3-1 翔吾の好きな色
ある土曜日の昼下がり。ふたりはラグの上で雑誌を眺めながらデート先を考えていた。
夕月は少し屈みこんで、ページをめくる。
翔吾は斜め向かいから彼女の動きを見ていた。
何気なく、無意識に。
たわんだTシャツの襟ぐりから、薄い水色と、それに包まれた谷間が覗いた。
「あ。」
つい声を出した瞬間、夕月がふっと動きを止める。顔を上げて翔吾を見つめ、その視線の先を確認した。
「……ねえ」
「ん?」
「今、見たでしょ」
翔吾はあからさまに言葉を詰まらせた。
そして僅かに視線をそらしながら、低く答える。
「いや…だって、見えるもんは見えるし……お前、別に今さら恥ずかしがるような仲じゃねぇだろ。」
夕月は胸元を抑えてすっと背筋を伸ばす。自分も不注意だったと思うのか、怒りはしない。ただ、頬がほんのり赤くなっている。
「それは…そうだけど、それとこれとは別でしょ…。見えるような服の時は見る前に言ってくれるのが親切じゃない?」
「いや、ラッキーって思った。」
「す、素直すぎる…。」
ラグの毛足が、ぺたんと座った夕月の膝下にまとわりついている。
女の胸元なんて見飽きる程見た筈なのに、夕月にだけ心が動くのが自分でも不思議だった。
「じゃあ次、そのTシャツ着る時は俺の上着貸すな。」
「え、なんで?」
「見えすぎるから。俺しか見えないようにしとく。あとマーキング。」
「……翔吾の奴じゃ大きすぎるよ。」
翔吾の冗談に苦笑する夕月にわざと顔を寄せて囁く。
「じゃあ夕月が自分で気をつけられるようにもっとはっきりマーキングしとこうか。」
「ぜ、絶対だめ……!!」
外出の準備をしている夕月が、白いシャツをきっちり着込む。
襟元までボタンを留めて、髪もすっきりと後ろにまとめていた。
翔吾は部屋の隅で、ライターをいじりながら、その姿をちらっと見る。
目に入ったのは、昨日とは対照的な襟元。
「……今日は、見えねぇな」
夕月に聞かれないように、ぽそっと呟いた。
別に見えないことが残念なんじゃない。
夕月が多分見られた事を意識している。それに少し、心が満たされる。
ラグの上に夕月が座って、バッグの中身を確認していた。
翔吾は斜め後ろから屈み込んでそっと言った。
「ボタン、いつもより一個多く留まってんじゃん」
夕月はすぐに悟ったようだった。
昨日、ふとした拍子に襟元を覗かれたこと。
「たまたま!今日はこのブラウスなだけ!」
翔吾は笑いながら、ほんのり赤くなった夕月を見下ろした。
「今日も襟ぐりの広い服だったら、キスマだらけにしてやろうと思ったのに。つまんねぇな。」
ビューラーが飛んできた。
「あぶな、これ高い奴って言ってなかった?」
「壊れたら翔吾に買ってもらうから!」
ぱっと立ち上がって早足で玄関に向かった夕月が、靴を履く為に座り込む。
照れた声のままでぽつりと呟いた。
「……他の人に見せたくないの、翔吾だけじゃないから。」
翔吾は「わかってる」と笑った。
「でも今日はうなじが見えすぎだな。」
夕食後の片付けを済ませ、夕月はまたゆるめのTシャツでソファのクッションに甘えていた。
ちょっと身体をずらした拍子に、翔吾の目にふと入った色。
「……それ、新しいやつ?」
言葉にした瞬間、夕月のちょっと睨むような視線。
「それ。俺、好きな色。」
静かになった部屋。
夕月はクッションを胸に押し当てたまま、顔をそらす。
「……そういうの、ダメって言ったじゃん。」
「違うんだって。言うつもりなかったのに、口が勝手に……」
言い訳すると、夕月が小さく息を吐いた。
「……好きな色なの、知ってる。」
「え、知ってて買ったの?」
沈黙は雄弁だった。
翔吾はラグに手をついて夕月のそばへ寄った。
「…俺専用ってこと?」
夕月はクッションに身を伏せたまま答えない。
耳が赤くなってきて、その裏側にぽつっと小さな黒子があるのが見えた。
「…ゆーき。…俺が好きなの、その色だけじゃなくて。お前の肌も、昨日も、今日も。全部併せて好き。」
夕月はクッションの端からちらっと翔吾を見た。ぷぅっと子どもの様に頬を膨らませる。
「……じゃあ、次は“好きな色”って言う前に、ココア淹れて」
「ココアと一緒なら見てもセーフ?」
「ううん、普通にダメだけど……でも、ちょっとは許すかも。」
翔吾は笑いながらキッチンへ向かう。ココアの粉を手にとりながら夕月に聞こえるように呟いた。
