞ。

「じゃあ、またどっか行くか?」

「・・・・・・えっ?」

「・・・・・・嫌か?」

「そ、そんな、嫌じゃないよ」

「またよろしく頼むな」

 何がよろしく頼むのかは解らないが、照れている都を見ているとこっちまで動悸が激しくなって、何が言いたいのか解らなくなってしまう。

「明日は、がんばってね」

「おう」


       *


 土曜日、俺と朝祇は市内の水族館に来ていた。当然サンタクロース社の施設の一部だ。朝祇を連れてサンタクロース社の施設に入るのはまずいのではないかと思うかもしれないが、仕方のないことだ。臨堂市は手続きの元に入ることを許される街で、当然そこから出るときもその理由や目的を書かねばならない。そうなれば、余計に目立ってしまう。市内の方が、灯台もと暗しで、かえって目立たないのだ。

水族館は週末ということもあり、結構人も多かったが、窮屈に感じるほどではなかった。

「見て見て、お兄ちゃん! すごいよ、お魚さんがいっぱい! このお魚さん達は、自由なのかな、お兄ちゃん」

 本当に返答に困る質問をしてくる妹の姿は、俺が学校帰りに買った普通のワンピースだ。白い清潔な布地に、決して派手ではない程度のレースがついている。我ながらいい選択をしたと思っている。天使のような雰囲気の彼女に、多くの視線が集まる。

 そんな天使のような彼女がもっとも気に入った魚は、何故かホウライエソだった。ばっちり深海魚だ。しゃくれた下顎に不釣り合いな大きさの牙が上向きに付いている、奇妙な魚だ。あんな牙に噛まれたらひとたまりもないな、という何のボケも含めていない俺の言葉に、朝祇はとても笑ってくれた。何とも複雑な心境だ。

 楽しい時間とは早く進むもので、三時間にわたる魚達の鑑賞は終わった。昼食は、五階にあるレストランで食べるつもりだ。天気にも恵まれていたため、いい見晴らしで、心地いい潮風がテラスに吹き付けていた。テラスにはテーブルと椅子があり、そこでも食事ができるようになっている。

「すごいよ! 海って、こんなに広いんだね! きっとホウライエソさんも、一億匹ぐらいいるんだろうね!」

 間違ってもそんな危険な海には入りたくないなと思い、苦笑いをする。

ただ、彼女はそう言ったきり何も話さないで、手すりに体重を預け、口元に微かな笑みを作って、黙って遠くを見つめていた。

長く、艶やかな髪がなびき、いつもとは違う、大人な朝祇を演出している。白いワンピースが風ではためき、白い太股が太陽に光る。そのせいで、一瞬、彼女の足が消えたような錯覚に陥った。

もちろんそれは見間違いで、彼女はなお幻想的な空気を醸し出していたのだが、なんだか急に、朝祇がこのまま手すりを乗り越えてしまうのではないかと不安になってしまった。

彼女の小さな背中が、寂しく見えるせいかもしれない。

 俺は、彼女の孤独な背中に導かれるように、彼女に近付いていった。そして、彼女を後ろから、抱きしめた。朝祇は華奢な身体で、力を入れてしまえば砕け散ってしまうのではないかと思ってしまったけれど、俺は、ぎゅっと、その存在を確かめるように彼女を抱いた。

「――お兄ちゃん?」

 俺はその言葉で、我に返った。

「――ごめんな、なんか、朝祇が遠くに行ってしまうんじゃないかと思ってしまって」

「私は、何処にも行かないよ」

俺は彼女の返答に微笑み、お昼にしよう、と彼女に言った。室内のレストランで昼食として俺は海鮮丼を頼み、朝祇はオムライスを注文した。水族館で海鮮丼て。冗談きついなぁ。

食べ終わったあと、朝祇が食べ終わるまで何気なくメニューをめくっているうちに、俺が食べた海鮮丼の所に、サービス、ホウライエソの刺身付き! という文字が書かれてあるのに気付いた。冗談きついな! そういえば食べたことないような味の刺身あったけど! さすが水族館だなって納得して食べたけど! 深海魚入れるか普通! 

