2-2 光る爪の女
その日、夕月は翔吾と外で食事をとっていた。以前約束した、キラキラの「スースーする」メイクで。
「翔吾!久しぶりじゃーん!」
「……んだよ、触んな。」
その声は、喧騒の中で酷くはっきり聞こえた。 ケバケバしく飾られた指が彼の腕に絡みつくのが見えた。
──触らないで 。
反射的に出かかった言葉を寸での所で飲み込んだ。
だって彼が、本当に困った顔をしてたから。
「あれぇ、今そういう感じ?いいよね、だって翔吾だし。」
彼女は夕月をチラリと見ながら、構わずに話し続ける。
「また遊ぼうよ。その子地味っぽいし、どうせ何にもしてくれないでしょ?」
翔吾の肩にしなだれかかり、わざと卑猥に唇を舐めて見せた。
──その人を侮辱しないで。
「やめろって。何しに来たんだよ、お前。」
声が出そうになった時、翔吾の押し殺した声がそれを遮った。明らかに怒っていた。
「は?つまんな。……馬鹿じゃん?」
不愉快そうに言い捨てて、女は去っていった。
それを確認した翔吾の目に微かな陰が映ったのを、夕月は見逃さなかった。
「悪い。嫌だったろ。」
「……今の人、本当に翔吾に用があったんじゃないの。」
「夕月」
「いいから、……ちゃんと待ってるから。」
本当は行ってほしくなかった。でも、その背を押さないといけないと思った。
「……悪い。」
「おい。杏奈。」
翔吾が店を出ると、彼女は所在なさげにネオンに照らされて、巻き髪の毛先を弄っていた。
「なに?別に用なんかないし。あんたがあんまり幸せそうだったから、ムカついただけ。」
「お前、まだ、……1人でいんのかよ。」
ひくりと杏奈の喉が鳴るのが聞こえた。
「……馬鹿じゃん。関係ないよ。」
杏奈との関係は比較的長く続いた物だった。我儘で奔放で面倒で、1人で夜を越せない女だった。
連絡が来ればその部屋に赴いたし、こちらから呼びつけることもあった。
彼女なんてものじゃなかった。それは恋でも愛でもなく、ただ身体の凹凸を埋めるだけの日々だった。
それでも確かに、自分たちの間で何かが埋まっていたのだと、今ならわかる。
もう一度「馬鹿じゃん」と呟いて、杏奈は翔吾の顔を見ないまま去って行った。
翔吾は煙草を取り出して一本咥えた。彼女が消えた路地を見つめて呟く。
「……ライター置いて来ちまった。」
夕月は1人おしぼりを弄っていた。
翔吾がいないと、店内の喧騒が大きく聞こえて、意識を逸らそうとすると、あの人の声が脳内に響いてくる。
「だって翔吾だし」「どうせ何にもしてくれないんでしょ」
好かれてるって思う。そんなの私達には必要ないって。
でも、翔吾には私じゃ足りないのかも。
空っぽの灰皿の脇に、彼がいつも手放さないライターがぽつんと置き去られていた。
それがなんだか、彼の心が置いてあるみたいで、信じて待とうと思った。
不意に外気が吹き込んで夕月の前髪を揺らした。 いらっしゃいませと声をかける店員に軽く手を上げて、翔吾が真っ直ぐ戻ってくる。
「悪い。待たせた。」
「……ライター、忘れてったでしょ。」
謝りながら腰掛ける翔吾に、ライターと未使用の灰皿を滑らせる。
「吸っても良いんだよ?」
きっと煙草が吸いたいんじゃないかと思ったのに、翔吾は薄く笑ってライターだけ手に取った。
「…もう、いいの?」
夕月の問いに翔吾は答えなかった。 ただ、ぱちんとライターの蓋を開けて閉めた。
「……馬鹿って、言いやがった。」
翔吾は悼むような声でそれだけ呟いた。 ライターを弄ぶ彼の手に夕月は自分の手を重ねた。
「馬鹿だね。」
今はそれで充分だった。




