91 兄妹
昼食を取り、午後の授業をこなし、一日が終わる。
剣術のレベル査定とはいえ、フィーとアル以外と手合わせするのは、久しぶりだ。
話に聞いていたがバトンは、なかなか腕が立つ。レジェンは、かの国の戦い方を彷彿とさせる。
――まさかな…。
デオロ領は、伯爵のなかでも中堅どころの家系だ。かの国と繫がっているという話は、聞いたことがない。
――念の為、調べておくか。
キースがいる生物室へ足を運ぶ。廊下を進みながら考えるのはフィーのことばかりだ。
フィーが隠れ家に行っている間、干ばつの調査で領地を回っていた俺は、王太子として毅然な態度で接し、王太子の威厳を保ちつつ、領民に寄り添う理想的な王子であり続けた。
同行者した第一騎士団に願い出て、期間中の鍛錬は、指導方法の習得も踏まえ、付き合わせてしまった。
フィーが学園入学時に襲われてから自身の無力さに苛立ってしまったがこういう時ほど冷静になれと母さんや父さんにたしなめられた。
第一騎士団の騎士たちにも人気の高い。
『フィリティ姫様のためとあればなんなりと!!』
フィーの名前を出すやいなやこれだもんな。フィーが嫁いだらどうなるのやら、先が思いやられる。
だが、さすがに騎士団と学園入学したての生徒とでは、わけが違う。あくまでも騎士団ではどうしているのかの参考程度だった。
エデルになりすます案が決まったのは、入学式の直前だった。初日にエデル本人がバトンに会いに行き、信じ込ませた。すぐにバレるだろうとエデルは言っていた。だが、俺にとって、バレようがバレまいがそこは、重要ではない。フィーを守るために守れる距離に居ることが重要だった。欲を言えば味方を増やしたいそれだけだった。
そう思っていたが、校内ですれ違うぐらいではバレなかった。図書室での一件で話をしていたのに気づかれなかった。どこまで気づかれないのか少し楽しく思ったのも事実だ。
そして、その時は来た。一度、木剣を交えたら、即バレた。
さすが身体は、嘘はつかないなと日頃の習慣には、感心した。
転移棟から帰還転移の最中、俺は一緒に転移する後発隊の中からバトンを呼ぶ。
『バトン』
『あんだよ…』
背丈が微妙に俺のほうが高いがもう二年三年もすれば抜かされるだろうなと、思いながら少し屈んで耳打ちした。
『俺は、フィーの兄貴だ。よろしくな』
『っ!!!』
背を戻すと、黒い瞳がこれでもかと見開かれ、驚愕していた。
茶目っ気たっぷりにウィンクをしたら、ぷいっと顔を背けられた。
――あーあ、嫌われちゃったかな。
無事に転移が済み、次に転移してくるフィーたちのために素早く誘導する。
バトンには“また後で”と声をかけた。
* * *
俺は、【兄】になんて、なりたくなかった。
生まれたのが王家しかも現国王の息子となれば、そんなことは許されない。
三歳の時、“来年には兄弟が出来るぞ”と父さんに言われて、大好きだった母さんを拒絶した。どんどんお腹が大きくなるのを見たくなかった。産まれてこないで欲しいと何度も祈った。
九月十五日
朝から母さんがいつもと違って、俺にかける言葉や笑顔が少なかった。
母さんがお腹をさする姿が嫌で嫌で仕方なかった。本当は、あの時から前駆陣痛が始まっていたんだと今ならわかる。
出産は命がけだ。王太子妃である母さんですら例外ではない。俺を産んだあとに苦労したと以前、聞かされた。
俺がいるのに、またその苦しみを繰り返してまで弟か妹を産む…俺から母さんを奪う兄弟が、痛みを与える行為が嫌だった。
その日、女の子が産まれたと剣術の稽古中に聞かされた。相手をしていた父さんが『会いにいこう』と、待ちわびたとばかりに笑顔で、手を差し出してきたが払い除けて逃げた。俺は会いに行かなかった。
それが何日も続き、あげく父さんの小脇に抱えられながら母さんの部屋へ強制的に連れられた。