「どうせならもっと堂々と見せてくれりゃ良いのに。」
その日夕月は1人で頭を抱えていた。
目の前には友人一同と差出人の書かれた包みと添えられたメッセージカード。
『夕月と迷い犬くんへ♡』。
商品タグにはナイトウェアと書いてあるが、どう見てもパジャマではない。
真紅のベビードールのセットアップ。しかもフロントオープン。
先日友人と出かけた際に、「もうすぐ誕生日なんだよね」と口を滑らせた事を思い出した。
誰の?と聞かれなかったことに安堵して、その日はそのまま忘れてしまった。
──まさか、こんな物が届くなんて。
夕月がいつもの趣味と違う下着を選んでいた時からきっと気付いていたのだろう。
「友人一同」の顔を思い浮かべて、最後に浮かんだのは、こういう事にやたらと鼻が効く「迷い犬」の顔だった。
「か、隠さなきゃ…!」
見つかったらきっと酷い目に遭う。
そうなる前に多大な心の準備が必要だった。
翔吾の誕生日当夜は2人で穏やかに過ごした。少しだけ気合を入れた夕食と手作りのプリン。
仕送り生活で高価なプレゼントは用意できなかったが、彼は喜んでくれたと思う。
特別な物はなにもなくても幸福を感じる時間だった。
そして今夜。夕月はそわそわしていた。お風呂の後、あのベビードールを身につけて、ちょっと迷って寝巻き代わりのパーカーを着た。
ベビードールだけで彼の前に出ていくことはとてもできなかった。
セットのショーツは脇がリボンになった、所謂「紐パン」で、身動きする度に解けないか、滑り落ちてしまわないかと心許ない。
「夕月さぁ、」
翔吾の何気ない声掛けに飛び上がった。
「なんか今日変じゃね?」
「べ、別に…。」
「嘘つけ。あんまり飯も食ってなかったろ。ずっとそわそわして、なんか隠してる事あんじゃねーの。」
夕月は黙り込んだ。
確かに、ご飯も控えめにした。夜、気持ち悪くなるといけないから。まさか気付かれているとは思わなかった。
派手な下着を着て、体の準備までしているのを自覚すると、凄く「そういう事」を期待しているみたいで恥ずかしい。じわっと頬が熱くなっていくのが自分でわかった。
夕月を見つめる翔吾の目が面白そうに光った。
「……ふーん、じゃあ体に聞こー。」
にじり寄った翔吾の腕があっさりと夕月を捕らえた。
「やっぱなんか抱き心地が違うな…。この下、何着てる?」
「し、知らない…っ、普通…。」
「知らないのに普通ってなんだよ。」
おかしな誤魔化し方をした夕月の頬を翔吾の指が挟む。耳元に低い声が降ってくる。
「大人しく自分で見せるのと、俺に調べられるのどっちがいい?…さーん、にーい、」
「…わかった!見せる…っ!見せるから、電気消して。」
「消したら見えねーじゃん。」
翔吾はそう言いながらも照明を少し落としてくれた。
まだ充分恥ずかしい明るさだったが、諦めてスエット素材のズボンを脱ぐ。
翔吾はじっとその姿を見ていた。
「あ、んまり…見ないで」
「それは無理。」
パーカーの裾にかけた手が震えた。ゆっくりとまくり上げていくと彼がお、と息を飲んだのがわかった。
「……これ、どうした?」
「り、リカ達が、私と翔吾にって…。」
「もしかして、俺の誕生日プレゼント?」
頷くしか無かった。
「すげぇ可愛い。夕月が自分で俺のために着てくれたんだろ、もっと良く見せて。」
「やだ、恥ずかしい…っ」
「こら、逃げるな。貰ったもんは返さねぇぞ。」
慌ててまたパーカーを被ろうとした夕月の手を翔吾が阻んだ。
強張った身体を軽々と持ち上げて、あっさりベッドまで運んでしまう。
「いつものより布面積は多いだろうが。」
「そうだけど〜……なんか…!」
「わかったわかった、頑張ってくれたんだな。」
優しく髪を撫でられると、それだけで少し気持ちが落ち着いてしまうから不思議だった。
「…夕月ちょっとここめくってみて。」
「こ、こう…?」
もう自分はプレゼントなんだと覚悟を決めて、言われた通り薄い布を持ち上げると、翔吾が深いため息をついた。
「えっ!なんか変…?」
「パンツそれ、本当に解ける奴?録画とか……」
「だっ!駄目だめ!」
スマホに伸びかけた翔吾の手に慌てて飛びつく。
あ、やられた、と思った時には遅かった。
「冗談だよ。」
自ら身体を押し付けてしまった夕月を、翔吾が嬉しそうに抱きしめる。
「腹の容量まで空けといて貰ったんだろ。堪能させてもらうぞ、プレゼント。」




