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その7


 どの位の時間、狭いテントの中で突っ立っていたろうか。

 

 ネストールさんの不在という、あまりの深刻な危機に停止していた思考力が、新たなる問題を自覚するに至って、急速に戻ってきた。

 昨日、私は軍事視察という名のピクニックもどきから帰還後、疲れからか夕食も待たず早々に就寝した。そして、ダイアーさんに起こされるまで夢見る事も無く爆睡。彼女の口振りからするに、今、恐らく朝と呼べる時間はとうに過ぎているだろう。

 すなわち、私は、半日以上、何も口にしていない事になる訳で。


「ハラヘッタ・・・」


 某生物ハザードの序盤の敵のような風情で思わず漏らすと、私は、細かな文様が波打つように刺繍されているドレスの上からお腹を押さえた。

 この状況下で、普通に食欲があるという事は、案外私は図太いのだろうか?

 しかし、通訳のような存在だった人間がいないだけで、凄まじく不安にもなっている訳で、私は心と体の矛盾したような反応に何となくおかしくなった。


 ともかく、そうとなれば、空腹を満たすしかない。


 テントの入り口に下ろされたドア代わりの幕の押さえ紐を解き、恐々と外の様子を伺った。

 仰ぎ見る太陽は中天。やはり正午過ぎといったところだろうか。

 きょろきょろと周囲を見渡すが、いつも鬱陶しい程に行き交っていた兵士達の姿は無かった。

 このテントに並ぶようにある同じような資材置き場的テントや、少し離れたところにある兵士達のたまり場のような広場から、ひっきりなしに聞こえていた騒々しい鎧甲冑やら武具やらの音も、今は不思議と聞こえては来なかった。


「・・・誰もいない・・・。踊るなら今だ」


 じゃなくて、今なら誰に会う事もなく、食堂まで行けそうだ。

 場所は大ざっぱな他の施設も含めて、初日にジェラードさんに教えて貰っていたので、恐らく迷う事なく行けるだろう。「よし」と気合いを入れると、私はメタルなギア的なゲームに挑む心持ちで食堂に向かって歩きだした。兵士に見つかったらサイレンは鳴らないだろうけど、私の臆病なハートの鼓動は鳴りやまないだろうからね。


 と、内心でうまい事言ったと思いながら、私はテントや建物の壁伝いに歩みを進めていった。


 改めて、このイグラード国の野営地というものを眺めてみると、その雰囲気は、テレビで見たオリンピックの選手村のものに、凄く似通ったものがある。

 行き交う人間は例外無く外人さんだし、周りは急造された雑多な小屋や、テント。大勢の人を出来るだけ多く受け入れる為だけに急いで作りました!という感じの大ざっぱ感が、おそらく私には似てると感じられるのだろう。


 そして、案の定、人気は無いように思えたが、野営地が無人である訳も無く、私は、兵士さんが見えたり、すれ違ったりする度に、「ひいっ」と小さな悲鳴をあげたり、心の中でゲームオーバーと表示したりしつつ、何とか食堂に辿り着いたのだった。


 その食堂は、調理場こそ割としっかり目の木造の小屋であるものの、他は格子状に組んだ木材を屋根にして適当に柱で囲んだだけの簡単な造りのものだった。2千人からの人間が利用するだけあって、広さと席数だけは圧倒されるものがあったが。


「ごくり・・・」


 私は緊張と空腹から口内に溜まった唾を飲み込むと、いざ、戦場へと気合いを入れて、食堂の中に足を踏み入れた。


 端伝いに出来るだけ目立たないように移動していくと、どうやらバイキング形式のようで、食器と一体化した木製のおぼんが小山のように積まれていた。私は、音をさせないように細心の注意を払ってそれと、隣にあるスプーンを取り、「こちらスネーク」といつ言ってもおかしくない足取りで調理場前まで移動したのだった。


 調理状前には、目移りせんばかりの膨大な量の料理が並べられていた。種類も軍隊の食事と考えると、凄く多いのではないだろうか?大体がシチューや、スープ、乾物のようだったが、香ばしいソースや色どり等、どれも一手間加えられているようで、私にはかなり豪勢に感じられた。草原のど真ん中でこれは凄いと思う。


 しかし、迷う。

 せっかくここまで苦労して来たのだから、満足いく料理を選びたい。だが、敵は乙女の敵バイキング形式。あれもこれもと欲張ると、私の何がとは言えないサイズも欲張ることになる。

