その68
「こいつ・・・!」
忌々しそうに吐き捨て、ミルナーが素早く短剣を手離してハクジャの上から体を起こす。
そして、よく見えるようになった彼の胸元を目の当たりにして、私は再び息を呑んだ。
毒の短剣は確かに彼の胸に突き刺さっているのだが、奇異なことに刃の周りの肌にぽっかりと穴が開いていたのだ。まるで、短剣の刃を避けるかのように開いたその丸い穴は、今も少しずつ広がっているように見える。
出血も無く、刃との隙間から僅かに浅黒い内部を見せるだけの何とも不思議な傷口。
それを私やミルナー、そしてネストールさんもが息を詰めて注視していると、更にあり得ない事が起こった。
カランと、金属音を響かせて短剣が地面に落ちたのである。
つまりそれは、短剣がハクジャの体を貫通したという事で、埒外の事態に私は思わずふらりと、彼の方に足を踏み出した。
が、すぐさまそれは横合いからネストールさんに押しとどめられて、直後にミルナーの驚愕に満ちた声が続く。
「何なんだ、こいつは・・・」
ただならぬ声の響きに、私はネストールさんの腕を避けるようにして、ハクジャの体、胸元の傷口の方に目を凝らした。
短剣が抜け落ちたせいで、完全な円を描く傷口が僅かな明かりの元に晒されている。
しかし、予想したグロテスクな光景などは無くて、丸い傷口の内部は完全ながらんどうだった。
そこには、血も、筋肉も、骨すらも見えず、唯一見えたのは、トンネル状に開いた背中側の穴から覗く地面だけだった。
まるで、卓球に使うピンポン玉にライターの火を近付けた時のような、あまりにあっけなく開いた穴。
その中には何も無くて、でも、少し目線を引けばそれが人体である事は確かで、見れば見るほど違和感だけが広がっていく。そして、当の本人であるハクジャは、素知らぬ顔で起きあがろうとさえしていた。
彼が不可思議な存在である事は承知していたつもりだったけれど、こうまで人間離れしていたなんて・・・。
「この通り、脅しも無駄だ。脱出路を案内してやるつもりもない。諦めるんだな」
胸元の丸く開いた穴の前でヒラヒラと手を振りながら、ハクジャはしっかりとした足取りで立ち上がって口を開いた。。
穴の向こうには対面の壁が見えて、見事なイリュージョンを見せられた後のような、乾いた溜息が口から漏れる。
「くそっ、バケモンが!つまり、あれか、脅されるのは俺らの方だってことか!?」
毒づきながら、ミルナーが短剣を拾い上げて、傍の壁に力任せにガツリと突き刺す。
その音に視線を向けると、刃がほとんど見えないくらい深く刺さっていて、こいつも人間離れしているなと、私は一歩、彼の方からも距離を取った。
「脅す?そんなつもりはない。今見せた通り、この体はハリボテだ。本体から僅かばかりの生命を吹き込まれた、いわば風船のような物。心配しなくとも、風船の空気が自然と抜けるように、3日もすればこの体は朽ちるだろう」
「本体から・・・?それは、つまり、上で見た貴方と、眼前の貴方は別人であるという事ですか?」
「物理的な意味では別と言えるが、意識、人格という意味ではココにしか存在しない。よって、精神的にはオレこそが本人と言えるだろう」
眉をしかめたネストールさんの問いに、ハクジャは自分の額の辺りをコツコツと叩きながら答えた。
すると、壁の方で俯くようにしていたミルナーが、勢いよく振り返って強い口調で言った。
「はっ、んなもん、どっちだって良い。要は、俺達に選択肢は無いってこったろ?3日でお前が死ぬって事は、俺らが迷わずこっから出るには、3日以内にお前の目的とやらをクリアした上で道案内を頼むしかねえ訳だろうが!」
「本体の寿命は無限に近い。時間制限という意味ではその限りでは無いが、だが、概ねそう思って貰って良いだろう」
「あのな・・・」
そして、鼻筋に皺を寄せて、まさしく今最高にイライラしています、可能ならすぐにでも髪の毛を逆立てて穏やかな怒りとか自分への怒り的なもので目覚めたいですといった風情で、ミルナーが耐えきれないとばかりにハクジャに歩み寄って言い放った。
「そういうのを、俺ら人間の間では脅すって言うんだよ、このバケモンが!」
