74 合図
八月も半ばになり、フィリティたちは隠れ家での夏休みを過ごし、王宮へ戻る日が来た。
「お母さん!忘れものはない?」
「ええ。大丈夫よ。キースのところにも寄るからそこまでにもし忘れ物に気づいたら取りに戻りましょう」
「はいっ!アルも大丈夫!?おばさんたちに伝え忘れてとかないかしら?」
「あぁ。大丈夫だよ。また手紙も出せるし。フィーリは心配性だな」
「いつもこんな感じだよ?」
「そうね。いつもこんな感じね。ふふっ」
馬車に乗り込み、隠れ家を後にする。菜園の状態を詳しく書き留めた紙の束をフィリティは抱えていた。これは、不在中にゼンに頼むためだ。
「そういえばこんな時に学校の制服があったら便利なのかも」
(だって、空間魔法で荷物が全部ポケットに入れられてしまうもの)
次、隠れ家を訪れるのは、冬か春か…。その時は制服を持参しよう。
のどかに流れる見慣れた風景を最後まで楽しもうと車窓を眺めていた。
* * *
浴衣パーティ翌日、昨夜フィリティがうなされる姿を目の当たりにしたり、バトンに素性を明かしたり、これからの問題を話したりと濃密な夜だった男子二人の部屋。
二人はあの後、一度は寝たものの一時間ほどすると目が覚めてしまい、結局陽が昇るまで起きていた。
起きていたからと言って、互いに言葉を交わすことはなく、布団の中でじっと過ごした。
そのせいか、二人して陽が昇ると共に寝入ってしまい、寝坊した。起きたのは、学園で三時限目が始まるころだった。
「おはようございます…おばさん…フィーリは?」
「遅よう!アルっ!ふふっ。珍しいわね、シャワーでも浴びてきたら?今、バトンが入っているからお湯も出やすいし、気持ちがいいわよ。フィーちゃんは今、庭でキースに剣術指導を受けているわ」
「…じゃぁお言葉に甘えて」
そこで、ミシェルは、アルドルトの肩を叩き、《昨夜はありがとう》と小さくつぶやいた。
パッとミシェルと視線を合わせて、頷いた。
(やはり…ご存じだったのですね)
あの場にいないミシェルとキースが気になっていた。フィリティの悲鳴とも言える寝言に反応しないなんて、おかしいと思っていたのだ。
「ささっ、男同士で入ってらっしゃい」
「それは…遠慮します」
“あら?仲良しになったんじゃないの?”と、笑いながら言うミシェルにアルドルトは、苦笑で風呂場に向かった。
*
「はぁ…はぁ…っんん…はぁ…」
キースが一通りの指導をした後、実践形式で手合わせをした。全く歯が立たない。手がしびれて使い物にならなくなるまで手合わせをした。のだが、その後もフィリティは、素振りを続けている。
キースは縁側に座り、その様子を心配気に眺めていた。
「フィー?そろそろ一旦休憩せい。そんなに根詰めんでも…この先もたんぞ?」
「…はぁ…はぁ」
カラランッカラッ
手からフルーレが滑り落ちた。
フルーレを拾うこともせず、はぁはぁと呼吸をするフィリティの頬を汗が伝い、地面に落ちる。ポタっポタっと土の色がそこだけ変わり、シミが広がる。
「どうかしたか?そこまで打ち込んで」
(知ってるがな…)
「はぁ…はぁ…ん…はぁ…」
フィリティはフルーレを広い、縁側に歩み寄り、キースの隣に座って水分を補給する。
「……キィじぃ…」
「んん?」
「……私、守りたいものがあるの」
「守りたいもの?」
(…私の大切な人たちを守りたい…私のせいで…私のせいで戦争になんてなったら……)
「うん……。そのためにキィじぃみたいに早く強くなりたい…」
(まだまだだけど…)
「そうかぁ…だが、今みたいに無茶していたら駄目だ。もっと精度を上げなさい」
「精度?」