 幸運にも、今、私の他に料理を取りに来ている人はいない。人目が無いのなら冷静に時間をかけて選ぶべきだ、うんうんと決心したところで、調理場の仕切越しにアイスブルーの目とがっちり目が合った。


「さっきから挙動不審の上、ひとりで百面相して、何をやっておるのだ、アカネよ」

「はうあっ」


 仕切越しに、呆れたようにこちらを見るのは、見目麗しい美形の王様。ただしサイズSな、お子様王様、ジェナス=エル=イグラード3世陛下、その人であった。コック帽からこぼれ落ちるような色素の薄い金の前髪が無駄に色っぽい。って、コック帽?


「な、なんで・・・?」

「あぁ、俺がここにいるのが不思議なのだな?俺はな、こう見えて料理が趣味でな、しかし城にいては文官やらがうるさくて思うようにやれんでな。だから、こうして、詰める兵が少ない時を見繕って、コソリと趣味に耽っているという訳だ。まぁ、鬼のいぬ間にというやつだな。はっはっは」


 いや、はっはっはて。

 一国の王様が何やってるんだろう。しかも、ここは、最前線でしょうに・・・。


「なんだ、まさか、異世界から来たお前まで、王に料理はふさわしくないとか言うのではあるまいな?というか、どうなのだ、お前の世でも、料理をする地位のある男というのは、そんなに奇異なものなのか?」

「そ、それは・・・」


 ん、料理出来る男、と単体で考えれば普通・・・むしろ、高ポイントではないか?そして、王というのを、一国の首相や大統領と考えると、家族サービスに勤しむ庶民的イメージが料理を通して伝わって、有権者的にもかなりの好感度ではなかろうか?


「アリ・・・だと、お、思います」


 そう伝えると、凄く爽やかに王様は笑った。


「そうか!有りか!いや、アカネよ、貴様の世は素晴らしく理解のある所のようよな。ますますじっくりと貴様の世や国について聞きたくなったわ。まこと、我が身が雑務で忙殺されておるのが忌まわしい」

「は、はぁ」

「そうか、そうか、うむ。有りか・・・そうか。では、アカネ、俺はその忌まわしい雑務がある故な、そろそろ戻らねばならん。食事を共にできんのが残念だが、今日のスープの類は俺の自信作だ。ゆっくりと味わってくれ。ではな」

「は、はぁ」


 余程、自国で認められない趣味に理解のある世界がある事が嬉しかったのか、一頻り喜ぶと、王様は嵐のように調理場から立ち去っていった。

 何というか、王様だから仕方ないのだろうけど、すこぶるマイペースな人だった。


 そして、私は、王様のお勧め通り、具材たっぷりなスープを3種類程と、イグラードの主食らしいピラフぽい物を選び取り、席を探す事にした。

 と、そこで、巡らせた視線の先で、私は驚愕の事実に気付いた。


(総菜パン・・・コーナーがある・・・だと!?)


 やたらと広い食堂スペースのせいで、私は隅にある総菜パンが陳列された棚に気付けなかったのだ。パンコーナー自体の規模が小さく、幾人かの兵士達がパンを選ぼうと、視界を遮るように立ってしまっていたのも原因だろう。

 どちらかと言うとパン派な私は、最初に気付いてさえいれば迷う事なく昼食にはパンを選んでいたろうに、もはや後の祭りである。しかし、今さら選んだ料理を戻す訳にも行かない。幸い、選んだ料理も凄く美味しそうだし、ここは次の楽しみとして諦めるしかないだろう。


 と、視線を戻そうとした瞬間、視界の隅に移った物があった。


(アップル・・・パイ・・・だと!?)


 いや、それが厳密に、元の世界であるところのアップルパイであるとは限らない。現に先日食べたダイアーさんお手製サンドイッチは、美味しかったものの、予想した味と違う具材が幾つかあった。

 しかし、視界に捉えた先のパンコーナー一角に鎮座するその姿、そのフォルムはまさしく分かりやすいまでに分かりやすいアップルパイのそれで。垣間見える果肉らしきアップル部分も、きっと間違いなくアップル味の筈で。


 私は大好物の突然の登場に前後不覚に陥った。

 私がどれくらいアップルパイが好きかというと、高校生になってからも、某マスコットキャラが厚化粧な上に性別不詳で、もはや認知度という強みを除けば、イメージ的には弱みしかない気がするハンバーガーチェーン店に、たびたび100円握りしめて通っていたと言えば、分かって貰えると思う。