そして、その言葉の勢いのままハクジャを殴りつける。
漫画のように大きく数メートルを吹き飛ぶが、堪えた様子もなく、彼は表情すら変えずにすぐさま起きあがった。唇が切れたのか、ほんの少しだけ口元に滲んだ血を、一応、といった感じに拭うハクジャを見て、ミルナーが「そこは血が出るのかよ、意味わかんねえ」と、投げやり気味に吐き捨てた。
そんな一触即発、というか発しちゃった状況に私があわあわと戸惑っていると、隣で考え込んでいた様だったネストールさんが場を沈めるべく言葉を発した。
「ミルナー、落ち着いてください。彼の言う目的、そしてそれに関する説明がまだです。この内容次第では、脱出が容易なものになる可能性だってあるのですから」
「正気で言ってんのか?こんなバケモノが他人をハメてまでやろうっていう事だぞ?簡単な訳がねえだろうが!」
「それなら、4日、彼の食料がいらない事から最大6日、上に居た姫様達や外部からの救助に期待して、ここ待ち続けてみますか?」
皮肉げに返されたネストールさんの言葉にミルナーがぐっと詰まった。
彼も既に気付いているのだろう、この状況から脱出するにはハクジャに協力する他無いという事に。
ただ、なし崩し的に騙されるような形で結論が出つつある事に納得がいかなかっただけだ。ぎりぎりと、拳を握りしめながらも、理解が及ぶごとにゆっくりとその怒気を沈めていく。だが、ようやく落ち着きつつあった状況に待ったを掛けたのは、今度もハクジャだった。
驚くべき事に、唇はもちろん、既に胸元の傷口も塞がりつつあった彼は、ゆっくりとこちらに歩みを進めながら口を開いた。
「救助を待つ、というのはお勧めしかねるな。これを見てみると良い」
そして、おもむろに腰に巻いた毛布の中に手を突っ込んで何かを取り出す。
って、どっから取り出してんの!?
いや、その格好だと収納スペースってそこしか無いんだろうけどさ!?
と、慌てふためく私の目の前で、ハクジャはひょいと手にした物をミルナーに放り投げた。
見事にキャッチする彼を見て、私は色んな意味で自分に投げられなくて良かったと胸をなで下ろす。
「なんだ、こりゃ?銀、いや、ただの鉄か?それにしちゃ随分重いが・・・」
「こ、これは・・・!ちょっと、貸してください」
受け取った大きめのメダルのような物を怪訝そうに確かめていたミルナーから、ネストールさんが奪い取るようにしてそれを手に取った。あまりの勢いにミルナーが唖然とする中、私もどれどれと横から覗き込む。
「あ、懐中・・・時計だ」
興味深そうにネストールさんが調べるうち、見つけたボタンを押すとパチリとフタが開いた。その下に見慣れた文字盤を見つけて私は小さく呟く。
すると、同じように手元をのぞき込んでいたミルナーが「何、それ?」とシンプルな疑問の声をあげた。
「その名の通り懐中に忍ばせる程に小型化した時計の事ですよ。それにしても、ここまで小さくて精巧な物は見たことがありません。以前、キエルナの技師に試作段階の物を何度か見せて貰った事がありましたが、それですら、ここまで小さな物は無かった」
キラキラと目を輝かせながら説明するネストールさんに、早くも興味を失いつつあるミルナーが「ほー」と気のない声を返した。
私としては見慣れた、というか、古くさくも感じる物だけど、イグラードの王宮ですら時計と言えば大きな柱時計に準じるような大仰な物しか見たことがなかったので、文明水準的に、ネストールさんが懐中時計に心惹かれる気持ちも何となく理解する事ができた。というか、新しい玩具に夢中な子供のようで何とも微笑ましい。
私は、状況も忘れて、しばし、手中の時計を裏返してみたりと検分に余念の無い彼の姿に見入った。
そして、そう言えばなんでこんな物をハクジャが?と疑問に思い始めたところで、ネストールさんが、「おや?」と不思議そうな声をあげた。
「これ、随分と時間の進みが早くないですか?・・・ふむ、やはり10秒程で長針が進みますね」
「・・・・・・」
再び彼の手元をのぞき込んでじぃと見ていると、確かに10秒くらいで、長針がコチリと動いた。
「壊れてんじゃねーの?つか、こんなもん見せてどうするってんだ?」
