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翔吾と夕月  作者: 月兎耳
20/34

2-11 夕月の両親

 夕月の耳には、全ての音が聞こえるようだった。

 両親の喋る声、近づいてきて止まるエンジン音、階段を登る硬い靴音。

 玄関の鍵が2度回る。

 夕月の大好きな、今、世界で一番聞きたくなかった声。 


「……夕月? 1人の時はちゃんと鍵締めろって、」


 玄関を開けた翔吾が言葉を失った。

 夕月の目を見て、両親を見て、深々と頭を下げた。


「翔吾……。」

「初めまして。夕月さんと、お付き合いさせて頂いてます、鮎川です。」




 翔吾は玄関の鍵を回してノブを捻った。ガツン、と引っかかる。

 もう一度鍵を差して回すと、抵抗なくノブが回った。

 どうやら元々鍵が開いていたらしい。

 夕月の無防備さにため息をついたが、少しだけそれが愛おしくもあった。


「夕月、1人の時はちゃんと鍵締めろって、」


 小言を言いながらドアを開けると、見慣れない靴が2足並んでいた。

 どちらも夕月のサイズと違う。

 ソファに並んで座って、僅かに腰を浮かせた壮年の男女を見て、ざわっと血が下がるのがわかった。


「翔吾……。」


 泣きそうな顔をした夕月の唇から翔吾の名が溢れ落ちた。

 反射的に、頭を下げた。ひとつ息を吸って吐く。


「初めまして。夕月さんと、お付き合いさせて頂いてます。鮎川です。」

「何だ、君は。うちの夕月とどう言う関係なんだ。」


 男の方が立ち上がった。翔吾は静かに繰り返した。


「お嬢さんに、親切にして貰ってます。」

「お父さん。私、この人と付き合ってるの。彼氏。」


 そっと夕月が翔吾の側に立ち、頭を上げるように促す。


「夕月。あなた、そんな暴走族みたいな人と知り合いなの?」


 尖った声を、黙って受けた。

 暴走族という誹りは、昔も受けた事があった。

 ヘルメットを持って帰って来た自分は誰が見てもバイクに乗るとわかる格好だった。

 暫く言われてはいなかったが、バイクに乗っていると言うだけで眉を顰める人がいることも知っていた。

 そして、そういう人種には言いたいだけ言わせてしまうのが賢い選択だという事も。


「貴方。その髪の毛の色地毛なの?」

「いえ、染めてます。」

「あらそうなの。いえね、ほら、色素が抜けちゃう病気?とかあるでしょう。だから確認だけね。」

「そんな嫌な言い方しなくても、見たらわかるじゃん……っ!」

「……もうたくさんだ。母さん、警察を呼べ。夕月がこんな不良と知り合いな訳ないだろう。脅されてるか何かしてるんだ。」

「お父さん、なんて事言うの!」


 夕月が悲鳴のような声を上げた。


「夕月、いいから。」

「良くないよ! 翔吾は暴走族でも、悪い人でもない、優しい人だもん!」

「お前もいい加減にしなさい! いつからそんな不良になったんだ!?」


 父に食ってかかった夕月の頬が鳴った。


「夕月!」


 父に頬を張られた夕月が床に倒れる前に何とか抱き留めた。


「親に逆らってばかりで、嘘までついて、どういう了見なんだ!? そんな男に誑かされて、育て方を間違えたな!」

「貴方、なにも叩かなくても……、夕月、何も無理に大学なんて行かなくてもいいんだから、家に帰れば目も覚めるわよ。ね?」


 久々に、翔吾の中の何かが切れた。


「……ふざけんなよ、夕月はあんた達の娘だろうが。なんでそんな馬鹿にした事が言えんだよ。何でこんな小さい女を男が平気で殴れんだよ……!?」


 翔吾が真っ直ぐ立って正面に向かうと、夕月の父は翔吾よりもずっと小さかった。

 翔吾を見上げた夕月の父は鼻白んで大声を上げた。


「お、お前みたいな男に、夕月の何がわかるんだ!」

「じゃあ、夕月がどんだけ頑張ってるか、あんた達は知ってんのかよ! 1人でどれだけ『良い子』でいたか、知ってんのかよ……!?」


