錬金術師と雨の日の午後
ダミアンさんの一件から数日経ったある日の午後。
私は窓の近くに移動させた丸イスに座り、しとしとと降り続ける雨を眺めながら、ほうっと息を吐いた。
そういえばリガロへ来て初めての雨だなあ、なんてことをぼんやりと思う。
ここ最近、午前中はロザリーのお手伝い、午後からは街へ散策を兼ねた買い物へ行くという生活を送っているのだが、しかし今日は生憎の雨のため外出は中止した。
ちなみに、お手伝いと言っても主に商品の状態確認やお店の掃除だけで難しいことは何もない。
むしろお店にある物を把握できるので楽しくやっているくらいだ。
お店の手伝いと言えば、錬金術の練習も兼ねて『妖精の塗り薬』や『ミネランフィード』の調合も行っている。
特に『妖精の塗り薬』は街中にある他のお店にも卸しているらしく、定期的に作って欲しいと頼まれている。
また、『ミネランフィード』に関しても、この前買いに来たダミアンさんが「またなくなったら買いに来させて貰うぞ」と言っていた。
これも作り置きしておきたいのだが、肝心の『ミネランベリー』を全て使いきってしまった。
また街の外まで――もちろん今度は他にも戦える人を連れて――採取に行くか、狩猟師に取ってきて貰うよう頼む必要がある。
いずれにせよ、今日は外出しないと決めているので、頭の片隅に入れるだけに留めておく。
「ふわあ……」
そんなことをつらつらと考えていると、雨音が心地の良い子守唄になったのか、あくびが漏れる。
いつの間にか侵食していた睡魔に抵抗するよう頭を振り、視線をお店の中にいるロザリーへ向けた。
階段に近い場所に置かれたテーブルの縁に腰掛けたロザリーは、投げ出した足を左右で交互にぱたぱたと揺らしながら「ふんふーん」と軽やかなリズムを鼻歌で刻んでいた。
聞いたことのないメロディにぼーっと聞き入っていると、私の視線に気付いたのか不意にこちらを振り向いた。
二つに結われた金髪が頭の動きにあわせて揺れる。
「どーしたの?」
「あ、ごめん。聞いたことのない歌だなと思って」
「アハハ、聞いたことないはずだよ! だって適当に歌ってるんだもん」
「て、適当なんだ……」
それにしては綺麗なメロディだったなと思いつつ苦笑いを浮かべる。
特にすることもなく手持ち無沙汰の私は、ふと思い出した疑問を投げかけてみる。
「そういえばロザリーって、普段は何しているの?」
「普段? んー、その時の気分次第かなあ。掃除してみたり、本読んでみたり、こうして何もせずにのんびりしてみたり――」
顎に人差し指を当てて小首を傾げたロザリーは、記憶を辿るように目線を上げてぽつりぽつりと答え始める。
思い返してみればダミアンさんの依頼を受けて帰ってきた時も掃除していた覚えがある。
やがて思い当たることがなくなったのか、ロザリーは視線を下げてエメラルドのように澄んだ瞳を私に向けてきた。
そしてテーブルから飛び降りると、私の近くにあるテーブルまでふわりと飛んできて着地した。
「レティは? 暇な時、何してたの?」
「私はよく先生とお話ししていたかな。私、ここに来るまで他の街に行ったことなかったから、先生からいろんな街の様子とか面白い話とか聞かせて貰うのが好きだったの。あ、でも、錬金術を教えて貰ってからは錬金術の練習が多くなったかな」
「あー。オレール、昔は錬金術の修行って言ってあちこち旅してたからね」
私の言葉にロザリーは納得するように頷き、懐かしさからか目を細める。
「……前から聞いてみたかったんだけど、ロザリーと先生ってどうやって知り合ったの?」
「うん? うーんとね、アタシがこのお店を出してすぐくらいの頃かな。今言ったようにオレールは昔あちこち旅していてね。妖精がやっているお店っていう噂を聞きつけたらしくわざわざ訪ねて来たんだ」
確かに研究好きな先生なら、妖精という滅多に出会えない存在に会えるというだけで飛んで行くだろう。