「故障では無い。それは正しく、ココの時間を示している」
すると、胡散臭そうに言ったミルナーに、ハクジャはやや憮然とした風に答えた。
そして、彼は少しの間視線を巡らせるようにして、再びミルナーのところに戻すと、ほんの少し、面白がるような口振りで問いかけた。
「なあ、ミルナーよ。お前達がアカネの身柄を引き渡して、それからここに助けに来るまでの期間はどの程度だった?」
「さあな。結構掛かったんじゃねえかな、オルランドの近衛連中の編入やら何やらで・・・どん位だっけ?」
「大体、5ヶ月程でしょうか。何よりドツイエへの手回しにかなり時間が掛かりましたし」
「ああ、あれな。しかし、ありゃ、傑作だったよな。あんだけ嫌ってた連中に、あのファーガソンの爺さんが頭を下げたんだからよ」
「それだけ、紫将軍もアカネ様には思うところがあったという事でしょう」
「まあな、アシュリーの旦那も妙に張り切ってたもんなあ」
私をレーマ教団に引き渡すかどうかを決める話し合いの席で、ファーガソン将軍やアシュリー将軍は国益を考えて、引き渡す事に積極的だった。そんな彼らが、私を助ける為の準備に尽力してくれていたと聞いて、何とも言えない気持ちになる。
だが、ここで考えるべきはそれについてではなくて、私に聞かせる意味もあったのだろう、心なし穏やかな感じに言葉を交わしていたミルナー達に聞き返した。
「ご、ごかっ、5ヶ月っ?」
思わず前のめりになってしまった私を、ネストールさんは手中の時計が大事なのかさっと横に避けた。
代わりにミルナーに頭の上を片手で押さえられて、「そうだ」と答える彼の胸の辺りを唖然として見つめた。
私がここに連れてこられてから、どんなに多目に計算しても1ヶ月も経っていない。
いくら日時の経過に鈍感になっていたとは言え、それにしたって実は半年近く経ってましたなんて事はないと断言出来る。
一体どういう事なんだと頭上のミルナーの手を払いのけると、再びネストールさんがいじくりまくっている懐中時計が私の視界に入った。
妙に長針が進むのが早い時計。
でもハクジャは故障では無く、正しくここの時間を示していると言う。って、まさか・・・。
「アカネよ、お前がここに来てからは20日と少ししか経っていない。一方、そこの2人はここに来るまでに5ヶ月を費やしたと言う。つまり、それがオレが『救助を待つ』という選択を勧めない理由だ」
「・・・・・っ」
「この『無限回廊』の時間の流れは外よりも早い。しかもその比率は一定では無い。お前たちが此処で数日助けを待つとして、外で経つ時間は数週間、或いは数ヶ月に及ぶかもしれないからな」
私と、それにネストールさん達も、ハクジャの言葉に動きを止めて聞き入った。
ここと外では時間の流れが違う。明らかに異常な事だが、事ここに至っては異常さが際立つという訳でもない。許容は出来る。
けれど、もし、仮にだけど、さっきの私の例で言うと、ここで5日過ごすと外では大体25日位経っている計算になる。で、たぶん、それはオルランド反乱軍とイグラード軍との戦いに決着が付くのに十分な時間だろう。となると、リュカちゃんが反乱軍に貸したと言っていた兵のうち幾らかが帰ってくる事になる訳で、負け戦だったと仮定しても、それの数が10や20という事は無いだろう。迷宮じみた神殿にリュカちゃんやジェラードさん、それに多数の兵士が加わる事になるわけで、脱出が更に困難なものになる事は想像に難くない。
私が考え付くような事は当然、隣の彼も気付いているようで、深刻そうな表情を浮かべて手元の懐中時計に視線を落とすネストールさんを見ていると、脅されていると憤っていたミルナーの気持ちがやっと分かったような気がした。
そして、どう考えてみても、やっぱりハクジャに協力して目的とやらをクリアする以外に方策が思いつかない。
一度だけ長く息を吐いて、同じ結論に達したらしきネストールさんがハクジャに向き直って口を開いた。
「では、【雲母砂子】でしたか、その魔法についての説明と貴方の目的に関して、聞かせて頂きましょう」
決然と言い放たれた彼の言葉に、今度こそミルナーも言い返す事は無かった。




