その22
唐突だが、私は今、トイレに居る。
大体において中世の西洋に準じた科学技術らしきこの異世界、当然、そこでのトイレとなると良いイメージは沸かない。飛ばされてきた当初が、野営地での簡易トイレ、というかただの囲いがあるだけの穴だったので尚更である。
が、実際はと言うと、ここが王宮の貴賓室である事もあるのだろうが、何と水洗トイレだったのだ!
構造としては簡易水洗式便所に近いのだろうか?
いたした後の水流は手動(備え付けの水瓶から自分で)に寄るもので、便器には便槽との間に開閉する弁のような物があり、いわゆるポットン便所(汲み取り式)のように穴から色々丸見えで悪臭等が云々という事は無い。仕組みには地下水脈の一部を利用しているとも聞いたので、やはり元の世界における水洗トイレに近いのか?とも思うが、詳しい事はよく分からない。
分かるのは、自室用にと振り分けられた、この10畳はあるだろうだだっ広いトイレが存外に清潔で、リラックス出来る空間だったという事だ。
自室もそうだったが、「落ち着かねー!」と思っていた広さや豪華さにも、時間が経たてば案外慣れるもので、日本なら適当なキッチンさえ付ければ広めの間取りの1K(但し真ん中に便器)と銘打って賃貸情報誌に掲載出来るだろう広さのトイレも、今では私のリラクゼーションポイントとなっていたのだ。
許されるなら、ずっと一人で自室に引きこもっていたいメンタリティな私である。この、「用を足すという正当な理由から籠もってます」という感じが実に落ち着くのだ。
自室に籠もるとなると、仮病だとか色々と理由付けが必要で、なんとなく後ろ暗い。だが、トイレに籠もるのには特別な理由が必要ない。つまり、堂々と引き籠もれるのである!(多分、伝わらない)
ともかく、何かと他人の目が気になる私にとって、この清潔なトイレは、数少ない私が一人で落ち着ける場所なのだ。いや、落ち着ける場所、だったのだ。
今は、もう、落ち着けない。
何故かと言えば、3メートル程先でダイアーさんが、こちらをじっと見ているから。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
不躾にならない程度に、遠慮してくれませんかね?という視線を飛ばしてみるが、ダイアーさんの表情は変わらない。視線の火力的には、コンビニでケシカラン系の雑誌を立ち読みしているファッションセンスに自分と良く似た欠落を感じるタイプの男性を即刻立ち退きさせられる程のものだった筈だが、ダイアーさんは物ともしなかった。
「・・・あ、あの」
「何かご用でしょうか、アカネ様?」
「い、い・・・え」
「そうですか」
「・・・・・・」
ダイアーさんの物腰は常と変わらず穏やかで、その口調や表情も、人嫌いの私でも思わず心が和むような柔らかなものだった。場所がトイレでさえ無ければ。
私は今、トイレ中央の便座(陶器製)に腰を落としている状態で、身動きが取れない。対するダイアーさんは、いつの間に侵入したのか、正面のトイレ出入り口脇に姿勢良く立っている。
当然、私としては早急に出ていって貰いたい。だが、いつもは事細かに私を気遣ってくれるダイアーさんであるのに、今は全く私の意思を拾ってくれる気配が無かった。
「・・・・・・」
こうなっては、受け身のままにダイアーさんの退去を願っていても仕方がない。
トイレは確かに落ち着ける場所だったが、私は、落ち着く為だけにここに座っている訳ではないのだ。事態は急を要する。
「で・・・で、出て、出てこいや!ちがっ、出ていってく、ださいっ」
若干、状況的にも意味が通りそうな元プロレスラー的言い間違いを含みつつ、私は何とかダイアーさんに嘆願した。
ちなみに、現在は興行家としての活躍が目立つこの元プロレスラーの人、一度は断られた奥さんへの再告白の時に、「1000回スクワットをしたがそれでも諦められなかった」と言い募った事で相手が折れたらしいのだが、正直、意味が分からない。
「それは致しかねます、アカネ様」
「な・・・んで?」
「私は、反省したのですアカネ様。侍女として、そして武官としての経歴から護衛役でもあった私が、アカネ様から一時でも目を離した事を。今後はあのような失態が無き様、片時もお側を離れず、アカネ様をお護りする覚悟でございます」
「・・・・・・」
清々しい表情で、決意表明をするダイアーさん。
状況が許せば感動しても良かった。色々と自分がしでかした事に思うところもある訳だし。
しかし、繰り返すが、今は急を要する。
差し迫った危機感は、某殺人機械が追ってくる映画風に表現すると、タンクローリーの爆発炎上に巻き込まれて、さすがに倒しただろうと思っていた敵が、金属骨格のまま不気味に迫ってくるところであり、安心と緊張の緩急織り交ぜた下腹部への波は、そのリズムを大幅に早めていた。
「ぉ、おね、がい・・・」
「アカネ様、丈の長いイブニングドレスやフープスカートが主流の国では、御不浄の場にて侍女がお世話をする事は普通にある事なのです。ですから、どうか、私の事はお気になさいませんよう」
「・・・・・・っ」
それはイグラードじゃ普通じゃないって事でしょ!?というか、私のドレスはあなたが選んだ子供用だから丈短いじゃない!?