その妖精がお店を出しているというならなおさらだ。
「ただ、お店の商品を見るなり『意外と普通ですね』って言って帰りそうになったから、ムカついてその後頭部に『活性粉』の袋を投げつけてやったんだよ」
「あ、あはは……」
両腕で抱えた物を投げるようなロザリーの仕草に苦笑いする。
その後、ロザリーに半ば無理やり協力させられた先生は、しばらく街に滞在して『妖精の塗り薬』を新しく調合。
定期的に作って届けることを約束して去って行ったらしい。
「その後も手紙のやり取りはしてるけど、会ったのはそれが最初で最後かなー」
「そうだったんだ。てっきりもっと交流があるのかなと思ってた」
「ないない。そもそもオレールが一か所に留まるようになったのだって、レティを拾ってから……あっ」
そこまで言ってからロザリーはしまったという表情を浮かべ、慌てて自分の手で口を押える。
おそらく私が先生の養子であることを思い出し、また本当の両親がすでに亡くなっていることも知っているのだろう。
私としては物心付く前の話だから正直気にすることでもないが、そんなロザリーの心遣いは嬉しく感じる。
「ええっと……そ、そうだ! レティに一個作って貰いたいものがあるんだけど!」
わざとらしく話題を変えるように私の顔の前までふわっと飛び上がってきたロザリーに、心の中で苦笑しつつ「何かな?」と答える。
「昔、オレールから貰ったお菓子があってね。それを作って欲しいの。確か名前が、キャラ……キャラ……あ、『キャラレティ』!」
「うん、『キャラメリィ』だね」
「それだ! あの飴みたいな甘ーいお菓子をもう一度食べたいと思ってたんだよ。作れる?」
レティだと私の名前になってしまうと内心で突っ込みつつ、『キャラメリィ』のレシピを思い浮かべる。
『キャラメリィ』は錬金術で作れるお菓子の一つで、先生から教えて貰って何度か作ったことがある。
確か必要な素材は――。
「レシピは知っているから作れるよ。確かどこかにはちみつってあったよね?」
「もちろんあるよ。取って来ようか?」
「うん、お願い。砂糖はキッチンにあるから良いとして……後は牛乳が必要なんだけど、ちょうど昨日マチルドさんから貰った物があるから、それ使おうか」
「他には何か必要?」
「大丈夫、素材はそれだけだよ。ここに置いてくれれば良いから」
「りょーかい! すぐ準備するよ!」
手を額に付けて敬礼のポーズをした後、楽しそうにふわふわと棚へ飛んで行くロザリーを見送り、私もイスから立ち上がる。
窓から覗く春の雨は止む気配を見せないが、たまにはこんな日も良いなと思いつつ、二階へ向かうのだった。
◇◇
『キャラメリィ』に必要な素材は砂糖、はちみつ、それに牛乳という、市場へ行けば簡単に手に入るような物ばかりである。
実は錬金術を使わなくても作れるのだが、私にそこまでの料理――というよりお菓子作り――の腕はない。
何より私は錬金術師だ……まだ駆け出しではあるが。
「よしっと。これで良いかな?」
いつもの金属器とは別の器を広げたスクロールの上へ置き、その中へ素材となる砂糖、はちみつ、牛乳を適量入れる。
『キャラメリィ』は素材を溶かして丁寧に混ぜて固めるという工程が必要なものの、元素に関しては全く考慮する必要がない。
これはお菓子を含む普通の料理全般に言えることであり、そのため錬金術としての難易度で言えば『妖精の塗り薬』よりも簡単な部類である。
「わくわくっ!」
「あはは、そこまで期待されると緊張しちゃうよ。あと危ないからもう少し下がってね」
今にもそのまま食べそうな勢いで器を覗き込むロザリーを下がらせ、スクロールへ手を伸ばす。
いつも通り気合いを入れた後、エーテルを流し込み始め、タイミングの良いところで注ぎ込むのを止める。
やがてスクロールから漏れ出した光が収まると、器一杯に入った薄い茶色の粒が甘い香りを匂わせていた。
