52 またすぐに
明朝、陽が昇る前に目を覚ましたフィリティは、厨房へ行き、アルドルトのためにクッキーを焼くことにした。厨房へ行くと、すでに下処理をしている料理人がいて、料理長も忙しくしていた。邪魔になってしまうのではと心配したが、菓子用のオーブンは今使わないとのことで料理長も快く了承した。
エリーが必要なものを素早く計量し、フィリティがエプロンをつけ、手を洗っている間にすべての準備が整われていた。
「エリーありがとう。ここまで付き合ってくれたのに準備まで…本当にありがとう」
「いえいえ。この程度、エリーには朝飯前です。あ…本当に朝食前なので朝飯前なんですが…」
「ふふっ。もうエリーったら」
「ささっ、お時間は無限ではありません。作ってしまいましょう」
「ええ!頑張るわね」
一時間後、無事にフィリティ特製クッキーが完成した。
かさばらないように袋に詰めて、お気に入りの緑のリボンを結んだ。
「喜んでくれるかしら?」
「絶対に喜ばれますよ」
多めに作ったので、厨房にいる料理人たちに日頃の感謝ですと、料理長に手渡す。
「私のクッキーなんて、皆さんの足元にも及ばないけれど、よかったら休憩の時にでもつまんで」
「姫様が我々のためにお作りになっただけでも感無量です。ありがとうございます。大事に皆で分けます」
思っていたよりも喜ばれ、壊れないように繊細に扱われるクッキーを見て、作ってよかったとフィリティは思った。その後、エリーに促されてクッキーの入った袋をもってアルドルトの客間へ行く。
ちょうど、正装姿のアルドルトが朝食を食べるために部屋から出てきたところだった。
「アル。おはよう」
「…おはよう」
あと数時間で帰国するアルドルトは、ちょっと寂しげな笑みを浮かべていた。
「よく眠れた?」
「……ん…」
自分で引き起こしたあの出来事が頭の中でグルグルと繰り返し脳内再生され、眠れなくなってしまったとは絶対に口に出来ないため、曖昧に答えた。
「あ…あのね…今朝、焼いたの。本当はもっと後で渡そうと思ったんだけど…」
後ろに隠していたクッキー入りの袋を差し出した。
「っ!!?け…今朝?僕のために?」
「そう…」
頬を赤らめながらもじもじとするフィリティをみて、寝不足など吹き飛んだ。嬉しさが溢れる笑みで袋を受け取る。いつもアルドルトの瞳に合わせた色のリボンを結んぶ健気なフィリティに心打たれる。
「…ありがとう。大事にするね」
受け取ってから一度、部屋の中へ戻り、荷物の一番上に優しく置いた。
「じゃぁ、行こうか?」
フィリティの手を取り、指まで絡めて朝食の場へ向かう。
繋がれた手が昨日のぬくもりをよみがえらせるようで、もうアルドルトと一緒の時は頬の熱を冷ますのは諦めたほうが良さそうだと悟る。
(もう婚約者になったのだからいつでも手を握れるのね)
その事実が心から嬉しかった。
* * *
真っ白な正装姿に身を包んだアルドルトが馬車を背にアンジュール一家と向き合い別れを惜しむ。
昨日、アルドルトを身体いっぱいに堪能したとはいえ、別れは寂しい。ただ、昨夜のことがなければここで泣きべそをかいていたかもしれないと思うと、心の中でフィリティは何度目かの感謝をエリーに贈る。
「では、そろそろ参ります。この度は、私事にお時間を頂戴しありがとう存じます」
最上位敬礼でアンジュール国国王ジョーカスに挨拶をする。
第二王子らしく美しい敬礼にフィリティはもちろん、ミシェルも見惚れていた。
「ふむ。この度は娘フィリティのため、隣国より感謝する。それとこれを。友マルクへ届けてくれぬか?」
そういってアンジュール国の封蝋印された手紙を手渡した。
「昨日、そなたらに話した内容が簡易的ではあるが書かれている。アルドルトに託すのが一番だと判断した」
「第二王子の命にかけ必ず父上に届けます」
そういって手紙を懐にしまう。懐にはもう一枚収められていることはアルドルトだけの秘密。
「たった一晩だったけれど、とても楽しかったわ。また近いうちに会いましょう」
「はい。必ず」
「道中、気を付けていくんだぞ。ロベールにもよろしく」
「兄様も会いたがっていました。是非今度は我が国へお越しください」
「………僕は…………」
「…少しずつでいいから、僕を受け入れてくれたら嬉しい」
その場で一人ずつ挨拶をしていく。
最後にフィリティと向かい合う。お互いの瞳が揺れる。
「……気を付けて…」
言いたいことはたくさんあるのに、結局ありきたりな言葉になってしまう。
