その19
終わってしまった今日一日の回想に、ぎゅっと瞑っていた目を開いてみても状況が変わっているという事は無く、私は、小汚い壁材剥き出しの小屋の中で、みの虫状態で転がったままだった。
腕を前に持ってくる事すら不可能な身動き出来ない状況に、根元的な恐怖心が再びこみ上げてくる。
ぐぎりと、猿ぐつわに歯を食い込ませながら、それでも平和な現代日本に生きる女子高生であった私は、心の何処かでは事態を楽観していた。
ひとつには、誘拐は割に合わないという考えから。そしてもうひとつは、仮にも自分が、一国の王直々の客人扱いだったという事実から。つまりは、すぐにでも、その目前の鉄の扉が蹴り開けられて、ファンタジーにおける正しいお姫様像よろしく救出される確率は極めて高い訳である。多分。
そんな事を考えながら、誘拐時に嗅がされた睡眠薬的なものの余韻に頭を振るっていると、私の願望が叶ったかのように、鉄の扉がガシャリと開かれた。
「部屋の外に出す。暴れたら殺す」
助かったと、期待に胸膨らませて見た先には、若干、お姫様を助ける役柄にはふさわしくない強面の男が立っていた。というか、有り体に言って「趣味は殺人です☆現場で手を汚すタイプです♪」と言われても全く驚けないだろう悪人面の男だった。そして、何故か、腰に差している斧には血がこびり付いていた。
私は即座にコクコクと了解の意だけを表しながら、考える事を放棄した。
ガチガチに硬直して震える私を意に介することなく、その強面男(血塗られた斧装備)は、後ろ手に縛られた腕ごと縄を引っ張りあげて私を立たせると、そのまま引きずるように歩き出す。
直接体に触れられている訳ではないが、縄を手に身動きの主導権を握られながらの強面男(斧の血はまだ半乾き)との移動は地獄への歩みとしてしか感じられず、引きずられるような体勢のまま、解体されるとしたら何処からなんだろうと考える頃には手の震えが止まらなくなっていた。
薄暗くどこまでも続くように見えた通路は、実際には数メートル程で突き当たり、幸いにも数分と掛からず、強面男(呼吸音までがそれっぽい)との移動は終わりを告げた。
「入れ。暴れたら殺す」
どこの自治区的名称の獄長?と尋ねたくなる程に低い声で強面男(強面とは言ったが、実は顔は怖くて一度も見ていない)は告げると、扉を開けて私の背中をどんと一突き、乱暴に部屋の中へと案内した。
うまくバランスを取れない私がたたらを踏んで、壁に手を突いて何とか転倒する事だけは防いでいると、部屋内にいた別の男から声があがった。
「おい、ヘスキー、丁重に扱えと言ったやろ?」
「丁重に扱った。殺さなかった」
「いや、そうやのうて・・・って、まあ、ええ。飯の支度続けてくれ、ええ加減、腹減ったわ」
「分かった。鳥、絞めてくる」
扉を閉める音を鳴り響かせると、ヘスキーと呼ばれた強面男(斧の血はどうやら人間の物ではなかったようだ)は、ツカツカと足音を響かせて去っていった。
離れていく気配に、ほぉと、息を付いていると、部屋の中にいた男がこちらに近付いてきた。落ち着きかけた私の呼吸が再び過呼吸っぽい不穏なものになる。
「っと、そう慌てなさんなって。嬢ちゃん、そのままじゃまともに歩けへんやろ?これから足の拘束と猿ぐつわは外したる。せやから、じっとしとるように。それから、叫んでもあかんで。ええな?」
「・・・・・・」
入り口近くの蝋燭に照らされたその男は、スキンヘッドだった。それもタトゥー入りの。
私が何よりもまずその迫力に驚いて呆然としていると、それを了解の意としたのか、棒立ちになっている私の足下に身を屈め、ナイフで縄を切り解いていく。そして猿ぐつわも外され、私は久しぶりの解放感に深呼吸を数度繰り返した。
多少の状況の改善にほっとしつつも、私は警戒を改めるべく眼前のスキンヘッド男に注視した。丁度、彼は、私から外した猿ぐつわを口にしようとしているところだった。私の唾液でベタベタになった布切れを・・・。って、ぎゃーっ!
「ひっ、き、きゃ・・・っ」
キモっ!キモイ!
ゾワッと背筋を走り抜ける悪寒に体を振るわせながら、しかし、自分を主張する事に対する常の恐怖から、痴漢に遭っても叫べない派(但し遭ったことはない)であるところの私が大声で泣き叫ぶ事も出来ないでいると、目前の変態から陽気な声が掛かった。
「いやいや、冗談やって、冗談。しかし、えらいな嬢ちゃん、約束通り叫んだりせんかった。いや、感心や」
ケラケラと笑うと、スキンヘッドの変態は、ぶら下げるように持っていた猿ぐつわを、ポイと部屋隅の屑入れへ投げ捨てた。
「こういう確認てな、意外と重要なんや。俺らみたいなモンに命がけで抵抗するような嬢ちゃんか、はたまた従順にある事を受け入れる嬢ちゃんか。それで待遇も売り先も選ばんといかんからな」
軽くそう告げると、スキンヘッドは、部屋中央にあるテーブルセットのソファに座り、私にも「まあ、座りや」と席を勧めた。
私は、言われた言葉について緊張で回らない頭の中で考えながら、じりじりと、ソファの方に歩みを進めた。
そして、目の前の男を警戒しながら、しかし決して目線は合わせないように、私は腰を下ろす。
って、ん?何か、聴き逃せない重要な事を言われたような・・・。
「う・・・うり・・・坊」
「そうそう、猪の幼少期の呼び名でな。ちょっと黄色っぽい色で、木漏れ日の下では保護色めいた働きをするんやでって、ちがうわ!売り先やろ!」
「・・・・・・」
私は愕然とした。
いや、指摘し忘れていた関西弁の存在にではなく。思わずありがとうと言いたくなるノリツッコミに対してでもなく。もちろん、この世界にいる猪は元の世界と同じっぽいという発見に対してでもなく。
誘拐云々と私は先述していた訳だが、しかし、人身売買が普通にまかり通っている世界なら、どうなるだろう?