「お兄ちゃん」

「ん?」

 一人で心の中でメニューに突っ込み続けているうちに、朝祇が食べ終わったのか、声をかけてきた。

「トイレ、どこ?」

「トイレ?」

 俺はあたりを見渡す。

「ああ、あそこだ」

レジの付近を指さして、位置を知らせる。朝祇は小走りでトイレに向かって行った。

 不意に眼に鮮やかな赤色が映ったような気がして、俺はさっきのテラスの方を見た。

「・・・・・・え?」

テラスの丁度中央の席に、三葉虫とアノマロカリスがいた。正確には、そのかぶり物をした人間二人がいた。どちらの生物も大昔に多く水の中に生息していた生物だ。確か三葉虫はアノマロカリスの餌だったような気がする。

「なんだあいつら・・・・・・」

ただマスクをしているだけなら水族館のマスコットかと無理矢理にでも納得できたかもしれない。

が、明らかに不自然だった。三葉虫は鮮やかな赤のチャイナドレスを着ている。スタイルが抜群にいいのが遠くから見ても解る。もう一人のアノマロカリスの方は、スーツだった。しかもその手にはギターのケース、だよな? なんか俺には、そのケースが手錠で手首に繋がれているように見えるけど――確かに、ギターケースだった。

 やがて二人の元に明らかにドン引きしているウェイトレスが料理を運んで行く。アノマロカリスはパスタ、三葉虫は、野菜サラダかな? を注文していたらしく、それがテーブルの上に乗った瞬間、アノマロカリスがパスタに頭を突っ込んだ! 一方三葉虫は普通にサラダをむしゃむしゃと器用に本来の口の中に突っ込んでいる。やがて、涙で顔をぐしゃぐしゃにしたウェイトレスが室内に戻ると、アノマロカリスがギターケースを手首から外し、三葉虫に渡した。

「何だあれ・・・・・・」

「お兄ちゃん」

トイレから帰ってきた朝祇に呼ばれ、俺はレジに向かった。なんだかあいつらがすごく気になるけど、昼からは隣接している遊園地で遊ぶつもりだ、時間を無駄には使っていられない。


遊園地もかなりの広さで、これをあと半日で回るのは不可能だろうと判断した俺は、朝祇に何に乗りたいか訊いた。その結果、ジェットコースター四種類を全て回ることになり、さらにフリーフォールを三回乗る羽目になった。どんだけ絶叫系好きなんだよ、と突っ込みたくもなったが、今回は朝祇に楽しい時間を過ごさせてやるのが目的なので、最後までとことん付き合うことにした。

あらゆる絶叫を網羅し、怖い体験をたくさんし、大いに遊び大いにはしゃいだ結果、時刻は六時を回った。太陽が水平線に沈みかけている。

「朝祇、観覧車に行くぞ」

「かんらんしゃ?」

 俺は朝祇の手を引き、そこに向かった。この時間帯になってくると、カップル同士がここに集まってくる。できれば、早めに行かねばならない。ようやく到着したとき、まだ観覧車は空いていて、カップルよりかは家族連れの方が多かった。

「大きいね」

「そうだろ。沈む夕日が、よく見えるんだ」

 俺達はゴンドラの中に乗り込み、ゆっくりと上昇する感覚に身を任せていた。そしていよいよ、頂上にさしかかろうとしたとき、朝祇の顔を見て、どきりとした。テラスで見たような、あまりに美しすぎる表情。そして、遠くの夕日を眺める双眸――彼女の睫毛が、涙で濡れていた。そして、口を開いた。流れ出てくる言葉は、きっと無意識なのだろう。彼女の目は虚空を見つめていた。

