その46
オルランド陥落。
その盟主たる大公本人からの言葉に、室内には重苦しい雰囲気が広がった。
さしものイグラードの面々からも言葉は無く、かろうじて誰かが漏らした「馬鹿な・・・」という声だけが私の耳に届いた。
それからは、この信じられない事態に誰もが一様に押し黙り、適当な言葉が見つからぬまま各人が思索に沈み込むのみとなった。
決して広くない室内は、今、衣擦れの音すら気になる程の静寂に包まれている。
そんな硬直と言って良い状態からいち早く脱したのは、流石に年の功と言うべきか、紫将軍であるファーガソンお爺ちゃんだった。
「それで大公閣下、メルヒオットらのその後の動きはどうなっておるんじゃね?」
「・・・それに関してはナルシン、余よりお前の方が把握しておろう」
突然沈黙が破られたせいか、それとも大公妃である貴人を呼び捨てにされたせいか、僅かの逡巡を見せてから、オルランド大公はアシュリー将軍を挟んで座るナルシンに件の説明を促した。
短く答えて起立するナルシンの方を見ながら、私は、他人行儀に大公妃と彼は言ったが、よく考えてみればそれは自分の奥さんの事だろうにと、やりきれない思いで再び顔を俯ける。
「現在、反乱軍はノルヴェージュ(オルランド公国首都)近郊に騎士大隊を中心とした遠征部隊の再編成を進めており、目下、それ以外の目立った動きは見せておりません」
「遠征・・・部隊ですと?」
そして、次に言葉を返したのはアシュリー将軍だった。
気難しげにしかめられた顔には、疑うような表情が浮かんでいる。
「はい。そして、つい先ほど、国際規定に基づいた正式な形で、貴国イグラードに対する宣戦が布告されております」
「何だと・・・っ!?」
このナルシンの言葉に対する反応は、先程とは違って劇的だった。
ミルナーは椅子を蹴り倒すように立ち上がっており、あのアシュリー将軍ですら傍らのナルシンに体を前にのめらせるようにして真偽を問いただしている。
一気に騒然となった雰囲気に私は慄くばかりで、先日試合で見た武人としての迫力そのままに繰り広げられる激しい論調に、思わず身を低くして耳に手をやった。
近くでがなり立てるようにあげられる男の人の大声というものが、ただ単純に恐くて、私は縮こまるようにして、ひたすら嵐が過ぎ去るのを待つ。
所詮は対岸の火事だと、どこか気楽に構えていたところに宣戦布告という報せだから気持ちは分かるのだけれど、恐いものは恐い。
そんな状況を沈めるべきジェナス王様は、腕を組んだまま静観を保っていた。
一文字に噛みしめられた唇からは自国の窮状に対する憤りが見え隠れするが、彼としても現状に対する是非はナルシンから確かめたいのだろう、彼を問いつめるアシュリー将軍を止める素振りは見られない。
「幾らオルランドの中枢を掌握したからといって、それから数時間だぞ?まだ自国内での体制も盤石でないうちに、イグラードへ攻め入る必要が何処にある!?」
「それは・・・分かりません。ただ、布告に関しては間違いのない事実。既に書状の方は紫将軍殿が検分されているようですが」
掴み掛からんばかりのアシュリー将軍からの問いに、それでも毅然と答えたナルシンは、ほぼ対岸に座るファーガソン将軍の方を目線で示した。
「・・・どうですか、ファーガソン将軍?」
「ふむ、間違いあるまいな。ほれ、連盟の印付きじゃ。しかしのう、兵は拙速を尊ぶというのは常じゃが、それにしてもこれは手回しが良すぎはせんかね、フンテラール大公閣下殿?」
何やら仰々しい肉厚の書面から顔を上げて、ファーガソン将軍は円卓の上のそれをトントンと指で叩きながら言った。
「どういう意味だね、それは?」