その辺にいる人目の付かない道を敢えて選んだお馬鹿をさらって、さっさと売り先に売り払う。その売るルートが確立しているなら、この犯罪は割に合わないどころか、かなりお手軽な割に合う犯罪になる訳で。
それまでどこか楽観していた私の心が、ガラガラと音を立てて崩れさった。
「ナイスボケや。嬢ちゃん、意外と余裕か?って、そうやないみたいやな」
「・・・ぅく・・・」
ほろほろと、流れ出す涙が止まらない。
「まあ、安心しいや。見たところ、嬢ちゃんは上流の出やろ。確か宮殿辺りで捕らえたんやったか?そういう育ちのええ女は需要が高いんや。それに、子供や。そこそこええ環境の好事家はようけおる。暮らしぶり自体はそう変わらんと思うよ?まあ、ちょっと薄着になってまうかもしれんけどな」
ケラケラと、スキンヘッドは軽薄そうな笑い声を響かせた。
もはや、子供と言われた事に対する怒りすら沸いてこない。
誘拐という犯罪が成立易しなこの世界の状況、加えて、黙って王宮から抜け出た事から発見が遅れるだろう私の失踪の事実。
それらから、間近に突きつけられた絶望的な未来に、私は、ただ震えながら涙を拭い続けた。
「・・・それにな、嬢ちゃんを売った金で救われる奴らもおるんや。貴族が民を救う麗しい図っちゅうやつや」
泣き続ける私を見かねて、という訳でも無いだろうが、スキンヘッドの声音に慰めめいた気配が色付いた。
「なんや、嬢ちゃん、何も知らん言うような顔しとるな。・・・おうおう、不細工な顔になりおってからに。これじゃ、どこにも買い取って貰えんで。ったく・・・」
「う、ぷ・・・」
疑問に感じた私のしゃくりあげる間隙を縫って、スキンヘッドは素早く私を上向かせると、ぐいと胸元から出したハンカチを私の顔に押しつけた。一瞬、触れられた事にビクリと肩が揺れるが、それ以上私に何かする気力はなく、そのままぐいぐいと力任せに顔を拭かれた。
「これやから、お貴族様っちゅうやつは・・・。ほんまに何も知らんのやからなあ。ええか、嬢ちゃんを売った金はテキストを買う為に使われるんや。それで、さっきおったヘスキーの女房と腹のガキは助かるし、俺らの町の奴らも助かる」
「・・・・・・」
テキスト。
奇しくも、今日知ったばかりの、魔法を覚える為のアイテム。それを使う事で魔法の才能の暴発を防げるとか。
スキンヘッドの言葉を信じるなら、それでお腹の中にいる赤ちゃんの魔法の暴発も防げるという事か。確かネストールさんも出生率に関わると言っていたが、こういう事だったのか。でも、確かテキストは国が管理している筈では無かったか?現代日本的な思考で考えると、それは無料とか格安で提供されるイメージがあるが・・・。
「なんや、その目は?言いたい事があったら、ちゃんと言いや。ったく、これやから貴族っちゅうやつは・・・」
「・・・くに・・・わ?」
「くに?国やと?はっ」
鼻をすすりながら、何とか口に出せた私の疑問の声は、吐き捨てるようなスキンヘッドの声でかき消された。
「何年飢饉が続いた思とるんや?その上戦続きで増税三昧。そんなんでな、幾ら安かろうと払える銭も尽きるっちゅうねん。ここら、首都はどうか知らんけどな、辺境の農村部でまともにテキスト買えてる奴なんぞおらん。個人登録やら何やらで貸し借りもできひんしな。こうやって無理矢理金作るしかないっちゅう訳や!」
ドンと、叩きつけでもしたかったのだろうが、投げたのは私の涙やら鼻水的な物を内包したハンカチで、少し間抜けにテーブル上を滑ると、ぽろりと床上に落ちた。それに自嘲めいた笑みを浮かべて、スキンヘッドは、再びソファに深く腰を埋めた。
「・・・っちゅうことでな、ま、嬢ちゃんの犠牲は無駄やないっちゅう事や。それに、まあ、金稼ぐだけっちゅう意味なら他にも手はあった。せやから、嬢ちゃんは俺らを恨んでええ。そういうの、分かった上で、俺らに売られたってんか」
「・・・・・・」
頷く事など出来る筈も無かったが、私はようやく収まってきた涙を拭いながら、今の顔は相当ヤバイ事になってるんだろうなと、鼻をすすった。
そして、話しは終わりとばかりに、スキンヘッドは視線をそらすと、一言、「ヘスキーのやつ、飯遅いなあ」と呟いた。