「・・・・・・私の両親は、死んでいます」

 突然の、告白。俺は、違和感を覚え、たった一つの願いを胸に抱き、綺麗な夕日を眺めながら、彼女の言葉を待った。

「私の両親、サンタクロース社の創始者と二代目社長は、死にました。そして、悪魔の数字から、私達を救った。それだけで、もう充分ですよね」

 俺は、愕然とした。

彼女が、『私』という言葉と『私達』という言葉を使い分けていたことに。ならば、朝祇が言った初めの言葉は、『私の両親』ではなく、『私達の両親』でなければならなかったはずだ。なぜなら、俺達は兄妹だから。それなのに彼女は、『私の両親』と言った。まるで、彼女と俺とでは、両親が違うかのように――

 そうか。やっぱりな。想定の範囲内のはずだった。なぜ、自分の幼い頃の記憶が消えているのか――それはきっと、知られてはならない過去があったから。

その『過去』の範囲内に、自分たちが兄妹ではない、という選択肢、自分は、四条夜交は、四条家の子供ではないという選択肢が、確かに存在していた。

「朝祇、喋っちゃいけない。今は、この夕焼けを、心に留めよう?」

 俺の声は、しっかりと震えていた。


       *


「・・・・・・俺は、お前の兄じゃない」

家に帰って、夕食を食べているときに、俺はとうとうその言葉を空気中に放ってしまった。朝祇の咀嚼する音が消えた。

「・・・・・・お兄ちゃんは、私のお兄ちゃんだよ」

「違う。俺と朝祇は、父も母も、違う。君が明らかにしてくれた」

「・・・・・・」

「・・・・・・運命は、残酷だ」

 朝祇はその意味を理解してくれただろうか。この際、理解できなくてもいい。ただ、俺に何か声をかけて欲しかった。四条朝祇が、名も解らぬ俺に、どんな言葉をかけてくるのか。嘘を見破ってしまった俺に対して吐かれる言葉は、軽蔑か。

「お兄ちゃん」

朝祇の澄んだ声が空気を震わせた。

「なんだ」

 さあ、早く、訣別の言葉をくれ。俺を絶望させてくれ。そうでなければ俺は、羞恥のあまりに自分を傷付けてしまう――

 しかし、彼女の口から出た言葉は、決して、軽蔑ではなかった。戒めでも、束縛でも、怒りでもなかった。

「お兄ちゃん。サンタクロースの袋の中には、何が入ってるか知ってる?」

不可解にして、美しい言葉。理解するよりも前に、その美しさと無垢さに、涙が零れた。

「・・・・・・」

「解らないよね。・・・・・・私が言いたいのはね、お兄ちゃんは、私のお兄ちゃんなんだよ、ってこと。だって、私には、お兄ちゃんしかいないんだもん」

 彼女は、俺を抱きしめた。彼女の温もりが、今まで自分には与えられたことがないもので、その温もりから与えられる戸惑いを、俺は噛んだ唇から滲み出る血の味で誤魔化すしかなかった。


 心の蟠りが消えないまま、俺の生活は再スタートした。朝祇は眠っている。昨日の疲れが残っているのだろうか。未だに寝息を立てている。

 俺は朝の支度を済ませると、パソコンの電源を点けた。インターネットで、昨日行った水族館のホームページを開ける。気になっているのは、三葉虫とアノマロカリスだ。マスコットか何かなのだろうか。しかし、マスコット一覧を見ても、そんな時代錯誤の生物は存在していない。

 ふと、赤いものを眼に捉えた。サンタクロース社の現在の社長だった。

「きさかた、さとい・・・・・・?」

象潟聡、とかくらしい。一瞬、さとし、かと思ってしまったが、苗字の方も象潟とはまた珍しい名だ。というか俺はずっと社長が男だと思っていたが。

そして、写真に写っている彼女の姿は、昨日見たような、赤いチャイナドレスだった。

「まさか・・・・・・」

 いくら何でもばかげてる。何で社長が三葉虫の被り物をしないといけないんだよ? だが、この抜群のスタイルは昨日の人と一致している。俺は彼女の写真を拡大する。

「・・・・・・おはよぉ」

 一人パソコンと緊張している俺の背後から、気の抜けた声が聞こえた。

「ああ、朝祇か、おはよう」

 彼女は眠そうに目を擦りながらパソコンに近付いてくる。

「・・・・・・お兄ちゃん」

「ん?」

彼女の視線が、凍てついている。

「お兄ちゃんは、こんな人が好きなの?」

「え?」

彼女の視線の先、パソコンの画面、そこにあるのは画面いっぱいに拡大された象潟聡の写真だった。

「え、ち、ちが、う!」

「まあお兄ちゃんも男の子だもんね。・・・・・・おっきい方が、好きだよね」

まずい! 非常にまずい! 俺の弁解の言葉は、彼女の前に出た瞬間にきっと迎撃される。フォ、フォローしないと!

