第一章 就任
その通知が届いたのは、九月の第二週だった。
日本心臓外科学会、次期会長就任のご依頼について。封筒は厚く、宛名は毛筆だった。中に、理事長名の文書と、就任にあたっての職務の一覧と、返信用の封筒が入っていた。
私は、それを三度読んだ。
三度読んで、机の抽斗を開けた。二段目に、一年前の封筒が入っている。副会長就任の打診。返答の期限を過ぎたまま、誰にも回収されなかった紙だ。
二枚を並べて、しばらく見ていた。
一年前、私はこの椅子を失った。世間が私を人殺しだと言い、学会が距離を置き、若い医者が二人、私のもとを去った。理事は丁寧に、時期を見たほうがよろしいかと言った。
その同じ学会が、いま、一つ上の椅子を差し出している。
――順番が、おかしいのではないか。
そう思いながら、私は返信用の封筒を手に取っていた。
返信用の封筒に宛名を書いてから、私はもう一度、抽斗を見た。
底に、もう一枚あった。
学会の事務局から、年に一度送られてくる集計である。会員の診療実績を、施設別・術者別にまとめてある。私の頁に、通算の症例数と、生存退院数が印字してあった。
生存退院、四一一八。
この数字を、私は毎年見ている。見て、何もしない。数えているのは学会であって、私ではない。
四千を越えたのがいつだったかは、覚えていない。越えた日に何かを思ったかというと、たぶん何も思わなかった。数字は、増えるときには黙って増える。
今年は、ペンを取った。
余白に、四一一八と書いた。その下に、四と書いた。横線を引いて、四一一四と書いた。
引いた四人が誰であるかは、書かなかった。書く必要がない。
この紙は、学会が印刷して、学会が配ったものである。四一一八は、学会の数字だ。
四一一四は、私の数字である。
私は、その紙を抽斗の底に戻した。上に、二通の封筒を重ねた。
抽斗を閉めると、三枚とも、見えなくなった。
私に電話をかけてきたのは、あの理事だった。
「先生。まず、お詫びを申し上げなければなりません」
声が、震えていた。演技ではないと思う。この人は、そういうことのできる人ではない。
「昨年の一件で、学会は何もしませんでした。あれは、我々の恥です。若い連中から、突き上げがありました。証拠もない記事一本で、この国でいちばんの外科医を切り捨てるのか、と」
「もう済んだことです」
「済んでおりません」理事は、そこで少し声を強めた。「先生。これは、私どもの罪滅ぼしではありません。学会が、二度と同じことをしないための、けじめです」
私は、その言葉を聞いていた。
罪滅ぼしではない、と言う人間は、たいてい罪滅ぼしをしている。そして、それは悪いことではない。人は、そうやって自分を許す。私も、そうしてきた。
「お受けします」と、私は言った。
断る理由を、私は三つ考えた。
一つ。あの一件は、まだ終わっていない。世間が忘れただけで、疑いは消えていない。会長になれば、疑いは大きな的になる。
二つ。私には、時間がない。年に四百件の手術を続けながら、学会の職務を果たせるとは思えない。
三つ。私は、その椅子に座る資格がない。
三つとも、断らない理由に化けた。
的が大きくなるなら、それだけ守りも厚くなる。時間は、誰かに任せればいい。資格については――資格のある人間だけが椅子に座る世界を、私は見たことがない。
人は、欲しいものの前では、そういう頭の使い方をする。
就任の会見は、十一月の学術集会の初日に行われた。
壇上に上がる前、控室の鏡で身なりを確かめた。ネクタイは、家内が生きていれば選んでくれただろう。私に家内はいない。三十年、そういう相手を作らなかった。作れば、いつか説明しなければならなくなる。
会場は、千人以上入っていた。
この学会に、私は三十年通っている。若いころは、いちばん後ろの席で人の発表を聞いていた。前のほうに座るのは、名前のある人たちだった。あの人たちの多くは、もう鬼籍に入っている。
二十年前、私はこの壇上で初めて発表をした。八分の口演だった。手が震えて、原稿を持つのがやっとだった。三十人ほどが聞いていて、質問は一つも出なかった。
その二十年後に、私はここに立っている。
前会長の紹介があり、私が壇上に立った。拍手が長かった。去年、私を的にした人間も、この中に何人かいるはずだ。いま、その人たちも拍手をしている。
私は、短く述べた。