 好物のアップルパイは欲しい。

 しかし、パンコーナーには何人かの兵士達がたむろしていた。


「こ、こわ・・・」


 何故、こちらの世界の人間は、皆あんなに大柄なのだろう?威圧感が凄すぎる。

 一見、優男風なネストールさんにしても、上背はかなりあったし、こちらに来てから180センチ以下の男の人には会ってない気がする。王様を除いて。


 仕方がない。しばらく待ってみよう。


 しかし、パンコーナーの前から兵士達の姿は消えない。

 何やら、きゃっきゃと、楽しそうに談笑し続けている。


 もうしばらく待ってみる。


 何やら、じゃれ合い出したようだ。兵士達の喧噪がここまではっきり聞こえてくる。いいんだ、あなたがお勧めの防具メーカーとか私は知りたくないんだ。お願いだから、そこから立ち去っておくれ。

 

 だめだ、これ以上、食堂でぼーっと突っ立っているのも限界だ。私の精神的に。

 悲しいけれど、今回は縁がなかったようだと、私は泣く泣く自分を説き伏せて、その場を後にした。



 席は割とすぐに見つかった。

 元々、ガラガラだった上に、アップルパイと見つめ合っているうちに、完全に昼食の時間と呼べる時間帯は過ぎてしまっていたからだ。

 悠々と、食堂の隅の隅の、角の席に腰掛けた私は、やっと落ち着いたとため息をついた。兵士達の目も、ここなら滅多なことでは向かないだろう。では、いただきますっと。私が手を合わせて軽く頭を下げると、突然、料理を置いたテーブルに影が掛かった。


「随分と遅い昼飯だな、アカネサタニ」


 何それ?今度のバージョンアップで追加される新しい渓谷マップか何かですか?と素っ頓狂な疑問が一瞬頭をよぎるが、すぐにそれが自分の名前だと気付くに至り、また、横から見下ろしてくる影の正体にも見当がついた。


「ぅ・・・」

「そう、露骨に嫌がるなよ、アカネサタニ」


 軽薄そうな物言いで、ぽんと私の肩を軽く叩くと、ミルナーさん、いや、ミルナーは、勝手に私の対面にドサリと腰掛けた。

 肩を叩かれたショックで、私はビクリと震え上がり、決して目線を合わすまいと俯けた目尻からは涙がにじむのが自分でよく分かった。


「まぁ、そう固くなんなって。陛下の命令は絶対だからな、もうあんたをどうこうするつもりはねーよ」

「・・・・・・」


 そう、こいつは私を殺そうとした奴だった。王を守る人間として正しい行動とも言えるけど、でも、私が感じた恐怖は決してキレイゴトで納得出きるような軽いものではなかった。


「まー、その、なんだ。悪いとは思ってんだよ。その軟弱っつうか、弱々しい態度見てるとよ、お前が間者やら刺客の類かと疑ったのが、どうにもアホらしい誤解だったてのが良く分かるしな」

「・・・ぅぐ・・・・」

「そう、それによ、お前、あれ傑作だったぜ?自分の天幕から出て何してんのかと思ったら、きょろきょろしながら、隠れんぼよろしく、コソコソと歩き出してよ。でもって、兵どもと見つかる度に大慌てでよ。もう、笑い過ぎで腹いたくて、声抑えるのに苦労したんだぜ?」

「・・・え?」


 何?何なのこの男?私が食堂に必死の思いで向かってた時に、こいつは後ろから付いて来てて、こっそり見ては笑い転げてたという事?信じられない。


「・・・・・・さいてー」

「ん?なんだ、話せるんじゃねーか。食堂までの事と言い、俺はてっきり、お前は精神的な疾患?みたいな感じの病人か何かだ思ってたんだぜ?そうそう、お漏らしもしてたしな」

「・・・っ!」


 ガチャリと、揺らした手に料理を乗せたおぼんが当たる。

 そして、俯いたまま、流れ出した涙が頬と顎を伝い落ちて、ポタリとスープに波紋を作った。


「ちっ、まったく、これだから女子供ってやつは。ほんといい加減にして欲しいぜ」

「いい加減にするのは、お前だ。馬鹿者がっ」


 バキリと、鈍い音と共に、それまで視界の隅に見えていたミルナーの軍服に包まれた腕が、突然消えた。そして、続くベキベキという明らかに何か壊れたらしい破砕音。


「え?」と思い、ゆっくり視線を上げてみると、対面には誰も座っておらず、音の源を探そうと横を向くと、最初に合った時から変わらぬ甲冑姿のジェラードさんが、眉根に皺を寄せた厳しい顔付きで立っていた。彼の後ろには粉々になった木製テーブルと、それに巻き込まれるように倒れた幾つものイスが見えた。


