その27
私は今、王宮の図書館に通い詰めている。
図書館は、宮殿の奥、既に自室と言える貴賓室の並ぶ区画から歩いて数分程の距離にあった。蔵書の保存の為からか、半分地下に埋まったような立地で館内は驚く程ひんやりとしており、どちらかと言えば暑がりの私には、トイレに続く快適リラクゼーション空間と言えた。
ちなみに、今更ながらに自覚する事となった訳だが、この世界の文字は問題無く読むことが出来た。
どういった作用からか、言葉があれだけ問題なく通じているのだから、当然文字も大丈夫だろうと、何の根拠もなく思っていたのだが、どうやらそれは当たりだったようだ。一見、達筆が過ぎたかなの書のように、のたくった線の集まりにしか見えない本のページ。しかし、目を通すうちに不思議と意味が読み取れ、分からないけど分かるという、その妙ちきりんな感覚にも、図書館に通い初めて2週間が経つ今となっては完全に慣れる事が出来ていた。
あれから、2週間。
その間に色々とあった。
私は、書架の連なりを壁にしてうまい具合に出来た死角に、ひょいと身を忍び込ませる。
ネストールさんからBダッシュで逃げ出した日から、2週間の間に、ドツイエ共和国との緊張状態は彼国が軍を退いた事で落ち着き、オルランド公国との和平に関しても、一昨日、大公本人を含む200人からなる大使節団が到着し、条約の締結に向けて順調に推移しているようだ。
そんなオルランドの使節団には、大所帯という事で離宮が丸々割り当てられる事になったようだった。この区画から滅多に出ない私は彼らに会う事は無く、何とは無しにほっとした。
そして、もっと重大な出来事もあった。
ジェラードさんが意識を取り戻したのだ。
面会謝絶が解かれたのはつい4日程前のこと。
術後の経過も良好という事で、ミルナーに案内されて訪れた病室の寝台には、「見苦しい姿で申し訳ない、アカネ殿」と笑うジェラードさんの姿があった。
久方ぶりに見る彼は、ガウンぽい薄手の病人服に首を固定するギプス、そして左目には眼帯と、実に痛々しい姿で、私は病室に入るなり、嬉しさと悲しさからわんわんと泣いてしまった。
しかし、翌日に見舞いに訪れた時には、ジェラードさんは既にリハビリに取り組んでおり、そのあまりのタフネスぶりに今度はポカンとなって、私は思わず笑ってしまったのだった。
「そう言えば、今日もそろそろ時間だな」
ジェラードさんは首に大怪我を負ったせいで、左半身に麻痺が残っており、運動機能を取り戻すには毎日のリハビリが欠かせないのだそうだ。しかし、そのリハビリというのは、やっている方からすると見られたくないものだそうで、私はリハビリが始まる少し前の、夕方辺りにお見舞いに行くことに決めていた。
図書館内は半地下という事もあって、やや薄暗い。
採光も考えられた構造ではあるが、陽の光陰るこの時刻となると流石に読書には厳しく、読みかけの本を背もたれとしていた書棚に戻し、「よっこらせ」と気合い一発、私は根を張り掛けていた腰を上げた。
「おばちゃん、そんなところで何してるの?」
「・・・!?」
立ち上がり掛けた中途半端な体勢のまま、私は、いきなりディスってきた声の方へと視線を向けた。
林立するバリケードの如き書架の一つ、本と本の隙間からこちらを興味深そうに窺う子供の姿が見て取れる。
ぐるりと書架をまわって、私はその子供の前に立った。
年齢は6、7才くらいだろうか。ハチミツ色の真綿のような髪に、仕立ての良さそうな白いシャツが映える、可愛らしい男の子だった。
さすがにその位小さい子が相手だと、私でもちゃんとした会話が可能だ。
私は、毅然とした態度でその男の子を注意する事にした。
「ごめんなさい。おばちゃんは勘弁してください」
ちゃんと頭も下げた。
すると目の前の男の子は驚いたのか、目を白黒させている。
ふふん、自分から見たら大人な人に真っ向から正直に謝られたら案外戸惑うものだ。どうだ、少年、驚いたか!