アルドルトがフィリティの手を取り、しっかり握る。
「また、すぐに会えるようになるよ。それまでの辛抱だよ」
アルドルトの顔が近いと思った瞬間、フィリティの額に口づけが落とされた。
父王や母、兄もいる場での大胆な行動にカァっと熱が集まって顔を真っ赤にした。
「…恥ずかしいことはやめて」
消え入りそうな声でしか返せなかった。
アルバートとカイルは、ムッとしてアルドルトの側にいたフィリティを二人で引き寄せ、遠ざけた。
子供たちのやり取りにジョーカスとミシェルは、クスクス笑う。
「あらあらあら」
「なかなか面白いものが見れたの」
名残惜しそうにアルドルトが馬車に乗り込む。扉が閉じる瞬間まで熱い視線をフィリティに送っていた。
フィリティも馬車が出発し、小さくなり、やがて見えなくなるまでミシェルと共に見送った。
「行っちゃったわね」
「うん…」
「でも、そんなに寂しそうじゃないわね。もっと落ち込むかと思ったけれど…昨夜何かあったの?」
その問いにフィリティは視線を逸らしたが、耳まで真っ赤になるほどの何かがあったのだと察した。
(エリーと…そうねぇ、ジーナと…担当騎士は誰だったかしら?ふふっ呼び出ししなくっちゃね)
不敵に笑いながら王妃専属侍女に三人を呼ぶように言いつけるのだった。
* * *
アンジュール国王城がまだかすかに見えるのどかな森の中を進み、母国へ向けて、僕は馬車に揺られていた。
馬車が出発し、どんどん遠ざかる。小さくなっていくアンジュール一家。見えなくなるまで人影があったのは、フィーリがそこにいてくれたのだろうと想像に容易い。
首元の金具を外し、正装を着崩して緊張感を解く。
フィーリが焼いてくれたクッキーの入った袋に手をかけ、膝の上に優しく置いた。
ずっしりと重さがあった。初めてのクッキーに比べたらなぜこんなに重いのか不思議だ。きっとたくさん持たせてくれたのだろう。
「随分、焼いたんだな」
それだけで僕の心は跳ねてしまう。
いつも贈り物に巻かれる僕色のリボンは、光沢があり、きめが細かい。それだけで高価なのだろうと察しが付く。菓子の袋を留めるために使われるものではない。そこはさすが王家と言うべきだろうか。
リボンを解き、丁寧に隣の座席へと置く。
花が咲くように広がる包みから出てきたのは、ハート型ばかりだった。初めてのクッキーには、三つしか入ってなかったのに急に大胆になったものだと苦笑する。
一枚とり、口に運ぶ。
サクッと良い音がなり、クッキーに唾液を全て持っていかれ、水気が欲しくなる。まるでフィリティに注ぐ愛情のようだ。注いでいるのに足らないと、もっと欲しいもっとと強請ってくる。
王宮のバターは質がいいようで、鼻に抜けるバターの香りが心地よく、後味もスッキリとしている。
喉の渇きを水で潤しながら、二個三個と口に運んだ。
すると底からハートではない形が一部、顔を覗く。
サクサク食べながら、そのハートでない部分をつまんで底から引っ張り上げた。
「っ!!!」
鳥の形と…。
「…えっと……僕?」
ルーらしき鳥に髪を引っ張られている人の顔を象ったクッキー。
取り出した包みを見てみると、ハート型の隙間からほかにもハート型ではないものが入っている。
(……これは…バート?かな。これはカイルっぽい……あっ!これ絶対バトンだ)
色がないのに特徴がよく捉えられていて、わかる人にはわかるだろう。
「ほかにもロべート兄さんに母上、凄いなっパトリックにマルセルのもある…」
僕はクッキーの形に夢中になる。
だって、肝心の彼女がまだみつからない。
包みからクッキーが落ちないように探すには、なかなか苦労する。
もしかして…製作者だけないのだろうか…。
「………あ…」
あった。
思わず見入ってしまった。
一番下に入っていた彼女型のクッキー。
彼女は、単独デザインでは、なかった。
僕らしき人物の頬とくっついていて、お互いの髪が首元に絡み、全体がハート型のようだ。
一生懸命、早朝から厨房でつくる彼女を想像する。作ったからと、手渡しの時にもじもじしていた彼女を思い出す。
別れ際の彼女の寂しげな表情だったが、クッキーにかたどられた彼女は笑っている。
「………食べれないよ…」
彼女が…フィーリがいれば、絶賛していたのに。
今ここにフィーリはいない。
あの時、受け取ってすぐに開封しなかった己を後悔した。
「……会いたい…フィーリ…」
始まったばかりの遠距離がすでに煩わしい。
(…永久保存するには…どうしたらいいだろうか……)