「一つ一つの技を極める。今のフィリティは広く浅くって感じだな。狭く深く極めて、徐々に広げたほうがいい」
「……わかった」
「それと…」
そこで水色の瞳を覗き込み、その奥の心を感じ取る。
「なんでも一人で抱え混むな。周りを頼れ。出来ないこと、追いつかないことがあれば、そこで補う。それもフィーには必要だ」
「……難しい…ね…」
(あぁ、忘れとった。この子は…)
「《迷惑》なんて思うな。オレを頼れよ。頼られたら頼られたで嬉しいもん、なんだからな」
突然、後ろからバトンが声をかけてきた。風呂上りなのか髪は濡れて、毛先から水滴がポタっポタっと落ちている。ニカッと笑う彼が頼もしく見えた。
「……あっ…バトン…おはよう」
「おうっ!はよーさん。遅くなっちまったがな」
「遅すぎだ。馬鹿垂れ」
キースが調子のいいバトンに釘を刺し、“そこに座れっ”と、首に巻いていたフェイスタオルをバトンの頭に乗せ、ガシガシと拭いている。
キースとバトンのやり取りが本当の親子みたいでフィリティはふふっと目を細めて眺めた。
フィリティの素性を知ったバトンの態度は変わることなく、今までと全く一緒でキースは安堵した。
「いいか?フィー。男ってもんは頼られてなんぼだからなっ!困ったときはオレを頼れ。いいな?」
「う、うん。ありがとう」
「んー、それはまだわかってねぇなぁ。あっ!あれだ。困ったら左胸を二回叩け」
バトンが拳を作って腕を折り、左胸をトントンと叩く仕草をする。
「こうやって。まぁ無理だったらどこでもいい二回叩け。言葉じゃ言えなくてもこれなら気づいてやれるからな。ほらっやってみろよ」
そう言われ、バトンが先ほどの動作を繰り返す。
それを見て私も同じ動作をする。
トントン
胸を叩くと、バトンが頬を持ち上げて嬉しそうに笑った。キースも様子を見ていたが、バトンの満足そうな顔に頬を緩めた。
「いいな。忘れるなよ?」
フィリティは、コクンと頷いた。
それからバトンはキースに剣術指導を依頼したが、それはたま今度になってしまった。
ミシェル特製の昼食を食べて、キースとバトンは帰っていく。
アルドルトは、しばらく隠れ家に滞在した。
その間にもフィリティは、悪夢にうなされた。
アルドルトと一緒に川に魚釣りに行った日。
ミシェルとサンカルミへ行き、お買い物を楽しんだ日。
アルドルトとパティリテ湖にシレスコピィの蕾を見に行った日。
バトンが来訪し、三人で剣術の稽古をした日……ほかにも楽しかったことがあった日の夜に夢をみる。
その度にアルドルトはルーに呼ばれ、側にいた。部屋の扉は開けたまま。
苦しんでいる彼女を何とかしたかった。見ているだけの己の無力さに打ちひしがれる。
その様子を扉の隙間から覗いていたミシェルは、王都に戻ったらあの場所へ連れて行こうと決めた。
* * *
キースの家につき、荷物を積んでいる。
その間にフィリティは、ゼンに菜園を託すべく紙の束を渡した。
「ゼンさん、これよかったら使ってください。着いた日から今日までの記録です。それといつもありがとうございます」
そう言って名前入りの万年筆をプレゼントした。
これは、ミシェルとサンカルミで買い物に出かけた日に日頃お世話になるゼンさんへ何か贈ろうとなり、ミシェルと二人で選んだ。師弟の関係だからと、色違いをキースにも贈る。二人はとても喜んでくれた。
さて、そろそろ出発かと言うタイミングで小さな荷物を抱えたバトンがキース家へやってきた。
「どうせ帰るなら一緒にいいか?」
フィリティは喜び、アルドルトは不満顔。ミシェルとキースはニコニコして許可してくれた。
行きよりも帰りが賑やかになったことは…言うまでもないだろう。