この国の心臓外科は、世界のどこにも劣らない技術を持っている。だが、その技術を必要とする患者の何割かが、いまも手術を受けられずにいる。引き受け手がいないからだ。難しい症例を、誰かが引き受けなければならない。それを、若い医者が引き受けられる仕組みを作りたい。
三分ほどの挨拶だった。拍手が、また長かった。
降りてきたところで、記者に囲まれた。医療系の専門紙が三社、一般紙が二社。カメラのフラッシュが光った。
一人が、こう訊いた。
「先生。昨年の、その、報道について。いまはどうお考えですか」
会場が、少し静かになった。
私は、その記者の顔を見た。若い男だった。訊くべきことを訊いている。悪くない記者だ。
「事実ではありませんでした」と、私は言った。「ただ、私はあの件で、報道を恨んではいません。書く人がいなければ、隠す人が得をする。それは、医療にとってもよくない」
その一言が、翌日の紙面に載った。見出しは、こうだった。
――新会長、報道への恨みなし。「書く人がいなければ、隠す人が得をする」
悪くない見出しだと思った。あの記者は、うまく切り取った。
祝賀会は、ホテルの宴会場だった。
こういう場所が、私は昔から苦手だ。人の顔と名前が一致しない。相手はこちらを知っているのに、こちらは知らない。そういう瞬間が、一晩に何度もある。
外科医というのは、本来、そういう能力を必要としない職業だ。眠った人間の胸を開いて、直して、閉じる。相手が誰であるかは、手術には関係がない。
だが、この椅子に座る以上、それでは済まない。
二百人ほど来ていた。挨拶に来る人間の数を、私は途中から数えるのをやめた。名刺は、五十枚以上受け取った。
その中に、財前恭一郎がいた。
医療法人グループの理事長である。全国に三十を超える病院を持つ。この人が動けば、この国の医療の一割が動く。
「黒木先生」と、財前は言った。手を差し出してきた。「おめでとうございます。私も、今回は少し力を貸させていただきました」
私は、その手を握った。乾いて、大きな手だった。
「ありがとうございます」
「いや。先生のような方が上に立つのが、この業界のためです」財前は笑った。「若い連中は、すぐに理屈を言う。現場を知らずに、制度がどうの、安全がどうのと。……先生は、現場の人だ」
「先生。うちのグループは、病床の稼働率が九十四パーセントです」財前は、そこで少し声を落とした。「日本一ですよ。空いているベッドが、一つもない」
「たいしたものです」
「ええ。たいしたものでしょう」
九十四という数字を、私は覚えた。覚えるつもりはなかった。数字は、そういう入り方をする。意味のわからないまま、頭のどこかに残る。
その言い方が、耳に残った。
この人は、褒めている。だが、褒め方の中に、何かが混じっていた。何かとは言えない。ただ、三十年、人の顔を見てきた人間の勘だ。
この人の名前を、私は知っている。
医療法人グループの創業者。三十を超える病院。全国で二万人を雇っている。医療政策の会議には、必ず名前が挙がる。
同時に、別の話も聞いたことがある。あのグループの病院で、人が死んでいる、という話だ。人員配置を削りすぎて、看護師一人あたりの受け持ちが法定の限界に張りついている。夜勤帯に急変が重なると、手が回らない。
噂だ。数字は出ていない。訴訟になったものは、和解で終わっている。
「財前理事長も、お体は」
「ああ、それがね」財前は、胸のあたりを軽く叩いた。「そろそろ、先生に診ていただかんといかんかもしれん。近いうちに、ご相談させてください」
その夜、私はタクシーで帰った。
窓の外を、街の灯が流れていった。ネクタイを緩めて、シートに沈んだ。
この二十四時間で、私は千人の前で拍手を受け、二百人と握手をし、五十枚の名刺を受け取った。
その前の一週間で、私は九件の手術をした。うち三件は、他院が断った症例だった。九十二歳の弁膜症。三度目の開胸。感染した人工弁の入れ替え。
三件とも、生きて退院する見込みだ。九十二歳の人は、来週には歩けるようになる。
九十二歳の人は、手術の前に、一つだけ希望を言った。
ひ孫が、四月に小学校へ上がる。その入学式に出たい、と。
四月である。いまは十一月だから、四か月ある。
四か月なら、間に合います。私は、そう答えた。
答えてから、それが約束の形になっていることに気づいた。外科医は、約束をしてはいけない。三十年、そう思ってきた。
その同じ手が、四人を殺している。
――いや、五人か。相馬を数えるなら。
数え方が、いつも定まらない。そのことに、私はもう慣れた。