「どうもこうも無いわい。メルヒオットめをかつぎ上げた連中の狙いは、それこそオルランドの掌握そのものじゃったろうが、かの妃自身の狙いは最初からイグラードにあったのではないのかの?」
「・・・・・・」
棘を含ませたファーガソン将軍の言葉に、大公は無言のみを返す。
そして、険悪となりつつあった両者の間に挟まれたのは、ネストールさんの静かな声だった。
「それは違うと思いますよ。ファーガソン将軍」
それまで静観に徹していた彼の初めての発言に、老将軍からは続けろと言うような目線が寄越される。
「彼女の狙いはイグラードでは無く、イグラードにいる大公とカイト殿下のお命だと、私は考えています」
ネストールさんの言葉に、室内にはどよめくような声が僅かに響き、大公からは短く「その根拠は・・・?」と聞き返される。
「幾つかありますが、使節団にまだ年端も行かないカイト殿下ご自身が随行されていた事。これが一番大きい。聞けば、彼の実母、大公の側室であらせられるファン・アーレ殿は病に伏せっておられて余命幾ばくも無いとか。そんな状況で、賢明な閣下が、実務に関わった事も無い幼い殿下を異国へと連れて行かれるでしょうか?」
とうとうと続けられる彼の言葉に、私も、確かにそんな状況の息子をあの親馬鹿の大公が連れていくイメージは無いなと思った。そして、あの明朗快活な殿下にそんな深刻な事情があったなんてと驚いていると、対する大公からは即座に呆れたような声が返された。
「次期大公としての見聞を広げる為だ。それに、その言い方では余がメルヒオットに狙われている事を知っていたようではないか」
「いえいえ、ご存じだった筈です。彼女が夫である閣下と殿下を狙っている事はもちろん、軍部が近日中に反旗を翻す事も含めてね」
「・・・その根拠もあるのかね?」
睨むように返す大公の言葉に、ネストールさんは懐から紙束を出すと、隣のミルナーに投げてよこした。
「それは和平条約条項文の写しの一部です。ミルナー、その赤線のところを読んで頂けますか?」
「お、おう。えーと、『尚、両国の間での互いの繁栄を願い、有事の際にはその国主、或いはそれに準ずる者の求めに対して可能な限りの援助を申し出る事。但し明確な理由がある場合は、その埒外とする』・・・って、おい、これって」
取り乱すように紙面から顔を上げるミルナー。
それって、つまり、イグラードとオルランドのどちらかがピンチの時は、その王様とか大公の言う通りに、残った片方が助けてくれよって事だよね。和平を結んだって事だし、私には至極真っ当な文に思えるけれど。
「ええ、ミルナー。それは、今の状況だと些かまずいんです。オルランドは陥落したとは言え、正式な盟主である大公はここに居る。それに準じる者である殿下さえもね。そして、そうなれば、和平を結んだイグラードとしては、大公達に手を貸さざるを得ない。本来は、メルヒオット妃の狙いである大公と殿下の身柄をあちらに引き渡せば丸く収まる状況だと言うのにです」
「・・・・・・」
愕然とした空気が、沈黙を保つ大公を除いた室内に満ちた。
確かにそうだ。大公の奥さんの狙いが夫と息子の命にあるのなら、彼らさえ渡してしまえばイグラードを攻めようとする理由は無くなる。でも、それはつい3日前に決まった条約の中で禁じられていて、その手段を取る事は出来ない。もちろん人道的にも取れない手段だとは思うのだけど、でも、それを踏まえた和平条約、そして殿下と連れたっての使節団だったとしたら・・・。
そこで私は、はっと、広間前での光景を思い出した。
あの、大公が漏らした「ぎりぎり、間に合ったという事か・・・」という呟き、あれは「和平条約締結が、ぎりぎり、クーデターに間に合った」という意味だったのでは無いだろうか?