「朝祇のはま、まだ発展途上だから! もっと大きくなるから!」

 俺のあほぅ! フォローになってねぇよ! 案の定朝祇は自分の胸元に手をやり、視線をそこに落とし、また俺をきっ、と睨んだ。

「いやいや、朝祇は同年代の女子にしちゃあるほうだから! たくさん見てきた俺が言うんだから間違いない!」

・・・・・・・・・・・・あれ? 今。今俺はとんでもないことを口走らなかったか?

――たくさん見てきた俺が言うんだから間違いない!

とても、恥ずかしい言葉を――

「お兄ちゃん・・・・・・」

俯いていた俺の首がぎし、と軋みながら朝祇の方へ向いた。

「不潔っっっっっっっ!」

「違う! 誤解だ! 全部嘘だよ!」

「え・・・・・・?」

 朝祇は悲壮感に満ちた顔をする。

「そこは嘘じゃない! お前のが大きいのはほんと! いっぱい見てきたのが嘘!」

朝祇は泣きながら俺のベッドに突っ伏す。め、めんどくせえ・・・・・・っ。誰か助けてくれ!

 その時、タイミングを見計らったように携帯が鳴った。曲はトッカータとフーガニ短調だ。

「もしもしっ!」

『ひっ』

相手が怯えたような声を出す。俺はとっさにディスプレイを確認し、相手が誰かを確認する。都だった。

「ごめん、怒ってるんじゃないんだ。ちょっと、朝から朝祇と遊んでて。血圧がいつも以上に上がってる」

『・・・・・・なにしてたの? そんな、朝から』

都の声に疑惑の色が混ざり始める。俺は何も言えない。

『ちょっと、朝祇ちゃんにかわって?』

「・・・・・・ごめん、いまベッドで泣いてるんだ」

『――――あああああああんたっ! 最低な男ねっ! 妹に手を出すなんて!』

「違う! なにもしてねえよ!」

 そう叫んだ瞬間、俺の手から携帯がもぎ取られた。朝祇が助けを求めるように叫んだ。

「お兄ちゃんが、今まで見てきたいろんな人の胸の中で――」

「おぅふ! それは言うな!」

朝祇から急いで携帯を奪う。その瞬間、強く朝祇の腕をひっかいてしまった。

「はぅ、お兄ちゃん痛いよぉ・・・・・・」

『・・・・・・・・・・・・よ、夜交ぇ、』

「違う! 違う! 俺は何もやってねえ!」

『いいいい今からそっち行くから!』

都はそう告げ、通話を切った。

「朝祇・・・・・・」

そう言って振り向くと、彼女の腕に赤い線が二センチほど走っていた。

「あ、・・・・・・ごめんっ」

俺は急いで絆創膏を持ってきて彼女に貼ってやる。

「ありがと・・・・・・」

「いや、俺が悪かったよ。・・・・・・そういや、都が来るって言ってたな」

時計を見ると、もうすぐ家を出る時間だ。

「本当に来るのか・・・・・・?」

軽い、ピンポーン、という音が鳴った。俺は鞄を持って玄関に向かった。

 ドアを開けると、泣いた都が立っていた。

「おはよう。・・・・・・何で泣いてるんだ」

「・・・・・・別に。夜交があんな奴だったなんて思うと、なんか目が、ね」

「俺は何もしてないけどねぇ」

「犯罪者はみんなそう言うの!」

「まあまあ落ち着け。で、何だ、用件があるんじゃないのか?」

 俺は彼女からの言葉を振り払うようにして無理矢理話題を変えた。

「ああ、これ」

都が手にもっていた大きな風呂敷をこちらに寄越した。