「え、あ、あの、ごめんなさい。その、よく見えなかったから」
「うぐっ」
すると、今度は男の子の方が、素直に謝りだした。
正直に謝られると案外戸惑うものなのだな。
しかし、いつまでも謝罪合戦を続けていても仕方がないので、私は巧みに会話を誘導してみる事にした。
「あの、ご、ご趣味は?」
「えっ、しゅみ?好きなことって事?」
「そうそう。後、年収と持ち家があるかも・・・って、ちがっ」
私は、自分の会話スキルがゼロに近かったことを思い出して、大いに慌てた。
が、心根の良い子供なのだろう、目前の男の子はそんな私を見上げて、真剣に答えを考えている様子。
「んっとね、今はこれが大好きなんだ。せんぎばんって言うんだよ」
そう言いながら、男の子は、片手に携えていた分厚い本にも見える木製の箱のような物を私に指し示した。
そして、「ちょっと待ってね」と地面に置き、二つ折りになっていたそれをパカリと展開する。
「あ、戦擬盤」
「そうだよ。せんぎばん。僕、これ大好きなんだ。おねーちゃんはやった事ある?」
「え、うん、あるよ。お友達に凄く上手な人がいてね、教えてもらったの」
地面に座り込んで嬉しそうに手元の盤を指し示す男の子に、私は膝を折って、ジェラードさんに教えてもらった時の事を思い出しながら答えた。
「ほんと!?じゃあ、僕とやろうよ!ね?」
「え?っと、うーん・・・」
そして、教えてくれた人であるところの、ジェラードさんのお見舞いの時間である事も思い出した私は僅かに逡巡するが、うるうると期待に満ちた目で見上げてくる男の子の健気さには勝てず、「じゃあ、一回だけね」と首を縦に答えたのだった。
ところで、皆さんは対戦物のゲームは得意だろうか?
細かなルールや対戦キャラクター毎の細かい対策までもが必要なシビアな物。
大らかなルールに、逆転の要素がそこかしこに転がるパーティ的な物。
普遍的ルールで、頭脳と勝負勘をゆっくりと時間を掛けて巡らせるカードゲーム的な物。
等々、色々とあるが、私は、全てが不得意だ。
思えば、お正月に集った親戚の同年代の子供達には哀れみの目しか貰った事がないし、コソ練(こっそり練習)してギャフンと言わせてやると勢い込んで買ったムック(攻略本)は、キャラクター紹介を読んだだけで満足した。遂に隣に住む良子ちゃんには「あなたは対戦ゲームをやってるんじゃないの。接待ゲームをやっているのよ」と言われた。
そんな勝ちに無縁な私が、自分が容易くゲームで勝てる機会を得たらどうなるだろうか?
答えは、目の前にある。
はっと気付くと、戦擬盤を挟んだ正面に、「もうやめたいよ、帰りたいよぉ」と泣きむせぶ男の子の姿が目に入った。
一体何があったのかと、自分の記憶を辿ると、容赦の無い戦法で男の子を叩きのめした事が思い出された。
それも何度も。嬉々として。
周囲を見渡してみれば、遠く見える窓の外はすっかり陽が落ちており、図書館入り口に灯されたランプの光が、私を咎めるかのようにゆらゆらと照らし出している。
「ご、ごめんね・・・」
「うわーんっ、だって、あんなのひどいよ、僕の騎馬兵になんのうらみがあるんだよぉ」
「いや、あれは・・・」
男の子の指摘に、私は、すぐ思い付く事が出来た。
何度かあった、すぐに決着のつく展開の試合。
だけど、その時の私は常に優勢に進むゲームの楽しさに心奪われ、その至福が少しでも長く続くようにと、男の子の騎馬兵を守る駒を少しずつ削いでいき、なぶるように倒していったのだ。実に大人げなく。
そうして、慰め様もないままに、私が泣き続ける男の子を扱いかねていると、図書館の入り口近くがにわかに騒然とし出した事に気付いた。
それは、どうやら誰かを探す声のようで、しきりに何かしらの名前を呼ぶ声が館内に響きわたる。
「ナルシン!ナルシン!」
すると、その呼び声に反応して、それまで泣くだけだった男の子が立ち上がって大声をあげた。
向こうの方でも気付いたのだろう、徐々にこちらに複数の足音と喧噪が近付いてくる。
スライド式の書架を押し退けてやって来たのはラフにフロックコートを着こなした短髪の男性だった。腰には剣を刺しており、その立ち居や雰囲気から、位の高い軍部の人のように思われた。
彼は男の子の姿を目にするやいなや、すぐさま駆け寄り、今度は安心して泣き出した男の子の背中を優しく撫でて慰めた。
「ご安心を、カイト様。私めが来たからにはもう安心ですぞ」
「・・・っく、うん、ナルシン。ありがと」
そんな心温まる光景に、良かった良かったと頷いていると、それまで優しげに細められていた男の目が、ギロリと鋭く私に向けられた。
「して、そなたは何者だ?どのような意図でカイト様を拐かした?」
「ぇ・・・?」
懐に抱くようにカイトと呼ばれた男の子を下がらせると、男、ナルシンは、半身の体勢になり腰の剣に手をやった。
身の危険を感じ、助けを求めて辺りを見渡すと、イグラードでは見かけない意匠の甲冑を身につけた兵士さん達が、自分を取り囲んでいる事に気付く。
「この時期のイグラード宮内で、オルランド大公フンテラール様のご子息を狙うとは、天晴れというべきか。それとも他の狙いがあるのか。隠せば身のためにならんぞ、女?」
えっと・・・。これって、凄くまずい誤解を受けているのでは・・・。