そうだとすると、大公はネストールさんの言う通り、妻である大公妃の叛意知っていて、それから身を守る為にイグラードと和平を結んで利用した、という事になる。
「私達を使って、政権の奪回でも目指されるのですか?それとも、全面戦争に持ち込んで共倒れを待ちますか?」
そして、皮肉げに笑いながら問われたネストールさんの言葉に、室内のすべての人間が固唾をのんで、大公の答えを待った。
「・・・そうだとしても、やはり断定するには根拠が弱くはないかね?」
「事はそういう段階をすぎていますよ、閣下。現在置かれた状況が全てを物語っています。そして今、問題なのは、閣下が一体イグラードの力を使って何をされるつもりか、という事です」
「ふふ、軍師ネストール。やはり見抜くなら貴殿だろうとは思っていたが。左様、言うとおり、余は不忠の者共の叛意を予期しておった」
その言葉に、ジェナス王様の方から大きく息を吐くような音が聞こえた。同じ為政者として信じられない言葉だったのだろう。冷静に推移を見守っていた彼の口元が、ぎりりと音を立てて噛みしめられる。
「だが、それは、オルランドの陥落を、という意味ではない。元来、和平派だった余と軍部との折り合いは悪かった故な。彼奴らの不満はその動きを含めて把握しておった。まあ、メルヒオットめについては、我が身の不徳のいたすところとしか言い様が無いが」
「つまり、不忠の輩を御すのに不自由は無かった、と?」
「そうだ。だが、この一月あまりで情勢が劇的に変わった。強力なレーマ教団からの介入で国内の勢力図が根本から入れ替わったのだ。故に、本来は余の私兵である直属の近衛までもが、自由に扱う事が難しくなっていたのだ。あのデ・ヨンクとかいう痴れ者を、貴殿もよく覚えていよう?あれはレーマ教団が寄越した間者のようなものよ」
間者・・・って割には目立ち過ぎてたけど。
でも、一国の主である彼が逃げの手しか打てない程に影響力が奪われていたのはよく分かる。
「それで、さきほどの軍師殿の質問だが、余としては何もするつもりは無い」
「・・・どういう事ですか?」
「何もせずとも、事態は収拾するからだ。ナルシン」
怪訝そうに皆が見つめる中、大公はナルシンに指示を飛ばして、先程ファーガソン将軍が手にしていたような立派な作りの書状をネストールさんの方へと持ってこさせる。
「それには概してこう書かれておる。『イヴェルド、及びドツイエとの窮境の際に、策謀を巡らせた黒幕を差し出せ』とな」
「・・・・・・」
書面を無言で確認しながら、ネストールさんは読み終わったそれを傍らのミルナーに手渡す。
そして彼もまた、読み終えると隣に座る私へと手渡そうとするが、「こいつは無理だな。だって可哀想な子だから」という顔を浮かべて、そのまた隣のジェラードさんへと書状を手渡した。
書状を受け取るべく伸ばした手をどこに収めようかと私が悩む中、他の皆は順に中身を確認していく。
「おそらくは、それがレーマ教団としての目的だったのだろう。そして、その条件を満たせば、一切のオルランド反乱軍への援助を打ち切るとある。つまり、ネストール、貴殿の身柄を指し渡せば、全ては落着する、という事だ」
その言葉に、私は咄嗟に違うと言い出しそうになるが、隣に座るジェラードさんから無言のままに左腕を掴まれて、驚いてその動きを止めた。
そして、僅かに顔を起こすと、隣のジェラードさんはもとより、アシュリー将軍や王様、ミルナーからもちらりと諫めるような視線が寄越される。
「お言葉ですが、閣下。その条件に従ったとして、レーマ教団が確かに約束を守るとは限らないのでは?」
「貴殿も確認して分かっていようと思うが、その書状もまた連盟を通した国際規約に沿ったものだ。その拘束力に関しては貴殿らの方がよく存じていると思うが?」
「・・・・・・」
再び、無言を返すネストールさん。
彼は決して私の方を見ようとはしなかった。
ミルナーを挟んで手を伸ばせば届くような距離にいるが、彼は大公からの提案を噛みしめるようにして口を閉じ、一切の助けを拒絶するようにしてそこに立っている。
そんなネストールさんの横顔を見た私は、確かにその瞬間には後悔などあり得ない名案だと思えて、気が付いた時にはガタリと席を立って口を開いていた。
「私・・・行きますっ」
あ、私、ちゃんと喋れてる!
って、そうじゃなくて、私、何でこんな事言ってるの・・・?