と、色々言いたい事はあったのだが、私がそれを口に出せる訳も無く。
すると、表情を白黒させる私をさすがに見かねたのか、ダイアーさんはすぐに言葉を付け足した。
「それにアカネ様、この位置からは見えませんので、大丈夫です」
「・・・・・・」
確かに見えないかもしれない。
見えないかも知れないけれど、でも、聞こえるじゃない?
「・・・・・・」
そういった主張を込めて、必死に目線に力を込めるが、ダイアーさんは穏やかにその場に立つのみで。
かくして、時間は過ぎ、限界は訪れた。
ああ・・・。
「ダイアー、あなた、やりすぎですわよ」
自室の扉越しに、キャンベル姫様の声が聞こえてくる。
「申し訳ありません、姫様、つい楽しくなってしまって」
「運動音痴のアカネが凄い勢いで走っていたものだから、一体何事かと思いましたわ」
どうやら、トイレから一目散に走り出た所を目撃されていたようだ。そんな姫様にダイアーさんが恭しく対応する。
「はい、そのままご自分のお部屋に閉じこもってしまわれて。こういう事をしたかった訳では無いのですが」
「まあ、護衛の強化は大切だとは思いますわ。ああいう事があったのではね」
昨日の誘拐騒ぎの事。
キャンベル姫様も含めて、主立った人達には昨日のうちに顛末は知らされている。が、基本的には無かった事とされているので、姫様の言い様もやや胡乱である。
「ともかく、アカネの様子は私が見ておきますわ。あなたは仕事に戻りなさいな」
「・・・はい、仰せのように」
不承不承という感じの返事が聞こえてから、足音が一つ遠ざかっていった。
「さて、アカネ、聞いているんでしょう?ドアを開けなさい」
その姫様の声に驚いて体を揺らせた私は、くっつけるように近づけていた耳を、頭ごと思い切り扉にぶつけてしまう。
そして、その衝撃でつっかえ棒が外れ、自然と扉が開いてしまった。
「っ・・・つつ」
「・・・何をやっているんですの、あなたは・・・」
頭を手で押さえながら痛みに呻く私を呆れた様子で見下ろすキャンベル姫様。しかし、すぐに私に近づくと、頭上の手をそっと撫でて、「でも、本当に無事でよかったわ」と微笑んだ。
それから、姫様手ずからの紅茶タイムを自室で楽しんだ。
言葉少ない私を詮索する事もなく、ひとしきりお茶を味わい終わると、キャンベル姫様は私の心情を察してくれたかのように中座の意を表した。「ダイアーには、すこし遅れて戻るように言っておきますわ」と笑いながら立ち去る姫様に、私は自然と頭を下げたのだった。
という訳で、私には一人でじっくりと考えたい事があったのだ。
トイレに行ったのも半分はそんな理由からで・・・いや、トイレの事は忘れよう。うん。
無闇やたらと大きい枕を背もたれに、私はベッドの上にだらしなく寝そべった。
考えたかった事、それは昨日の誘拐騒ぎを経て気付いた事。
すなわち、もしかしたら、「この国、或いはこの世界の人は魔法の利用方法を制限されているのではないか」という事だった。
以前からおぼろ気にはあったその疑念が、ここに至って確信めいてきたのには当然理由があった。
昨日の午前中、私はネストールさんに連れられて兵士さんの訓練風景を視察していた。その中でウェルベック君と合流し、魔法を使って軽く遊んだりもしていた訳なのだが、その隠れんぼ的遊びの中で、彼らは私の発案から「写し身」で周りの風景を写してその後ろに隠れるという鬼畜な振る舞いを私に披露していた。カメレオンの擬態以上に見事に風景にとけ込んだ彼らを私が肉眼で発見出来る訳もなく、結局延々と鬼をやり続けるハメになって泣きそうだったのだが、それは置いておくとして。
重要なのは、彼ら魔法を使える2人は、その時点で、自在に周囲の視界から己の身を隠す術を知り得ていたという事。
しかし、数時間後、私を救出する際には、その術である「写し身」は使わなかったという事。
結局、彼らは、人質救出の際にしばしば愚策と称される、正面突破という策を取った。
それは、ミルナーという戦力に余程の自信があったからだろうか?