「・・・・・・夜逃げ?」

「ななな何でそうなるのっ、制服だよ、制服。家にあったから、朝祇ちゃんにどうかと思って」

「制服?」

俺が風呂敷を開けると、そこには確かに制服があった。

「お姉ちゃんのが、あったから」

「・・・・・・へえ。朝祇良かったな。都が制服くれたぞ。ほら、お礼言うんだ」

朝祇が走ってきて、服をのぞき込む。俺は少し膝を曲げ、彼女に見やすくしてやった。

「わああ・・・・・・! ありがとう!」

「いいの。・・・・・・あ、そうだ、夜交、もう行かない? 学校」

「ああ、もうそんな時間か。そうだな、もう行くか」

そう都に言うと、彼女はとても嬉しそうな顔で頷いた。


 歩き始めて何分か経っただろうか、俺はふと右にいる都に尋ねた。

「お前・・・・・・お姉さんがいたんだな」

「え?」

「だって、姉のだって、言ってたろ、制服」

「ああ、そうだよ。私には、お姉ちゃんがいた」

「なぜ過去形?」

 少し意地悪く笑いながら彼女の言葉の誤謬に突っ込む。

「・・・・・・蒸発しちゃったんだ。突然」

「え・・・・・・。ご、ごめん」

「ううん、気にしてないよ。だって、お姉ちゃんは今頃もう二十三歳だし、いいお嫁さんになってるかもしれないよ。きっとどこかで働いて、良いことしてるんだろうね」

 彼女の無邪気に笑ったその笑顔が明らかに傷付いていて、俺は目を背けた。まさにその瞬間。

 右に引きずり込まれるような、感覚。目の前に広がる映像の中に、俺は都を見た。

またか。

人の記憶の中。そこは決して、居心地の良いところではない。都の姉の失踪を嘆き悲しむ家族。それが彼女の中で何度も何度も繰り返される。これが、彼女の記憶か。

「本当に、吹っ切れてるのか」

俺は虚ろな目をして言った。

「うん」

俺はもうこれ以上、そのことには触れなかった。


 一時は都と気まずい雰囲気になったものの、学校に着くとそんなことは気にならなくなっていた。

 いつも通り彼女はクラスメート達と挨拶を交わし、笑顔を向ける。学級委員としてやっている行為なのではなく、きっと、素でやっているのだろう。見ていて心が清々しくなっていく。

「そういや、仲直りしたんだな」

 冷たい金属の感覚を頬に感じて、俺は急いで振り向く。当然そこには筆箱を手にした友が立っていた。

「ああ、お陰様でな」

「お前がまだ彼女と仲直りしてなかったら、お前の体は今頃爆発してただろうな」

 なんとまあ恐ろしいことを言ってくれる。爆発て、どうするつもりだ。

「でも何でお前がそんなに都を庇うんだ?」

俺は彼に訊く。

「ああ・・・・・・俺がお前の友達だからだ」

彼はにっ、と笑うと、筆箱で肩をとんとんと叩きながら去っていった。

「なんだ、あれ」


 結局彼が何を言いたいのか解らないまま、時は過ぎ、帰る時間となった。

「夜交っ、いっ、一緒に帰ろう?」

都が鞄を持って近づいてきた。

「ああ、そうしようか。今日は特に何もないしな」

掃除当番とか。

俺達はそのまま下駄箱へと向かい、靴を履き替え、外に出た。だいぶ暑くなってきて、夏ももうすぐそこまで来ている。そう言えば、今日は六月三十日。六月最後の日だ。梅雨と言えども、ここではあまり雨は降らなかったな、と思う。