「まったく。謝ると言うから任せたもの、お前という奴は・・・」


 憤懣やる方無いといった感じで、ジェラードさんは吐き出すように言った。


「本当に、申し訳なかった、アカネ殿。不肖の弟が迷惑を掛けた」


 そして、私の方を向いたジェラードさんは、一転してすまなさそうな表情を浮かべると、深々と私に頭を下げたのだった。


「え?ぁ、あの、わた・・・っ」


 大人の人からこうも直球で謝罪などされた事が無かった私は、泣いていた事も忘れて必死で手振りも加えて、気にしていないという事を伝えた。ジェラードさんは、どう見ても30歳くらいの落ち着いた真面目そうな人だし、こんな人に謝られると、逆に私が悪い事をしているような気持ちになってしまう。


「そ、それより、ミ、ミル、ネルネルネルネ・・・ちがっ、ミルナー・・・さんは?」

「ああ、アカネ殿、あなたは優しい人だな。あんなバカの事を案じてくれるとは。心配めされるな、あれは身体だけは丈夫にできてある」


 その言葉が聞こえた訳でも無いだろうが、ガラガラとテーブルの残骸を身体からどけつつ、立ち上がるミルナーの姿が見えた。


「おー、痛てぇ。おい、兄者、俺が死んだらどうすつもりだ。本気で殴ったろ、今の」

「本気でなくて、どうやってアカネ殿への詫びと出来るのだ、馬鹿者が。そして、その程度で死ぬようなら、陛下の幕下には必要ないわ」

「ひでぇ。おい、まじひでぇよ、この人」


 平気そうに立ち上がりつつも、頭からはダラダラと血を流しているミルナーとジェラードの姿に、私は妙におかしくなってクスリと笑ってしまった。


「お、笑ったな。よし、笑えるじゃねえか、という訳で、これで、前にお前にお漏らしさせちまったことはチャラに・・・」

「だから、お前は、そういう事言うなと言っとるんだろうがっ!」


 ドガッという、重い、こちらにまで響くような音と共に放たれたジェラードさんのボディブローを受け、声を上げる事なく崩れ落ち、ミルナーは、今度こそ本当に動かなくなった。


「その、本当に申し訳ない、アカネ殿。こんなだが、こいつも本当にあなたに謝りたいとは思っていたようなのだ」


 言いながら、ジェラードさんは、ゆっくりと私に近づいてくると、すっと、小振りな紙袋を差し出した。


「こ、これ・・・は?」

「どうぞ、開けてみてくだされ。あの馬鹿からの詫びの品のつもりだったようだ。先程殴る際にも必死にかばっていたようでな。まぁ、そのせいで額がぱっくり裂けておったがな。ふっはっは」


 いや、笑い事じゃないと思うのだが。ちらりとミルナーを見たところ本当にピクリとも動かないし。

 まぁ、良い。故人の想いには答えなければなと、私は手渡された紙袋を開いた。


「それが、お気に召す物であると良いのだが。そう、それと、言い忘れておったが、実はこやつには、ネストール殿不在の間、アカネ殿の護衛に付くよう命がくだっておってな。何ほどの危険があるとも思えぬが、護衛と対象者に不理解があってはいらぬ問題の種ともなろう。重ねて、どうかこやつめを許してやって欲しい」


 中に入っていたのは、アップルパイだった。

 ほんとうにずっと後ろを付いてきていたのか。


「・・・はい」

「そうか、恩に着るアカネ殿。では、俺はこれで」


 洗練された動作で私に一礼すると、ジェラードさんはミルナーを引きずって、食堂の外へと出ていった。そのせいで思いきり破片やら血やらが散乱してしまっているが、一体誰が掃除するんだろうか。

 いや、そんな事より、いい加減お腹が減って死にそうだ。私は、涙の後をごしごしと片手で拭ってから、がぶりとアップルパイにかじり付いた。



「マロン味・・・だと?」


 この世界にアップルパイは無いのかもしれない。





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