 温かい家庭で、大切に育てられたのだろうと思っていた。整った生活に時折感じる違和感は、夕月の元々の性格なのだと思っていた。

 けれど夕月の両親の言動は、翔吾が考えていた物とは全く異なっていた。

 それは優しさでも温かさでもない、支配。

 自分達が育てたはずの夕月の成り立ちを否定し、将来まで捻じ曲げようとする者に、彼女を渡したくない。

 握ってしまった拳を振り上げないように、力を込めて抑えていると、夕月が割り込んだ。


「……お父さんお母さん、ごめんなさい。でも、この人は、私のことを大切にしてくれる人なの。だから、翔吾に謝って下さい。」

「冗談じゃない! こんな男と付き合うって言うなら、もうお前を娘とは思わないからな。」

「おい!」

「貴方……!」


 夕月の父の吐き捨てた言葉に反応した翔吾と夕月の母を制するように、夕月が静かに頭を下げた。


「心配してくれて、ありがとう。でも、今日はもう、帰って。……お願いします。」


 頭を下げたまま言った声が、震えていた。

 夕月の父は、勝手にしろ、と吐き捨てて部屋を出て行った。夕月の母も後を追う。

 翔吾もその背に頭を下げた。

 玄関のドアが閉まって足音が遠ざかるまで、夕月は頭を上げなかった。

 



「夕月、顔大丈夫か?」


 頭を上げた夕月の目は、泣くのを堪えるように、大きく見開かれていた。

それでも、泣いてはいなかった。

 タオルを冷たい水で濡らして赤くなった頬を押さえてやると、強張っていた身体が少しずつ緩んでいった。


「翔吾……、ごめん。うちの親に、酷い事言われちゃって……。」

「俺はどうでもいいんだよ、あんなの慣れてる。夕月の方が辛かったろ。……俺のせいで、ごめん。」

「違うの。翔吾のせいじゃないよ。……私、叩かれてちょっとすっきりした。お父さんがああいう人だって、やっと納得できた。」


 夕月は頬に当てられたタオルを取って、少しだけ笑った。

 引き金を引いたのは、明らかに翔吾の存在だった。

 大人しくて真面目な娘に出来た、厳つい不良の彼氏。

 いつか家族に出会う日が来たら、自分が罵られるのは当然だと思っていた。

 まさか、夕月があんな風に否定されるなんて。


「でも俺、親父さんに怒鳴っちまった。」

「……いいの、私のこと庇ってくれたんだもん。嬉しかった。」


 自分は夕月から、家族を奪ったのかもしれなかった。

 でも、夕月があの家族の元で幸せになれるとは思わなかった。

 あの時夕月を守りたいと思った。

 夕月は自分で立って、震えながら両親に向きあった。

 そこに一緒にいたことが、そんな夕月に庇われたことが、少しだけ苦しくて誇らしかった。


「ねえ翔吾、ただいまって言って。」

「今そんなの」

「いいから。」

「……ただいま。」

「おかえり。」


 夕月は笑った。

 これが、2人で選んだ形だった。




「補講はどうだったの?」


 夕月は夕食の片付けをしながら、翔吾に訊ねた。

 頑張りたいと言っていた翔吾の話を沢山聞こうと思っていたのに、急に親が現れてそれどころではなくなってしまっていた。


「あー……。めっちゃ辛かった。けど、夕月の弁当が美味かったから、何とか乗り切った。」

「いつもと同じだったでしょ。」

「それがいいんだよ。」


 冷蔵庫に残り物をしまいながら、翔吾が笑った。


「いつもと一緒が良いんだ。」

「そう?」

「おう。ちゃんと、夕月がいるって思える。」


 少しだけトーンの落ちた声に、本当に辛かったのがわかる。

 そんな彼に、夕月の事情で余計な負荷をかけたのが余計に心苦しかった。

 手を拭いて、広い背中に抱きついた。


「明日のお弁当は何がいい?」

「卵焼き。甘いやつ。」

「毎日同じじゃん。」

「だから、それがいいんだって。」

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