新村が、私を待っていた。
病院に寄ったのは、翌日の朝の手術の準備を確かめるためだ。日付が変わっていた。医局に灯りがついていて、そこに彼がいた。
「先生。おめでとうございます」
「なぜ、いる」
「明日の症例の、確認をしていました」
机の上に、資料が広げてあった。手術の手順書と、画像と、想定される合併症への対応。すべて彼が作ったものだ。私は指示していない。
手順書には、私の癖まで書き込まれていた。この場面で私が何を求めるか。どの器械を、どの角度で渡すか。第一助手として、二年で覚えたことが、そのまま文書になっている。
私が書くとしても、ここまで細かくは書かない。書けないからだ。自分の癖は、自分では見えない。
「これは、明日の朝でよかった」
「そうですね」
彼は、それだけ言って、資料をまとめはじめた。端と端を、きっちり合わせて。
私は、その手つきを見ていた。この二年、何度も見た手つきだ。
「新村。おまえ、飯は」
「食べました」
「何を」
彼は、少し考えるような顔をした。それから、こう答えた。
「……コンビニの、パスタです」
私は、思わず笑った。この男が、何を食べているかを、私は初めて訊いた。三年一緒に手術をして、初めてだ。
「いつも、それか」
「たいてい。作るのが、面倒で」
「一人か」
「ええ」
彼は、そこで初めて、少しだけ表情を変えた。困ったような、照れたような顔だった。私は、この男のそういう顔を見たことがなかった。
「先生。ぼく、実は」
「なんだ」
「金魚を飼っています」
私は、彼の顔を見た。
「金魚」
「三匹います。去年の夏に、祭りで掬ったやつが、まだ生きていて。……意外と、死なないんですね」
彼は、それだけ言うと、また資料の端を揃えはじめた。
私は、しばらく黙っていた。
この男には、部屋がある。そこに水槽がある。毎日、餌をやっている。それは、そうだ。人間なのだから、生活がある。当たり前のことだ。
当たり前のことを、私はこの三年、一度も考えなかった。
この男が、朝、何時に起きるのか。休みの日に何をするのか。親はいるのか。恋人はいるのか。何も知らない。
訊いたこともない。訊く必要がなかったからだ。手術室では、そういうことは必要ない。
だが、この男は、手術室の外でも生きている。そこには、水槽がある。
「先生」と、新村が言った。「学会長になられて、手術は、どうされますか」
「減らすつもりはない」
「よかった」
彼は、そう言った。心の底からそう思っている、という言い方だった。
「なぜ」
「先生の手術を見られなくなるのは、困ります」新村は言った。「ぼくは、それを見るために、ここにいるので」
その言い方に、含みはなかった。事実の報告だった。
ぼくは、それを見るために、ここにいるので。
医者が病院にいる理由は、普通、患者だ。この男は、そう言わなかった。
言い間違いだろうと、私は思った。この男は、そういう間違いをする人間ではないのだが。
だが、私は、なぜかその一言に、少し落ち着かなくなった。
医局を出るとき、私は振り返った。
新村は、まだ資料に向かっていた。灯りの下で、背中を丸めて、細かい字を書き込んでいる。明日の手術は、私の執刀だ。彼は第一助手に入る。それだけのために、日付が変わってもここにいる。
――献身、という言葉が浮かんだ。
浮かんでから、私は、その言葉を打ち消した。献身は、相手が誰であるかを問わない。この男が向けているものは、そうではない気がした。
何が違うのかは、言えなかった。
病院を出ると、雨が降りはじめていた。
傘を持っていなかった。タクシーを拾うまでの三十歩ほどを、私は濡れて歩いた。
濡れながら、私は自分の一日を数えていた。就任。拍手。二百人。財前恭一郎。そして、金魚を三匹飼っている男。
悪くない一日だ、と思った。
――同じ時刻、医局の灯りは、まだ消えていない。
新村健吾は、手順書の余白に、明日の手術とは関係のないことを一行書いている。行の頭が下がっていて、机の上のどの紙の字より小さい。
書き終えて、彼はその紙を三つ折りにした。端と端を、きっちり合わせて。文字が、外を向いていた。
――その日の午後、警視庁に、一通の封筒が届いている。
こちらは、文字が内側を向いていた。
黒木誠は、まだ知らない。
(第一章 了)
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(更新:毎日8時投稿予定)
隠岐群青