父さんは“何が嫌なんだ?”“四歳になっても赤ちゃんみたいだな”“とにかく一度会ってみろ”ばかりだった。その中に、俺の気持ちはどこにあるんだ。
俺にも何が嫌なのかわからない。でも嫌なものは嫌なんだ。泣きながら抵抗したけれど、父さんには、四歳の俺の力なんて敵うはずがなかった。
母さんの部屋の前でも泣き続けた。部屋に通されて、ベッドに横になる母さんと目があった…気がした。声を上げて泣くまいと、必死に下唇を噛んで耐えた。涙で視界がぼやけていて、よくわからない。
『アルバート、やっと会いに来てくれたのね。待っていたわ』
久しぶりに聞いた母さんの声は、優しかった。
産後の安静の大事さも家庭教師から聞かされていてわかっていたが、《待っていたならそっちから会いに来て欲しかった》と、そう思わずにはいられなかった。
『ほら、こっちにいらっしゃい』
ベッドの横をポンポンと叩く母さんの側に産まれたばかりの妹はいなかった。父さんに抱えられたまま母さんの隣まで進んで、俺はベッドに降ろされる。たかだか十数キロの体重なのにふかふかのベッドは簡単に沈んだ。
まだ産後の子宮の戻りで下腹部が痛いであろう母さんはにっこり笑って、手を広げて、俺を抱きしめてくれた。
――大好きな母さんの匂い。大好きな母さんの手。大好きな母さんのぬくもり。
溢れる涙が泣きたくない心情とは裏腹にポロポロとシーツを濡らしていく。
『あらあら。ふふっ。可愛い可愛いバート』
それから母さんは、俺の好きな所をたくさん教えてくれた。泣きつかれて寝てしまったら、俺しかいないとばかりに添い寝をしてくれた。
いつぶりにこんなに長く母さんと一緒にいるだろう。四歳になってから王子教育が始まって日中、ほとんど一緒に居れなかった。
こんな日々が数日続いたある日、母さんが言う。
『最初からお兄ちゃんにならなくていいのよ。バートはバート。お母さんはどんなバートも大好きよ』
《怖かったね》
その言葉がスーっと心に溶けたような気がしたんだ。
――そっか…。怖かったんだ。
何が怖いのか…それすらもよくわからない。
愛されなくなることが怖いのか。母さんを取られるのが怖いのか。ちゃんと兄になれるのか。妹が好いてくれるのか…。
――俺だけの世界が壊れるのが一番、怖かったのかもしれない。
未だに妹とは会っていない。
母さんと会う時は、ここにはいない。
初めて、母さんに妹の存在を聞いてみた。
『会ってみる?』
数分後、侍女のエリーに抱かれた小さな女の子が部屋に来た。
俺と同じ水色の瞳。
俺に似た蜜色の髪。
俺より小さい手足。
俺をじーっと見て、大きなあくびをする妹。こちらの気持ちなど、お構いなしだ。
手を伸ばすから人差し指を差し出したら、ぎゅーっと力強く握られた。
こんな小さな身体のどこから湧くのか。ふしぎだった。
そして、想ってしまった。
――可愛い。
お気に入りのおもちゃは取られ、完成間近のパズルは壊され、百点を取った試験用紙は破られ、母さんに作った花飾りはぐちゃぐちゃに踏み潰された。おやつも全部食べられたり、できないくせに同じことをやりたがったり、同い年の友達と遊びたいのに混じりたがったり、教えても教えてもその通りにやってくれたことなんて、なかった。なのに……。
《にっに》
《にーに》
《おいしゃん》
《おにーしゃん》
《お兄ちゃん》
《お兄さま》
《お兄様》
俺はあの日、可愛いと認めてしまってからあんなに嫌で嫌で仕方なかった妹の存在が、かけがえのない唯一無二に変わってしまった。
そんな妹の命を狙う奴らが許せない。どんな手段を使ってでも守ってみせる。
例え、攻撃魔法が使えなくても。お兄ちゃんは妹を守る。守りたいんだ。
「フィー」
拳を握り、生物室の扉をノックした。