「いこっか」

都のその声に、俺は微笑み、六月の空気を肺の中に吸い込んだ。


 歩いて数分。会話がないことに少し緊張して歩き続ける。心拍数が上がっている。

最近、多くのことがありすぎて、日常という形を失ってしまっていたような気がする。

もちろん、朝祇との生活もうまく回っているつもりだ。俺が本当の兄ではないことを知りつつも、俺はそれを受け入れ、彼女の兄であろうとしている。彼女が、幸せになれるように。彼女が俺の家に飛び込んできたことを後悔しないような、その選択肢の選び方が誤りではなかったと思ってもらえるような、そんな生活を、日常を作り上げたいと思っている。

 俺はそう思って空を見上げた。そしてその時、再びの記憶へのリンク――。

そのリンク先は、都ではなく、朝祇でもなく――解らない、誰か。知らない、誰か。ただ、強い記憶――。

 夕焼けの湖のボートから見える、何度も光る点。その数秒後に、隣にいた男性が立ち上がり、その人から血飛沫が舞う。そして、彼が、水に落ちる。上がる水飛沫と、悲鳴――。

 次の瞬間、現実世界で、銃声が、響いた。たたたたたっ、という、軽い音。光の弾丸が、五つ、俺達のいた地面のすぐ前方を焦がした。

「都っ、危ない!」

俺はそう叫び、彼女を押し倒した。何なんだ。エアガンか? 

そう思い、俺は弾丸が当たったアスファルトを見た。その弾は、深く地面に突き刺さり、鈍い色を放っていた。

「本物か・・・・・・?」

「何が、起こったの・・・・・・」

「解らない」

 数秒後、原因と思われるものが姿を現した。低いローター音。上からやってくる風。舞う粉塵。俺は、空を仰いだ。普通のものよりも明らかに長いプロペラと、黄土色の機体が組み合わさった、戦闘ヘリ、ボーイングAH―64アパッチが俺達の二百メートル前方に降臨した。

「ムネモシュネか!」

「夜交・・・・・・」

都が俺の制服のぎゅっと掴む。俺はホバリングするそれを睨み付けた。ヘリの先頭には、機関砲が装備されている。これは、おそらくさっき俺達を撃ったものだろう。俺は、機体の左右を視界に捉えた。通称スタブウィングと呼ばれる小さな翼のようなものに取り付けられているのは、その形状からして、ミサイル――。細長い棒が四対、取り付けられていた。

未だ無言で対峙するムネモシュネのヘリ。その低い周波数の音が、さらに俺達を不快にさせる。

 その時だ。もう一つのヘリの音が、重なった。同じく黄土色の機体に、今度はサンタクロースの帽子と、SCというアルファベットが絡み合っているマークの書かれた機械。サンタクロース社の、アパッチだった。操縦席は二つあるが、後方にしか人は乗っていないように見えた。しかし、サンタクロース社の方は、スタブウィングに何も取り付けていない。あるのは、機関砲だけ。彼らの間は、およそ四百メートル。俺達は、二つのアパッチの丁度中央にいることになる。

 先に発砲したのはムネモシュネの方だった。サンタクロース社のヘリから火花が散り、丸い穴を開ける。負けまいと連射する味方の弾は、素早く動くムネモシュネに当たらない。

「ミサイルを使われたら、終わりだぞ・・・・・・」

俺は何とかそんな言葉だけを発した。都は怖いのか、ずっと目を閉じている。俺は彼女を抱きかかえ、サンタクロース社の方向へ思い切り走った。たとえムネモシュネが俺達を攻撃しても、サンタクロース社が機関砲だけででも迎撃してくれるのではないかと思ったからだ。足下を掬われる感覚に驚いたのか、都が目を開けた。その双眸は涙で濡れている。

「夜交?」

「とにかく、安全なところまで逃げよう」

「・・・・・・うん」

俺は彼女を抱いたまま、走り続けた。彼女を降ろさないのは、今抱えている都の脚が、あまりに震えていて、走ることが可能な状態ではなかったからだ。

 しかし。二つの軍事機械は、全く予想外の動きを見せた。なんとムネモシュネがいきなり前進をし、サンタクロース社のヘリを、機体を倒して避け、急旋回して、三百メートルほどの距離を開けて後ろを捉えたのだ。ミサイル攻撃か、と俺はとっさに塀の陰に滑り込んだ。所々の肌にひり付くような痛みを感じたが、今はそんなことはどうでもよかった。とにかく、爆風や飛び散る金属片から身を守るための手段をとるしかなかった。