「できたー!」
「わっ!?」
私が喜ぶよりも早く歓喜の声を上げながら器に飛び付いたロザリーに、びっくりして声を上げてしまう。
小さく「もうっ」と呟いてみるが、子どものように目を輝かせて『キャラメリィ』を覗き込む姿に思わず頬が緩む。
しばらくしてからロザリーは顔を上げると、興奮冷めやらぬ様子で視線を私に向けてきた。
「ね、レティ、食べて良い?」
「ちょっと待って。確認するから」
「えー、大丈夫だよ! こんなに甘くて良い匂いなんだし!」
「だーめ。しっかり完成したか確かめるまでが錬金術なの」
口を尖らせて器を見つめるロザリーに苦笑しながら、私は器の中から一粒取り出し確認する。
形や状態など問題ないことを確認し終えた後「大丈夫だよ」と伝えると、ロザリーは待ってましたとばかりにふわりと飛び上がって器の中へ入り、両手で一粒持ち上げてテーブルへ戻るとさっそく齧り付いた。
「んーっ! 甘ーい!」
うっとりとした表情で幸せそうに食べるロザリーに安堵の息を漏らし、私も手に持った『キャラメリィ』を口の中へ放り込む。
飴よりも柔らかい独特な食感と、砂糖やはちみつの絡み付くような甘さが口の中に広がる。
私も子どもの頃から『キャラメリィ』は大好きで、先生によくおねだりしていたなと思い出して、口元をほころばせた。
そのまましばらくロザリーと一緒に『キャラメリィ』を味わっていると、不意に雨の音に混じってコンコンとドアがノックされる音が聞こえた。
「え……お客さん?」
思わずイスから立ち上がり目を見開いてドアを見つめる。
それもそのはず、私がこのお店に住み始めて以来、ダミアンさん以外のお客さんが来ているところを一度たりとも見たことがない。
ましてや今日は雨、そんな日に一体誰が訪れるというのだろうか。
「忘れてた。もうそんな時間なんだ」
しかしロザリーは心当たりがあるのか、そう呟いて残り少なくなった『キャラメリィ』を口の中へ押し込めると、テーブルから飛び上がる。
そのままふわふわとドアへ近付くと「入って良いよー」と向こうにいる誰かへ呼び掛けた。
ドアベルがチリンと音を立ててドアが開き、それと同時にお店の外から聞こえる雨音が大きくなる。
「……お、女の子?」
お店に入ってきたのは、どこかの民族衣装のような服を着た少女だった。
そのどこか儚げな姿に目を奪われた後、ふと雨の降る中やってきたのにも関わらず少女は雨具一つ持っておらず、しかしどこも濡れている様子がないことに気付いた。
少女は出迎えてくれたロザリーににっこりと微笑みかけ、そして私に目を向けた瞬間、顔を強張らせた。
「あー、彼女はレティ。しばらくここで生活することになったの」
「えっと、レティシア・ライエです。よろしくお願いします」
ロザリーの説明で私が名乗ると、少女は肩を跳ねさせた後小さく会釈をすると、ロザリーの服の裾を白く細い指で摘んでその後ろに隠れてしまう。
いくら背の低い少女とはいえ、さすがにロザリーの後ろに隠れることはできず表情以外全て見えているのだが、きっと指摘しない方が良いのだろう。
とりあえず悪い子ではなさそうだ。
ロザリーはそんな少女を見て苦笑いすると、肩越しに私を振り返る。
「相変わらずの人見知りだねー。レティ、この子は雨女。こうして雨と一緒にこの街にやってきた時は、いつもアタシのお店に寄ってくれるの」
「あ、雨女……? 雨と一緒に来る……?」
言っていることの意味が良く分からず首を捻るが、ロザリーは少女へ向き直ると服を摘んでいる指をポンポンと叩いて離させた。
「ちょっと待っててね、いつもの取ってくるから」
ロザリーはそう言い残すと回れ右してふわりと飛んで二階へ行ってしまった。
この人見知りらしい少女と初対面の私だけを残して行くのか、と心の中で突っ込む。
流れる沈黙の中、止む気配のない雨の音だけがはっきりと聞こえる気がした。