または、攻城兵器の使用で敵陣の混乱が十分に予想出来ていたからか?
はたまた、時間的制約からか?
けれども、極端な話、ミルナーが戦う間に私が殺される可能性もあった訳で、救出を第一と考えるなら、正面突破の前に、まず潜入なりをして私の身柄を確保してから・・・というのがベターだった筈だ。
そして、その潜入に最適の術である「写し身」があるにも関わらず、彼らは使わなかった。知謀を謳われるネストールさんとウェルベック君が揃って、最大でも12時間程前に見たばかりの現状打破に最適な方法を取らなかった。
もはや、異常である。
そして、その原因と考えられるのは、ほぼ間違いなく、あのテキスト。
魔法の才の暴発を防ぐ為に、広く普及し、国家単位で管理がされている、あの教科書もどき。
使用法を見聞きする限り、あれは恐らく一定以上の生活を営む家庭の人間には、全て利用されている。
母子共に命を落とす可能性がある胎内の赤子の暴走を防ぐために妊娠段階で使用されているという事は、つまりは事故予防の為に、魔法の才の有無に関わらず使用されている訳で。
そして、そうやって育った人間達には、すべからく、魔法を利用、運用する際に制限が掛かっている。
確か、あまりに効果が微少なので、魔法だけを専一に扱う兵科が無いと言ったのは、いつぞやのジェラードさんの弁だったと思うが、よくよく考えれば、そこからして既におかしい。私の思いつきが発端とは言え、あのイグラード山での火事、火計とも言うべき作戦は、どうやって行われたか?ネストールさんが率いる魔法の使い手である弓兵が、魔法の力だけで行ったのではなかったか?
つまり、あのテキストは、100年だか前に誕生して以来、この世界の人間達の魔法の使い方に、発想段階から制限を掛けていると推測出来る。
「でもなぁ、確証は無いんだよねぇ」
ネストールさんはテキストの構造は解明されていないと言っていた筈だ。テキストを使用していない魔法が使える人と、使用している人との比較実験なんかが出来たら分かりそうなものだけど、それにしても時間が掛かるだろう。
それに、そういった事をやろうと思っても、私が誰かに意図をうまく伝えられるかというと、正直無理である。
そう考えると、ネストールさんに伝えるしか無いのだろうけど、でも、そうなると、彼は問答無用で、今まで以上に遠慮無く私を利用しようとするだろう。
だって、推測が当たっているなら、私は、この世界で唯一、魔法をうまく使わせて戦わせる事が出来る人間なのだから。
現在、イグラードが陥っている、何だっけ、ドツイタロカワレ?とかいう国との窮状にも、もしかしたら私の発想がうまく使えるかもしれない訳だし・・・。
「駄目だぁ。とにかく、あと一月くらいはある訳だし、それまで・・・」
無かったことにして寝続けよう!と、私があくび混じりに決心を固めていると、どんどんと、些か乱暴に、自室の扉がノックされた。
「アカネ様、いらっしゃいますか!?」
「ひ・・・っ」
何故か思い切り飛び上がって、姿勢を正して正座で着地する私。
いや、待て、恐れる必要は無い。ダイアーさんだし、もうあんな悪ふざけはしない・・・よね?
と、おそるおそる立ち上がって、私が扉を開くと、そこには青ざめた表情のダイアーさんが立っていた。
よほど急いで来たのか、いつも綺麗に纏まっている前髪が、汗で額に張り付いてしまっている。
「お、落ち着いてお聞きくださいね」
「・・・?」
「ジェラード将軍が、先程、宮殿に運び込まれました。・・・重体だそうです」