 だがムネモシュネは、いきなりミサイル攻撃などはせず、サンタクロース社がその場で旋回するのを待って――

ついに、ミサイルが白煙を吹き出した。そして、ゆっくりとスタブウィングを離れるミサイル。そこに書かれた、Sparrow missile という文字。その文字は数秒後にマッハを超え、旋回してほぼミサイルの進行方向と垂直に並んだ時、サンタクロース社のテールローターを爆撃した。反作用を打ち消す小さいプロペラを失ったヘリは、大きく機体を振り回しながら、墜落する。落ちた先が公園だったのがせめてもの救いだろうが、ヘリは周りの木々を薙ぎ倒し、地面に腹を擦りながら、ようやくその摩擦で止まった。あたりは静けさを取り戻す。

「・・・・・・お、終わったの?」

俺は飛び去っていくムネモシュネを見送りながら、うん、終わったよ、と都に告げた。俺はわざわざそんな巨大軍事機械の元に行くようなことはしなかった。

ただ、泣きじゃくる都の頭を撫でながら、帰ろう、と言った。


 自分の興奮がようやく収まった頃、俺は果たして中に入っている人は大丈夫だろうかという思考に至った。一応サンタクロース社の人間なのだろうから、助けを求めていたら助けねばならないだろう。

 俺は走って公園に向かった。そこには人は集まっておらず、ただ、燃えた金属が転がっているだけだ。顔を赤くしたまま近付いて、俺はコックピットの中に人がいるのを確認した。

「あの、大丈夫ですか」

大丈夫ではないだろうと言ってから気付いたが、それが聞こえたらしく中に入っている人は、笑った。俺は初めて戦闘員の顔を見て、戦慄した。その人は、

サンタクロース社社長、象潟聡、だった。


 彼女は内側からガラスを拳銃で撃ち破り、ようやく外気に触れた。しかし、出てくる様子はない。見ると、座席が傾いていて、腕の力だけでは状態を浮かすことができないようだった。

「手、貸します」

「ありがとう、優しいのね」

「・・・・・・当然です」

 俺は彼女の手を握り、まず立たせる。そして、手で余計なガラスを崩し、出やすい環境を作った。

 ようやく彼女はコックピットから出ることができ、手足を伸ばした。

「ごめんなさいね、あ、そうだ、これ」

 そう言って彼女は俺に名刺を渡した。『象潟聡』という名前と、サンタクロース社の社長なのだということを表す肩書きが書かれている、非常にシンプルなものだった。

「ごめんなさい、俺は、持ってないです」

「でしょうね。高校生が持ってるなんて、聞いたことないもの」

 彼女の微笑みは美しかった。改めて見てみても、象潟聡という人間はやはり美しく、人間を見ているというよりは、どこかの芸術品を見ているような感じだった。美しさは、決して派手なチャイナドレスから来るものではなく、本人の奥底から滲み出ているような、妖艶な、蠱惑的な、何ともいえない、二十代では纏わすことが不可能な雰囲気を醸し出していた。

「そうだ、君、名前くらいは教えてくれる?」

「俺は、四条夜交です」

「四条・・・・・・?」

 しまった。彼女に名前を教えるんじゃなかった。彼女の疑うような視線から逃げるように、俺の頭は言葉を作った。

「・・・・・・ここも、安全なところじゃなくなってしまったんですか」

「解らない。でも、私は、MCTを止める気はないわ。それが、子供達を守ることに直結するのだから、止める意味がわからないもの」

そう言って、彼女は空を見た。

「私もそろそろ帰ることにするわ。ヘリも壊しちゃったし、始末書書かないといけないわね」

「はあ・・・・・・」

 俺は堂々と出て行く彼女を、見つめるしかなかった。

 社長も始末書書かなきゃいけないんだな。つーか、ヘリ片付けてけよ――

 そんな願いは通じることはなかった。


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